御徒町不忍探偵奇譚 ーオカチマチシノバズノタンテイキタンー

碧井夢夏

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女性を魅了するだけの簡単なお仕事 1

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 水沼を目撃すると、恭祐は一旦事務所に戻ることを決めた。
 槇田の自宅マンションで張り込みをする予定だったのを切り上げ、水沼に対する調査に切り替えるためだ。

 大雅は作業着からスーツに着替え、恭祐の車の助手席に座っている。

「あの、どういうことなんですか……? 水沼さんが、どうして……」
「恐らく、水沼という女が槇田浩介と内通している。社内の情報や有利になることを伝えているとか、そんなとこだろう」
「でも、僕らは調査結果を経営企画室に報告するんですよね……? 水沼さんはどうなるんですか?」
「そりゃ、会社の判断によるだろ」

 夜の高速道路をシルバーグレーのBMVが走り抜けていく。
 トラックを縫うように抜きながら、先を急いだ。
 高速道路とはいえ辺りは暗く、恭祐は裸眼だ。
 先ほどは髪型を無造作にしていたのが、かっちりと固めたスタイルになっていた。

「槇田が故意的に水沼に近づいたのか、もともと旧知の中だったのか、真相は分からない。水沼は探偵を雇ったことを槇田に伝えるだろうから、この先は尾行もやりにくくなるはずだ」

 車を追い抜きながら、恭祐の目が金色に光る。

「水沼が槇田の元にいるうちにできるだけ先手を打っておきたい」
「はあ……」

 いつまでも終わらない今日の出来事に、大雅は生きてきた中で一番長い一日を過ごしている気がしていた。

「いよいよお前の出番だぞ、カツラ。社内の女性ネットワーク、そして水沼を魅了して真実を聞き出せ」
「……え。僕なんですか??」
「お前にしかできないことだ。楽勝だろう?」
「いや、さっき能力は使うなって……」
「俺が許可するまでは使うな、と言った。つまり、業務では思い切り使ってもらう」

 きっぱりと言い切りながら、恭祐は車一台分の車間距離を割り込んで後ろのトラックから長いクラクションを鳴らされた。「プア―」という音が高速道路に響く。

「うるせえ! トラック野郎!」

 クラクションの音に声を上げる恭祐を横目に、大雅は自分に課せられた任務を受け入れられない。

 ――いや、何言ってんの、この人。仕事で人を魅了しろって……。
 ――隙を見てこの人を魅了して、仕事から逃げないと……。

 男性が相手でも、短時間だけ言いなりにさせるくらいはできる。
 このまま恭祐に振り回されていたら、愉快に暇つぶしをするどころか能力を利用されるだけになりそうだ。

「あと、カツラが暴走したらすぐに捕まえに行くからな。無駄なことは考えるなよ」

 ――まさか、心の中が読める……?

 大雅は「はい」と力なく返事をしながら、手に汗を握った。
 こんなはずじゃ、と後悔ばかりが頭をよぎるが、車は神奈川県から東京都に入る。

 恭祐はBlootooth接続で携帯電話と同期された車のスピーカーで、音声入力をして結城に電話をかけた。
 大企業は夜の電話対応などしないのかと思えば、3コール目で電話は繋がる。

『はい、結城です』
「どうも、不忍しのばずの探偵事務所、犬山です」
『お世話になります。どうかされましたか?』
「ええ、実は――結城さんにだけお伝えしておきますが、恐らく御社内で槇田浩介さんに通じている方がいらっしゃるようです。槇田さんは探偵の存在を知ってしまったようなので、暫く張り込みや尾行は控えた方が良いかなと。代わりに、社内の聞き込みに許可をいただきたいのですが」
『……ああ、そうだったんですか……。僕の一存で許可を出すことはできませんが、どういったことにご協力したら良いでしょうか?』
「うちのカツラを、会社のお嬢さん方とランチに行かせていただくのではいかがですか?」

 ――いや、なんで僕が?!
 
 大雅は反抗的な目線を恭祐に送るが、ニヤリと笑われてカチンとくる。

『ああ、爽やかな助手の方ですか。彼は女性の好感度が高そうですね』
「聞き込みと言うと警戒されてしまうので、社内の声をざっくばらんに聞かせて欲しい、という体でカツラを潜り込ませます。警戒心を持たせない自信ならありますので」

 ハンドルを握りながらにこやかに営業トークを繰り広げる恭祐に、大雅は「自信なんてありません」と口パクで抗議するが全く相手にされない。

『休憩時間は社員の自由時間になりますので、会社からは強制できませんが……』
「ということは、水沼さんをランチに誘うくらいなら問題ないですか?」
『水沼が了承すれば特に問題はないかと思いますよ』

 結城はそう言った後、小さく「まぁ、彼女はあまり誰かと行動を共にすることに積極的ではありませんが」と付け加えた。
 恭祐は「作戦を考えます」と言って電話を切ると「さて、うちのカツラの出番だな」とハンドルを握りながら鼻歌交じりになる。

「あの……、僕の能力って女性に好意を持たせてこちらの要望を聞いてもらったりするくらいで、そんなに大したことは出来ませんけど」

 水沼をランチに誘うくらいは能力を使わずともなんとかなりそうだが、踏み込み過ぎればストーカーを産む。
 大雅は相手を狂わせた後に正気に戻す手段を持っていないため、身元が知られた相手を魅了するのは危険性が高い。

