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探偵は忍ばず
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大雅は目玉焼きを焼いて皿に乗せ、ミニトマトとレタスを添えてトーストが並んだデスクに運ぶ。
事務所にある4つのデスクのうち2つにテーブルクロスをかけ、ダイニングテーブルとして使えるように簡易的なリメイクをした。
通常のダイニングテーブルに比べ、お互いの席が遠い。
「おおー。久しぶりに手料理が食べられる!」
「目玉焼きひとつで大袈裟ですね」
「俺はトーストすら焼かなかったからなあ」
本当に生活力が皆無だな、と大雅は席について新聞を読んでいた恭祐に視線をやる。
「一人暮らしが長かったくせに、自炊すらできないんですね?」
「スーパーや食材の店が苦手なんだよ」
「女性が苦手なだけじゃなく、苦手な場所も多いんですね」
「尾行では仕方なく使うが、公共交通機関も苦手だ。末裔は生きづらいんだぞ?」
大雅はトーストを齧りながらうなずいた。恭祐が車を使っているのはそういう理由もあるのだろう。
「槇田さんの件は、ちゃんと売上になったんですか?」
「ああ。なったなった。あの会社は良心的で、60万円」
「それは良かったです。当初の半分ですね」
「まあ、俺はその辺の探偵より早く仕事を終わらせるようにしてるからな。2週間の仕事なら大抵1週間で終わる。その代わり単価をちょっと上げてるんだよ」
恭祐はそう言いながら、目玉焼きの黄身を潰さないようにゆっくりと箸で持ち上げ、そっとトーストの上に置いていた。
「じゃあ、もともと60万円くらいになるかもしれないとは思ってたんですか?」
「ああ、そうだな。二日間の仕事でこんなにくれるとは思わなかったが、結城さん曰く『これだけ早く動いていただき大変助かりました』らしい。水沼さんが俺と桂に説得されたと報告してくれたんだと」
「そうなんですね。まあ、それなら良かったです。所長、水沼さんとちゃんと会話できてるじゃないですか」
「馬鹿野郎。鼻で息するのを止めて口呼吸で頑張って会話をしたんだ。肺活量に自信がなくなったぞ」
「……ほんとに匂いなんですね」
「なんかクラクラしてくるんだよ、女の匂いは」
「耐性が無さすぎるだけだと思いますよ」
鼻呼吸をやめて会話をする、というのは一体どういう状態なのだ。
水沼は息の荒い恭祐を不審に思わなかったのだろうか。
「まあ、ちょうど今夜は満月だしな。夜の張り込みは厳しかったから助かった」
「満月だと張り込みができなくなるんですか? 僕の能力は、満月になると弱くなるんですけど」
「……へえ」
そんな話をしているうちに朝食を終え、恭祐は二人分の皿を洗い始めた。
大雅が料理をしようかと提案したところ、皿洗いならできると恭祐が数少ない得意な家事を担当することになったのだ。
「やっぱり、他人の手料理ってのは良いなあ」
「大したものじゃないですけど……こんなので良かったら」
「おいおい。分かってないねえ、桂くんは。誰かに作ってもらったってのが大事なんだよ」
洗剤を水で流しながら、恭祐は得意げに言う。そんなに手料理に飢えていたのだろうか。
「今日は仕事が無くなったのでオフですか?」
「うーん、まあ、本来なら槇田の件をやってたところだからな。仕事は入れていないが、俺は引きこもろうと思う」
「じゃあ、僕は……」
「買い物を頼みたい。まあ、日用品とか食材とか、俺が家から出ずに済むようにしてくれればいい」
恭祐の引きこもり計画がおおごとのように聞こえるが、気のせいだろうかと首を傾げる。
大雅は恭祐から買い物リストを受け取ったが、ほとんどが食材だった。
恭祐は一日中部屋にこもっていた。
昼食をどうするのか声をかけた時も、夜までは寝ていたいから要らないと言われて全く部屋から出てきていない。
