12 / 59
【番外編】
緑川さんと茶谷くん
しおりを挟む
その日、茶谷吾郎と緑川亜季は珍しく2人で飲みに行くことになった。茶谷は自分から飲みに誘うことはしないため、緑川が「ちょっと付き合って」と言い出さない限り2人が飲みに行くことは無い。
会社近くの居酒屋に入り席に着くと、カウンターに隣り合って座る。すぐに緑川が一杯目の生ビールを注文し、荷物の中から小さなポーチを取り出した。そこから小学生くらいの美少年が印刷されたプラスチック板が出てくると、スタンドに差し込んで立てかける。緑川はその美少年に向かって手を合わせた。
「るいるいきゅん、あたし、疲れたよ」
「おい、俺をこのまま座らせておく気があるなら、今すぐそれを仕舞いやがれ」
「やだ。ゴローだけだとご飯美味しくないもん」
「俺の居心地が最悪なんだけど」
茶谷が本気で怒っているのが分かると、緑川はしぶしぶその美少年をポーチの中に戻しながら、
「アクスタ(※アクリルスタンドの略)くらいで目くじら立てるなんて、小さい男ね」
と、口を尖らせていた。
「誰が、ミニチュアサイズに印刷された男子小学生見ながら食事したいんだよ」
「あたしだよ」
緑川の目が座っているのを見て、茶谷は一緒に店に入ったのを後悔した。酔ってもいないのにテンションがおかしい緑川に、嫌な予感しかしない。
「・・で? 何でそんなに荒れてんだ?」
「良く聞いてくれたよゴロー・・。今度、急遽新人にマナー研修やらなきゃならなくなっちゃってさあ・・」
「ああ、あの役に立つんだかよく分かんねえ研修か」
「そうだよ、あれ。それでね、その打ち合わせが明後日の業務終了後に入っちゃったのおおお」
「うし。がんばれ緑川」
茶谷が感情を込めずに言うと、緑川は涙を流し始めた。
「あたし・・その日・・握手会の予定・・入ってたのにっ・・」
「・・あー・・」
「生るいるいきゅんの・・生お手手・・」
「(うわあ・・どうでもいいな)・・へえ」
涙を流しながら悲しむ緑川の姿は、美しさに溢れている。それがかえって茶谷をドン引きさせた。同期のよしみで茶谷は緑川のオタ活についても話を聞いてやることがあるが、これまでに理解できる点が1%すら見つかっていない。
「なんでお前って、そんなチビが好きなわけ?」
「口を慎んでくれる?」
「ここで慎んだら、この先一言も発せなくなるぞ」
「じゃあ、あたしの独り言に付き合ってもらうから」
そこで、茶谷は一旦無口を決め込むことにした。
「あたしが、その日の握手会のために買ったCDの枚数知ってる?」
緑川はジョッキに漂うビールの泡を眺めながら、独り言を始める。茶谷はとりあえず何も反応せずに、緑川をチベットスナギツネ並みの遠い目で見つめた。
「30枚よ・・。あたし、同じCDを30枚も買ったの。正確には特典違いで3タイプあったから10枚ずつなんだけど・・。握手会行くと、るいるいきゅん『アキさん、いつもありがとう』って、言ってくれるんだもん」
(よかったな、立派な金づる扱いされてんじゃねえか・・)
「日常の仕事だって、全部推しのために耐えてるのに・・」
(まあ、緑川はいつも頑張ってるよ)
「何か言いなよ、ゴロー」
「お前が独り言だっつったんだろうが」
「相槌くらいは挟むのが、独り言に付き合う心得だと思うわ」
「めんどくせえ独り言だな」
茶谷が深い溜息をつくと、また思い出したように緑川はさめざめと泣き始めた。
「るいるいきゅんの笑顔はプライスレスだけど・・あたしの30枚のCDは総額4万円超えなんだよう・・!」
「はは、イマドキCDなんて買わねえしな」
「そうだよ! 音源なんてCDで聴くことないでしょ? それなのに30枚だよ!?」
「哀れだな」
茶谷が口元だけ笑うと、それを見た緑川は茶谷の背中を平手で打った。威勢の良い音がバチンと店内に響き、2人は他の客から注目を浴びる。
「いきなり何なんだよ?!」
「哀れむな! ここは一緒に悲しむところでしょうが!」
「いっつもノリがめんどくせえよ」
「どうせ面倒くさい女ですよー・・」
緑川は、そう言ったまま一旦黙った。茶谷が言い過ぎたのかと心配すると、緑川はスマホの待ち受けにしていた例の『るいるいきゅん』に頬ずりをしていたところだった。
「お前、彼氏でも作れば?」
「ああ、そのうちね」
「アテはあんのか?」
「あるわけないでしょうが。この国、18歳未満は犯罪だよ?」
「同期が淫行で捕まるのは勘弁だな」
「天使にそこまで求めてないのに世知辛いわ」
