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第三章

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 冬の終わりに”偶然の”出会いから、あの神崎順平と”友人”関係になって以来、洋太は毎日楽しい気分で過ごしていた。
 もう何年も個人的に駅伝でのライバル視し、憎らしい奴とすら思っていた相手だが、親しくなってみると、意外にも順平は”付き合いやすい奴”だったのだ。
 確かに、態度こそ不愛想で、口を開いても「ああ」とか「うん」とかしか言わない無口な男ではあるが、周りが外見で怖がるほど乱暴な振る舞いをするわけでもなく、むしろ洋太にとっては、何故か一緒にいると気が楽で、愉快ですらあった。
 洋太にしてみれば、学校時代の友人たちがみんな会社員になって休日が合わなかったり、彼女が出来て遊びづらくなっていた頃だったので、呼べば大抵来てくれる順平は最初、便利な相手だと思っていた。この時期の順平は比較的、大きな演習もなく”自営業者”の洋太とも休日を合わせやすかったのである。
 そんなわけで洋太は、休日になると順平を登録したばかりのLIMEで呼び出しては、郊外のショッピングモールでぶらぶら買い物につきあわせたり、男同士で海岸通り沿いの観光客向けのお洒落カフェに入ったり、寺好き(だと洋太は思い込んでいる)の順平のためにK市の他の寺をレンタルサイクルで得意げに案内して回ったりした。
 一度、順平がいつもアースカラーやカーキの服ばかり着ているので、そういうのが好きなのか? と聞いてみたことがあった。本人は別にミリタリー好きなわけではなく、ただ単に見慣れていて選ぶのが楽だから、と答えたので、それならと洋太が喜んで順平に似合いそうなメンズ服を見繕ってやったこともあった。
 標準的な身長の洋太より頭半分以上は高い長身で、日焼けして引き締まった筋肉質の順平は、ただ黙って立っているだけで、どこかの海外モデルか俳優かのような人目を惹く存在感があった。
 洋太が若者向け量販店で選んでやったグレーのタートルネック、ダークグリーンのプルジップパーカーに黒のカーゴパンツというラフなスタイルだが、すれ違う周囲の女性たちから熱い視線で注目されてる気配が、洋太にもはっきりとわかった。
 順平はカッコいい、と洋太は素直に思う。だから、他のみんなが順平のカッコよさに気づいて注目してくれることは、洋太にとってもちょっと自慢に感じるのだった。――ほんの少し前まで、負けて泣くほど悔しがるような関係だったとは信じられないほどだ。
 外見だけでなく順平は、例えば、混んでいる電車の中で立っていて、他の客に洋太が押されそうになると、さりげなく自分の大柄な体の陰に入れてかばってくれたり。買い物帰りで大きな荷物を抱えていれば、それを黙って軽々と持ってくれたり……と、とにかく頼りになるのだった。
 家族の中では洋太が唯一の男なので、いつも買い物の時には重い荷物を持たされる役と決まっていた。そのため、こんな風に、まるで恋人からエスコートされるようなセレブな経験は初めてだった洋太は、すっかり舞い上がってしまった。
 洋太がその時々に、思いついたことをマイペースに喋り、穏やかな眼差しの順平が黙ってそれを聞き、たまに短く相槌を打つ。二人で洋太の選んだ映画を観たり、美味しいものを食べたりして、疲れたら隣の座席の順平の肩に寄り掛かって居眠りする。
 寡黙ながら、何でも受け入れてくれる順平と過ごす時の安心感は、洋太が幼い頃、父親が離婚して出て行って以来のような、そんな懐かしい気持ちがした。
 洋太は時々、副業のラン講師アルバイトの新規コース開拓にも順平を付き合せた。元ライバルとはいえ、駅伝を通してランナーとしての順平の実力はよく知っていたので、同業者としての意見を聞けたらと思ったのだ。
 二人で洋太の実家の裏山のトレイルを走ったり、海の近くの切り通し道を辿ったりしながら、順平は的確なコース選びのアドバイスや、洋太に合わせた練習方法を教えてくれたりもした。
 よく晴れた休日の午後、低山の山頂の見晴台で少し春めいてきた風に吹かれながら休憩中の二人が枯草の上に腰を下ろして話している。
