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第2章 それぞれの向き合い方
町角のスカウト
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エレナはいつものように広場の芝生に座って商品を売っていた。ジャンに言われたことを思い出しては、大きな溜息をつく。
信じていると強がっているが、本当は全く自信がない。
ハウザー騎士団は、ただの雇用契約を結んでいた関係だ。
今頃ブリステ公国で普通に生活をしているのだろう。そして、きっと自分の訃報を知り、もう2度と会えない故人だと思われているに違いない。
『エレナ』とは、亡霊のような存在だった。エレナ・サントーロなどという人物は、この世のどこにも存在しない。
エレナは自分の膝をぎゅっと抱えて寂しい気持ちを紛らわせようとした。
もう、自分の護衛だったカイ・ハウザーには会えないのだろうか。生きていることだけでも伝えたかった。そして、1か月間カイと共に過ごした日々を心の支えに生きてきたことを、直接話したかった。
「こんにちは、お嬢さん。あなたがエレナさんですか?」
不意に話しかけられる。目の前に恰幅の良い中年男性が立っていた。
褐色の肌からして移民のようだ。黒髪に黒い髭を蓄えている。
「はい……エレナは私ですが……」
戸惑いながらそう返事をすると、その中年男性はエレナの手を取って喜んだ。
「ああ、やはりあなたが歌姫エレナですね! 実はあなたに頼みたいことがあって……」
中年男性はマーケットの一角で、エレナに仕事の相談を始めた。
「はあ……お店で歌を……」
エレナは、なぜ男性が自分に歌手のようなことを求めて来たのか最初は理解ができなかった。
「町中で最近話題になっているという、マーケットの歌姫のことが妙に気になりましてね。私の店はこの先のバールなんですが、夜に歌を披露してもらうような小さなステージがあるんです。この町は出稼ぎ労働者が多く、夜になると歌を聞きながらお酒を楽しむ人が多いので、あなたにお願いできたらと……」
中年男性は、いつもジャンが弾いている売り物のギターをすっと手に持ち、「実は、歌って欲しい演目も、1曲ほどリクエストがあるんですよ」と言って、ギターを鳴らし始めた。
♪
あなたを残して 故郷を出てから
一体いくつの夜を 過ごした
忘れないでと 忘れないよと
あの時は 固く誓ったものが
どうしてか いまは 夢のようで
そばにいるなら 触れられるのに
そばにいたなら 語り合えるのに
悲しいメロディに合わせ、中年男性が歌った。
「これが、うちに来る労働者が聴きたがる、ポテンシアの人気曲なんです。エレナはルリアーナ出身だというから知らないと思うけど、この町は家族を残してきている労働者が多くてね……」
男性はギターを置こうとした。エレナはその手を制して、「今の歌を、教えてくださいますか? ここで覚えて歌ってみます。その歌声が、役に立ちそうなら……一度、ステージに立ってみようと思うので」と先ほどの美しいメロディを覚えたいと申し出た。
「ありがとう、歌姫」
男性はエレナに歌いながら曲を教える。曲を覚えながら小さな声で囁くように歌うエレナの声に、男性は何度も自分の耳を疑った。
(なんと、透明感のある声だ)
切ない歌に合わせるように悲しげに歌うエレナの表現力に、男性はこんな歌手が町角に眠っていたのかと感動した。
「エレナ……! 君の声は、絶対に客を癒す。私は店主のイサーム・ラティフです。どうかうちの店に来て欲しい」
真剣にエレナにそう言ったイサームに「私でお役に立てそうなら、一度だけ、やってみます」とエレナは微笑み、快く依頼を受けた。
食料品などの買い物を終えたジャンがエレナの元に戻ると、そこに見たこともない異国風の男性がいたのでジャンは慌ててエレナの元に駆け付けた。
