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第一章 定食屋で育って

無意識の意識

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 今、ナツさんは頭を下げて私に謝っているわけだけど。
 ナツさんが怒ったのは私に原因があるのだから、これはなんかおかしい。

「それより、なんでナツさんが怒ったかの方が気になっています。きっと聞かれたくない事なんでしょうけど、このまま知らずにいたら同じようなことを繰り返すだけのような気がして……」

 私は、以前店に来た3人の話を思い出していた。
 ナツさんは、本当に人を殺しかけたことがあるのだろうか。

「そうですよね。祥太くんにもいつか話したかったので、いい機会かもしれません」

 ナツさんはそう言って頭を上げ、私と祥太を交互に見た。

「利津さんは、僕の元同僚から何か聞いたんじゃないですか?」

 どきり、と私の心臓が音を立てたような気がする。
 ここで嘘をついても、仕方がないのだろうか。

「実は……。ナツさんが、人を殺しかけたというような話を聞きました」
「は??」

 祥太が素っ頓狂な声を上げて目を丸くしている。まあ、こんな普通じゃない話、日常会話で聞けるようなものではない。
 ナツさんは対照的に冷静で、ただ頷いただけだった。

「その話は、事実ですよ」

 ナツさんが想像していた通りの反応で、私は頭をハンマーで殴られたような衝撃が来た。こんな優しい笑顔をしている人が、殺人なんて。

「それも、ものすごく残酷な方法で」
「いやいや、ナツさんがそんな」

 祥太は想像もしていなかった告白に混乱している。私だって最初聞いたときは耳を疑った。

「僕は、会社に責任をとる形で前職を退職しました。それまでは名物社員だなんだと持ち上げられていたけれど、会社っていうのは社会からの目を一番大事にしますから」
「犯罪を犯した社員は雇ってはいられないとか、そういう……」

 ナツさんは諦めたような顔をしながら頷いた。祥太の顔が歪む。
 初めて聞いた事実に、どう向き合っていいのか分からないという顔をしていた。

「まず、僕は……利津さんにも話しましたけど、会社に不利益をもたらしました。当時若手人気俳優だった波野耕平を起用してお客さんである企業の映像を作り、その後、耕平くんのスキャンダルが発覚して」
「でもそれはナツさんのせいではないはずです」
「僕のせいですが、百歩譲って完全には僕のせいではないかもしれないとします。でも、僕は当時迷惑をかけたお客さんの信用を取り戻すために急遽映像の作り直しを急ぎました」

 私と祥太はナツさんの言葉に真剣に耳を傾ける。ただただ頷くことしかできずに。

「僕の下には後輩の女の子がひとり付いていて。彼女に新しい候補の俳優さんを探してもらい、一刻も早く撮影をし直す段取りを依頼したんです」
「いや、それは……ナツさんが正しいっていうか……」
「でも、僕は分かっていなかった。普通はそういうのって業務時間内だけでやるものらしくて。僕にとってはそんな生ぬるいもんじゃなかったんですよ。駆けずり回ってでも一秒でも早く何とかしたかった」

 徐々に、ナツさんの話の終わりが見えてきた気がして、私は息を呑む。

「それが、彼女にプレッシャーを与えていたみたいなんです。何しろ、耕平くんは僕と友人関係だったことから条件良く出てくれることになっていたから、代わりで見つけてきた俳優さんが見劣りしてしまうのは必然で」
「……もしかして、お客さんは納得してくれなかったんですか?」

 祥太の問いに、ナツさんは困ったように頷く。

「耕平くんのことがあった2週間後、後輩は非常階段から飛び降りました。自殺未遂でした。遺書も丁寧に用意されていた」
「そんな……」

 自殺未遂、ということは……。それほど、追い詰められてしまったんだ。

「彼女は首の骨を折る重傷でしたが助かって。そうしたら、今まで味方だと思っていた同僚が次々、僕の問題点を告発し始めたんです」
「……」
「彼女と親御さんへのポーズも、会社には必要でした。僕は会社を退職して、もうクリエイティブの仕事から足を洗うつもりで。もっと別の、人を純粋に幸せに出来る仕事を探すことにしたんです」
「それが、コーヒーショップだったんですか?」

 ナツさんは寂しそうな顔で笑う。

「適性があるなんてちっとも思えなかったけど、コーヒーショップなら自分のクリエイティブも少しは活かせるんじゃないかと期待をしました。この町の人たちは優しくて、こんな僕にも居場所をくれた」
「ナツさんは、優しいですよ。少なくとも、私はそう思います」

 きっと、ナツさんは仕事に真摯に向き合っていたんだろう。
 その必死さが後輩の子を追い詰めてしまったのかもしれない。
 どちらが悪いとかではないのだ。きっと世界はそんなに単純にできてはいない。

