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最終章 迫る闇と誰かの幸福
9 祈りと邂逅
しおりを挟むお面を買った後、二人は夏祭りを心ゆくまで楽しんだ。
と言っても、その楽しみ方は普通のカップルとはだいぶ異なる。
主に蝶梨の方が、であるが……
射的では、汰一が弾を発砲する度にお面の下で「ひぅっ」と声を漏らし……
型抜きでは、画鋲で板を慎重に刺す汰一を隣でハァハァと眺め……
金魚すくいでは、汰一が金魚をポイから落とす度にぴくぴくと身体を震わせていた。
もちろん、蝶梨も見ているだけではない。汰一の手捌きに妄想を重ねた後は、お面を取り、自身も楽しんでいた。
お祭りにはしゃぐ、浴衣姿の彼女。
その無邪気な表情も、面の下の変わった性癖も、自分しか知らない。
少なくとも、今日までは。
だから、その光景をしっかり記憶に焼き付けようと……
眩しい笑顔を見せる蝶梨を、汰一は愛おしげに見つめた。
* * * *
遊戯系の出店を一通り回り終えると、二人は食べ物を買うことにした。
蝶梨の希望は、くまの形をしたベビーカステラ。一袋購入し、ゆっくり食べられる場所を探し歩き始めたところだ。
「はぁ……楽しかったね、汰一くん。射殺も刺殺も水責めも、最高にかっこよかったよ……!」
頭にお面をつけた蝶梨が、興奮気味に言う。
誰かに聞かれたら誤解を招くようなセリフだが、汰一は笑いながら「ありがとう」と言うだけに留めた。
すっかり日が暮れ、頭上に連なる提灯が優しい灯りで参道を照らしていた。
心なしか客も増え、祭り会場はより賑わいを見せている。
手を繋ぎながら参道を歩いて行くと、長々と続いていた出店が途切れ、開けた場所が見えてきた。
催し物でもやるのか、簡易的なステージが設置されている。しかしまだ準備中のようで、出店の周りより人通りは少なかった。
この辺りなら休憩に適しているかもしれない。
そう考え、汰一はステージの周辺を見回し……
「……ここは……」
その奥に見えたものに、思わず足を止める。
荘厳。
そう形容するに相応しい神社の本殿が、参道の突き当たりに悠然と佇んでいた。
大きな二重屋根に太い柱。細かな装飾や彫刻が随所に施された、華やかな印象の神社だ。
元は古い建物なのだろうが、改修が施されたのか壁面が艶のある朱色に塗装されており、夕闇の中でも燃えるような輝きを放っていた。
……これが、柴崎の神社。
そう理解しようとするが、この立派な神社とあのチャラ男がなかなかイコールで結びつかず、汰一は軽く混乱する。
「わぁ、これが本殿なんだ。すごく立派」
汰一の胸の内を知る由もない蝶梨は、感嘆しながら近付いて行き、本殿の傍に立つ看板を眺める。
「ここに祀られているのは、深水之白夜礼淵神……この地域の水を治める水神さまであり、縁結びの神さまでもあるんだって」
蝶梨の隣に並び、汰一もその看板を見る。
そこにはこの神社の成り立ちと、祀られている神に関する説明が書かれていた。
この、『深水之白夜礼淵神』というのが柴崎の本名なのだろうか?