「ちょっと! うちの者に何か用ですか??」
ジャンが息を荒くしてエレナを護ろうとしたので、イサームは驚いて「ああ、なるほど。あなたが彼女のナイトですか」と穏やかに言って笑う。
騎士(ナイト)――。その懐かしい響きにエレナの心が大きく動いたことにジャンは気付かずに「ここで、何をしていたんですか?」とイサームに凄んだ。
「大丈夫よ、ジャン。この方は、この先にあるバールの店主さんで、私に歌を歌って欲しいと言ってくれたの」
エレナがそう言ってジャンを宥めようとしたが、ジャンは明らかにイサームに対して疑いの目を持っている。
「いや、そうかもしれないけど、この人のバールがどこのことか知ってるのか? 情報もないのに、簡単に人を信じるのは君の良いところでもあるけど、本当に危険なところだよ」
ジャンがエレナにそう言ったのを、イサームは「ああ、それは確かに……」と納得して聞いていた。
エレナは、ジャンの言ったことは間違ってはいないと思う。それでも、いつも保護者のように心配ばかりしてくることに、息がつまるような心地がしていた。
「そんなこと、ジャンに言われなきゃいけないのは、どうなのかしら」
エレナは久しぶりに反抗的だった。兄妹喧嘩のように、2人の間に譲らない雰囲気が漂っている。
「じゃあ、今日の夕方にうちの店に来てみたらどうだ? 2人で。折角だし、1杯くらいは無料で何か出してあげるよ」
イサームがそう言って自分の店の場所が書かれた紙を2人に渡した。
「ありがとう」
エレナはそう言ってお礼を言うと、ジャンの方をじっと見る。
「分かったよ…………付いて行けばいいんだろ……」
ジャンは仕方ないなと諦めたように言うと、イサームを見た。
「エレナを危険な目に遭わせるわけにはいかないから、店の雰囲気次第ではすぐに帰らせてもらう」
ジャンの厳しい視線に、イサームは「どうぞ」と笑うとエレナに小さくウインクを送った。
「こんな素敵な歌姫を見つけたら、なんとかステージに立ってもらわなきゃ、お店をやっている意味がないからね」
それを聞いたエレナは、思わず肩をすくめた。
信じていると強がっているが、本当は全く自信がない。
ハウザー騎士団は、ただの雇用契約を結んでいた関係だ。
今頃ブリステ公国で普通に生活をしているのだろう。そして、きっと自分の訃報を知り、もう2度と会えない故人だと思われているに違いない。
『エレナ』とは、亡霊のような存在だった。エレナ・サントーロなどという人物は、この世のどこにも存在しない。
エレナは自分の膝をぎゅっと抱えて寂しい気持ちを紛らわせようとした。
もう、自分の護衛だったカイ・ハウザーには会えないのだろうか。生きていることだけでも伝えたかった。そして、1か月間カイと共に過ごした日々を心の支えに生きてきたことを、直接話したかった。
「こんにちは、お嬢さん。あなたがエレナさんですか?」
不意に話しかけられる。目の前に恰幅の良い中年男性が立っていた。
褐色の肌からして移民のようだ。黒髪に黒い髭を蓄えている。
「はい……エレナは私ですが……」
戸惑いながらそう返事をすると、その中年男性はエレナの手を取って喜んだ。
「ああ、やはりあなたが歌姫エレナですね! 実はあなたに頼みたいことがあって……」
中年男性はマーケットの一角で、エレナに仕事の相談を始めた。
「はあ……お店で歌を……」
エレナは、なぜ男性が自分に歌手のようなことを求めて来たのか最初は理解ができなかった。
「町中で最近話題になっているという、マーケットの歌姫のことが妙に気になりましてね。私の店はこの先のバールなんですが、夜に歌を披露してもらうような小さなステージがあるんです。この町は出稼ぎ労働者が多く、夜になると歌を聞きながらお酒を楽しむ人が多いので、あなたにお願いできたらと……」
