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第二章 夢なんかみなくても
真鍋利津 1
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ナツさんは、朝からシャワーを浴びたり着替えをして出勤して行った。
「ほんと、祥太くんのお陰で寿命が延びてます」
そうやって感謝される度、別にこの家はばあちゃんが建てた家だしなと逆に申し訳ない気持ちになる。
「その調子で長生きしてください」
「110歳くらいまで生きられそうです」
ほんとにそのくらい生きてくれと思いながらナツさんの背中を見送って、俺も身支度を始めた。
美容師は比較的朝が遅い部類の職業だ。夜は早くないけれど。
我が家の場合は通勤時間もかからないし、9時半に下に降りていく。
若いスタッフたちの出勤時間は10時半だ。
ナツさんの着替えはちゃんと俺の部屋に置いてあって、母さんが洗濯もしてくれることになっていた。最初ナツさんはそれをえらく遠慮していたけど、そこまでさせてもらえなきゃ甘えられている意味がないと説得した。
恐らく人に甘えるのが苦手な人なんだと思う。
利津なら遠慮なく母さんに甘えて、自分家かよとツッコミをいれたくなるような行動をしてくれるはずだ。
ナツさんには、この町で生活するならお互い甘え合って生きて行かないと余計に息が詰まるのだと教えてあげた。
「さて、俺もシャワーすっかなー」
部屋で伸びをしていると、携帯電話が鳴る。利津からのメッセージだった。
『祥太が仕事休みの日、午後行っていい? 例のメイクについてなんだけど』
ああ、そういえば利津にメイクのことを教えて欲しいと言われたんだった。
日葵さんに刺激されて髪型まで変えて、メイクまで覚えようとしている。
いい傾向だ。
『いいよ、火曜日うち来れば?』
利津が我が家に来るのは珍しい事じゃない。それに、こういうメッセージを受け取っても特別浮かれたり緊張したりしないところが俺たちの関係なのだろう。
利津とは会っていてもいなくても、なんとなく便りが無い時は元気なんだろうと思っていた。
髪を切った後に向こうから予定を入れられるのは初めてかもしれない。
*
火曜日は店が休みで、母さんはいつも予定を入れている。週1回しかない休みを有意義に使っているらしい。
俺は家でゆっくり映画を観たり、ちょっと遠出をしてファッション感度が高い街に出かけたりすることが多い。
専門学校時代に使ったメイク道具の一式は、ほぼ新品同様で押し入れの奥に眠っていた。それを出して来てリビングのテーブルに置いて利津を待つ。
一応、最近のメイクの傾向だとか流行りなんかは見てみたけど、色の使い方やラインの引き方以外はそんなに本質変わらないなという感想を持った。
家の呼び鈴が鳴り、玄関に向かう。
扉を開けると、利津が立っていた。
「よお、入れよ」
「お邪魔しまーす」
誰もいない家に利津を入れるのはもう何度目になるだろうか。
数日ぶりに会う利津は、カットを終えた頃から髪型に崩れもなく落ち着いていた。
定食屋の店頭に立つだけのためにコテを使うことはないのだろうか。どうもコテでスタイリングした様子は見られなかった。
メイクもいいけど、そういうのを覚えればちょっとは変わるんだけどなあとつい小言を言いたくなる。
リビングに通すと、冷たい麦茶を注いでテーブルに置いた。
「ありがと」
薄っすら汗をかいている利津に、やっぱりたった数分の距離でもこの季節は汗をかくんだなと思う。それより髪のUVケアはちゃんとしてるんだろうか。
利津は相変わらずデニムのストレートパンツにTシャツという、スタイルが相当よくなければ勝負ができない格好をしている。
まあつまり、お前女をどこに置いてきたという様子だ。
定食屋の店頭に立っているから仕方ないのかもしれないけど、これじゃナツさんが女として意識しないのもよく分かる。
都会のオフィスで働いて、特にクリエイティブ関係の仕事をしてきたナツさんは、ファッションにも気を遣っていたはずだ。
日葵さんを見ていても思う。ナツさんも日葵さんも自分をよく分かっていて、無理している感じが一切無い。
俺はそういうことを利津に教えなければならないわけだ。恐らく。
「わあ。これが専門学校時代に使ってたメイク道具?」
