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第6章 新生活は、甘めに

出来合い、いや、溺愛です

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 カイが帰宅すると、玄関先にレナが立っている。
 それを見つけたカイはクロノスから降りて、厩舎に向かう前にレナのところにまっすぐ歩いた。

「どうした? いつもは、到着してから出て来ていた気がするが」

 カイがクロノスの手綱を引きながらレナの前に来ると、レナは両手をカイの方に伸ばして来る。
 その手がカイの背中に来るように、カイはレナを抱きしめて頬と頬をすり合わせた。

「待っていられなかったの。家の中では」
「やけに情熱的なことを言ってくれるな?」
「昨日のことが夢だったんじゃないかって、ちょっと信じられなくなってきちゃって」

 レナが潤んだ目でカイを見上げる。

「おい、そんなに煽るな……」

 カイは目の前のレナの破壊力に、改めてこの元王女こそが数々の男を狂わせた張本人だったことを思い出す。
 無意識でこれなのが、余計にタチが悪いのだ。

 カイはレナと共にクロノスを厩舎に預けると、手を繋いだまま家に入った。
 使用人たちが一斉に頭を下げている。やはり各々の頭の中は主人とレナの明るい未来を祝い、やかましかった。


「仕事は……肉屋じゃなくても良いんだろう?」

 2人は食事を終え、カイの部屋で隣り合ってコーヒーを飲んでいた。
 カイに尋ねられて、レナは何を聞かれているのかよく分かっていない。

「たまたま人手を募集していたのが、あのお肉屋さんだったのよ?」

 レナがそう言ってカップをテーブルに置いたので、カイはレナの目の下に軽く唇を当てる。

「そうか、それなら、肉屋を辞めて……うちの領地経営について一緒に考えてみないか?」
「…………?」

 レナがカイをじっと見つめて首を傾げたので、相変わらずの鈍さにカイは頭を抱えた。

「その……将来的なことを……考えてみないかと、言っている」

 カイは不本意に言い直すことになったが、これがレナと向き合うということなのだと覚悟を決めるしかない。
 プロポーズのようなことを2度も言わされるとは、もしや分かっていてとぼけているのではないのかとすら疑う。

「…………」

 レナはポカンとしたまま、無言だった。

(いやこれでも通じていないとか、どういうことだ? おい、王女だった頃、もう少し鋭かった気がするんだが……)

 カイはレナの理解力を疑い始める。聡明なはずのレナは、意外に盲点があるのかもしれない。

「将来…………が、あるの……?」

 レナはやっと言葉を発せたようだった。
 レナにとって、未来とは決められたレールの上を歩くことに等しく、将来とは自分が選ぶものではなかったのだ。
 これまで常に付いて回った重い枷が、いつの間にか自分から外れていたことを知る。

「そうだ。レナには、もう、好きに生きる権利がある。誰と生きようと、どんな生き方をしようと、自由だ」

 カイはそう言ってレナの両手をそっと自分の両手で包む。レナが戸惑っている理由がようやく分かって、ほっとしていた。

「あなたを選んで、生きて行けるの?」

 レナが泣きそうな顔をしている。信じられない、と言いたそうな顔だった。

「……正直、是が非でも選んでもらいたいところだな」

 カイはそう言ってレナの手の甲に口付けた。
 我ながら必死だなと滑稽だが、なりふりに構っていたら捕まえたと思った側から失うのだと、この数日間で学んだ。

「こういう時って、何て言えばいいか分からないものなのね。……言葉が見つからないの」

 レナはそう言いながら、俯いていた。

「まずは、ありがとう、でしょ…………」

 振り絞るように呟くと、涙がレナの手を握るカイの手の上にポトリと落ちる。

「あなたが好き、ということ……」

 カイを直視できないレナは、どうしてこんなに切ない気持ちに襲われるのか分からなかった。

「一緒に、生きていきたい。もう、私の前から、いなくならないで」

 手に入れるということは、どうしてかそれを失う怖さが付いて回るのだと、初めて知る。

「善処しよう……いや、ここは誓うのが正解か?」

 カイは握った手を離すと、レナの顔を両手で包む。自分を想い濡れている瞳と頬に、何度も唇を当てた。

「泣かなくていい。起こってもいないことを恐れるな。ここは喜んで叫んだっていいところだぞ?」

 カイがそう呟きながら穏やかに笑う。泣かせるつもりは無かったが、レナの自分への気持ちの深さを知るのは新鮮だった。

(戦場を生きる場所にしているような、こんな人生に寄り添わせることが酷なのか)

 カイは、なかなか涙の止まらないレナが落ち着くまで、静かに抱きしめた。
 レナは、顔に何度も浴びた唇の感触が、どうして口を塞いで来ないのだろうかという疑問を飲み込む。

 レナは、好きな人と共に生きる未来を選べる今を、静かに受け入れていた。
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