「水沼さんから話を聞き出すのが狙いですか? 槇田社長との関係を認めさせるとか?」
「いや、そんなに急がなくていい。プライベートや交際関係などをそれとなく聞いてくれたら作戦を立てるつもりだ」
「それなら、所長がやればいいじゃないですか……誘うくらいならやりますが、話の時は隣にいるくらいで良いですよね?」

 大雅がうんざりしながら言うと、「カツラには分からないだろうが、これはお前にしかできない」と深刻な声が車内に響く。

「所長だってそれなりに恵まれた容姿なんですから、大人の余裕で乗り切ってくださいよ」
「水沼は打ち合わせの時に俺の顔なんて全く見ずに、お前をずっと見てたじゃねえか」
「いや、それは単に目の前に僕が座っていたからで」
「槇田社長も割と目がクリっとしたタイプだよな??」
「いや、同じ系統ではないと思いますが??」
「一生のお願いだ、カツラくん。水沼さんと仲良くなって連絡先を交換してくれ」

 恭祐が一生の願いを使ってきたが、大雅はなぜここでそんなに大袈裟になるのかと怪訝な表情を浮かべる。

「それだけでいいんですか? じゃあ、僕用の携帯電話を買ってください」
「よし。明日の朝、ちゃんと契約して持たせてやる」

 不本意だったが、水沼と連絡先を交換する条件で携帯電話が手に入るのなら安いものだ。

「なんでこんなことが一生のお願いなんです?? 所長、女性が相手でも普通に話をしてるじゃないですか」

 青山探偵事務所に行った時、恭祐は女性所長と和やかに話をしていた。
 浮気調査を請けていない理由といい、どこか不可解だ。

「話はできる。だが、女性と食事をするなんて、考えただけで倒れそうだ」
「大袈裟です。もしかして、女性が苦手なんですか?」

 恭祐は夜の高速道路を運転しながら、切長の目を細めてため息をついた。

「嗅覚が鋭いという話はしたよな?」
「さあ? 具体的には聞いてませんね」
「俺の家系は視力が弱く、嗅覚と聴覚であらゆることが分かる。だから女全般の匂いと声は刺激が強く、ちょっとしたことでキャパシティが足りなくなる。仕事の内容を話すくらいなら冷静でいられるんだが……」
「末裔とおっしゃっていましたが、それは遺伝ということですよね? ご家族皆さん、異性に弱いんですか?」
「……」

 ああ、特殊なのは恭祐だけなのだろうなと思った時、「時代が変わったんだよ」と寂しげな声が返ってくる。

「それまでは結婚相手が子どもの頃から決まっているような家だった。許嫁の存在に助けられていたんだろう」
「普通に生きていたらどこに行っても異性がいるじゃないですか。慣れなかったんですか?」
「慣れる気がしなかったから男子校に進学した」
「そこまで行くと女性恐怖症を疑いますね」
「男からは大人気だったからな!」
「……たけよさんを見たので疑う余地もありません」

 世の中には男か女しかいない上に、半数は女性だ。
 これでよく事務所を経営できたものだと大雅は思う。

 女性の連絡先を聞くだけでこれだけ騒ぐのであれば、この手のネタでゆするのは容易(たやす)いかもしれないな、と大雅はほくそ笑んだ。

「分かりました。水沼さんと仲良くなれば良いのであれば、なるべく魅了しないように気をつけてやってみます。ただ、水沼って人、耐性がなさそうでストーカー化しやすそうな予感がするんですが……」
「その先にいる槇田が本命の調査対象なのだから、ドロ沼な展開は避けてもらいたい」

 大雅は男性をも魅了できる声を発して恭祐に話しかけていた。
 うまく誘導して水沼がストーカー化しても仕方ないと言わせて責任をなすりつけるつもりだったのだが、どうやら通じていない。

「……分かりました、なるべく夢中にさせないように気をつけます。ターゲットに恨まれたくないんで」

 そう言いつつ、自信はないけど、と大雅は窓の外を見たが、暗くて自分の顔が反射している。
 遠慮をしなくて良いのなら、水沼を誘惑して事情を聞き出すくらいは難なくできるだろう。
 その後で水沼がどうなっても良いならば、という注釈付きになるが、大雅は自分の能力がいかに強力なのかを嫌というほど思い知ってきていた。

「あと、俺に猫撫で声を使われても何も感じないぞ。お前からは男の匂いしかしないからな」
「……そういう仕組みなんですね」
「男と女の一番の違いと言ったらそこだろうが」
「……いや、僕は外見だと思ってました」

 嗅覚が鋭いと男女の違いも匂いになるらしい。
 匂いを変える方法がない以上、恭祐を惑わせるのは無理なのだろうか。

「ってことは、所長は僕のそばにいても平気なんですね」
「だから、最初に俺はその辺の人間とは違うと言っただろ」

 面倒くさそうに言った恭祐の方を見ながら、大雅は「なるほど」とうなずく。

 窓の外で移り変わる東京の夜景は、明るくて華やかだった。
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