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2章
狩りのある日常 2
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食堂で食事をしながら、今朝のユリシーズを思い出して尋ねた。
「猪が見つかるまでは、狩りに行くのですか?」
「そうですね。今日は朝食を取った後も行ってみます。昼には帰ってきますから」
「やっぱり私が行くのは難しいのでしょうか?」
「猪は人を襲う生き物ですから、家にいて下さい。私なら猪に突進されてもなんとかなりますが、貴女には危険すぎます」
「そう……」
迷惑になっても仕方ないか、とスープを飲む。その姿を見て、ユリシーズが興味深そうにこっちを見ていた。
「何か?」
「もしかして、私と離れたくないと思って下さってますか?」
「えっ?」
「うぬぼれでしたらすみません、やけに落ち込んでいるので……」
えっ?! 私、いま落ち込んでいたの?
確かに、狩りに一緒に行くのは難しいのかと思ったけれど、それは狩りに興味が……いえ、別に狩りに興味があるわけじゃ無いかも……。
「そうだったら、どうなのですか?」
「嬉しいです」
「……」
まあ、嬉しいくらいだったら別にそのまま喜んでもらっていいのかしら。
夫が嬉しい方がいいわよね、多分。
こっちを見ているユリシーズをなるべく見ないようにして食事に戻る。
パンを指でちぎる度に、腕のあらゆるところがズキズキと痛いわ。
「そういえば、ノクスは猪を生きたまま捕らえろと言っていたような気がするのですが」
「だから大変なのです。猟銃は護身用で、基本的には罠を仕掛けて生け捕るつもりですが、いざとなったら体当たりですね」
「猪と体当たりするのですか!? 命がいくつあっても足りないわ」
「一人で立ち向かうわけではありません。人狼は身体で向かっていく狩りが好きなので、わくわくしています」
「……そういう好戦的なところもあるのね」
「そうですね、おいおい知っていって下さい」
おいおい知っていく、かあ……。なんだか怖い気もするのだけれど。
スープ用スプーンを置いてエッグスタンドに立てられた茹で卵を見つめる。
腕が痛くて、殻をナイフで剥くのは無理そうね。
「卵の殻、私で良ければ剥きましょうか?」
私たちの席は、向かいとはいえそれなりに離れている。
私が戸惑っている間に、給仕に入っている使用人が私の茹で卵をスタンドごと持ち上げてユリシーズの席に持って行った。
「すみません」
「いいえ。このくらい気にせずに甘えて下さい」
ユリシーズは鼻歌でも歌いそうな調子で自分のナイフを持ち、私の卵にぐるりと一周切り込みを入れてからナイフの背で殻を叩く。そうやって割れ目を作って綺麗に卵の上部の殻を剥いたら、また使用人が私のところへ卵を運んでくれた。
「ありがとうございます」
「貴女のお役に立てて幸いです」
今日の私の腕のコンディションでは、卵の殻を割るのは相当きつかったと思う。
微妙な力加減ができるような状態ではない。
「ここのお屋敷の卵はすごく美味しいですね」
「そうですか。狼が鶏を飼育しているなんておかしいですよね」
「いえ、別に……」
よく考えてみたら、そうか、狼が鶏を飼ってるのね……。
「飼っているうちに鶏に噛みつきたくなったりしないのですか?」
「使用人は主人の私の顔が浮かぶはずです」
「ああ、そうよね」
「衝動を抑えられなかったら馬も飼えませんよ」
「みんな偉いわね」
単に感想を言っただけなのに、ユリシーズが不本意そうな顔をした。
だって、猫なんかは他の動物を襲ったりするじゃない。
犬は……確かに言って聞かせれば言うことを聞く子が多いけれど。
「偉いとはどういう……」
「昨日の夜の様子からして狩猟本能を持て余していたから、我慢ができて偉いわねって」
スプーンで半熟の卵をすくいながら言うと、ユリシーズは「なるほど」とうなずいた後に「いや、私は理性的だと自負しておりますが?」と付け加えた。
その不満げな顔を見て、思わず小さく笑ってしまう。
「もしかして、貴女はそうは思っていないのですか?」
「いいえ。ユリシーズは、これまでそんなことを自分から言ったりしなかったから」
ばつが悪そうにしているユリシーズの様子に、私はすっかり気分をよくしている。
相変わらず腕は痛かったけれど、名誉の痛みだと思うことにするわ。
ユリシーズが狩りに行ってしまったので、部屋を物色することにした。
例の『黒魔術』の本もじっくり読んでみたいけれど、他にも何か面白い物はないかしら?
