冴え渡った天が泣いたから、きっと彼女は哂っている

碧井夢夏

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天泣

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 ざわざわと騒がしい居酒屋の中で、長いテーブル席を学生たちが囲む。
 新歓……新入生歓迎の飲み会が行われている会場で、私は人酔いをしそうになりながら周りの人たちのやり取りを眺めていた。

「おつかれー」

 上級生らしい黒髪の男性が私の隣に来て、明らかに浮いているのを心配してくれた。
 首から金色のチェーンネックレスが揺れていて、なんだか私の知らない雰囲気の人だ。

「あ、お疲れ様です」

 精一杯返事をすると、男性はビールの入ったジョッキを私のウーロン茶のグラスに軽く当て、空席だった隣に腰を下ろす。

「この辺が地元? 友達はできた?」
「隣の県出身です……友達はまだ……」

 先輩は軽く自己紹介をして、自分が3年生でこれから就活しなくちゃいけないのだとか、それで髪を黒く染めているのだとか、これからインターンシップに行くのだといったことを話していた。
 私は聞きながら、人と居る方が孤独を感じるのだなと思い、帰ることばかり考えている。

「まあ、就職したら嫌でも仕事するんだから、学生を楽しまなくちゃね」

 先輩は同意を求めるように言い、隣の席から去った。
 就職したら、か。
 本当は高校を出てすぐにでも働こうと思っていたのに、父に反対されてここにいる。
 家を追い出されるように出て、ひとり暮らしをして、孤独しか感じない飲み会に出て。

「ねえ、ここ座っていい?」

 ため息をつきかけていたら、新入生らしい子が向かいに座り、話しかけてくれた。
 カールがかかったロングヘアは白が混じり切っていないミルクティーみたいで、白い肌に似合っている。
 アプリコットカラーのリップが、明るい雰囲気を纏っていた。
 私の高校時代にいたタイプとは違う。大学はこんなに可愛い子がいるの?

「あ、うん」

 しまった。挙動不審になっている。

「知らない人ばっかりで疲れたね。さっきの男の人に対して迷惑そうな感じだったから気になって。口説かれたりした? 彼氏持ち?」
「あ、ああいう人、周りにいなかったから緊張してただけなんだ。彼氏なんていないし、付き合うとか興味なかったし……」
「へえ。そうなんだ? どんな人がタイプ?」

 この手の話題は苦手なのに、話さなくちゃいけなさそう。

「ええと……幸薄そうな人? くじ運がなさそうな……」
「なにそれ。初めて聞いた」

 驚いた顔をして、その後でからからと笑う。馬鹿にされている感じはしなくて、ただ面白がってくれたみたいだ。

「あたしは同級生の彼氏がいるけど、高3の頃から上手くいってなくてね。大学が別々になったから接点もなくなって、お互い出会いが増えたら別れるんだろうなあって思う」
「出会いが増えると別れるものなの?」
「比較対象ができるからねえ」

 あっけらかんと話す子だ。別れることに対してそんなに軽い感じなら、無理して付き合っていなくてもと思うけれど。
 カップルの事情とやらは私にはよく分からない。

「比較対象ができると、もっといい人の存在に気づくってこと?」
「うーん、無理してこのまま付き合ってなくていいって思うんじゃないかな……」
「ふうん……」
「でも、長く付き合ってるとねえ、情があるから難しい」
「情かあ……」

 私たちは大きな群れの中で単独行動をする動物みたいに、二人だけで色んなことを話した。
 見た目は華やかな子だったけれど、やけに盛り上がってSNSでも繋がった。
 彼女の投稿には彼氏らしき男性と写っているものもあり、別れたら投稿も全て消すのだろうかなんて気になったりする。
 彼氏彼女って、別れたら人間関係が無かったことになっちゃうんだろうか。

 ***

 新歓が終わり、私を含めた大学生の集団がぞろぞろと店の外に出た。

「うわっ」

 空いっぱいに星が見えているのに雨が降っていた。
「雨の予報なんてなかったよね」と責めるような声がどこかから上がる。

天泣てんきゅう……」

 呟くと隣から「なにそれ?」と聞かれた。

「遠くから風に乗って流されてきた雨」

 穴の開いた紙に墨汁を塗ったような空だった。

「お疲れさまでした! 私はここで失礼します」

 誰も動き出さない中、一歩を踏み出す。
 軽く頭を下げれば大粒の雨が頭を濡らし、顔にも水滴が落ちる。
 持ち物が濡れていくのにも構わずに、その場を離れて歩き出した。
 
 私が生まれる前。
 天泣の日、ひとりの女子中学生がこの雨を浴びて校庭に立っていた。
 その姿に何かを感じたひとりの男子中学生は、25年後、その子を看取った。
 彼女に似た娘のために人生を犠牲にして、ようやくその呪縛から放たれようとしている。

「ああ、いやだな」

 呟くと、口の中に雨の酸っぱい味が入ってくる。
 サンダルの中に入った水にぬるりと心地の悪い感触を覚えつつ、一歩一歩前に進んだ。

 そらの涙に染まっていく私に、母の面影はあるだろうか。
 無理をして笑う。

 春の夜は、私を冷たくするばかりだ。



 <終>
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