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第3章 それが日常になっていく

バール「アウル」の看板娘

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 ポテンシア王国でもブリステ公国との国境近くの町。とあるバールに、新人の女性スタッフが雇われた。昼間は給仕を担当し、夜はステージに立つその女性は、名前をエレナと言った。
 すっかり町の人気者になり、彼女はどこにいても注目されている。店主も、そんなエレナに経営を助けられていた。

「ねえ、エレナ。あなたの恋人ってブリステ公国にいるんだったわよね?」

 アウルシスターズとして舞台に一緒に立つ移民のマーシャが、勤務中の暇な時間にエレナに尋ねた。マーシャはカールした黒髪を耳の下まで伸ばしている。褐色の肌に黒い瞳は、東洋人の特徴とはまた違っていた。

「ええ、そうだけど……」

 エレナは歯切れ悪く答えた。実際は恋人ではないし、カイがブリステにいるかどうかも確実ではなかったからだ。

「ブリステのどの辺にいるとか、知っているの?」

 マーシャが何気なく尋ねると、エレナは残念そうに首を振った。

「そう……。それはまた、難易度が高いわね」

 マーシャは腕組みをして店内を見渡す。この日は客もまばらで、比較的業務に余裕がある。

「そうね。本当に会えるのか、頼れるのか、自信はないの」

 エレナが寂しそうに言うと、マーシャはエレナの肩を抱いた。

「希望を捨てないで、エレナ。あなたみたいな素敵な恋人を置いて故郷にいるんだもの、あなたが思っている以上に会いたがっているはずよ。ここは国境に近い町なんだから、外国人が来たらブリステ公国とレナの恋人のことを尋ねてみましょうね」

 エレナは無言で頷いてマーシャにそっと抱きついた。この店に来てからというもの、エレナはマーシャを姉のように慕っている。

「ほらそこ、客に見えるようにじゃれ合わないの!」

 アウルシスターズの中で一番体格の良いミミが、そう言って2人を叱る。ミミもマーシャと同じ髪と肌の色をしていた。ミミは癖の強い黒髪を肩まで伸ばしている。

「じゃれ合っているんじゃないわよ。エレナを元気づけているの」

 マーシャがそう言ってミミを睨むと、ミミは片眉を上げて、「悲劇のヒロインのままのほうが、客は喜ぶわよ?」と嫌味を言った。

 エレナの人気は、その薄幸そうな歌い方と、彼女が国境を越えられずに再会できない恋人がいるというストーリーが客に受けているのだ。

「ミミ、エレナはずっとここにいるべき子じゃないのよ。たまたま、行く場所の途中にここがあっただけのこと」

 マーシャはミミの嫌味をそう言って叱ると、エレナは2人のやり取りを見ながら困った顔をした。

「エレナが心配そうにしてるじゃないの。あたし達は共同体でしょ? 揉め事は無しよ」

 3人が集まっているところに、細身で長身、短い髪のマリヤがやってくると、ミミは分が悪くなりそうな雰囲気を感じてそそくさと持ち場に戻った。ミミはマリヤに口では勝てない。

「いつも、気を遣わせてしまうわね、マリヤ」

 エレナがそう言ってマリヤに微笑む。

「気なんか遣って無いわ。ミミが言ったみたいに、あたしだってエレナが必要だと思ってる。でも、エレナはいつだって自由よ」

 マリヤはそう言ってウインクをしてその場を去って行った。

 マーシャもエレナの頭を少し強めに撫で「そうよ、あなたはいつだって行きたいところに行ける」と元気づける。

 今はブリステ公国への入国が叶わなくとも、きっとエレナは大切な人に愛されるべき女性なのだと、マーシャは心から思っていた。

「ブリステから来た客がいたら、何か聞いてあげるからね」

 エレナは、そのマーシャの言葉に無言で頷くと、マーシャの腕にしがみついて嬉しそうに頬をゆるめていた。
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