大雅は部屋の掃除をひととおり終えて、折角だからと夕食のメニューを考え始める。
自炊歴は4年ほど。外食をすると誰かに目をつけられるので、自分が食べるための料理をそれなりにやって来ていた。
「買ってきた食材で夕食を作っておいて欲しいって、メニューの指定はないんだな」
豚肉、鶏肉、牛肉、ハム、ベーコン、卵、牛乳、あとは適当に野菜を、と動物性タンパク質だけを食材リストに強調されたが、これでは一体何を食べたいのか想像がつかない。
ーーチキンピラフと、スープにサラダでどうだろう。
そんなことを考えながら、小さなキッチンに立つ。
作業が形になる料理は、家事の中でもそれなりに好きだった。
トマト味のチキンピラフを盛り付けて、コンソメスープとミモザサラダをテーブルクロスの上に並べる。
彩りもよく、美味しそうな出来になった。
大雅は満足げにうなずいて、恭祐を呼ぶことにする。時刻は19時過ぎだ。
「所長ー。夕食ができましたけど」
部屋に引きこもっていた恭祐が「おう」と中から返事をする。
寝ていたのだろうか、反応が鈍い。大雅は席について恭祐を待った。
「よう。こんな姿で悪いな」
部屋から出てきた恭祐には、頭にふさふさしたものが2つと茶色い尻尾がついている。
「……なんすか、それ」
仮装らしい。ハロウィンの予行練習でもするのだろうかと大雅は思った。
「なにって、人狼だし。満月の夜にこうなっちゃう体質?」
「……は?? マジですか」
人狼とは物語の中の妖怪ではなかったのか。
大雅は様子の変わった恭祐を見ながら、確かにこれは末裔なのかもしれないと思う。
「尾行の時は警察犬並みの嗅覚が生かせるんだが、満月の夜にこうなるのだけはどうしようもない。病弱なフリをして部屋から出ないようにしてきた。事務所に人を呼ばないのはそういう事情もあるんだ。なるべく、人が来る状況を作りたくない」
「そうだったんですか……」
顔はいつもの恭祐だったが、頭の上から生えた耳は茶色い毛が生えているし、茶色い尻尾は太くて立派だ。
「まあ、そんなわけで人と生活するのは大変なんだよ。それにしてもうまそうな飯だな」
並んでいる料理を見ながら、恭祐は口角を上げた。
その時に犬歯が口からはみ出していて、人間とはどこか表情が違う。
「僕、不忍奇譚が気になってきました」
「桂男のところが読みたいのか?」
「むしろ、末裔にどんな人たちがいるのか気になりますね」
「末裔が実際にどのくらいいるのか、あの本がフィクションを入れていないのかは分からん。俺は犬山家以外で末裔に会ったのは桂が初めてだったんだ」
「そうなんですか……」
末裔が人並みに家族を作って子孫を残していかなければ、現代に末裔は存在しない。
そんなことを考えて、大雅はがっくりと肩を落とした。
母親の親戚しか知らないが、桂男の血を引くのが顔も知らない父親だとしたら。
違う。自殺を考えた自分を思いだせ、と大雅は恭祐に会った日を頭に浮かべる。
同じように生きづらい思いをしている末裔だっているかもしれない。
「まあ、これで俺が桂をスカウトした理由が分かっただろ?」
「理由? 僕が末裔だからですか?」
恭祐は席について「いただきます」と手を合わせると早速食事を始めた。
「不忍探偵事務所は、不忍奇譚に出てくるような混血の英雄たちが、堂々と働ける場所にしたい」
「混血の英雄……。物語には英雄が出てくるんですか?」
「今度、うちの蔵で見せてやるよ。っつっても、言葉がちょっと難しくて読みづらいけどな」
頭に生えた耳を動かしながらガツガツと食事を進める恭祐を見ながら、「それでも、気になります」と大雅も食事を始める。
「桂、料理うまいな。どれもイケる!」
「失敗しない料理しか作ってませんけど」
「うまいもんはうまい。おかわりは?」
「え? その見た目で『お手』とかするんですか?」
「そっちのおかわりじゃねえし!」
怒った恭祐の顔は普段より険しく、敵を威嚇する動物のようだ。