うーん、とタイトルを眺めていると、『人狼』という私に読めと言っているような本が並んでいた。
本棚から取り出すときに、腕の痛みが来たけれど。
深紅にゴールドの縁取りをされた布張りの装丁。とても綺麗。
そっとページをめくると、『人狼伝説とその研究』というタイトルが中扉についていた。
本を手に取って初めて気付く。
当たり前のように受け入れてきたけれど、人狼がこれまで誰かに見つからなかったはずがない。
こうやって伝説になって、研究されたりもしてきたのね。
じっくり読もうと思い、ユリシーズのデスクに座る。
すると、ドアを軽くノックする音がした。
「はい。どなた?」
声をかけると、「おばさんです~」と声がする。
ユリシーズの叔母さん、ペトラの母親ね。
「猪が見つかるまでは、狩りに行くのですか?」
「そうですね。今日は朝食を取った後も行ってみます。昼には帰ってきますから」
「やっぱり私が行くのは難しいのでしょうか?」
「猪は人を襲う生き物ですから、家にいて下さい。私なら猪に突進されてもなんとかなりますが、貴女には危険すぎます」
「そう……」
迷惑になっても仕方ないか、とスープを飲む。その姿を見て、ユリシーズが興味深そうにこっちを見ていた。
「何か?」
「もしかして、私と離れたくないと思って下さってますか?」
「えっ?」
「うぬぼれでしたらすみません、やけに落ち込んでいるので……」
えっ?! 私、いま落ち込んでいたの?
確かに、狩りに一緒に行くのは難しいのかと思ったけれど、それは狩りに興味が……いえ、別に狩りに興味があるわけじゃ無いかも……。
「そうだったら、どうなのですか?」
「嬉しいです」
「……」
まあ、嬉しいくらいだったら別にそのまま喜んでもらっていいのかしら。
夫が嬉しい方がいいわよね、多分。
こっちを見ているユリシーズをなるべく見ないようにして食事に戻る。
パンを指でちぎる度に、腕のあらゆるところがズキズキと痛いわ。
「そういえば、ノクスは猪を生きたまま捕らえろと言っていたような気がするのですが」
「だから大変なのです。猟銃は護身用で、基本的には罠を仕掛けて生け捕るつもりですが、いざとなったら体当たりですね」
「猪と体当たりするのですか!? 命がいくつあっても足りないわ」
「一人で立ち向かうわけではありません。人狼は身体で向かっていく狩りが好きなので、わくわくしています」
「……そういう好戦的なところもあるのね」
「そうですね、おいおい知っていって下さい」
おいおい知っていく、かあ……。なんだか怖い気もするのだけれど。
スープ用スプーンを置いてエッグスタンドに立てられた茹で卵を見つめる。
腕が痛くて、殻をナイフで剥くのは無理そうね。
「卵の殻、私で良ければ剥きましょうか?」
私たちの席は、向かいとはいえそれなりに離れている。
私が戸惑っている間に、給仕に入っている使用人が私の茹で卵をスタンドごと持ち上げてユリシーズの席に持って行った。
「すみません」
「いいえ。このくらい気にせずに甘えて下さい」
ユリシーズは鼻歌でも歌いそうな調子で自分のナイフを持ち、私の卵にぐるりと一周切り込みを入れてからナイフの背で殻を叩く。そうやって割れ目を作って綺麗に卵の上部の殻を剥いたら、また使用人が私のところへ卵を運んでくれた。
「ありがとうございます」
「貴女のお役に立てて幸いです」
今日の私の腕のコンディションでは、卵の殻を割るのは相当きつかったと思う。
微妙な力加減ができるような状態ではない。
「ここのお屋敷の卵はすごく美味しいですね」
「そうですか。狼が鶏を飼育しているなんておかしいですよね」
「いえ、別に……」
よく考えてみたら、そうか、狼が鶏を飼ってるのね……。
「飼っているうちに鶏に噛みつきたくなったりしないのですか?」
「使用人は主人の私の顔が浮かぶはずです」
「ああ、そうよね」
「衝動を抑えられなかったら馬も飼えませんよ」
「みんな偉いわね」
単に感想を言っただけなのに、ユリシーズが不本意そうな顔をした。
だって、猫なんかは他の動物を襲ったりするじゃない。
犬は……確かに言って聞かせれば言うことを聞く子が多いけれど。
「偉いとはどういう……」
「昨日の夜の様子からして狩猟本能を持て余していたから、我慢ができて偉いわねって」
スプーンで半熟の卵をすくいながら言うと、ユリシーズは「なるほど」とうなずいた後に「いや、私は理性的だと自負しておりますが?」と付け加えた。
その不満げな顔を見て、思わず小さく笑ってしまう。
「もしかして、貴女はそうは思っていないのですか?」
「いいえ。ユリシーズは、これまでそんなことを自分から言ったりしなかったから」
ばつが悪そうにしているユリシーズの様子に、私はすっかり気分をよくしている。
相変わらず腕は痛かったけれど、名誉の痛みだと思うことにするわ。
ユリシーズが狩りに行ってしまったので、部屋を物色することにした。
例の『黒魔術』の本もじっくり読んでみたいけれど、他にも何か面白い物はないかしら?
うーん、とタイトルを眺めていると、『人狼』という私に読めと言っているような本が並んでいた。
本棚から取り出すときに、腕の痛みが来たけれど。
深紅にゴールドの縁取りをされた布張りの装丁。とても綺麗。
そっとページをめくると、『人狼伝説とその研究』というタイトルが中扉についていた。
本を手に取って初めて気付く。
当たり前のように受け入れてきたけれど、人狼がこれまで誰かに見つからなかったはずがない。
こうやって伝説になって、研究されたりもしてきたのね。
じっくり読もうと思い、ユリシーズのデスクに座る。
すると、ドアを軽くノックする音がした。
「はい。どなた?」
声をかけると、「おばさんです~」と声がする。
ユリシーズの叔母さん、ペトラの母親ね。
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