亡国の王女は世界を歌う ―アメイジング・ナイト2—

碧井夢夏

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第7章 争いの種はやがて全てを巻き込んで行く

初めての温泉

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 レヴィ騎士団の本部を出たころ、辺りはすっかり暗くなっていた。
 翌日、カイは自分の部下を連れて国境付近の駐屯地に向かうことになっている。
 移動を考え、カイはレヴィ家の領地内でも比較的自分の領地近くにある宿に向かった。

 宿に到着すると、レナはまたしてもカイが貴族階級だったことを思い出す。
 明らかに高そうな宿にすんなりと案内されたことが、レナには不思議な感覚だった。
 レヴィの領地にあるその宿は、天然温泉の付いた近隣でも有名な宿だ。カイは、せっかくここまで来たのだからと、レナに温泉を勧めた。

「温泉って……初めて」
「ブリステでは薄布を身に着けて入るものだから、別に裸で湯浴みをするわけではない。温泉は、疲れが取れる」
「一緒に入るの?」
「は?」

 レナの認識に、カイは思考が停止した。家族風呂なるものがある。2人で入るという選択肢もあるのだ。

(いや、待て? 着替える時は普通に裸になるわけだが……?)

 カイは冷静にどうしたらいいのか考えた。
 レナが羞恥に耐えられるはずがない気がするが、なかなかない機会に2人で温泉というのは癒されそうな気がする。

 温泉に喜ぶレナと過ごすのは楽しいかもしれない。ぐるぐると考えた結果、「そうだな、たまにはいいかもしれない」と家族風呂に共に入ることを決めた。

 カイは職業柄自分の身体を他人に見せることには抵抗がなかったが、レナは恐らくそういうわけにはいかないだろう。
 要所要所で後ろを向いていてやろうと配慮の方法を考える。

 2人は温泉宿の食堂でその地域の特別なジビエ料理を堪能し、温泉に向かう。
 露天風呂に向かってランタンを持ちながら暗い道を歩いた。
 レナが普通にカイにしがみついて歩いている様子に、この後で何が起こるのかハッキリ分かっていないのだろうと思うと、カイは気まずかった。

 かといって、ここまで来たら後にも引けない。歩みを進めながら、カイの罪悪感が増していく。

 家族風呂の扉を開けて、中から鍵をかける。
 屋根のない脱衣所で、外からの月明かりだけが頼りだった。
 暗くて見えないと言いたいところだが、すっかり目が暗闇に慣れていた。
 困ったことに、ランタンの明かりで細部まで良く見える。カイはレナに湯浴み用の薄地のローブを渡した。

「女性はこれに着替えて入る。ちなみに男性用はこちらだ」

 男性は腰布式になっている。つまり、目の前のカイの上半身は裸で、腰布部分以外の身体のほとんどが露出していることになる。

「……えっ?」

 レナは目の前の現実に言葉を失った。
 シルクのラウンジウェア姿ですら直視できないというのに、裸など許容範囲をゆうに超えている。

「やっぱり、抵抗があるだろうな。こちら側を向いて着替えているから、終わったら声を掛けてくれ」

 カイは納得しながら、こうなってしまったら仕方ないだろうと淡々と着替えをこなそうとしていた。
 レナは自分の置かれた状況に混乱していたが、そのうちに観念して着替えを始めた。
 狭い空間にお互いの立てる衣擦れの音だけが響き、妙な緊張感が漂っている。

「……着替えたわ」

 消え入りそうな小さな声で、レナが言った。
 カイがそちらを振り返ると、カイの方を全く見ることが出来ずに下を見ながら真っ赤になって恥ずかしがっているレナがいる。

「髪はそのままで大丈夫か? 邪魔になりそうだが……」

 カイが心配してレナの髪に触れると、その手がレナの首に少し触れた。

「や……」

 レナが恥ずかしがって視線を上げられず、その手から逃れようとするのを、カイは引き寄せて抱きしめる。

「ショック療法というわけではないが……慣れろ。温泉のためだ」
「わ、私、こんなに恥ずかしいものだとは……」
「湯の中に入れば、特に見えない。行くぞ」

 相変わらず下を向いたレナの手を引いて、カイは温泉に向かう。
 湯船は6メートル四方の大きさで、石でできた簡素なものだった。
 源泉が絶えず注がれ、溢れ出た湯がチョロチョロと控え目な音を立てている。

 手を離すと、カイは先に湯に浸かってレナを呼んだ。
 レナは恐る恐る顔を上げる。カイが身体を湯で濡らしながらこちらに手を差し伸べている。髪が濡れて、普段とは違う色気が漂う。

「む、無理……!」

 レナは一瞬で泣きそうになる。
 無理、とは『好きな人の姿が色っぽ過ぎてなんかもう無理』、を略した「無理」だが勿論そんなことはどうでもいい。

「ここまで来て無理はないだろ。何事も経験だぞ?」

 カイはそう言って笑うが、レナにとっては刺激が強すぎる。

(違うの! あなたのことを、もう見ていられないのよ――!!)