茶谷と緑川はそこで無言になり、ビールと漬物に向き合った。無言になって酒を飲んでいれば、随分と絵になる2人だ。
「あー・・変声期前のかわいい男の子に、なんか買ってあげたいな・・」
「それ恋人じゃねえ、親戚のおばさんだ」
「つらい・・そろそろ・・あたし、親でもおかしく無い年齢になってきた・・!」
緑川が管を巻き始めたので、茶谷は緑川を説得して店を出た。何故か、茶谷の奢りになっていた。
(まあ、仕事のせいで4万以上が無駄になったのは可哀そうだしな・・)
2人は新宿駅に向かってゆっくり歩く。
「ゴロー、ありがとうね。あんたくらいにしか愚痴れなくてさ」
「まあ、店内でチビ立てられた時はどうしようかと思ったけどな」
「そのうち、あんたにも推しができれば分かるわよ」
緑川は「ふう」と息を吐いて、表情を曇らせる。
「一生分かんねえよ。俺は自由にさわれねえ女なんか要らねえ」
「夢の無い男だね」
「無駄に、夢なんか見られなくなったな」
「ふうん?」
緑川は、隣に歩く茶谷の顔をじっと見た。
「ゴロー、今、珍しく恋してないね?」
「うるせえよ。彼女はいる」
「随分冷めたお付き合いをされていることで」
「どうだかね」
茶谷はそう言ったきり、無言で歩いた。緑川もその後は何も言葉を発することは無かった。
新宿駅に着くと、緑川は改札前で茶谷に声を掛ける。
「ありがとゴロー。あんたやっぱり、いいやつだね。あたし、あんたの幸せは応援してあげるからね」
「まずは自分のことをちゃんとしろ」
茶谷は苦笑してそのまま緑川と別れる。
(幸せを応援する、か・・)
茶谷は、いつもの帰宅時と同じように電車ホームに向かう。
緑川の言葉が現実になるのは、もう少し先の話。
<完>
→次項おまけ設定資料(※注:食事中には読まないで下さい)
会社近くの居酒屋に入り席に着くと、カウンターに隣り合って座る。すぐに緑川が一杯目の生ビールを注文し、荷物の中から小さなポーチを取り出した。そこから小学生くらいの美少年が印刷されたプラスチック板が出てくると、スタンドに差し込んで立てかける。緑川はその美少年に向かって手を合わせた。
「るいるいきゅん、あたし、疲れたよ」
「おい、俺をこのまま座らせておく気があるなら、今すぐそれを仕舞いやがれ」
「やだ。ゴローだけだとご飯美味しくないもん」
「俺の居心地が最悪なんだけど」
茶谷が本気で怒っているのが分かると、緑川はしぶしぶその美少年をポーチの中に戻しながら、
「アクスタ(※アクリルスタンドの略)くらいで目くじら立てるなんて、小さい男ね」
と、口を尖らせていた。
「誰が、ミニチュアサイズに印刷された男子小学生見ながら食事したいんだよ」
「あたしだよ」
緑川の目が座っているのを見て、茶谷は一緒に店に入ったのを後悔した。酔ってもいないのにテンションがおかしい緑川に、嫌な予感しかしない。
「・・で? 何でそんなに荒れてんだ?」
「良く聞いてくれたよゴロー・・。今度、急遽新人にマナー研修やらなきゃならなくなっちゃってさあ・・」
「ああ、あの役に立つんだかよく分かんねえ研修か」
「そうだよ、あれ。それでね、その打ち合わせが明後日の業務終了後に入っちゃったのおおお」
「うし。がんばれ緑川」
茶谷が感情を込めずに言うと、緑川は涙を流し始めた。
「あたし・・その日・・握手会の予定・・入ってたのにっ・・」
「・・あー・・」
「生るいるいきゅんの・・生お手手・・」
「(うわあ・・どうでもいいな)・・へえ」
涙を流しながら悲しむ緑川の姿は、美しさに溢れている。それがかえって茶谷をドン引きさせた。同期のよしみで茶谷は緑川のオタ活についても話を聞いてやることがあるが、これまでに理解できる点が1%すら見つかっていない。
「なんでお前って、そんなチビが好きなわけ?」
「口を慎んでくれる?」
「ここで慎んだら、この先一言も発せなくなるぞ」
「じゃあ、あたしの独り言に付き合ってもらうから」
そこで、茶谷は一旦無口を決め込むことにした。
「あたしが、その日の握手会のために買ったCDの枚数知ってる?」
緑川はジョッキに漂うビールの泡を眺めながら、独り言を始める。茶谷はとりあえず何も反応せずに、緑川をチベットスナギツネ並みの遠い目で見つめた。
「30枚よ・・。あたし、同じCDを30枚も買ったの。正確には特典違いで3タイプあったから10枚ずつなんだけど・・。握手会行くと、るいるいきゅん『アキさん、いつもありがとう』って、言ってくれるんだもん」
