御徒町不忍探偵奇譚 ーオカチマチシノバズノタンテイキタンー

碧井夢夏

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初めての張り込み

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 横浜方面まで高速道路を使い、一般道に降りて住宅街に入って行く。
 そうして、民家と民家の間にある大きな駐車場に到着した。
 30台くらいは停められそうな敷地内に、業務用らしい様々な車種の車が停まっている。

 恭祐は車内のタッチパネルを操作して電話をかける。
 モニター画面には『青山探偵事務所』と名前が表示されていた。

「はい、青山探偵事務所です」

 車のスピーカーから女性の声が聞こえる。

不忍しのばずの探偵事務所、犬山です。駐車場に付きました」
「犬山さん、お車の件ですよね? 車両はお決まりですか?」
「はい。今ここにある中では白のハイエースが良いですね。一緒に作業着と工具セットもお借りしたいです」
「かしこまりました。それでは事務所で鍵と服、工具セットをお渡しします」
「服は2人分で3泊ほどお借りしたいのでよろしくお願いします」

 そこで恭祐は電話を切り、車から降りる。
 どうやら「青山探偵事務所」というところで服を借りて変装をするらしい。

 駐車場から5分ほど歩くと繁華街に着く。
 その賑やかな通りから裏道に入り、古いビルの2階に「青山探偵事務所」があった。

「他の探偵事務所に服や車を借りるんですか?」
「個人の事務所が車両をいくつも抱えたり服を管理するのは現実的じゃないだろ? 俺は一匹狼だが、他の群れとも協力し合うのがポリシーなんだ。そのお陰で仕事も回してもらえるしな」

 恭祐はサングラスのまま事務所のビルに入ると、階段を上る最中にサングラスを外し、事務所のドアを開ける前に黒縁の眼鏡に替えた。

「どうも、不忍しのばずの探偵事務所、犬山です」

 スモークガラスが貼られた扉を開けながら、声を上げる。
 青山探偵事務所は入口を入ると更に奥にもうひとつドアが設けられており、手前に内線電話が置かれていた。

 ドアが開いて、30歳くらいのスカートスーツを着た女性が現れる。

「犬山さん、この辺りで張り込みですか?」
「ええ、そんなところです」

 恭祐に向かって満面の笑みを浮かべたセミロングヘアの女性は、隣に立つ大雅を見て「とうとう人を雇ったんですか?」と驚く。

「助手のカツラです。自分の弟なんで、これから容赦なく鍛えていきますよ」
「わああ、犬山家のイケメン兄弟! どんな弟さんですか?」
「生意気です」
「家族は遠慮がなくなりますもんね」

 女性はくすくすと笑いながら二人を中に通すと会議室らしき部屋がずらりと並んでいるだけの場所が現れ、そのうちのひと部屋に恭祐と大雅を案内した。

「こちらでお待ちください」

 女性がそう言って退出すると、個室に残された大雅は席に座りながら「なんなんですか、さっきの」と口を尖らせる。
 恭祐が大雅を弟だと紹介したが、そんな設定は相談されていない。

「これまで誰も雇わなかった俺が助手を雇って家に置いたりしたら、カツラの素性に興味を持たれる。探偵業をやっている人間を相手にするなら親族だと言っておけば良い。苗字だって『犬山』で名刺も作れるし、怪しまれないだろ」
「だけど、そんなの人を騙すみたいです……」
「真実が話せないなら、辻褄を合わせやすい自然な嘘が必要なんだよ」

 大雅は、初めて会った恭祐を思い出した。
 自分の見た目ですら平気で他人に替えてしまえる相手に、人を騙すなと諭す方がおかしいのかもしれない。
 そんなことを考えていると、先ほど出迎えてくれた女性が戻ってきた。

「犬山さん、準備ができました。車のキーがこちらです。服と道具も準備ができていますが、こちらで着替えていきますか?」
「ありがとうございます! なにせカツラは目立って仕方ないんで」
「そうねえ、弟さん、とても目立つ目鼻立ちをしていますねえ」

