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第7章 争いの種はやがて全てを巻き込んで行く

【童話】新約・赤ずきん

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番外編『あの動物に似ている』から着想を得て童話を書きました。童話だけど子ども向けではないとはこれ如何に。

***

 レナは、リス獣人の乙女だ。ピンと立ったふさふさとした耳にアッシュブロンドの髪を持つ美リスだった。ふさふさの大きな尻尾は、耳と同じように上に向かって立ち上がっている。

「おばあさまのところに持って行くのは・・木の実と、向日葵の種と、落花生・・うん、全部入ってるわね」

 レナは赤いずきんを被り、手に下げたバスケットの中を確認して歩き出した。美しいビー玉のような青い瞳がキラキラと輝いているが、その目が映す世界は少しだけぼやけている。リスは案外、視力が弱い。

 そんなわけで、お使いはあまり得意ではないのだが、少女からもうすぐ大人になる年齢で、もう子どもではないという自立心が旺盛な年頃なのだ。家を出る時に、狼が出る深い森にだけは行かないように、と母親に念を押された。

(行ってはいけない深い森って、右だったかしら、左だったかしら・・)

 早速迷った。行ってはいけない森がどちらなのか分からない。

(まあいいや、今日は右から行こう)

 狼の出る深い森の方に向かって歩き出す。リスのレナには、狼がどんな生き物なのか想像もついていない。リスが狼に見つかった時は、恐らくその余生が終わる時だ。

(おばあさまって、どんな外見だったかしら・・? もう長らく会っていないし、見ても分からなかったらどうしよう・・)

 ただでさえあまり目が良くないレナは、祖母を目の前にしても自分の祖母なのかそうでないのか、それが別の生き物なのかそうでないのか、分からない気がした。



 狼の獣人、カイは深い森を縄張りにしていた。余所者は容赦なく噛み殺し、森の絶対的王者として君臨している。頭と尻尾や耳の外側は黒く、内側は白い毛を持ち、グレーがかった黒い瞳を光らせながら動物を狩って生活している。

(なにか来たな・・)

 その日、普段は森に入ってくることのないリス獣人が堂々と歩いていた。リスなどの弱い動物は決してこの森に近寄ろうとしないのだが、どういうことだろうかと首を傾げる。興味が沸いたので、接触を試みた。

「おい、何をしに来たんだ?」

 カイは走り寄ってリス獣人の前に立ちはだかった。リス獣人は、随分と小柄だ。

「あら、おばあさま? 迎えに来て下さったの?」

 レナは、少しくらい森の中に現れた白い狼の獣人を、白髪のリス獣人と勘違いした。

「人を婆さん扱いするな。若い狼をリスの老人と見間違えるなど、どんな目をしているんだ・・」

 カイが鋭い嗅覚を働かせる。かぐわしい香りがするのは、何だろうか? 興味深くレナの持つバスケットを見た。レナはその視線に気付いたのか、中身の説明を始める。

「おばあさま、今日は、美味しそうな木の実と向日葵の種と落花生を持って来たのよ!」
「人違いだと言ってる。そんなものは食べない」

 もしや、その耳も悪いのか? とカイは目の前の生き物を観察する。空に向かって茶色い耳をピンと立てているレナは、不思議そうにカイを見て手に提げている自身のバスケットを覗くと、木の実を掴んでそのまま自分の口の中に入れた。頬が2倍くらいに膨らんでいる。

「よく伸びる面の皮だな・・。持って来たと言っていた気がするが、自分で食べて良かったのか?」
「ああっ・・つい」
「食い気が抑えられないタイプなのか?」
「分からないわ、無意識に?」

 カイは急に不安になった。この目の前の生き物は、頭が弱いのかもしれない。頬が膨らんだままアワアワとしている。このまま歩かせたら自分以外の捕食者に簡単に食べられてしまいそうだ。

「・・どこに行きたいんだ・・。連れて行ってやらなくもないぞ・・」
「あら、おばあさま、ありがとう」
「だから、婆さんじゃない」
 
 やはり耳も悪いらしい。カイはますます不安になった。

 暫く深い森を歩いていると、別の群れの狼が現れた。唸りながらレナを見てよだれを垂らしている。獲物を見つけた狼の殺気が辺りに充満した。レナは本能で怖いと思ったのか、隣にいるカイの服の裾を掴んで後ろに隠れると、小さくガタガタと震える。

「大丈夫だ。あの位のやつに、俺が負けるわけがないだろう」

 カイはレナから離れて目にもとまらぬ速さで走り出すと、自らの牙と爪の一撃を先頭にいた狼に食らわせる。相手も弱肉強食の中で生きている動物だ。カイの強さが分かった途端、群れは一斉に逃げて行ってしまった。
 カイは、口元に付いた血を手で荒々しく拭う。牙に付いた狼の血が口内を赤く染めていたが、レナはそれを見て胸を高鳴らせていた。

「わあ、おばあさまって、強いのねえ」
「お前、まだそれか?」
「ねえ、これから、家に連れて行って?」

 レナは頬を紅く染めてカイの服を掴んでいる。カイはそれを見て息を呑んだ。

(おばあさま、とは隠語か何かか――?)