「怒りすぎじゃないですか?」
冷静に返すと、恭祐はピンと立っていた両耳をペタンと折り、「この姿の時は食事に対する執着が増す気がする」と言ってしゅんとした。
そんな恭祐を動物っぽいな、と思いながら「おかわりならありますよ」と声をかける。
「よし。鶏肉の入った、このトマトの炊き込み飯をもう一杯」
「チキンピラフです」
白い平皿に盛り付けたピラフを早々に平らげた恭祐は、目をキラキラさせながら尻尾を振っておかわりを要求している。
大雅は恭祐の平皿を受け取って、残っているピラフを全てよそった。
「どうぞ」
「桂は家事が得意なんだな!」
「いや、所長が極端に苦手なだけだと思います。僕は人並みですよ」
「いいじゃねえか、人外なのに人並みってのは」
「そうなんですかね」
人ではないのに人並みにできるなら、得意ということなのかもしれない。
大雅の外見には妖怪らしい要素はなかったが、羨まれる外見を持ってしても沢山の苦労をしてきた。
目に見えるものだけが全てではない。
玉ねぎとベーコンの入ったコンソメスープをすすり、うまみを感じながら大雅はうなずく。
「ところで、今回の任務は僕にも報酬があって良いと思うんです」
勇気を振り絞って主張した。機嫌のいい恭祐は、ふむ、という顔を浮かべる。
「いくら欲しい?」
「携帯電話も持たせてもらったので、とりあえず5万でどうですか?」
「……なんか欲しいもんでもあるのか? 買うぞ?」
恭祐は大雅に必要なものがある思ったらしい。
「そうじゃなくて。自分で使えるお金がないと、無駄遣いができません」
「何かが欲しいわけじゃなく、無駄遣いがしたいのか?」
恭祐は、訳がわからねえな、と小さく呟くと、「分かった、5万な。すぐに払ってやるよ」と了承した。
「ありがとうございます!」
倒れたりもしたのに、こんなことを願い出るのは図々しいとは思う。
だが、どうしても自分のお金を使いたかったのだ。
ーー自立したい。
恭祐に許可を得て行動するのではなく、自分だけの判断で買い物がしたかった。
「まぁ、そうだな。これから桂の給与について考えねぇと」
「家事の分もありますからね」
「ああ。俺はそこを一番に買ってんだけどな」
「なんでですか。水沼さんの時だって所長の代わりに仲良くなりましたし、仕事も評価してください」
「昨日は大して役に立てなかったとか言って落ち込んでなかったか?」
「所長が対応していたら、もっと解決まで時間がかかったと思います」
「お前ホントいい加減にしろよ」
恭祐が牙を剥くと、大雅は「パワハラで訴えますよ」と冷静に返す。
月が満ちるとき、人ではない生き物は様子を変えるのだ。
大雅は、普段は暴発してしまう魅了能力が満月の夜だけ消える。
「最初から生意気だったが、だいぶ素が出てきたな」
ふうと息を吐いて恭祐は頬杖をつく。耳は頭の上でピンと立っていた。
「だから言ったじゃないですか。僕は性格が良くないんです」
大雅は開き直って言いながら、テーブルに並んだ皿を片付け始める。
「生き物は、異性の心を動かすために色々苦労してんだ。それを知らないお前が生意気になるのは想定内とも言える」
恭祐は笑窪を作りながら尻尾をぐるん、と振る。
「所長、やっぱ犬……」
「犬じゃねえし。人狼だし」
「犬山っぽいですね、って言おうと思ったんですよ」
「苗字いじるのもやめろ」
はぁーい、と力なく返事をして、大雅は締め切られた曇りガラスからビルの外に視線をやる。
これまでよりも満月の夜が好きになれるような気がして、大雅はあとで外に出てみようと思った。
二人がいるビルから、少し歩けばアメヤ横丁がある。
今夜は人に追われるのを気にせずに、不忍に行こう、と決めた。
東京都台東区御徒町の、とあるビルの一室。
不忍池に似た名をもつ探偵事務所には、不忍の人外探偵が働いていた。
今日も探偵は人の世を調べ回っている。
人狼探偵と桂男の助手が行く先々には、人が生む歪みが隠されているのだとか……。
