会社の後輩が諦めてくれません

碧井夢夏

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【番外編】

緑川さんと茶谷くん

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 その日、茶谷吾郎と緑川亜季は珍しく2人で飲みに行くことになった。茶谷は自分から飲みに誘うことはしないため、緑川が「ちょっと付き合って」と言い出さない限り2人が飲みに行くことは無い。

 会社近くの居酒屋に入り席に着くと、カウンターに隣り合って座る。すぐに緑川が一杯目の生ビールを注文し、荷物の中から小さなポーチを取り出した。そこから小学生くらいの美少年が印刷されたプラスチック板が出てくると、スタンドに差し込んで立てかける。緑川はその美少年に向かって手を合わせた。

「るいるいきゅん、あたし、疲れたよ」
「おい、俺をこのまま座らせておく気があるなら、今すぐそれを仕舞いやがれ」
「やだ。ゴローだけだとご飯美味しくないもん」
「俺の居心地が最悪なんだけど」

 茶谷が本気で怒っているのが分かると、緑川はしぶしぶその美少年をポーチの中に戻しながら、
「アクスタ(※アクリルスタンドの略)くらいで目くじら立てるなんて、小さい男ね」
と、口を尖らせていた。

「誰が、ミニチュアサイズに印刷された男子小学生見ながら食事したいんだよ」
「あたしだよ」

 緑川の目が座っているのを見て、茶谷は一緒に店に入ったのを後悔した。酔ってもいないのにテンションがおかしい緑川に、嫌な予感しかしない。

「・・で? 何でそんなに荒れてんだ?」
「良く聞いてくれたよゴロー・・。今度、急遽新人にマナー研修やらなきゃならなくなっちゃってさあ・・」
「ああ、あの役に立つんだかよく分かんねえ研修か」
「そうだよ、あれ。それでね、その打ち合わせが明後日の業務終了後に入っちゃったのおおお」
「うし。がんばれ緑川」

 茶谷が感情を込めずに言うと、緑川は涙を流し始めた。

「あたし・・その日・・握手会の予定・・入ってたのにっ・・」
「・・あー・・」
「生るいるいきゅんの・・生お手手・・」
「(うわあ・・どうでもいいな)・・へえ」

 涙を流しながら悲しむ緑川の姿は、美しさに溢れている。それがかえって茶谷をドン引きさせた。同期のよしみで茶谷は緑川のオタ活についても話を聞いてやることがあるが、これまでに理解できる点が1%すら見つかっていない。

「なんでお前って、そんなチビが好きなわけ?」
「口を慎んでくれる?」
「ここで慎んだら、この先一言も発せなくなるぞ」
「じゃあ、あたしの独り言に付き合ってもらうから」

 そこで、茶谷は一旦無口を決め込むことにした。


「あたしが、その日の握手会のために買ったCDの枚数知ってる?」

 緑川はジョッキに漂うビールの泡を眺めながら、独り言を始める。茶谷はとりあえず何も反応せずに、緑川をチベットスナギツネ並みの遠い目で見つめた。

「30枚よ・・。あたし、同じCDを30枚も買ったの。正確には特典違いで3タイプあったから10枚ずつなんだけど・・。握手会行くと、るいるいきゅん『アキさん、いつもありがとう』って、言ってくれるんだもん」

(よかったな、立派な金づる扱いされてんじゃねえか・・)

「日常の仕事だって、全部推しのために耐えてるのに・・」

(まあ、緑川はいつも頑張ってるよ)

「何か言いなよ、ゴロー」
「お前が独り言だっつったんだろうが」
「相槌くらいは挟むのが、独り言に付き合う心得だと思うわ」
「めんどくせえ独り言だな」

 茶谷が深い溜息をつくと、また思い出したように緑川はさめざめと泣き始めた。

「るいるいきゅんの笑顔はプライスレスだけど・・あたしの30枚のCDは総額4万円超えなんだよう・・!」
「はは、イマドキCDなんて買わねえしな」
「そうだよ! 音源なんてCDで聴くことないでしょ? それなのに30枚だよ!?」
「哀れだな」

 茶谷が口元だけ笑うと、それを見た緑川は茶谷の背中を平手で打った。威勢の良い音がバチンと店内に響き、2人は他の客から注目を浴びる。

「いきなり何なんだよ?!」
「哀れむな! ここは一緒に悲しむところでしょうが!」
「いっつもノリがめんどくせえよ」
「どうせ面倒くさい女ですよー・・」

 緑川は、そう言ったまま一旦黙った。茶谷が言い過ぎたのかと心配すると、緑川はスマホの待ち受けにしていた例の『るいるいきゅん』に頬ずりをしていたところだった。

「お前、彼氏でも作れば?」
「ああ、そのうちね」
「アテはあんのか?」
「あるわけないでしょうが。この国、18歳未満は犯罪だよ?」
「同期が淫行で捕まるのは勘弁だな」
「天使にそこまで求めてないのに世知辛いわ」

 茶谷と緑川はそこで無言になり、ビールと漬物に向き合った。無言になって酒を飲んでいれば、随分と絵になる2人だ。

「あー・・変声期前のかわいい男の子に、なんか買ってあげたいな・・」
「それ恋人じゃねえ、親戚のおばさんだ」
「つらい・・そろそろ・・あたし、親でもおかしく無い年齢になってきた・・!」

 緑川が管を巻き始めたので、茶谷は緑川を説得して店を出た。何故か、茶谷の奢りになっていた。

(まあ、仕事のせいで4万以上が無駄になったのは可哀そうだしな・・)

 2人は新宿駅に向かってゆっくり歩く。

「ゴロー、ありがとうね。あんたくらいにしか愚痴れなくてさ」
「まあ、店内でチビ立てられた時はどうしようかと思ったけどな」
「そのうち、あんたにも推しができれば分かるわよ」

 緑川は「ふう」と息を吐いて、表情を曇らせる。

「一生分かんねえよ。俺は自由にさわれねえ女なんか要らねえ」
「夢の無い男だね」
「無駄に、夢なんか見られなくなったな」
「ふうん?」

 緑川は、隣に歩く茶谷の顔をじっと見た。

「ゴロー、今、珍しく恋してないね?」
「うるせえよ。彼女はいる」
「随分冷めたお付き合いをされていることで」
「どうだかね」

 茶谷はそう言ったきり、無言で歩いた。緑川もその後は何も言葉を発することは無かった。
 新宿駅に着くと、緑川は改札前で茶谷に声を掛ける。

「ありがとゴロー。あんたやっぱり、いいやつだね。あたし、あんたの幸せは応援してあげるからね」
「まずは自分のことをちゃんとしろ」

 茶谷は苦笑してそのまま緑川と別れる。

 (幸せを応援する、か・・)
 
 茶谷は、いつもの帰宅時と同じように電車ホームに向かう。
 緑川の言葉が現実になるのは、もう少し先の話。



 <完>

 →次項おまけ設定資料(※注:食事中には読まないで下さい)
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