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第二章 夢なんかみなくても

神と呼ばれた男 2

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 家のリビングに入ると、テーブルに刺身が置かれていた。
 きっと昼間に母さんが近くの魚屋で買って来たものだろう。
 昼休みは午後に1時間取ることになっているけど、母さんはその時間を利用して買い物をしていることも多い。

「りっちゃんところより美味しいかは分からないけど、そこのお魚屋さんも結構良いのよ」

 母さんがそう言って笑いながら味噌汁をよそう。
 うちの味噌汁は顆粒だしと市販の味噌を使って作る簡易的なもので、利津が作るような本格的な味噌汁ではない。

 これが家庭の味噌汁だと思っていた俺は、利津の味噌汁を初めて食べた時に「こんな旨い味噌汁がこの世にあったのか」と本気で思った。

 食卓に、母さんと俺、そしてナツさんが座る。
 ご飯、味噌汁、刺身と海苔の佃煮だけのシンプルな夕食。
 だけど、ナツさんも俺もこういうのが好きだった。

 食事が終わると俺とナツさんで洗い物と片づけをして、2人で一緒に俺の部屋に行く。部屋にはベッドとソファベッドがあるので、ナツさんは毎回ソファベッドで寝た。

「……この間、お店に日葵さんが来たらしいですね」
「利津さんから聞きました?」
「はい」

 お互い部屋着に着替えてベッドに横になりながら、携帯電話をいじっている。
 部屋の灯りを明るくしたまま、一日の疲れを隠さずに過ごすのが俺とナツさんが一緒にいる時の当たり前になっていた。

「なんか俺、日葵さんがよく分からなくなってきました」
「……日葵は、自分の感情に素直なだけなんでしょうね」
「だって、ナツさんが一番つらかった時にはナツさんを振って離れて行ったわけですよね??」

 言ってしまって、しまったと慌てた。
 ナツさんの気持ちがまだ日葵さんにあるかもしれないのに、こんな言い方をしては気分が悪いに違いない。

「誰だって、弱っている人間に巻き込まれるのは嫌なものです。弱っている人にこそ寄り添うべきなんて言われますけど、赤の他人が弱っている人間にできることなんてないんですよ」

 それはそうかもしれない。
 気休めの言葉をかければ逆効果だろうし、安易に気分転換など勧められない。
 俺にはそこまで追い詰められた友達がいないから、自分の側でナツさんのようなケースが起きたら実際は何もできないのかもしれない。

「だけど、仮にも彼女という立場であれば、他人とはいえ……」

 過去の日葵さんを責めたって仕方がないけど、ナツさんが一番大変だった時にもっと傍にいてくれていれば、とやり切れない。
 日葵さんはナツさんが店長として再出発してからまた現れて、結局あの人は「良い時のナツさん」しか見る気が無いのだろう。

 そう思うと、ナツさんは日葵さんには勿体ない。
 いくら並外れた美人で外見が整っていようが、俺はそんな女にナツさんを渡したくはなかった。

「日葵の選択は間違っていなかったと思います。あの当時付き合っていたままだったら、日葵は職場での立場が危うかった。会社での立場と、僕との関係の両立は無理だったんじゃないかな」

 ナツさんが納得しているのなら、俺が口を挟むところじゃない。
 でも、やっぱりなんだかモヤモヤとはしてしまう。
 一度振った男の前をまたうろつき出すなんて、趣味が良いとは言えない。

「そういえば。利津さんから聞いたんですけど……利津さんのお父さん倒れたんですか?」
「ああ、利津が自分から言ったんですか」
「ええ、お店もこれまでのように営業するのは難しいと言ってました」

 ナツさんからこの話を出されるとは思わなかった。
 商店街のよく知った人間から尋ねられたら、「一緒に何かできること考えませんか?」なんて言っていたかもしれないのに。

「利津から聞いてるか分かりませんけど、俺は利津を見放すことはできなくて」
「見放す……」
「おじさんが倒れて、定食屋の営業に悩んでいる最中なんです。おじさんはもうすぐ60歳だし、無理して定食屋を続ける必要もなくなっていて……。でも、今の利津はあの定食屋にしか居場所がない」

 ナツさんは無言だった。ベッドで横になったこの場所から天井を見つめたナツさんの横顔が見えるけど、表情ひとつ動いていない。

「利津に定食屋が無くなった時のことを考えると、俺は……。側にいてやんねえとなって思うんですけど」
「そっか。やっぱり、優しいですね」
「どうかな。利津も同じだと思うけど、人生で一緒にいた時間が長いと恋愛を超えるって言うか」

 この感情が恋かと聞かれたら、それは違う。
 今まで好きになってきた女の子には好みの共通点がいくつもあって、付き合っている時はそりゃあもう夢中になる。

 利津のことを抱きしめたいと思ったことはないし、利津といえば服装はいつも同じような格好だし、気が強いし、ちょっと暴力的で全くそそられない。

 利津ん家の定食屋を手伝い始めた茜さんは20歳くらい年上だけど、利津よりストライクゾーンに近いのが現実だ。

 本来、俺は甘えられるよりも甘えたいタイプで、包容力のある人が好きだ。利津みたいな受け皿の浅い女では甘えられないし癒されない。

 でも、恋愛でなくても一緒にいてやりたい。
 利津は生き方が不器用で、だけど人よりちょっと鼻が利いて、心根がいい。
 何人かいる男友達の誰よりも、自信を持って他人に紹介できる貴重な存在だった。

 なんで男女が一緒にいようと思ったら、恋愛が前提なんだろう。

「ナツさん、利津ってどう思います? あいつ、ナツさんに会ってから前向きになった気がするんです」
「利津さんは、良い子だと思います」

 良い子、ね。
 良い人ってニュアンスで語る相手は、大抵異性として惹かれているという意味を含まない。

「俺と同い年だからかなり年下ですけど、付き合えって言われたら付き合います?」
「ええ?」
「もうその反応が全然意識してないって言ってますね」
「いや、そういうわけじゃないんですけど」

 必死に否定しようとするナツさんに、墓穴を掘ってますよと忠告した。
 ナツさんは、利津の気持ちには全然気付いていないようだ。
 そんなことだろうと思っていたから、予想通りでしかない。

 日葵さんのような、男性の憧れを形にしたような人と付き合っていたくらい、ナツさんは女性からも好かれると考えて間違いないだろう。
 あの手の女性は、同性から羨ましがられるような男しか選ばない。
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