売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

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3章

お兄様の来訪

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 身体の大きな従者を一人連れて、公爵家から「兄」がやってきた。
 キャラメルブラウンのウェーブヘアは肩まで伸びていて、紅茶に少しだけミルクを垂らしたようなブラウンの目を私とユリシーズに向けていた。

 我が家に最初に来るとしたらこの人だろうと思っていたから、予想通りという感じがする。
 公爵家の令息として、反旗を翻すかもしれない死神伯を見張るのは自分の役目だとでも思ったのかしら。

 応接室に案内すると、兄はきょろきょろと部屋の中を興味深そうに見ていた。

「私は、伯爵という位の者がどんな生活をしているかなど考えたことが無かった」
「はあ、そうですか」

 つい適当に相槌をうってしまって、ユリシーズがなんだか焦っている。どうやら公爵家の人にこういう態度で接するのは無礼らしい。おかしいわね、私自身が公爵家出身だったはずなのに。

「お義兄にい様、飲み物をお持ちしたいのですが、どの様なものがお好みでしょうか?」

 ユリシーズが私をフォローしようとしたのか、気を利かせてくれた。

「ふん、そうだな。なんでもいいが、オルブライト家はそれなりに畑も所有しているのだろう?」
「はい。領地には果樹園もございます」
「では、特産の果実酒などはないのか? できれば自家製のものだと好ましいが、そこまで求めるのはさすがに図々しいだろうか」
「お待たせしましたー! 自家製の果実酒を数種お持ちしました!」

 間髪入れずに扉の所にシンシアの声がする。いくつか飲み物を用意して待機してくれていたのだろうけれど、お兄様がすごく驚いているわね。

「ありがとう、入って」

 シンシアがワゴンを押しながら入ってきて、ぺこりと頭を下げる。

「お義兄にい様、醸造酒では葡萄を原料にしたものがいくつか、果実を漬け込んだ果実酒では、レモン、オレンジ、カシス、ライムとハーブを用いたものがございます」
「ふむ、そうか。それでは、それぞれ少しずつ味見をさせてもらおう」
「かしこまりました。全種類ですね」

 ユリシーズは普通に対応しているけれど、自分の兄として来ている男が図々しいというのがなんとなくいたたまれない。

「時に、オルブライト伯爵。妹は大丈夫だろうか」

 お兄様ーー実際はクリスティーナ姫のお兄様だけれどーーが小さなグラスに注がれた果実酒を嗅ぎながら言った。

「大丈夫、とは?」
「それなりに見た目は綺麗かもしれないが、伯爵家にとっていい妻だろうかと心配をしていてね」

 余計なお世話だと言ってあげたいけれど、一般的な兄というのはこういう話をするものなのかしら。

「どうでしょうか……例え良い妻でなくても構いません。私には彼女以外の妻など考えられませんから」

 お兄様が目を丸くしてしまった。この場で惚気のろけられるとは思っていなかったのかも。
 言葉を失ってしまったのか、手に持った葡萄酒を一口で飲み切ると「次をもらおうか」とレモンのお酒を受け取った。

「妹がうまくやっているようで何よりだ。普段の部屋はどんなところなのか見せてはくれないのか?」
「はい?」
「夫婦の部屋を案内はしてくれないのか? と言っている。私は公爵家しか知らない身だ。妹の暮らしぶりが気になる」

 何を言ってるの?! この人、急に来て部屋に案内しろとか、図々しいにもほどがあるんじゃないかしら。

「別に、特別面白いものもありませんよ」

 暗に断っていると気付いて欲しい、と願いながら言う。
 ユリシーズの部屋に入られて、黒魔術の本を手に取られたらまずい気がするし。

「オルブライト伯爵も同じ考えだろうか」

 ユリシーズが断りにくいのを見越して、得意げに尋ねてきた。

「妻の言った通り、何かがあるわけではございませんがそれでもよければ」

 ユリシーズは断らない方が面倒にならないと思ったのだろうか。あっさりと許可してしまった。

「よし、そうと決まれば行こうか」

 やたら行動の早い兄。いえ、本当の兄ではないけれど。
 ああ、楽しいことが起こる予感がしないわ。


 ユリシーズと公爵家の兄、その従者を連れて階段を上がる。
 二階に着いてユリシーズの部屋に案内すると、「ほう、良い部屋じゃないか」と感嘆を漏らしていた。

「広すぎない程度に広い上、使いやすそうな机に大きな書棚か。隣の部屋はどこに繋がっている?」
「夫婦専用のバスルームです」
「ふむ」

 私の兄ということになっている男性が、ユリシーズの部屋をうろうろしながら「妹はなかなかいい暮らしをしているようだな」と感心していた。そのいい暮らしから有無を言わさずに連れ去ってくださったのはあなたの父親なのですけれどね。

