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第二章 夢なんかみなくても

真鍋利津 3

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「じゃあ逆に聞くけど、利津はどうなりたいんだよ?」
「どうって……」
「俺にメイクを聞きに来るぐらいには、変わりたいってことだろ?」

 ダックカールで止めていた場所を手櫛でほぐしながら、俺は利津に尋ねる。利津の髪のコンディションは良かった。ケアをしっかりしているみたいだ。

「変わりたいけど、自分以外の誰かになりたいとかではない」
「ほお」
「自分がもっと良く見せられるなら、見せたい」
「じゃあこの程度のメイクで良いんだろ」

 利津の横顔を覗き込み、正面からじっと顔を見る。メイクを施す前よりもずっと美人度は上がった。

「……祥太はどう思う?」
「どうって……」
「その、かわいいとか、かわいくないとかさ……」

 ああ、そういうことか。俺が褒めなかったから自信がないのか。

「そんなの、メイクした方がかわいいだろ」
「はいはい、祥太ってそういう男だよね」
「俺が本気でかわいいとか言ったら、困るくせに」

 そこで利津は怪訝な顔をする。普通に褒められる位じゃ困らないんですけどって言いただけだ。

 いや、お前は絶対に困る。ただでさえ、利津を支えたいとか言って距離感が前より近くなっているんだ。警戒するに違いない。

「祥太はさあ、女の子に気軽に『かわいい』を言うやつだったじゃん」
「……そうだったっけ?」
「小学校の頃には女子たちが騒いでたよ。あたしだって祥太にかわいいって言われたもんとか張り合ってた」

 女子怖え……。記憶にないけど、髪型とか服装とか、良いなと思ったら普通に褒めていた気がする。そういうので張り合ったりするんだな。

「でも、私には言わなかったよね」
「そうだったっけ?」
「私、それでマウント取られたりしたんだよ。商店街で幼馴染っていうポジションに嫉妬してくる子が、私と祥太を男同士の友達と変わらないって」
「利津が男友達みたいに振舞って来たんじゃなかったっけ……?」

 俺は利津を男として扱ったことはない。でも、利津の距離感は何となく女子特有のものと違っていた。だから楽だったというのもあるけど、それに今さらクレーム入れられてもなあ。

「私さ、あの頃は友達よりも家族が欲しくって……。祥太に家族を求めてたんだと思う」
「まあ、そうだよな」

 小学校時代は兄弟がいる家庭が多くて、俺と利津は一人っ子同士だった。
 そればかりか利津には母親もいなかったから、他の家庭に比べて極端に家族が少ない。

 小学校時代、我が家には元美容師のよく喋るばーちゃんもいたし、美容室に来るお客さんもみんな優しかったし、一人っ子とはいえそれなりに家は賑やかだった。

 利津は自分の顔を鏡でじっと見ている。過去を思い出しているのかもしれない。

「私が祥太を家族として失わずにいるためには、どうしたらいいんだろ」
「失わないだろ、生きてる限り」

 俺と利津は、この商店街がある限りずっと一緒にいることができる。

「でも、お父さんがお店をやめるって決めたら、あの店を売ってここから引っ越すと思うよ」
「お店、やめるのか……?」
「私はね、それが最善だと思ってる」

 いやなんで、と言いたかったけど理由なら分かる。
 おじさんは……富雄さんは利津が心配で店を続けてた。利津さえ自立すれば、人に迷惑をかけてまで店を守る理由はない。

「もしかして……また就活すんの?」
「それが一番かなと思ってる」
「なんかやりたいことがあるのか?」

 本当だったら、そうやって前を向いた利津を応援しなきゃいけない。
 就活をするということは、外に向かって出て行こうと決めたんだ。

「『定食まなべ』を閉めるの、反対なんだけど……」
「大して食べに来ないくせに」

 そりゃ、平日は昼休みの時間になったら「まなべ」は既にランチ営業が終わっているし、お店が終わって練習を見届け、閉店作業を終えてからだと閉まっている。

 かといって火曜日の貴重な休みにこの商店街をうろつくほど、俺は閉じこもって生活するタイプでもなかった。

 利津の顔をじっと見る。真剣な顔で鏡の中の自分を見ていた。

「おじさんは、辞めたがってんのか? 店」
「私次第なんじゃないかな。だけど、ずっと茜さんに甘え続けるわけにもいかないでしょ」
「ちゃんと話せよ、そういうことは」

 こういう時、お互いに気を遣い合って勝手な行動を取るのはよくない。あの親子は、そういうところが不器用にできている。

 おばさんが早くに亡くなっているから、その分だけお互いを思いやっているのは親子愛なんだと思うけど、家族っていうのはもっと図々しくていい。

 いや、考えてみると図々しく甘えられる先は、俺の家だけなんじゃないか。

「利津。よく聞けよ」

 鏡の中の自分を見ている利津に、視線を向けさせた。

「俺は、利津を本当の家族と同じように思ってる」
「……うん」
「だから、利津が我慢するような選択はして欲しくないんだ」
「ありがと」
「無理して社会復帰しようとしなくていいんだぞ?」
「でもそれじゃ、前に進めないでしょ」

 利津の顔が一段階怖くなった気がする。声にも棘がある。

「別に、いざとなったらうちに来てくれてもいいんだけど?」
「情で傍にいてくれるの、いまは嬉しくない」

 利津はいつもより輪郭のはっきりした目をこっちに向けている。
 情、と言われてそれの何が悪いんだよ、と正直思った。

「あんたっていつもそうだった。優しいのは分かるよ。でも、私のこと、ずっと『かわいそうな利津』だと思ってるでしょ」
「……え?」
「子どものころからずっとそうだった。母親がいなくてかわいそう、父親が忙しくてかわいそう、社会に馴染めなくてかわいそう、自立できなくてかわいそう、メイクすらマトモにできなくてかわいそう……」

 頭が真っ白になる。俺は利津をかわいそうだとか、そんな感情で一緒にいたつもりはない。だけど、心のどこかでそういう気持ちがなかったかと言われれば、それは否定できなかった。

「祥太は家族みたいだし、兄妹として好きだけどさ。そういうのが無理」

 利津は自分の荷物をまとめて俺の部屋を出た。そのあとすぐに、玄関の扉が開いた音と閉まった音が響く。

 俺は、目の前に置かれたメイク道具をじっと見つめていた。
 カラーのパレットが並んだ色とりどりのシャドウは、全然使われた形跡がない。結局俺は、人生で3回しかメイクを人に施したことが無い。

 利津のことは、誰よりもよく知っている女の子だと思っていた。
 さっきまでは、一番近い存在だと疑っていなかったのに。

 思い上がりだったのだと、初めて知った。
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