〈おしまい〉
最後までありがとうございました。短編なので出しきれていない設定もあり、またお話が浮かんだらこのシリーズを書いてみたいなと思っていたりです。
その時はどうぞよろしくお願いします。
事務所にある4つのデスクのうち2つにテーブルクロスをかけ、ダイニングテーブルとして使えるように簡易的なリメイクをした。
通常のダイニングテーブルに比べ、お互いの席が遠い。
「おおー。久しぶりに手料理が食べられる!」
「目玉焼きひとつで大袈裟ですね」
「俺はトーストすら焼かなかったからなあ」
本当に生活力が皆無だな、と大雅は席について新聞を読んでいた恭祐に視線をやる。
「一人暮らしが長かったくせに、自炊すらできないんですね?」
「スーパーや食材の店が苦手なんだよ」
「女性が苦手なだけじゃなく、苦手な場所も多いんですね」
「尾行では仕方なく使うが、公共交通機関も苦手だ。末裔は生きづらいんだぞ?」
大雅はトーストを齧りながらうなずいた。恭祐が車を使っているのはそういう理由もあるのだろう。
「槇田さんの件は、ちゃんと売上になったんですか?」
「ああ。なったなった。あの会社は良心的で、60万円」
「それは良かったです。当初の半分ですね」
「まあ、俺はその辺の探偵より早く仕事を終わらせるようにしてるからな。2週間の仕事なら大抵1週間で終わる。その代わり単価をちょっと上げてるんだよ」
恭祐はそう言いながら、目玉焼きの黄身を潰さないようにゆっくりと箸で持ち上げ、そっとトーストの上に置いていた。
「じゃあ、もともと60万円くらいになるかもしれないとは思ってたんですか?」
「ああ、そうだな。二日間の仕事でこんなにくれるとは思わなかったが、結城さん曰く『これだけ早く動いていただき大変助かりました』らしい。水沼さんが俺と桂に説得されたと報告してくれたんだと」
「そうなんですね。まあ、それなら良かったです。所長、水沼さんとちゃんと会話できてるじゃないですか」
「馬鹿野郎。鼻で息するのを止めて口呼吸で頑張って会話をしたんだ。肺活量に自信がなくなったぞ」
「……ほんとに匂いなんですね」
「なんかクラクラしてくるんだよ、女の匂いは」
「耐性が無さすぎるだけだと思いますよ」
鼻呼吸をやめて会話をする、というのは一体どういう状態なのだ。
水沼は息の荒い恭祐を不審に思わなかったのだろうか。
「まあ、ちょうど今夜は満月だしな。夜の張り込みは厳しかったから助かった」
「満月だと張り込みができなくなるんですか? 僕の能力は、満月になると弱くなるんですけど」
「……へえ」
そんな話をしているうちに朝食を終え、恭祐は二人分の皿を洗い始めた。
大雅が料理をしようかと提案したところ、皿洗いならできると恭祐が数少ない得意な家事を担当することになったのだ。
「やっぱり、他人の手料理ってのは良いなあ」
「大したものじゃないですけど……こんなので良かったら」
「おいおい。分かってないねえ、桂くんは。誰かに作ってもらったってのが大事なんだよ」
洗剤を水で流しながら、恭祐は得意げに言う。そんなに手料理に飢えていたのだろうか。
「今日は仕事が無くなったのでオフですか?」
「うーん、まあ、本来なら槇田の件をやってたところだからな。仕事は入れていないが、俺は引きこもろうと思う」
「じゃあ、僕は……」
「買い物を頼みたい。まあ、日用品とか食材とか、俺が家から出ずに済むようにしてくれればいい」
恭祐の引きこもり計画がおおごとのように聞こえるが、気のせいだろうかと首を傾げる。
大雅は恭祐から買い物リストを受け取ったが、ほとんどが食材だった。
恭祐は一日中部屋にこもっていた。
昼食をどうするのか声をかけた時も、夜までは寝ていたいから要らないと言われて全く部屋から出てきていない。
大雅は部屋の掃除をひととおり終えて、折角だからと夕食のメニューを考え始める。