中年男性は、いつもジャンが弾いている売り物のギターをすっと手に持ち、「実は、歌って欲しい演目も、1曲ほどリクエストがあるんですよ」と言って、ギターを鳴らし始めた。
♪
あなたを残して 故郷を出てから
一体いくつの夜を 過ごした
忘れないでと 忘れないよと
あの時は 固く誓ったものが
どうしてか いまは 夢のようで
そばにいるなら 触れられるのに
そばにいたなら 語り合えるのに
悲しいメロディに合わせ、中年男性が歌った。
「これが、うちに来る労働者が聴きたがる、ポテンシアの人気曲なんです。エレナはルリアーナ出身だというから知らないと思うけど、この町は家族を残してきている労働者が多くてね……」
男性はギターを置こうとした。エレナはその手を制して、「今の歌を、教えてくださいますか? ここで覚えて歌ってみます。その歌声が、役に立ちそうなら……一度、ステージに立ってみようと思うので」と先ほどの美しいメロディを覚えたいと申し出た。
「ありがとう、歌姫」
男性はエレナに歌いながら曲を教える。曲を覚えながら小さな声で囁くように歌うエレナの声に、男性は何度も自分の耳を疑った。
(なんと、透明感のある声だ)
切ない歌に合わせるように悲しげに歌うエレナの表現力に、男性はこんな歌手が町角に眠っていたのかと感動した。
「エレナ……! 君の声は、絶対に客を癒す。私は店主のイサーム・ラティフです。どうかうちの店に来て欲しい」
真剣にエレナにそう言ったイサームに「私でお役に立てそうなら、一度だけ、やってみます」とエレナは微笑み、快く依頼を受けた。
食料品などの買い物を終えたジャンがエレナの元に戻ると、そこに見たこともない異国風の男性がいたのでジャンは慌ててエレナの元に駆け付けた。
「ちょっと! うちの者に何か用ですか??」
ジャンが息を荒くしてエレナを護ろうとしたので、イサームは驚いて「ああ、なるほど。あなたが彼女のナイトですか」と穏やかに言って笑う。
騎士(ナイト)――。その懐かしい響きにエレナの心が大きく動いたことにジャンは気付かずに「ここで、何をしていたんですか?」とイサームに凄んだ。
「大丈夫よ、ジャン。この方は、この先にあるバールの店主さんで、私に歌を歌って欲しいと言ってくれたの」
エレナがそう言ってジャンを宥めようとしたが、ジャンは明らかにイサームに対して疑いの目を持っている。
「いや、そうかもしれないけど、この人のバールがどこのことか知ってるのか? 情報もないのに、簡単に人を信じるのは君の良いところでもあるけど、本当に危険なところだよ」
ジャンがエレナにそう言ったのを、イサームは「ああ、それは確かに……」と納得して聞いていた。
エレナは、ジャンの言ったことは間違ってはいないと思う。それでも、いつも保護者のように心配ばかりしてくることに、息がつまるような心地がしていた。
「そんなこと、ジャンに言われなきゃいけないのは、どうなのかしら」
エレナは久しぶりに反抗的だった。兄妹喧嘩のように、2人の間に譲らない雰囲気が漂っている。
「じゃあ、今日の夕方にうちの店に来てみたらどうだ? 2人で。折角だし、1杯くらいは無料で何か出してあげるよ」
イサームがそう言って自分の店の場所が書かれた紙を2人に渡した。
「ありがとう」
エレナはそう言ってお礼を言うと、ジャンの方をじっと見る。
「分かったよ…………付いて行けばいいんだろ……」
ジャンは仕方ないなと諦めたように言うと、イサームを見た。
「エレナを危険な目に遭わせるわけにはいかないから、店の雰囲気次第ではすぐに帰らせてもらう」
ジャンの厳しい視線に、イサームは「どうぞ」と笑うとエレナに小さくウインクを送った。
「こんな素敵な歌姫を見つけたら、なんとかステージに立ってもらわなきゃ、お店をやっている意味がないからね」
それを聞いたエレナは、思わず肩をすくめた。
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