「洋太、お前はずっとトレイルで練習してきただけあって本来、持久力はかなりあるほうだと思う。途中でバテるのはペースを乱しすぎるからだ。そこらへんのメンタルを含めて自分でコントロール出来るようになれば、もっと強くなれるはずだ」
 大真面目な順平の意見に、褒められてちょっと照れ臭さを感じながら、洋太が軽口で答える。
「へー。そしたら、お前にも勝てるようになるかな?」
「それは……保証できないが、もっと順位は上がると思う」
「なんだよ。そこは負けてくれないのかよ」
「レースに出るのも、仕事だからな……」
「そっかー。自衛隊もけっこう大変なんだな」
 ふと、空を流れる薄い雲を見上げながら、洋太が黙り込んだ。順平が静かな態度で話の続きを待っている。
「……オレさあ、前にうちの父さん、出てったって話しただろ……」
「ああ……」
「小学校低学年くらいの時でさ。オレ、父さんのこと大好きだったから、走って追いかけたんだよ……」
 洋太の脳裏には、離婚して家を出て行く日の早朝、父親が一人で細い坂道を下った先にあるお宮の前のロータリーのバス停留所に向かって歩いて行く小さな後ろ姿が、昨日のことのように鮮やかに浮かんでいた。
 黒っぽいスーツを着て、大きなバッグ一つを提げただけの、その寂しげな背中。
 寝起きの洋太は父親がいないことに気づくと、制止する姉を振り切って、泣きながら父を呼んで裸足で走ったが、途中で転んでしまう。
 既にバスに乗り込んだ父親はそれには気づかずに、走り出したバスが次第に遠ざかって行く。アスファルトにぽろぽろ大粒の涙をこぼしながら、洋太はただ見送ることしか出来なかった。
「オレってさ、何でか肝心な時にいつも転んじゃうんだよなー……ほら、お前と最初に走った時も……」
 そう言って洋太が苦笑いする。順平は笑ったりせずに、じっと洋太の眼を見つめて黙っている。その沈黙には、洋太が強がって見せてはいても、いまだに癒し切れない哀しみを胸の中に抱えていることを見て取っているような、そんな洋太を慰めようとするような、不器用な温かさのようなものを感じた。
 洋太は、あまり人に話したことがない父親への思いを、何故か順平にはこんな風に、ごく自然に話せるのが不思議だった。口数の多くない順平が無理に何かを言おうとはしないことも、逆に安心出来た。
「それで、中学になった頃に、父さんが県内のどっかの高校で陸上部の指導者やってるって聞いたんだ。だから県大会で活躍出来たら、もしかして、父さんがオレを見つけてくれるかもしれないって、そう思って――」
 そこまで言って、洋太が顔をくしゃっと崩して泣き笑いのような表情になった。
「で、お前にボロクソに負けちゃったんだけどね。必死で追いつこうとして二位までは行ったんだけど、あん時のお前、ほんと速かったよなー……ムカつくくらい!」
 洋太がふてくされたように、ちょっと口をとがらせて続ける。
「しかも、後でよくよく名前を調べてみたらお前、本当は陸上部員じゃなかったろ? ビックリして、それで余計に覚えてたんだ。そしたら社会人になってから、また駅伝のレースで見かけて……あっ、こいつだったのか! って」
「……」
「でもさ。悔しかったけどお前の走り方って、オレの理想? みたいな感じだったんだよね。ただ速いってだけじゃない。海から吹く風みたいに力強くって、まっすぐ前だけを見て、何にも揺るがないで――」
 まるで憧れるように、遠くを見つめてそう言った後、洋太が順平のほうを見ると、相手は何とも言えない微妙な表情を浮かべている。そこには後悔とも、懺悔とも取れるような、知らずに犯していた罪の許しを請うような気配があった。
「あの時、そんなことがあったのか……すまなかった……」
「え? 別に、お前が謝ることじゃないだろ? 変な奴だなあ」
 そう言って洋太はけらけらと笑ったが、順平は何故か帰り道でもまだ過去の自分を責めているようだったので、真面目な奴を困らせてしまったかな……と、洋太のほうがちょっと悪いことをした気になった。
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