「授業とイベントで使った程度だよ。まあ、専門はファッションショーやるために奇抜な色も使うけど、普通のメイクじゃこんないろんな色使わないし」
専門学校時代に使ったメイクパレットには、色とりどりのシャドウが乗っている。原色っぽい色から淡い色まで、絵具のようにどんな色もあった。
「で? どういうメイクを覚えたいんだっけ?」
確認するように尋ねると、「ええっと」と利津はもたついた。
「一応アドバイスしとくと、利津の普段の格好からしてモードっぽいメイクは止めた方が良い」
「そんなの似合うと思ってない」
簡単に認めたな……。海外の最先端メイクを自分に施そうとか一度は思うのかと思っていたが、そういうものではないのか。
「あと、俺の個人的な好みはタヌキ顔だが、利津はそっち系でもない」
「……別に祥太の好みにしてなんて言ってない」
キッチンから持って来た椅子に利津を座らせて、ダックカールと呼ばれる美容師がよく使うピンで利津の髪を上げ、顔をじっと見る。
肌の質は悪くないし、色ムラが無いのは若いからってのもあるのだろうか。
二重だけど瞼の上はちょっと重めで、鼻は特別高くない。
頬骨も張っていないから、顔に高低差がない。ハイライトは入れてノースシャドウが必須か。
いや、こいつそんなメイク自分でやれんのかな。
「ねえ、祥太にじっと見られてて思ったんだけど」
「?」
「あんたってホントに顔の造りに恵まれてんだね」
「惚れた?」
「別に」
知ってるけど。俺、自分の顔が整ってるのとか、よーく知ってんだけど。
利津は自分の顔のことをほとんど知らなそうだ。
「とりあえず、これからちょっとやってみる」
「はい」
あらかじめ買っておいたメイク落としのシートで顔をなぞる。指の腹で優しくメイクを落として行った俺に、利津は「あんたメイク落としとかもできるんだ」と余計な感想を述べた。
「あーそうだな。化粧水と乳液は自分でやれ。そこの、母さんの使ってくれていいから」
「分かった」
利津は顔に化粧水と乳液を塗った。
その後、俺がコントロールカラーを入れる。利津の肌は黄色味が強いから紫色を入れてみた。
一気に肌に艶感が出たのを見て思う。やっぱりメイクはすごい。
ファンデーションでベースを整えると、ハイライトとシャドウを軽く入れた。
アイシャドウは映えにくい顔だけど、チークは似合うなとピンクのチークが入った顔を見て頷く。
「ほんと、祥太くんのお陰で寿命が延びてます」
そうやって感謝される度、別にこの家はばあちゃんが建てた家だしなと逆に申し訳ない気持ちになる。
「その調子で長生きしてください」
「110歳くらいまで生きられそうです」
ほんとにそのくらい生きてくれと思いながらナツさんの背中を見送って、俺も身支度を始めた。
美容師は比較的朝が遅い部類の職業だ。夜は早くないけれど。
我が家の場合は通勤時間もかからないし、9時半に下に降りていく。
若いスタッフたちの出勤時間は10時半だ。
ナツさんの着替えはちゃんと俺の部屋に置いてあって、母さんが洗濯もしてくれることになっていた。最初ナツさんはそれをえらく遠慮していたけど、そこまでさせてもらえなきゃ甘えられている意味がないと説得した。
恐らく人に甘えるのが苦手な人なんだと思う。
利津なら遠慮なく母さんに甘えて、自分家かよとツッコミをいれたくなるような行動をしてくれるはずだ。
ナツさんには、この町で生活するならお互い甘え合って生きて行かないと余計に息が詰まるのだと教えてあげた。
「さて、俺もシャワーすっかなー」
部屋で伸びをしていると、携帯電話が鳴る。利津からのメッセージだった。
『祥太が仕事休みの日、午後行っていい? 例のメイクについてなんだけど』
ああ、そういえば利津にメイクのことを教えて欲しいと言われたんだった。
日葵さんに刺激されて髪型まで変えて、メイクまで覚えようとしている。
いい傾向だ。
『いいよ、火曜日うち来れば?』
利津が我が家に来るのは珍しい事じゃない。それに、こういうメッセージを受け取っても特別浮かれたり緊張したりしないところが俺たちの関係なのだろう。
利津とは会っていてもいなくても、なんとなく便りが無い時は元気なんだろうと思っていた。
髪を切った後に向こうから予定を入れられるのは初めてかもしれない。
*
火曜日は店が休みで、母さんはいつも予定を入れている。週1回しかない休みを有意義に使っているらしい。
俺は家でゆっくり映画を観たり、ちょっと遠出をしてファッション感度が高い街に出かけたりすることが多い。