 かぐわしい香りがする。

「おい、リス。悪いことは言わない。俺に食われる前に逃げろ」
「おばあさまの名前は、何て言うの? 私は、レナ」
「・・カイ」
「私、目はそこまで良くないのだけれど・・カイは、とっても素敵ね」

 かぐわしい香りがする。

「旨そうな匂いをさせて近づくな。噛みつくぞ」
「いいわよ? あなたのことが好き」
「・・リスのくせに、狼が好きなのか?」
「おかしい? 素敵な人に惹かれるのは普通のことでしょう? 私、今迄こんな激しい気持ちが湧いてきたことはなかった・・これは、恋だと思うの」

 視力があまり良くなさそうで、明らかに弱い動物だと分かるレナを見つめると、カイは不覚にも庇護欲が刺激された。

「・・うちに来るのか?」
「連れて行って?」

 カイは鋭い爪がレナに食い込まないように気を付けてレナの手を握る。レナはその行為を無邪気に喜んで、落花生でボコボコに膨らんだ頬を赤く染めた。

「おい、また食ってたのか。食い意地が張りすぎだ」
「ああっ・・無意識に」
「俺は肉食だ。リスと一緒に生活ができるだろうか・・」
「お腹が空いたら、私が食糧になってもいいわよ?」
「・・そうなるのは、なんだか嫌だと思って来た」

 2人は深い森をカイの家に向かって歩く。大きな木の上にある小屋に、カイはレナを招き入れた。レナはカイよりも木登りが上手かった。

「誰にでも、得意なものくらいはあるんだな」
「私ね、実は木の実を拾うのも下手なの。自分で隠しておいた木の実の場所も、しょっちゅう忘れちゃうし・・」
「生きていくのが大変そうな生き物なんだな・・」

 カイはそう言ってレナを眺めた。丸みのある目をくりくりとさせてカイを見つめている。愛くるしい見た目をしているが、弱肉強食の世界で生きて行くのには、どうしても弱い動物だ。レナはカイの目線が自分にあることに気付くと、恥ずかしそうにはにかんだ。

 ずっと1人が当たり前だったカイは、自分の小屋の中でふさふさした尻尾をゆらゆらと揺らすレナが楽しそうに微笑むのを見てつい胸が高鳴る。

「レナ・・お前が良ければ、ここで一緒に暮らしてもいい」
「じゃあ、カイとずっと一緒にいるわ」
「この森は危険が多いから、1人で外に出歩いたりは出来ないぞ?」
「木の実を取りに行くときは、カイも一緒ね?」

 2人は顔を見合わせ、自然に抱き合った。そのカイの尻尾は、今までにない程、激しく左右に振れていた。

***

 美リスの代表だったレナがいなくなり、一時リス獣人の雄たちは悲しみに暮れて過ごした。実はレナには縁談の話がひっきりなしに来ていたのだが、本人に全くその気がなかったのだ。
 狼の出る深い森は『決して近寄ってはいけない』危険な森として、リス獣人たちにとって最も危険な場所になった。

 そんなわけで、森にはレナを取り返しに来るようなリス獣人族は現れず、狼の森は狼の秩序に守られたまま月日が経つことになる。


「カイ、起きて」
 
 レナは鼻を細かくヒクヒクさせて、隣で眠るカイの匂いを確認しながら顔にキスを浴びせている。

「ああ・・今朝もレナを噛み殺さずに朝が来た・・」

 カイは毎朝のようにそう言うと、横になったまま狼らしい所作でレナの顔を舐める。レナはくすぐったそうに笑うと、カイを見つめて微笑んだ。

「おはよう。好きよ、あなたが」

 レナがそう言って幸せを噛み締める。2人のどちらからというわけでもなく自然に唇が重なり合うと、カイの尻尾は相変わらず左右に、床を掃くように振れる。

 2人は、種族を超えて深く愛し合っていた。レナは、いつカイに捕食されても構わないと言いながら、カイの傍にぴったりと付いている。カイは、レナを食糧とみなす日が決して来ないよう、空腹にならないよう気を付けて過ごした。

 常に空腹のレナは、カイと共に森に木の実を探しに行く。その時はいつも赤いずきんを被っていた。
 レナは木の実を見つけると、最初に自分の口いっぱいに含んで頬を二倍に膨らませてしまうのだが、カイはそんなレナの様子を見ては目を細め、時折その頭を撫でて慈しんだり、頬同士を摺り寄せたりしている。


 その森は、美しい狼が住まう森。
 赤ずきんの娘が、その狼に捕らわれた恐ろしい森。
 今日も、赤ずきんは一匹の狼に捕らわれて、それはそれは幸せに暮らしているというーー。


 めでたし、めでたし。
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