アメイジング・ナイト ―王女と騎士の35日―

碧井夢夏

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昔話 劉淵家に伝わる特殊な力と傭兵隊長の話 カイの視点

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 カイの父親である蒼劉淵そうりゅうえんは、大きな身体と俊敏な動きに加えて特殊な能力で傭兵として重宝されていた。
 東洋では『気』という目に見えないエネルギーの流れを操る術があり、蒼は劉淵りゅうえん家に伝わる一子相伝の気功術の使い手だった。
 戦いの場に出ると、自分の気を集中させて肉体を強固なものに変えてしまうため、武器の通用しない強靭な肉体に変わる。
 周囲の気を乱して、手に触れずに相手を押し倒すような技すら持っており、蒼は1人で何十人という人数を相手に戦うことができた。

 カイが父親から聞いたのは、『気』というのはあくまでもそこに本来あるものを利用しているのに過ぎないということだった。
 この世には、様々な気が流れていて、人の間を巡っているのだという。
 父親に教えてもらう『気』の話は、やがて自分が継ぐのであろう気功術に対する期待を膨らませた。

 幼いカイは、病床から出てこられない弱い母親と、強くて強靭な父親が、なぜ惹かれあって一緒になったのか分からなかった。

 あまりにも弱く何もできない母親を、カイはあまり好きになれずにいたのだ。
 いつも青白い顔で部屋から出られない母は、本来の美しさがかえって幽霊のような姿を思わせる。顔を見せに行くように父親に言われて訪ねると、紫色の唇でカイの頬に軽いキスをして、お前を愛していると囁いた。
 本来、親であれば当たり前のその行為が、カイは酷く嫌いだった。
 父親のように身体を使って遊んでくれる人がいれば充分だし、カイの乳母だという女性が家事や身の回りのことをしてくれて、本当の母は乳母の方ではないかと思うことがある。

 それでも、母親を嫌だと思ったことを父親に伝えた時、とても悲しそうな顔をして叱られたので、カイはその気持ちも父親には隠すようになった。

 父親は、幽霊のようにただ部屋に閉じこもるだけの母親を労り、愛していたようだった。
 仕事に行くときには危険な仕事を心配する彼女をなだめ、無事に帰るとカイを肩車しながら部屋を訪れて妻を笑わせた。

 カイは、母親の愛情など欲したことはない。自分は充分満ち足りていた。
 父親の部下も、カイを愛して無条件に受け入れてくれる人たちだった。強い人たちが周りにいて、幼いカイは『戦いに身を置くかっこいい大人』に憧れた。
 いつか、自分もこの中に加わって、傭兵として戦うのだろうと自然に考えるようになっていた。

 だから、母親の容体が急変したときに、それが自分の運命を大きく変えるなど、想像もできなかったのだ。

 その日、8歳の誕生日を前に、カイは父親に新しい気功術を教わることになった。
 父が言うのには、カイはとても筋が良いらしい。習い始めて2年、カイは身体を強化させたり、自分の周りの気を自由に扱えるようになっていた。

 カイが掌をかざすと、周りの気の流れが自分に集まってくるのを感じる。
 それを自分に取り込むことは出来ないが、この世のどこにいても、気は巡っているのだと分かった。

「父さん、新しい気功術を教えてくれるの?」
 カイの期待とは裏腹に、蒼は少し暗い顔をしている。
「カイ、これから使う術は、使わないと約束ができるか?」
 真剣な父親に、
「使っちゃダメなら、なんで教えるのさ」
 と、カイは純粋に質問した。

「使ってはいけない術も、覚えておかないと無意識に使ってしまうだろ。何がダメで何が良いのか、それを教えるのが父さんの役目だ」
 蒼は息子の頬に手を当ててそう言うと、悲しく微笑んだ。

「父さんも、教えなくて済むなら教えたくないが、知らずに使ってしまうのはもっと恐ろしい」
 大きくゴツゴツした蒼の手が少し震えている気がして、カイは精一杯父親を元気づけようと思った。
「分かったよ、父さんが言うなら、その術は絶対に使わない」
 カイが言うと、蒼はカイを抱きしめた。

 その日、教わった術のことを、カイは今でもハッキリ覚えている。
 身体中の気を、自分の掌に集めて放出する術だ。
「いいか、カイ。この術の恐ろしいのは、お前の気が外に出てしまうということだ。本来お前の中に留まっているはずの気が出るということは、お前の中の気は少なくなるな?」
 蒼の言葉でカイは集まってくる気をイメージすると、
「そうだね、ここにある気を外に出してしまうと、俺の中にある気は減ってしまう」
 感覚を捉えてカイは理解した。

「それを使うということは、お前の命を削るということだ。分かるな?」
 蒼に言われてカイは頷く。
「そうか、すごく弱くなっちゃうね。使うのはやめる」
 カイがすんなり術を会得したので、蒼は驚いた。
 妻の顔をして自分と同じ髪と肌、少し色素の薄い瞳の息子は、妻に似たのか覚えが早い。

