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第一章

新入社員、スーツを買う 2

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「いやさあ、花森ちゃんって来週課長と出張なんでしょ? キッツいよねー」
「そうなんですかね?」

 営業部平社員の三木護みきまもるが憐れんだ目を花森に向けている。
 三木にとって2歳年上の上司である東御八雲は、どの要素をとっても好きになれない存在だ。

 三木にとっての東御と言えば……。
 小言が多い、仕事が完璧、態度がデカい、やけに顔がいい、最年少課長、威圧感がある、年齢の割に落ち着きすぎ、小言が多い、スタイルが良い、スーツ似合いすぎ、頭が切れる、計算が早い、理詰めで来る、誤魔化しが効かない、褒めても喜ばない、小言が多い、といったところだった。

 会社近くのパスタ屋に入り、二人はランチセットを注文した。
 花森の席にはセットで頼んだジンジャーエールが置かれている。

「やーまじ、よくやってるよ、花森ちゃん。あんな理不尽上司にいきなりつかされてさあ。俺だったら3日で辞めちゃう。うん。自慢じゃないけどね」

 三木は自分の襟足を指でいじりながら語る。
 どうやら花森は同情されているらしい。

 三木の「3日で辞めちゃう」発言に「なんかわかります」と言いたくなったが、花森は止めた。
 相手が東御だったら気にせずに言っていただろうが三木に言うのはシャレにならない気がする。
 辛口のジンジャーエールを飲みながら、花森は三木の外見を観察した。

 パーマをかけている少し長めの茶髪、スーツは明るめの紺でシャツとネクタイはピンク系。人懐こそうな顔をしているが、軽そうでもある。

 そしてこれで26歳、東御と2歳差なのかと驚く。人としての貫禄に差がありすぎる。

「あの人の厳しさって、時代じゃないよね。若い花森ちゃんが見てどうよ?」
「どう、ですか……」

 なんとなく、三木の狙いが分かってきた。花森に東御の問題点を言わせようとしている。そしてそれを誰かに言いたいのだろう。

「まあ、確かに時代じゃないと言われればそうなのかもしれませんけど」
「だよねー」

 三木は嬉しそうにアイスコーヒーを飲む。花森のひとことで機嫌がよくなったように見えた。

「会社ですし、仕事なんで割り切れば問題ないです。東御さん、そこまで酷い人じゃないですし」
「えーうそー」

 本当は東御のことを「まあまあ酷いな」と思っている。が、実際に花森が数々のミスを連発しているのは間違いないし、その度に東御にフォローをしてもらっていた。

 花森は複雑だったが、東御をここで否定してしまうのは自分の器が小さいと言っているようでプライドが許さない。

「そりゃ、嫌味ばっかり言われたら頭にも来ますけどね……でも、私も色々やらかしちゃうんで」
「へえ。すごいね。花森ちゃんていわゆるイマドキの子かと思ったけど、教えない東御さんが悪い、とか言わないんだ?」
「何ですか? その、いわゆるイマドキの子って」

 花森が怪訝な表情を浮かべると、そこで注文したパスタが運ばれてきた。

 三木は「食べようか」と食事を促した。花森は素直に食事を始める。
 フォークでパスタを絡めて持ち上げると、湯気が上がってオリーブオイルとにんにくの香りが漂ってきた。具の白身魚がよく合いそうだ。

「いや、なんていうかさ。ここ数年の新卒社員て、みんなイチから全部教えないとダメな子ばっかりだったから、時代なんだなと思ってたよ」
「時代でしょうね」
「だから、ああいう東御さんみたいなタイプだと花森ちゃんはうまく行かないだろうなって思ってたんだけど」
「はい」

 三木はにやりと笑って花森を見る。

「あんな課長でも食らいつくつもりなんだね」
「どうでしょうか……。食らいつくつもりは全くないんですけど」

 花森は笑顔でパスタを咀嚼した。食らいつくのは食事だけで充分だ。

  *

「はぁなぁもぉりぃいいいいーーーー」

 ランチから席に戻ると何故か東御に異様な雰囲気で呼ばれた。

 心当たりのない花森は、ぎょっとした後で理由を考える。
 何故、この上司がこんなに鬼の形相なのか。普段のような綺麗な顔を貼り付けたような人造人間風情よりは人らしさがあるが、そんなに眉間に皺を寄せないで欲しい。

「はい」

 あえて普通に返事をしてみる。一緒にオフィスに戻って来た三木は、席で完全に引いていた。

「新幹線のチケット、時間が間違ってるじゃないかああああ!」
「……えっ」

 驚いて花森は手配したeチケットを確認してみる。

「あ、ほんとだ。夜の7時発にしようとして朝の7時発にしてました」
「そんなやつがいるかぁあああ!」

 周囲の先輩たちが心配そうな目で花森を見ている。東御がこんなに怒っているのだから謝った方が良い、早く謝りなさいと祈るばかりだ。

「じゃ、時間変更掛けますね」
「……」
「東御さん、まだ何か?」
「……いや。お前、ちゃんと変更の手続きはできるのか?」
「はい」
「じゃあ、とっとと変更しておけ。この時間帯は東京に来た出張帰りのサラリーマンが多く、チケットが取りにくかったりするんだ」
「かしこまりました」

 そこで東御は静かになり、二人は何事もなかったかのように席でPCに向かった。
 周囲はその一部始終を見ながら、本当に怖いのは東御ではなく花森なのかもしれないと思う。

 あんなに怒っていた東御が、なぜこんなに簡単に静かになったのか。
 他人から見て、これが嫉妬によるものだとはなかなか気付きにくいらしい。
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