「オルブライト伯爵は、一体どんな本を読むのだ?」
「お、お兄様、そんなにじろじろと人の部屋を見るのは……応接に戻りませんか?」

 人の話など全く聞かずに書棚の前に立っている。お願いだから変な本を見つけませんように。

「おっ、なんだこれは??」

 黒い布の装丁がされた本を取り出した「お兄様」を見て大いに焦る。あれはもしや……。

「動物図鑑か」
「え?」
「はい。動物を狩るためには生態を知っていないとなりませんからね」
「いい心がけだ。伯爵は狩りが好きなのか」
「生け捕りが趣味です」
「ほほう。それは興味深い」

 さっきまでは、まるでユリシーズを犯罪者と決めつけたように家の中を見たがったのに。
 すっかり狩りの話で盛り上がっている。

「クリスティーナは、オルブライト伯爵をどう思っているのだ?」

 腕を組んで二人のやり取りを聞いていた私に、突然話が降ってきた。
 私がユリシーズをどう思っているか??

「いい、夫……だと思いますけれど」
「どんなところが?」
「わたくしの居心地を考えて行動してくださいますし、大切にしてくださっておりますし」
「ふむ。確かにオルブライト伯爵は随分と穏やかになったな」
「お兄様は以前のユリシーズをご存じなのですか?」
「はは。妹は私が中隊長をしていたのを忘れたのか? オルブライト伯爵は小隊長、戦時中は上司と部下だ」

 でもユリシーズから話が出てこなかったってことは、どういうことなのかしら。

「まあ、士官でありながらオルブライト伯爵とは違って名ばかりの管理職だったのだ。伯爵も私のことはよく知らないだろう」

 納得。
 クリスティーナのお兄様、公爵家で会った時はいけ好かない人だと思ったけれど、意外と普通に話せる人なのかしら。

「オルブライト伯爵、今度一緒に狩りにでも行かないか?」

 お兄様は勝ち誇った顔でユリシーズを誘っている。これ、何か悪いことを考えていそう。
 狩りにかこつけてユリシーズを葬ろうとか、そういう計画なんじゃないかしら。

「大変魅力的なお誘いですが、私は狩りになると人が変わるのでご遠慮します」
「人が変わる、というのはどういうことだ?」
「神経を研ぎ澄ませて獣に向かって行きますので、周りで変な動きをされると間違って殺してしまうかもしれませんし」

 間違って殺してしまう、ね。ユリシーズなりの予防線を張ったわね。
 お兄様は真っ青になっているわ。

「いやいや、それよりもむしろ、自分が殺されるかもしれないと思ったのだろう?」

 お兄様は気を取り直して、ユリシーズを挑発している。私は、お兄様がユリシーズを殺そうとしているんじゃないかと思っているわよ。

「私がなかなか殺せないというのは、お義兄にい様もお義父様もよくご存じでいらっしゃるのでは。それよりも、私の二つ名が何かはお忘れですか?」
「ーー!」

 お兄様は言葉を失った後、「そうか、それでは諦めよう。わざわざ部屋まで案内させて悪かったな。もう帰るよ」と言ってそそくさと部屋を出て階段を降りていく。

 あっという間に屋敷を出て行ってしまった。

「なんだったの、あの人ーー」
「一緒に来ていた従者は間違いなく暗殺専門の兵士ですね」
「?!」
「アイリーンには遠くにいるお義兄様と従者の会話は聞こえないでしょうから、私が聞こえた内容をお伝えしますと、『死神伯には一切の隙もありません』だそうですよ」
「ずっと狙われていたの??」
「はい」

 ユリシーズはにこやかに笑っている。
 私の夫が、思った以上に曲者で良かった。
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