「今も彼女は心に傷を負ったままです。大けがを負った後の世界を生きている。僕は、人ひとりの人生を滅茶苦茶にしてしまった」
「でも」
「自分の犯した罪を背負って生きるしかないんです」

 そこで、祥太がキレた。

「いや、その後輩はナツさんが必死だったのを側で見てたんじゃないんですか? そんなに辛ければ、そんな追い詰められる前に会社になにか言うことはできたんじゃないですか? 別にナツさんひとりが悪いはずないじゃないですか。ナツさんは、お客さんのためだったのに」

 完全にナツさん擁護の姿勢で、やり切れないのだろう言葉を紡ぐ。
 ナツさんが充分傷付いていたのを、祥太は分かっているようだった。

「でもね、祥太くん。誰のためとかは関係ないんですよ。彼女が自ら命を絶ちたくなるほどに辛い思いをしたのは事実なんです。そしてその原因になっていたのは僕で、側にいながら気付けなかったのも僕なんです」

 祥太は小さな声で「そんなのって、納得できない」と言って項垂れていた。
 私だって、納得なんかしたくはないけれど……。

「ところで、それがどうして私を怒ることに繋がったんですか?」

 私の一番聞きたかったこと。この事実を知られたくなかった? それとも、もっと別の理由だろうか。

「僕は、無意識のうちに人を利用して傷付けてしまうんです。あの日の利津さんを見て、それに気付いた。利津さんに甘え過ぎていた。きっとまた巻き込んで傷付けてしまう」
「そんなわけないじゃないですか。急に拒絶される方がよっぽど傷付きます」

 まさか、ナツさんがそんなことを気にしているとは思わなかった。

「日葵さんは普通にナツさんと仕事してたじゃないですか!」
「おい利津、お前、今それぶっこむ?」

 祥太のツッコミを私は無視した。
 どうして日葵さんはずっとナツさんと一緒にいられたのに、私だとダメなのだろう。そこに特別な感情があるから?

「日葵は……同期で僕の一番足りないところを知っているから。いまさら僕の言動で傷ついたりはしません。でも利津さんは人間関係が原因で仕事を辞めたことがあるのに、また僕みたいな無意識に人を傷付ける人間に関わっちゃダメだと」
「そんなの……おかしいです」

 日葵さんは「日葵」で私は「利津さん」呼びなだけでも私は傷つく。
 それに、日葵さんはあんなに綺麗で、愛想も良くて、接客業にも向いていて。

「これから、私はナツさんに深く関わらない方が良いんですか? 私では、役に立ちませんか?」
「いや、そんなことは……」

 明らかに困っているナツさんを見ながら、一連のことがナツさんを深く傷つけたのだろうというのが分かった。

「私も祥太も、ナツさんを尊敬しているし、慕っています。だから見くびらないで欲しいんですよ。きっとナツさんが私を傷付けようとしていたら、その時はハッキリ言います。嫌なことは嫌と言います」
「そうですよ。前は会社で上下関係があったから、きっと後輩の子も追い詰められて行ったんじゃないですかね。ナツさんは有名で先輩だったから言いにくかった、とか。俺とナツさんの間にはそういうの無いし、なんならこの町の先輩は俺と利津ですし」

 私たちが必死だったからだろうか。ナツさんは根負けしたように「分かりました」と困ったような顔を浮かべる。

「この話をしても変わらない祥太くんと利津さんを見ていたら、僕も覚悟を決めました。2人を信じて、色々相談したり、仲良くしてもらうことにします。じゃあ、とことん付き合ってもらっても良いですか?」

 ナツさんに言われて「当たり前じゃないっすか」と祥太はちょっと鼻をすすった。私は隣のナツさんの腕に向けて拳を繰り出す。

「いたっ。ちょっ、利津さん暴力反対です」
「私だって、こうやってナツさんを無意識に傷付けるかもしれません」
「無意識ですか?! ホントに??」
「ナツさん、そいつ口より先に手が出るタイプ」

 ナツさんは「利津さん暴力は止めてください」と言いながら笑い、私たちはその後に他愛もない話をたくさんした。

 この町で育ってきて、この町で見て来たことやちょっとした事件のこと。
 下町という場所の人の距離について。
 
 きっとナツさんはお節介な人たちに囲まれて、嫌でも人付き合いに巻き込まれるに違いないと私たちは予言する。

 祥太は冷蔵庫から発泡酒を3缶出してきて、もうこうなったら飲むぞと0時前からお酒を勧めて来た。
 しょうがないなあと言いながら私とナツさんはそれを飲む。
 暫くして私は眠くなったのかリビングの床に横になったところまでは覚えている。

 私が横になったので、祥太はタオルケットを私に掛けた。
 そして、私が寝付いたのを見てナツさんに話を振る。

「日葵さん、ナツさんの元カノですよね?」
「……まあ、祥太くんには、バレバレですよね」

 意識が途切れる前、それだけは聞こえた。
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