自炊歴は4年ほど。外食をすると誰かに目をつけられるので、自分が食べるための料理をそれなりにやって来ていた。
「買ってきた食材で夕食を作っておいて欲しいって、メニューの指定はないんだな」
豚肉、鶏肉、牛肉、ハム、ベーコン、卵、牛乳、あとは適当に野菜を、と動物性タンパク質だけを食材リストに強調されたが、これでは一体何を食べたいのか想像がつかない。
ーーチキンピラフと、スープにサラダでどうだろう。
そんなことを考えながら、小さなキッチンに立つ。
作業が形になる料理は、家事の中でもそれなりに好きだった。
トマト味のチキンピラフを盛り付けて、コンソメスープとミモザサラダをテーブルクロスの上に並べる。
彩りもよく、美味しそうな出来になった。
大雅は満足げにうなずいて、恭祐を呼ぶことにする。時刻は19時過ぎだ。
「所長ー。夕食ができましたけど」
部屋に引きこもっていた恭祐が「おう」と中から返事をする。
寝ていたのだろうか、反応が鈍い。大雅は席について恭祐を待った。
「よう。こんな姿で悪いな」
部屋から出てきた恭祐には、頭にふさふさしたものが2つと茶色い尻尾がついている。
「……なんすか、それ」
仮装らしい。ハロウィンの予行練習でもするのだろうかと大雅は思った。
「なにって、人狼だし。満月の夜にこうなっちゃう体質?」
「……は?? マジですか」
人狼とは物語の中の妖怪ではなかったのか。
大雅は様子の変わった恭祐を見ながら、確かにこれは末裔なのかもしれないと思う。
「尾行の時は警察犬並みの嗅覚が生かせるんだが、満月の夜にこうなるのだけはどうしようもない。病弱なフリをして部屋から出ないようにしてきた。事務所に人を呼ばないのはそういう事情もあるんだ。なるべく、人が来る状況を作りたくない」
「そうだったんですか……」
顔はいつもの恭祐だったが、頭の上から生えた耳は茶色い毛が生えているし、茶色い尻尾は太くて立派だ。
「まあ、そんなわけで人と生活するのは大変なんだよ。それにしてもうまそうな飯だな」
並んでいる料理を見ながら、恭祐は口角を上げた。
その時に犬歯が口からはみ出していて、人間とはどこか表情が違う。
「僕、不忍奇譚が気になってきました」
「桂男のところが読みたいのか?」
「むしろ、末裔にどんな人たちがいるのか気になりますね」
「末裔が実際にどのくらいいるのか、あの本がフィクションを入れていないのかは分からん。俺は犬山家以外で末裔に会ったのは桂が初めてだったんだ」
「そうなんですか……」
末裔が人並みに家族を作って子孫を残していかなければ、現代に末裔は存在しない。
そんなことを考えて、大雅はがっくりと肩を落とした。
母親の親戚しか知らないが、桂男の血を引くのが顔も知らない父親だとしたら。
違う。自殺を考えた自分を思いだせ、と大雅は恭祐に会った日を頭に浮かべる。
同じように生きづらい思いをしている末裔だっているかもしれない。
「まあ、これで俺が桂をスカウトした理由が分かっただろ?」
「理由? 僕が末裔だからですか?」
恭祐は席について「いただきます」と手を合わせると早速食事を始めた。
「不忍探偵事務所は、不忍奇譚に出てくるような混血の英雄たちが、堂々と働ける場所にしたい」
「混血の英雄……。物語には英雄が出てくるんですか?」
「今度、うちの蔵で見せてやるよ。っつっても、言葉がちょっと難しくて読みづらいけどな」
頭に生えた耳を動かしながらガツガツと食事を進める恭祐を見ながら、「それでも、気になります」と大雅も食事を始める。
「桂、料理うまいな。どれもイケる!」
「失敗しない料理しか作ってませんけど」
「うまいもんはうまい。おかわりは?」
「え? その見た目で『お手』とかするんですか?」
「そっちのおかわりじゃねえし!」
怒った恭祐の顔は普段より険しく、敵を威嚇する動物のようだ。
「怒りすぎじゃないですか?」
冷静に返すと、恭祐はピンと立っていた両耳をペタンと折り、「この姿の時は食事に対する執着が増す気がする」と言ってしゅんとした。