しかも縁結びを司る神とは……似合わないにも程がある。
と、あのヘラヘラした緊張感のない笑みを思い出し、目を細めていると、
「せっかくだからお参りしようよ、汰一くん」
蝶梨がそう提案するので、汰一は思わず「へっ?」と声を上げる。
「お祭りって神さまに感謝するイベントなのに、つい出店に夢中になっちゃって、あんまりお参りしたことがないんだよね。今日はこの神さまのお陰で汰一くんとデートできたんだし、ちゃんとお礼しなきゃって思うんだ」
澄んだ目で、穢れのないセリフを口にする蝶梨。
やはり彼女は、根っからの優等生なのだ。クールキャラを演じていたり、変わった性癖を持っていたりするが、この素直さと真面目さこそが彼女の人格の本質と言っても過言ではない。
そんな彼女に惚れ直すのと同時に、その純粋な感謝の対象が柴崎である不本意さを感じ、汰一は一瞬迷うが……
「……そうだな。せっかく来たんだし、手を合わせていこう」
と、彼女の提案に乗ることにした。
賽銭箱に硬貨を投げ入れ、太い縄を揺らし鈴を鳴らす。
深く二礼し、手を二回叩いて、汰一と蝶梨は目を閉じた。
実のところ、汰一は"お参り"というものがあまり好きではなかった。
いくら祈っても願っても、自分の不運が改善された試しがないから、いつしか神頼みはしないようになっていたのだ。
だけど、今は……
あんなチャラついた神にでも、願いたいことがある。
それは、これから先も蝶梨が安全に、安心して暮らせること。
彼女の人生に、幸せが多く訪れること。
それから、忠克が無事であること。
柴崎が"堕ちた神"を捕まえ、忠克が自分の心と身体を取り戻すこと。
それが叶うのなら、自分が不運な人生に戻ろうが構わない。
柴崎が、この立派な神社に見合う素晴らしい神ならば……
どうか、この願いを叶えてくれ。
そう、祈り終え。
汰一は一礼し、顔を上げた。
「……すごく真剣にお祈りしていたね」
隣で、先に顔を上げていたらしい蝶梨が微笑みながら言う。
「ちょっと意外。汰一くんて、あまり神頼みとかしなさそうだったから」
その言葉に、汰一はドキッとする。
自分がどんな人間なのか見抜かれていたことへの驚きと、正しく理解してくれていることへの嬉しさが、心臓の高鳴りとなって全身を駆け巡る。
しかし、それを誤魔化すように汰一は苦笑して、
「うん。普段は願い事なんてしないんだけど……ここの神さまなら、不思議と叶えてくれそうな気がするから」
そう言って、厳かな本殿を見上げる。
蝶梨の耳にはロマンチックなセリフに聞こえたかもしれないが、そこに込めたのは単なる"圧"だ。
わざわざ五円玉を入れてやったんだから、ちゃんと願いを聞き入れろよな? という、柴崎に対する圧力。
最も、聞いているかどうかは定かではないが……
とにかく、本当に頼んだぞ。
特に今は、忠克のことが心配だ。
閉ざされた襖をじっと見据え、汰一は最後の念押しをして、
「蝶梨も、無事にお参りできたか?」
そのまま、蝶梨に尋ねる。
その問いに、彼女は満足度げに笑い、
「うん。今日の感謝と、これからのことをお願いできたよ」
「そうか。それじゃあ、ゆっくりできそうなところを探しに行こう」
頷く蝶梨の手を引いて、汰一はもう一度だけ振り返ると……
深水神社の本殿を、後にした。
──二人は本殿から少し離れた人気のない場所へと移動した。
祭り囃子や人々の賑わう声を遠くに聞きながら、汰一はベビーカステラの紙袋を開ける。
すると、
「さぁ、このくまさんを私だと思って、頭からがぶっと食べて!」
人目がないのをいいことに、蝶梨がワクワクを隠せない様子で言い放った。
数あるお祭りフードの中から何故このくまさんカステラを選んだのかと思えば……形が一番人間に近いからか。
と、蝶梨の殺され願望思考への理解力ばかりが高まっていく汰一であった。
「そう言われると、ちょっと食べ辛いな……」
「遠慮しないで! 汰一くんの好きなように食べてくれていいんだよ?! ほら、温かい内に!!」
鼻息を荒らげる蝶梨に、さすがの汰一も少し苦笑する。
彼女の欲求に応えられるのは自分しかいない。
そのことは、実に光栄だが……
彼女の命を護るために見えない脅威と戦ってきたというのに、当の彼女がこうも殺されたがっているとは、なんとも皮肉な話だ。
なんて、今さらすぎる矛盾にもう一度苦笑いをして。
小さなくまの形をしたそれを一つ、摘まみ上げる。
汰一が食べるのを、今か今かと待ち望むように熱い視線を向ける蝶梨に……
「……いくよ」
そう断りを入れてから。
汰一は、それを口の中へと放り込んだ。
直後。
──ドンドンドンドンッ!