専門学校時代に使ったメイク道具の一式は、ほぼ新品同様で押し入れの奥に眠っていた。それを出して来てリビングのテーブルに置いて利津を待つ。
一応、最近のメイクの傾向だとか流行りなんかは見てみたけど、色の使い方やラインの引き方以外はそんなに本質変わらないなという感想を持った。
家の呼び鈴が鳴り、玄関に向かう。
扉を開けると、利津が立っていた。
「よお、入れよ」
「お邪魔しまーす」
誰もいない家に利津を入れるのはもう何度目になるだろうか。
数日ぶりに会う利津は、カットを終えた頃から髪型に崩れもなく落ち着いていた。
定食屋の店頭に立つだけのためにコテを使うことはないのだろうか。どうもコテでスタイリングした様子は見られなかった。
メイクもいいけど、そういうのを覚えればちょっとは変わるんだけどなあとつい小言を言いたくなる。
リビングに通すと、冷たい麦茶を注いでテーブルに置いた。
「ありがと」
薄っすら汗をかいている利津に、やっぱりたった数分の距離でもこの季節は汗をかくんだなと思う。それより髪のUVケアはちゃんとしてるんだろうか。
利津は相変わらずデニムのストレートパンツにTシャツという、スタイルが相当よくなければ勝負ができない格好をしている。
まあつまり、お前女をどこに置いてきたという様子だ。
定食屋の店頭に立っているから仕方ないのかもしれないけど、これじゃナツさんが女として意識しないのもよく分かる。
都会のオフィスで働いて、特にクリエイティブ関係の仕事をしてきたナツさんは、ファッションにも気を遣っていたはずだ。
日葵さんを見ていても思う。ナツさんも日葵さんも自分をよく分かっていて、無理している感じが一切無い。
俺はそういうことを利津に教えなければならないわけだ。恐らく。
「わあ。これが専門学校時代に使ってたメイク道具?」
「授業とイベントで使った程度だよ。まあ、専門はファッションショーやるために奇抜な色も使うけど、普通のメイクじゃこんないろんな色使わないし」
専門学校時代に使ったメイクパレットには、色とりどりのシャドウが乗っている。原色っぽい色から淡い色まで、絵具のようにどんな色もあった。
「で? どういうメイクを覚えたいんだっけ?」
確認するように尋ねると、「ええっと」と利津はもたついた。
「一応アドバイスしとくと、利津の普段の格好からしてモードっぽいメイクは止めた方が良い」
「そんなの似合うと思ってない」
簡単に認めたな……。海外の最先端メイクを自分に施そうとか一度は思うのかと思っていたが、そういうものではないのか。
「あと、俺の個人的な好みはタヌキ顔だが、利津はそっち系でもない」
「……別に祥太の好みにしてなんて言ってない」
キッチンから持って来た椅子に利津を座らせて、ダックカールと呼ばれる美容師がよく使うピンで利津の髪を上げ、顔をじっと見る。
肌の質は悪くないし、色ムラが無いのは若いからってのもあるのだろうか。
二重だけど瞼の上はちょっと重めで、鼻は特別高くない。
頬骨も張っていないから、顔に高低差がない。ハイライトは入れてノースシャドウが必須か。
いや、こいつそんなメイク自分でやれんのかな。
「ねえ、祥太にじっと見られてて思ったんだけど」
「?」
「あんたってホントに顔の造りに恵まれてんだね」
「惚れた?」
「別に」
知ってるけど。俺、自分の顔が整ってるのとか、よーく知ってんだけど。
利津は自分の顔のことをほとんど知らなそうだ。
「とりあえず、これからちょっとやってみる」
「はい」
あらかじめ買っておいたメイク落としのシートで顔をなぞる。指の腹で優しくメイクを落として行った俺に、利津は「あんたメイク落としとかもできるんだ」と余計な感想を述べた。
「あーそうだな。化粧水と乳液は自分でやれ。そこの、母さんの使ってくれていいから」
「分かった」
利津は顔に化粧水と乳液を塗った。
その後、俺がコントロールカラーを入れる。利津の肌は黄色味が強いから紫色を入れてみた。
一気に肌に艶感が出たのを見て思う。やっぱりメイクはすごい。
ファンデーションでベースを整えると、ハイライトとシャドウを軽く入れた。
アイシャドウは映えにくい顔だけど、チークは似合うなとピンクのチークが入った顔を見て頷く。
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