そんな恭祐を動物っぽいな、と思いながら「おかわりならありますよ」と声をかける。
「よし。鶏肉の入った、このトマトの炊き込み飯をもう一杯」
「チキンピラフです」
白い平皿に盛り付けたピラフを早々に平らげた恭祐は、目をキラキラさせながら尻尾を振っておかわりを要求している。
大雅は恭祐の平皿を受け取って、残っているピラフを全てよそった。
「どうぞ」
「桂は家事が得意なんだな!」
「いや、所長が極端に苦手なだけだと思います。僕は人並みですよ」
「いいじゃねえか、人外なのに人並みってのは」
「そうなんですかね」
人ではないのに人並みにできるなら、得意ということなのかもしれない。
大雅の外見には妖怪らしい要素はなかったが、羨まれる外見を持ってしても沢山の苦労をしてきた。
目に見えるものだけが全てではない。
玉ねぎとベーコンの入ったコンソメスープをすすり、うまみを感じながら大雅はうなずく。
「ところで、今回の任務は僕にも報酬があって良いと思うんです」
勇気を振り絞って主張した。機嫌のいい恭祐は、ふむ、という顔を浮かべる。
「いくら欲しい?」
「携帯電話も持たせてもらったので、とりあえず5万でどうですか?」
「……なんか欲しいもんでもあるのか? 買うぞ?」
恭祐は大雅に必要なものがある思ったらしい。
「そうじゃなくて。自分で使えるお金がないと、無駄遣いができません」
「何かが欲しいわけじゃなく、無駄遣いがしたいのか?」
恭祐は、訳がわからねえな、と小さく呟くと、「分かった、5万な。すぐに払ってやるよ」と了承した。
「ありがとうございます!」
倒れたりもしたのに、こんなことを願い出るのは図々しいとは思う。
だが、どうしても自分のお金を使いたかったのだ。
ーー自立したい。
恭祐に許可を得て行動するのではなく、自分だけの判断で買い物がしたかった。
「まぁ、そうだな。これから桂の給与について考えねぇと」
「家事の分もありますからね」
「ああ。俺はそこを一番に買ってんだけどな」
「なんでですか。水沼さんの時だって所長の代わりに仲良くなりましたし、仕事も評価してください」
「昨日は大して役に立てなかったとか言って落ち込んでなかったか?」
「所長が対応していたら、もっと解決まで時間がかかったと思います」
「お前ホントいい加減にしろよ」
恭祐が牙を剥くと、大雅は「パワハラで訴えますよ」と冷静に返す。
月が満ちるとき、人ではない生き物は様子を変えるのだ。
大雅は、普段は暴発してしまう魅了能力が満月の夜だけ消える。
「最初から生意気だったが、だいぶ素が出てきたな」
ふうと息を吐いて恭祐は頬杖をつく。耳は頭の上でピンと立っていた。
「だから言ったじゃないですか。僕は性格が良くないんです」
大雅は開き直って言いながら、テーブルに並んだ皿を片付け始める。
「生き物は、異性の心を動かすために色々苦労してんだ。それを知らないお前が生意気になるのは想定内とも言える」
恭祐は笑窪を作りながら尻尾をぐるん、と振る。
「所長、やっぱ犬……」
「犬じゃねえし。人狼だし」
「犬山っぽいですね、って言おうと思ったんですよ」
「苗字いじるのもやめろ」
はぁーい、と力なく返事をして、大雅は締め切られた曇りガラスからビルの外に視線をやる。
これまでよりも満月の夜が好きになれるような気がして、大雅はあとで外に出てみようと思った。
二人がいるビルから、少し歩けばアメヤ横丁がある。
今夜は人に追われるのを気にせずに、不忍に行こう、と決めた。
東京都台東区御徒町の、とあるビルの一室。
不忍池に似た名をもつ探偵事務所には、不忍の人外探偵が働いていた。
今日も探偵は人の世を調べ回っている。
人狼探偵と桂男の助手が行く先々には、人が生む歪みが隠されているのだとか……。
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