……という太鼓の音が、辺りにこだまする。
その音に驚き、汰一は……
「んぐっ!?」
カステラを丸呑みしてしまった。
「ま、ままま、丸呑みっ?! はわわ、そんな大胆な……っ」
それを不慮の事故だと気付かず、顔を赤らめ興奮気味に言う蝶梨。
汰一はそれに応える余裕もなく、胸を叩き、つかえているカステラを必死に飲み込む。
「ぷはっ……はぁ、死ぬかと思った……」
「ふぁ……やっぱり汰一くん天才だよ……咀嚼せず一気に飲み込むなんて……」
「いや、これは音にびっくりして飲んじゃっただけで……」
「噛まれないから痛くないし、汰一くんの胃にダイレクトに飛び込んで、そのまま溶かされていくとか……はぁ、素敵。どうにかして身体縮まらないかなぁ。汰一くんに丸呑みされたい」
頬に手を当て、うっとりと言う蝶梨。
丸呑みするつもりなど毛頭なかったが……彼女が満足したのならそれでいいかと、汰一はカステラの袋を彼女に差し出す。
「蝶梨の身体が小さくなったら……可愛いと思うけど、困ることの方が多いかな」
蝶梨は、差し出された袋からカステラを一つ摘まみながら小首を傾げる。
「困ることって、例えば?」
「例えば……こうしてデートしたりとか、一緒にしたいことがあっても、小さかったらできないだろ?」
「他には?」
「へ?」
「汰一くんは他に……おっきな私と、どんなことがしたいの?」
ずいっ、と身体を近付け、尋ねる蝶梨。
そこまで食い付かれると思っていなかった汰一は、あからさまに目を泳がせる。
「そ、それは………… 手を繋いで歩いたり」
「歩いたり?」
「…………ぎゅっと抱きしめ合ったり……」
……って、何を言わされているんだ俺は。
と、あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にするが、
「あとは……?」
蝶梨の追求は止まらない。
じぃっと見つめる大きな瞳に映った自分の顔が、情けなく引きつっているのがわかる。
「あとは……えぇと…………」
目を逸らすこともできないまま、汰一は言葉を探す。
よく見ると蝶梨も、緊張した顔で頬を染めていた。
嗚呼、可愛い。近い。
目の前にある艶やかな唇に、嫌でも目線がいってしまう。
蝶梨と何がしたいって、そんなの決まっている。
本当は今すぐにでも顔を寄せて……その唇に…………
「………………キ……」
……と、汰一がそのワードを口にしようとした、その時。
──ドンドンドンドンッ!
再びけたたましい太鼓の音が響き、二人はビクッ! と身体を震わせた。
「な、何なんだよさっきから……」
汰一はうんざりしながら音のする方を見遣る。
どうやら先ほど見かけたステージから聞こえているようだ。
「……何か催し物が始まったのかな?」
「……行ってみるか」
完全に興を削がれ、二人は気恥ずかしさを抱えたままその場所を目指し歩き始めた。
──本殿近くの簡易ステージの周りには、先ほどとは打って変わって大勢の見物客が集まっていた。
ステージの上では、小学校高学年と思しき子どもたちが大きな太鼓を懸命に叩いている。
恐らく地域の小学生による和太鼓サークルか何かだろう。
「すごい、上手だね。うちの妹と同い年くらいかな」
遠巻きに見つめながら、蝶梨が言う。
そういえば妹はまだ小学生だと言っていたなと、汰一は以前彼女から聞いた話を思い出しながら、同じようにステージを見上げる。
真剣な表情で、リズミカルに太鼓を叩く子どもたち。
その姿を見つめる汰一の脳裏に……忘れていた遠い日の記憶が蘇る。
汰一にも、和太鼓を演奏した経験があった。
それは小学六年の、音楽会の時。
しかし、その思い出はあまり良いものとは言えなかった。
何故なら、練習中にバチが折れたり太鼓の面が破けたりと散々な不運に見舞われ、先生に「ふざけるのもいい加減にしろ」と激怒されたから。
だけど、あの時……
「こいつはふざけてなんかいませんでしたよ。ていうか、小学生の力で壊れるようなバチや太鼓が悪いでしょ。メーカーに苦情入れるべきじゃないですか? あるいは、先生方の保管方法に問題があるとか」
……なんて、生意気な口調で先生に反論してくれた奴がいた。
忠克だ。
忠克だけは、自分を庇ってくれた。
その時だけではない。不運のせいで周囲から理不尽に責められる度に、いつも忠克が味方してくれた。
あいつは、本当に……唯一無二の親友なんだよな。
そんな思い出に浸りながら、汰一は今一度、忠克の無事を柴崎に祈る。
どうか、忠克の意識が残っていますように。
無事に"堕ちた神"を捕まえて、心も身体も忠克のものに戻りますように。
太鼓の音と共に、柴崎に祈りが届くことを願いながら演奏を聴いていると……
ふと。
目の端に映った一人の見物客の姿に、汰一の時が止まる。
見知った顔。
それも、嫌という程よく知る顔が、そこにあった。
茶色がかった短髪に、シルバーフレームの眼鏡。
飄々とした、掴みどころのない雰囲気。
間違えるわけがない。
だってそれは……
たった今無事を願った、唯一の親友の姿だったから。
「…………忠克……」
汰一の視線に気付いたのか、それとも呟きが届いたのか。
忠克は、汰一と目線を交わすと……ニヤリと、妖しげな笑みを浮かべた。
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