 黒いスーツ姿の女性は、ニコニコしながらブルーグレーの作業着がかけられたハンガーラックをガラガラと押して二人を男性用更衣室に案内した。

「スーツを仕舞うテーラーバッグも2セット持ってきたので使ってください」

 女性はハンガーラックにかかっている黒いテーラーバックを恭祐に指し示す。これで脱いだスーツを運ぶのにも困らない。

「何から何までありがとうございます、青山さん」
「いいえー? 犬山さんがうちに来てくれるのは光栄です」

 女性はハンガーラックを男性更衣室の中まで持ち込むと、「ごゆっくり。私はここで失礼します」と言って恭祐にウインクを送って出て行った。

「あの、所長」
「なんだ? サイズが合わないか?」
「さっきの女性、所長に気がありますよね?」
「なに言ってんだ。青山所長は既婚者だよ」
「……え、青山所長って……ここの所長があの人なんですか?」
「若く見えるけど40代後半だし、向こうは若手を見守ってくれているだけだろ」

 大雅は驚いて言葉を失う。「青山所長」は恭祐の少し年上にしか見えなかった。
 そもそも、演技や撮影以外のシチュエーションでウィンクをする女性に初めて会ったような気がする。

「青山所長は不倫に悩む女性のための探偵事務所をやっていて、メインは尾行調査になる。変装に必要なあらゆるものが揃っているから、この辺で尾行や張り込みが発生したら頼るんだ。後でしっかり請求書が届く」
「なるほど……探偵の調査費が高くて驚きましたが、専門の準備が要るんですね」

 納得しながら作業着をまじまじと眺め、大きなポケットが多いなと感心していると、視線の先に筋張った腕が見えてぎょっとした。
 大雅はモデルをしていたため細身だが、恭祐は見た目よりもがっちりとしている。スーツは着やせしやすいのかもしれない。

「所長、筋トレとかしてるんですか?」
「してない。もともと肉がつきやすいだけだ。カツラはひょろひょろだな」
「モデルの中では細くない方なんですけど、全然違いますね」
「作業着を着ている連中からしたら俺もひょろひょろな部類だろうけどな。電気工事はまた違うのかな」
「これ、電気工事用の作業着なんですか?」
「ああ、制電加工されてるやつだし。電気関係ならマンションにもビルにも自然に溶け込めるだろ?」

 制電加工、と言われ、大雅は作業着が機能を持って着られていたことを認識する。
 自分の知らないことがいかに多いのかをずっと思い知らされ続けていた。

「探偵って、あらゆることに詳しかったりしますか?」
「そうだなあ……尾行や張り込みに必要なことを網羅しようと思ったら、専門外ってもんが基本的に無いかもしれないな」

 恭祐はブルーグレーの作業着に着替えると、眼鏡を外して作業着とセットになっていた同色の帽子を被る。
 大雅の目から見てもその辺にいそうな作業員だ。

「所長、違和感ゼロですね……」
カツラはちょっと背が高すぎるなあ……なるべく人前では中腰で作業してもらうか……」
「なんでそんな姿勢を強要されなきゃいけないんですか。嫌です」

 恭祐は「そうか」と言いながら更衣室のロッカーを開き、黒い工具箱を取り出す。

「安全靴も借りていこう。変装は没個性だ。確か別のロッカーに入ってるはず」
「僕のサイズありますかね?」
「29センチだったよな……そんなに大きいのは無いかもなあ……」
「履いていたスニーカーは車に積んでます」
「あのスニーカーなら量産品だしいいかもな。ってことは、駐車場まで革靴に作業着か」
「目立ってすいません」
「……まあ、なんとかなる」

 恭祐は苦々しい顔を浮かべた後、安全靴に履き替えてシューズバッグに革靴を入れる。
 大雅は、先にスニーカーが要ると分かっていれば車から持って来たのにと自分の足元を見ながら憂鬱になった。