 叫べるものなら叫びたい、とレナは意気地のない自分が嫌になった。

 不意に、レナの顔に湯が掛かる。

「きゃ」

 慌ててレナがどういうことだろうと驚いて顔を上げると、カイが手で水鉄砲を向けていた。

「もう濡れたな。観念してこっちに来い」

 笑っているカイの顔を見ると、レナは泣きそうになった。
 そこにいるのは大好きな人だ。なんとか振り絞ってゆっくり足を進めると、カイの手を取って温泉に身体を浸ける。

「ごめんなさい、たったこれだけのことに、こんなに時間がかかって……」

 肩まで湯に浸かると、「ほー」っと息が出る。
 露天風呂の温泉とはこんなに心地の良いものなのかと、カイの方にはなるべく視線を向けずに堪能した。

「まあ、こうなることは何となく分かっていたから、俺も悪かった」

 カイは温泉に浸かりながら、レナの方を見る。
 月明かりに照らされて飛沫の掛かった顔がキラキラと輝いて見えるのが神秘的で、見惚れた。
 カイは女性の外見に特に興味を持ってこなかったが、レナの見た目が美しいことくらいはわかる。

(ダメだ、余計なことを考えるな……)

 明日は朝からやることが多い、とカイはレナから視線を外した。

「ねえ……」

 レナが不意にもじもじとカイを見ずに声を掛ける。

「どうした?」

 何かあったのだろうかとカイはレナの方をじっと見ていた。

「そっちに行っても良い?」
「……どうした、急に」
「カイのこと見るのが恥ずかしいから、この際くっついちゃえば見えなくなるかなって……」
「どうして、そうなるんだ……」

 カイは大きな溜息をつきながら、レナの腕を引いて背中を包み込むようにして抱きしめた。

「こういうことか?」

 カイが尋ねると、レナは小さく頷く。

(恥ずかしさの順位がおかしいんじゃないか……? どうなっているんだ)

 仕方がないのだ、この元王女を選ぶということはそういうことなのだから、と、分かっているはずが複雑だ。

 お互いの気持ちを確かめ合い、本来であれば遠慮などしなくても良い間柄のはずで、どんな結果になっても責任を取る覚悟はできている。
 ただそれも、(まだ、先が見えない今は……)とわきまえるあたりがこの男がカイ・ハウザーたる所以である。
 意志と理性が欲望に勝る強靭な精神を持っていた。

「夜空を観ながら温かいお湯に浸かって……あなたと一緒にこうしているのは、素敵ね」

 レナが嬉しそうにそう言って、カイの首筋に頭を摺り寄せる。

「おい、無意識か……それは」

 限度というものがあるのなら、今がまさにそれだ。
 もしやこれは誘われているのだろうか? いや、このレナに限ってそんなはずはない、と、カイは思わずレナの身体を引きはがしてしまいそうになる。

「ねえ、温泉って、どのくらい浸かっているものなの? 少し熱い?」

 レナが赤い顔を上気させ、息を荒げてそう言ったので、カイはすかさず、「よし、上がるぞ! これ以上湯に浸かっていると、のぼせるところだ!」と言ってレナを開放し、さっさと上がって一人で脱衣所に急いだ。

「……………?」

 レナは突然のカイの行動に呆気に取られながら、ゆっくりと上がる。
 カイが先に行ってしまったのを残念そうにしながら、慌てて後に付いて行こうとした。

「薄布でも、お湯に浸かると重くなるわね?」

 布を絞ろうとしてハッとする。布が身体にまとわりついていた。

「い……いや……………」

 恥ずかしい、と気付いてレナは言葉を失った。

「いや————!!」

 いち早くこの状況を脱したいのに、脱衣所はひとつしかない。

 その頃カイは猛スピードで着替えを終わらせ、自分の呼吸と「気」の乱れを整えていた。
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