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第5章 追われるルリアーナ元王女

再会の夜

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 カイはレナの手を握っていた。以前のカイなら自分から手を握って来たりはしないはずだ。どうもカイが前とは違う気がして、レナは戸惑う。

「アウル」を出て宿に向かう途中で、また育ちの良くない集団がいる。レナの姿を視界に入れると、集団はニヤニヤしながら2人に近付いてきた。

「彼女、可愛いね」

 5人の男がカイの前に立ちはだかった。先ほど何も絡まれなかったのは女狙いだったのかと、カイはうんざりした。

「失せろ」

 カイは不機嫌に言うとそのまま通り抜けようとする。レナの手は引いたままだ。

 カイの肩を掴んできた男がいたので拳を食らわせ、レナ庇いながら、襲い掛かって来た残りの4人にカウンターを食らわせる。一瞬のうちに5人の男性は意識を失っていた。

「相変わらず、ポテンシアは下らない連中が沸いて出るな」

 カイはそう言いながらレナの肩を抱く。レナは胸の高鳴りが収まらずにカイを見つめると、まるで別人のように自分を扱うカイが何故こんな行動をとっているのか、不思議でならない。


 カイの取っていた宿は、町で一番の高級宿だった。

 そうか、カイは平民階級ではなく子爵様だったではないかとレナは思い出す。部屋に案内されて中に入ると、今迄レナが下町で生活をしてきた環境とは比べ物にならない、広くて綺麗な部屋だ。

「飲み直すか?」

 カイは部屋にある1人掛けのソファにレナを座らせて宿のルームサービスが書かれた紙を渡した。

「ううん。明日起きられなくなったら困るから大丈夫」

 レナがそう言うと、カイは部屋に置かれたデカンタの水をグラスに注いでレナの前に置く。

「ありがとう」

 そう言ってレナは水をこくんと飲んで喉を潤した。それをカイはじっと見た後、「すっかり歌姫様なんだな。ステージ、思いの外よかった」と穏やかな目を向ける。

「褒めても何も出ないわよ? あ、でも私、結構稼げるようになったんだから」

 レナは嬉しそうに言った。その笑顔を見るとカイはまた目頭が熱くなる。

「……生きているんだな、本当に。ここに、いるんだな」

 カイの顔が切なさに溢れているように見える。レナの身体の奥が大きな音を立てた。

「……生きているわ……。あの日、私、レオナルドに生かされたの。ポテンシア国王が私を狙って軍を寄越す前に、私が死んだことになれば、被害が少ないと言われて」

 水の入ったグラスを持ったレナは、寂しそうに笑う。

「そうだったのか」

 カイは静かにそう言って、じっとレナを見つめていた。どうしてか、その眼差しが今迄とは違うもののようで、レナの心の中は騒がしい。

 あのカイ・ハウザーに限って、自分を特別に想うなどありえないというのに、どうしてかその瞳が優しく自分を見ているような気がする。

(どうしたんだろう、お酒のせいかもしれない)

 レナはそう思って必死にカイの視線を特別なものだと思わないようにした。憧れて以前片想いをした騎士団長は、金の亡者で女性に興味のない男のはずだ。

「この町には、いつから居たの?」

 誤魔化すようにレナは尋ねた。自分が意識しているのを悟られないように必死だった。

「夜の7時過ぎに着いたところだ。朝はルリアーナの城下町にいたからな」

 カイがそう言って息を吐く。

「それは……すごく疲れているんじゃない……?」

 レナは驚いた。ルリアーナ城からこのポテンシアの町までは、途中で1泊しなければ辿り着けない距離だ。

「クロノスを、急がせてしまったな」
「もう、横になって。話なら、横になったままでも出来るわ」

 レナはカイの身体を気遣った。カイはそのレナを見て、「じゃあ、王女殿下はベッドを使え。俺は床で寝る」と上着を脱ぐ。

「ダメよ! あなたが……ええと、あなたが、ここのお金を払ってるんでしょう?!」
「相変わらず、俺に対して金のことばかり言ってくるそれは、嫌味なのか…………?」

 カイはそう言って溜息をつくと、「ベッドはダブルなんだ。殿下……いや、『エレナ』くらい小柄であれば、俺の隣でも窮屈にならないかもしれないな……並んで寝るか」と当たり前のように言った。



 カイがレナに背を向けてベッドで横になっている。レナはそのカイの広い背中をじっと見つめていた。

「あの日、レオナルドに言われて……レオナルドが修道士の時に滞在していたアウグスという家に身を寄せたの」

 レナがカイの背中に向かって語り掛ける。

「アウグス家のみんなは親切だったんだけど、父親だけがとても厳しい人で。私、なにもできなかったからしょっちゅう怒られたり叩かれたりしたわ。自分の無能さに嫌気がさして、世界を知った気がした」

 レナの言葉を、カイはじっと聞いていた。

「……それは、つらかったんじゃないか?」

 カイに言われて、レナは「そうね」とだけ言う。

「でもね、アウルの店主に拾われて。歌うだけなのに、みんなに喜んでもらえたの」

 レナの声が嬉しそうで、カイは小さく笑った。

「ルリアーナ王女の逝去が報じられた時、最初は報道を信じるほかなかったんだ。でも、城を訪ねてみると王女は炎に包まれて亡くなったと言うし、ルイス殿下が王女の幻を見たと言うし、どうしても、殿下が生きている気がしてならなかった」

 カイはそう言うと、レナの方に身体を向け、すぐ近くにあるレナの顔を見つめた。

「もしも生きているのならば、この空の下でどれだけ心細い思いをしているのか、どこかで今もひとり泣いているんじゃないかと、ずっと心配していた」

 カイのまっすぐな目を見ながら、レナは静かに涙を流した。

「あなたが……そんな風に思ってくれていたなんて……」

 レナの溢れる涙がシーツに吸い込まれていくのをカイはじっと見つめ、その涙をそっと指で拭う。

「あの日、契約が終わった後……なぜ殿下を……ひとりにしてしまったのだという後悔が、ずっと消えない」

 カイの顔が悲痛に歪んだように見えた。

 既に護衛の契約は切れている。カイとの主従関係はとっくに無効で、カイが後悔をする必要は無いはずだった。

「あなたは、ちゃんと報酬以上の働きをしたわ」

 レナがそう言って涙で濡れた顔をやさしくほころばせる。カイは思わずその身体を引き寄せて、小さなレナの身体を包み込んだ。

「すまなかった。ちゃんと、護ってやれなくて」

 カイの声が震えている。レナはカイの腕の中で小さく頭を振った。カイには何の落ち度もないというのに、この10ヶ月をずっと後悔の中で過ごさせてしまったのだと知る。

「あなたは、ちゃんと私を護ってくれた。あなたほどの護衛、この世にはいないわ」
「あの日から、俺には仕えたいと思う主人が一人しかいない。どう思う? レナ」

 カイは初めて「レナ」と呼んだ。

「レナ・ルリアーナは既に故人で、あなたは罪の意識に苛まれてはダメよ。誰に仕えるかも、あなたの自由だわ」
「違う。今、ここに生きているのがレナ・ルリアーナだ。俺はエレナという女性など知らない」

 カイは、レナを抱きしめる腕にぐっと力を込めた。

「明日、レナをこの町から連れて行く。入国の問題はクリアさせてやる。一緒にブリステに来い」

 カイがそう言ったのを、レナは静かに頷いた。安心するとレナは疲れていたのか、飲んだお酒のせいか、カイの体温に包まれてウトウトと眠りについていた。
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