「じゃあ、行くぞ。槇田社長の住むマンションで電気工事士として張り込みだ」
「ええ? 僕、電気工事なんて分かりませんけど」
「俺が二種持ってるから大丈夫だ。見習いとしてサポートしろ」

 恭祐は得意げに親指を立てながら歩くが、青山探偵事務所の廊下に設置された薄いガラス扉に顔から激突する。
 頬が潰れ、唇が尖って特徴的な顔つきになった。

「所長……」
「眼鏡を外したせいで、ガラスが見えなかった」
「鳩みたいですね」

 どうやら、恭祐の視力は相当悪いらしい。

 ***

 ターゲットの住むマンションのそばに、白いワゴン車を停めた。

「これからマンションの周りを歩きながら周辺環境を調べる。人とすれ違う時は時々上を見て電線を指差したり図面を見ながら相談したりすれば怪しむ奴はまずいない」
「図面……」
「適当な電気配線図と周辺地図を積んでいるからそれを持って外に出る。張り込みと尾行の計画を立てるために大事な下準備だ」

 恭祐はコンタクトレンズを付けていた。作業着姿に違和感がない。
 それに比べて大雅は丈が足りないのにぶかぶかで、どこか「着せられている」雰囲気が漂う。
 モデルとしてあらゆる洋服を着こなして来たというのに複雑だ。

「じゃあ、行くぞ。ターゲットは槇田浩介(まきたこうすけ)、39歳の会社経営者だ」
「録画や撮影はしないんですか? カメラはどうするんですか?」
「最初から車に付いてる。さっき録画を開始させておいた」
「……はい」

 なるほど、と大雅は納得した。カメラが搭載された車とは、さすが探偵用だ。
 まさかこの作業着にも? とポケットを開けて中を確認したが、これはただの作業着らしい。

 恭祐が運転席のドアを開けたので大雅も外に出る。
 図面と周辺地図を手に、道を歩きながら周囲やマンションを観察した。

「やっぱり、最近の分譲マンションは侵入しにくい作りになってるな」
「侵入したら捕まるんじゃないですか……?」
「そりゃそうだ。住居侵入罪は刑事罰でも重いぞ。未遂でも未遂罪で捕まる。言っておくが、ビルの屋上に上る行為だって建造物侵入罪で即逮捕だ」

 恭祐の話に大雅が背筋を凍らせると、道の向こうからカップルが歩いてくる。
 住宅街の細い道ではすれ違うだけでも距離が近いため、大雅は被っている帽子の鍔(つば)を握って顔を伏せた。

「堂々としていろ。住宅街でベタベタしているようなカップルは、その辺にいる作業員なんて視界に入ってない」
「でも……はい」
「張り込みに基づいて尾行が始まる。いいか? ここで失敗したら全てが水の泡だ」
「じゃあ、どうすれば……」
「エキストラを意識して演技しろ。アイドル時代に習わなかったのか?」
「……少しは」

 大雅は芸能界という場所で生き残るために、芝居もダンスも人並みには習っていた。
 ただ、エキストラの演技など考えたこともない。

「お前は今、あのマンションの電気工事を担当する見習いだ。俺が技術者で何から何まで教えなくちゃならない状況だと思って演技しろ。簡単だろ?」
「全部アドリブですよね?」
「台本じゃ想定外に対応できないだろうが」
「シミュレーションはできるじゃないですか」

 住宅街の私道を歩きながら二人が小さな声で言い合っていると、恭祐の腕時計が「ピコン」と通知音を鳴らす。

「ターゲットがマンションを出た。面取めんとりに行くぞ」
面取めんとりって何ですか??」
「ターゲット本人の実物を確認して特徴を把握することだ。写真と実物は何かしら違う」

 大雅はなぜターゲットがマンションを出た際に通知が来たのか尋ねたかったが、走り出した恭祐が速くてそれどころではない。
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