「そうだよ、お前は誰よりも強くなるんだ」
 蒼はカイを抱き上げて強く抱き締める。カイは少し苦しくて、でも嬉しくて父親の首に自分の手を回した。


 術を教わった日、母親の容体が急変したと言って父親は部屋に籠もってしまった。
 なるべく誰も部屋に入れないようにと、カイも父親に会えない。母親の体調が悪いのは今に始まったことではなかったが、いよいよ来るべき時が来たのかもしれない、とカイは思った。

 母親がいなくなることは、なんとなく分かっていた。
 寂しく感じたこともないし、それが当たり前なのだと思っていた。

 だから、部屋から出てこない父親を気遣って母親の部屋の扉を開けた時、目にした光景に絶望した。
 そこには、息絶えようとしている母親と、父親の姿。
 そして、大量の『気』の移動が視えてしまった。

(ダメだ! 父さん!)

 カイは泣きそうになりながらすぐに父親を止めようとしたが、部屋に充満する気流に邪魔をされて近寄ることが出来ない。
 父親の気が、彼に抱かれた母親に吸い込まれていくのを、何も出来ずに見ていることしかできなかった。

「絶対に使ってはいけないんじゃないのかよ!」
 カイは絶叫していた。父親から移動する気が完全に消えるのが、ハッキリと感じ取れた。


 翌日、カイの両親の葬儀には大勢の人が訪れた。
 父親の傭兵仲間や部下、仕えていた侯商会の代表から従業員、近所の人たちまで、幅広く親交のあった人たちが、早すぎる2人の旅立ちを悲しんだ。
 そして、残されて身寄りのない1人息子に、よければうちにおいでと、こぞって声をかけてくれる。
 その中で、ホウ商会の代表だけはカイの身内の話をした。
「カイ、君には1人、身内がまだいるんだよ。お母様のお母様、つまり、君にとってのお祖母様が」

 侯商会は、以前カイの祖母に世話になったことがあり、父親と母親はそこで出逢ったのだと教えてくれた。

「一応、僕から君のお祖母様には訃報を伝えておいた。どうなるかはまだ分からないけど、僕は君がお祖母様の跡取りになるべきだと思う。ただ、君の両親は家族を捨てて駆け落ちしたからね、そんなに簡単な話じゃないはずなんだ」

 カイは、母親が貴族出身だというのを以前聞いたことがある。でも、自分には関係のない話だと思っていた。
 自分は傭兵になるために生まれてきたと信じていたし、よく知る偉そうな貴族を見ていると、とても自分は同じ立場になどなれないと思う。

「代表、俺はここで父さんの仲間のみんなと暮らしたい」
 カイがそういうと、
「それは君の希望かもしれないけど、難しいだろうね。君には相続権がある。大いなる権力には、大いなる責任と犠牲が伴うよ」

 カイが知る中で、侯代表は1番物知りで物事の本質を知っている人だった。齢60歳になる東洋人はブリステ人に比べ若々しく、白髪の多いグレーの髪で黒縁の丸眼鏡をかけている。
 カイには侯代表の眼鏡の奥が鋭い光を帯びているように見えた。

「君は、こちら側の人間だ。君が生まれた時から僕は君と仕事をする未来が見えていたよ」
 侯代表はまだ幼い少年に丁寧に語った。
 小さなカイには、侯代表の言葉の意味がよく分からなかった。

 カイの両親の埋葬が済み、暫くは乳母と父親の傭兵仲間が代わる代わるカイの家に滞在してくれた。
 1人で家事ができない少年は、一生懸命乳母から身の回りのことを教わって、自立しようと必死になった。
 それを見て、滞在した父親の傭兵仲間たちは堪らず涙を流していた。カイはまだ、身の回りのことをできるようになるにはあまりに幼く、そして物事が分かるくらいには成長している。

 数日が経過した後、ハウザー家の女主人からカイを引き取りたいと連絡が来た時、それぞれが別れを惜しみ、少年の幸せを願った。

 カイは、父親の最期を知っていた。
 そして、父親を連れて行ってしまった母親を憎んだ。
 それだけでも苦しいのに、今度は祖母が自分を連れて行こうとしているらしい。

 母親から祖母の話が出たことはない。どんな人なのかも分からない。少なくとも、父親がいてその仲間たちに囲まれた大切な日々はもうやってこないのだと思い知らされる。カイは鬱々とした気持ちで自分の運命を呪った。

 祖母の遣いがカイを迎えに来た時、それまで世話になった大切な人たちに別れを告げ、いよいよ自分には何もなくなってしまったことを悟る。馬車の中で、少年は声も上げずに泣いた。

 カイが到着すると、祖母は少し曲がった背中を伸ばし、
「忌々しい恩知らずの男の髪をした、娘の顔をしているね」
 と無愛想に言った。
 見たこともない大きな家に、使用人が並んで頭を下げている。
 その光景を見て、カイは自分の人生が、思っていた未来とは全く変わってしまったのだと悟った。
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