(よかったな、立派な金づる扱いされてんじゃねえか・・)
「日常の仕事だって、全部推しのために耐えてるのに・・」
(まあ、緑川はいつも頑張ってるよ)
「何か言いなよ、ゴロー」
「お前が独り言だっつったんだろうが」
「相槌くらいは挟むのが、独り言に付き合う心得だと思うわ」
「めんどくせえ独り言だな」
茶谷が深い溜息をつくと、また思い出したように緑川はさめざめと泣き始めた。
「るいるいきゅんの笑顔はプライスレスだけど・・あたしの30枚のCDは総額4万円超えなんだよう・・!」
「はは、イマドキCDなんて買わねえしな」
「そうだよ! 音源なんてCDで聴くことないでしょ? それなのに30枚だよ!?」
「哀れだな」
茶谷が口元だけ笑うと、それを見た緑川は茶谷の背中を平手で打った。威勢の良い音がバチンと店内に響き、2人は他の客から注目を浴びる。
「いきなり何なんだよ?!」
「哀れむな! ここは一緒に悲しむところでしょうが!」
「いっつもノリがめんどくせえよ」
「どうせ面倒くさい女ですよー・・」
緑川は、そう言ったまま一旦黙った。茶谷が言い過ぎたのかと心配すると、緑川はスマホの待ち受けにしていた例の『るいるいきゅん』に頬ずりをしていたところだった。
「お前、彼氏でも作れば?」
「ああ、そのうちね」
「アテはあんのか?」
「あるわけないでしょうが。この国、18歳未満は犯罪だよ?」
「同期が淫行で捕まるのは勘弁だな」
「天使にそこまで求めてないのに世知辛いわ」
茶谷と緑川はそこで無言になり、ビールと漬物に向き合った。無言になって酒を飲んでいれば、随分と絵になる2人だ。
「あー・・変声期前のかわいい男の子に、なんか買ってあげたいな・・」
「それ恋人じゃねえ、親戚のおばさんだ」
「つらい・・そろそろ・・あたし、親でもおかしく無い年齢になってきた・・!」
緑川が管を巻き始めたので、茶谷は緑川を説得して店を出た。何故か、茶谷の奢りになっていた。
(まあ、仕事のせいで4万以上が無駄になったのは可哀そうだしな・・)
2人は新宿駅に向かってゆっくり歩く。
「ゴロー、ありがとうね。あんたくらいにしか愚痴れなくてさ」
「まあ、店内でチビ立てられた時はどうしようかと思ったけどな」
「そのうち、あんたにも推しができれば分かるわよ」
緑川は「ふう」と息を吐いて、表情を曇らせる。
「一生分かんねえよ。俺は自由にさわれねえ女なんか要らねえ」
「夢の無い男だね」
「無駄に、夢なんか見られなくなったな」
「ふうん?」
緑川は、隣に歩く茶谷の顔をじっと見た。
「ゴロー、今、珍しく恋してないね?」
「うるせえよ。彼女はいる」
「随分冷めたお付き合いをされていることで」
「どうだかね」
茶谷はそう言ったきり、無言で歩いた。緑川もその後は何も言葉を発することは無かった。
新宿駅に着くと、緑川は改札前で茶谷に声を掛ける。
「ありがとゴロー。あんたやっぱり、いいやつだね。あたし、あんたの幸せは応援してあげるからね」
「まずは自分のことをちゃんとしろ」
茶谷は苦笑してそのまま緑川と別れる。
(幸せを応援する、か・・)
茶谷は、いつもの帰宅時と同じように電車ホームに向かう。
緑川の言葉が現実になるのは、もう少し先の話。
<完>
→次項おまけ設定資料(※注:食事中には読まないで下さい)
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件
アバターも笑窪
恋愛
\甘えたイケメン×男前系お姉さんラブコメ/
ーーーーーーーーーーーー
今年三十歳を迎える羽多野 真咲は、深夜の自宅でべろべろに酔った部下を介抱していた。
二週間前に配属されたばかりの新しい部下、久世 航汰は、
「傾国」などとあだ名され、
周囲にトラブルを巻き起こして異動を繰り返してきた厄介者。
ところが、ふたを開けてみれば、久世は超がつくほどしっかりもので、
仕事はできて、真面目でさわやかで、しかもめちゃくちゃ顔がいい!
うまくやっていけそうと思った矢先、酒に酔い別人のように甘えた彼は、
醜態をさらした挙句、真咲に言う。
「すきです、すきすぎる……おれ、真咲さんと、けっこん、したい!」
トラブルメーカーを抱えて頭の痛い真咲と、真咲を溺愛する年下の部下。
真咲の下した決断は──
※ベリーズカフェ、小説家になろうにて掲載中の完結済み作品です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる