氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

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最終章 迫る闇と誰かの幸福

5 彼女の素顔と彼の秘密

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 弓道部の部長との一悶着を終え、汰一と蝶梨は裏門から学校を出た。
 蝶梨の自転車を取りに行く際、汰一は駐輪場をざっと見回したが、忠克の自転車が残っているかはわからなかった。

 蝶梨を部長の魔の手から救えたのは良かったが、汰一の頭は不可解な行動を繰り返す忠克のことでいっぱいだった。



 ……もし。

 もし、忠克の身体に、蝶梨を狙う"堕ちた神"が憑依しているとしたら……
 どう対処するのが正解なのだろう?

『憑依』という柴崎の表現から察するに、身体は忠克自身のもので、意識だけを乗っ取られていると考えられる。
 直接戦うことになった場合、忠克の生身の身体を傷付けるわけにはいかない。
 そうなると、忠克の中にいる"堕ちた神"の意識だけを攻撃する必要があるわけだが……そんなことが、果たして可能なのだろうか?

 柴崎も、"堕ちた神"が人間に憑依すると神の気配が消えるため、特定が難しいと言っていた。
 死んだ人間の霊魂である"厄"と違い、曲がりなりにも"神"だ。きっと今までの戦い方は通用しない。
 現にあの"黒い獣"は凄まじい回復力を有しており、カマイタチで斬ってもすぐに再生していた。

 その辺りの具体的な戦略については、まだ柴崎から聞けていない。
『また近い内に』と言っていたし、夏休み前に再び召集されるだろう。その時に、詳しく聞き出さなくては。


 ……そもそも。
 神に憑依された人間は、ちゃんと元の人格に戻れるのだろうか?


 "堕ちた神"を倒したら、依代になっていた人間も死ぬ、なんてことはないよな?
 それでも、蝶梨を護るために手を下さないといけないとなったら、俺は…………


 恋人と、たった一人の親友を、天秤にかけることになるのだろうか?






「──汰一くん?」


 蝶梨の声に呼ばれ、汰一は我に返る。
 会話もせず考え事に没頭してしまっていた。気付けば、学校からだいぶ離れたところまで歩いていた。


「大丈夫? さっきの部長との件で疲れさせちゃったかな」


 よほど深刻な顔をしていたのだろう、蝶梨は足を止め、汰一の顔を心配そうに覗き込む。

 ……いけない。
 彼女を不安にさせるなんて、一番してはいけないことだ。

 汰一は微笑みながら、手をひらひらと振って答える。


「ごめん、そうじゃないんだ。実は……夏休みのことを考えていた」
「夏休みのこと?」
「そう。蝶梨、さっき言ってただろ? 夏休みは生徒会の仕事がある、って。弓道部の手伝いを辞めるくらい忙しいならあまり遊びにも行けないだろうし、俺も花壇の手入れに来て、こうして一緒に下校だけでもできたらなぁ、なんて思っていたんだ」


 その言葉は、まるっきり嘘というわけでもなかった。
 彼女を護るため、夏休み中も側にいる口実を探していたのは事実だから。
 彼女が生徒会の仕事で学校に来ると言うのなら、やはりそれに合わせて登校するのが最も自然だろうと、汰一は考えていた。

 しかし蝶梨は、


「……ごめん、汰一くん。あれ……実は嘘なの」


 申し訳なさそうに目を伏せ、思いがけないことを口にした。
 汰一が「え?」と聞き返すと、彼女は胸の前でもじもじと手を合わせ、


「生徒会の仕事があるのは本当だけど……弓道部の手伝いを辞めないといけないくらい忙しいわけではないの」
「そうなのか? じゃあ、やっぱ単純に辞めたかったとか?」
「それもあるにはあるけど……手伝いを辞めた一番の理由はね」


 蝶梨は、少し頬を赤らめながら、



「この夏は……汰一くんと、いっぱい遊びたかったからだよ」



 ……と。
 恥ずかしさと申し訳なさが入り混じったような顔で、汰一を見上げた。
 そのセリフに、汰一は心臓が跳ねるのを感じ、言葉を詰まらせる。


「汰一くんとの時間を作りたくて、弓道部に行くのを辞めることにしたの。つまり、私の我儘なんだ。それなのに、あんな風に汰一くんを巻き込んじゃって……本当にごめんなさい」


 頭を下げる蝶梨を、汰一は慌てて止める。


「そんな、謝らないでくれ。そもそもやらなくてもいい手伝いをやらされていたんだから、辞めるのは我儘じゃないだろ。それに……俺も、夏休みは蝶梨とたくさん遊びたいと思っていた」
「汰一くん……」
「俺との時間を作ってくれて嬉しいよ。ありがとう。ということで、遠慮なく遊びに誘いまくるから。覚悟しておけよ?」


 汰一が悪戯っぽく言うと、蝶梨は完全にクールモードを解除した表情で嬉しそうに頷く。


「うんっ。私も汰一くんと行きたいところがたくさんあるから、いっぱい誘うね」
「おぉ。例えば?」
「海!」
「ぶふっ」


 聞いた瞬間、汰一は吹き出す。
 そして、先ほど振り払ったはずの水着姿の妄想が再び脳裏にモヤモヤと浮かび始めるが……
 それを見ないようにしつつ、聞き返すことにする。


「う、海に行きたいのか?」
「うん! 夏と言えば海。海と言えば……」


 汰一は、息を飲む。

 海と言えば、眩しい日差し、スクールじゃない水着、ほんの少しの開放感……
 ……と、やはりアレな方面に向かってしまう想像を無理矢理消し、彼女の答えを待つと……

 蝶梨は、ぱぁあっと花咲くような笑顔を浮かべて、



「スイカ割りだよね!!」



 迷いなく、言い放った。
 直後、汰一は自転車を押していた手をズルッと滑らせる。


「……え、スイカ割り?」
「そう! 青い海、白い砂浜、そこに置かれた大きなスイカ……そして、それをカチ割る汰一くん……」


 そう言って、うっとり頬を押さえる蝶梨。
 その瞬間、汰一は、彼女が何を楽しみにしているのかを察した。



「私、木刀持って行くから……スイカを私だと思って、思いっきり叩き割ってね!」



 ほらな、やっぱり。

 と、汰一は胸の内で呟く。
 つまり、いつものアレだ。モノに自分を重ね、殺される妄想を楽しむという、彼女の変わったへきである。


「川にも行きたいなぁ。お魚を釣ったり掴み捕りしたりして、そのまま串焼きにして……がぶって齧り付く汰一くんを間近で眺めるの。うふふ」


 恍惚の表情を浮かべたまま、蝶梨は自身の妄想を口から垂れ流す。


「山もいいよねぇ。空気が綺麗で、危険がいっぱいで……崖から落ちそうになる私の手を、汰一くんがぎゅっと掴んでくれるの。嗚呼、その手に私の命が握られているって想像しただけで、もう……どうにかなっちゃいそう……」


 ……そこまで言って。
 蝶梨は、「はっ!」と我に返る。


「ご、ごめんなさい。私、気持ち悪いことをべらべらと……」


 顔を青くし、口を押さえる蝶梨に……
 しかし汰一は、真顔で彼女を見つめ、


「……なぁ、蝶梨」
「な、なに?」
「……俺は…………」


 あらたまった様子の汰一を、蝶梨が緊張の面持ちで見つめると、



「…………サバゲーとかも、いいと思うな。屋内のフィールドなら夏でも涼しいだろうし」
「……へ?」



 思いがけない提案に、蝶梨は間の抜けた声を上げる。
 汰一は、穏やかに微笑んで、


「サバゲーって知らないか? 敵と味方に分かれて、フィールドに隠れながらエアガンで撃ち合うゲームのことだよ。サバイバルゲームの略」
「き、聞いたことあるかも……」
「蝶梨、好きそうだなぁって思って最近調べていたんだ。間接的な妄想より直接的に撃たれる体験ができるし、ゲームとしても普通に面白そうだから」
「私のために、わざわざ調べてくれたの?」
「わざわざってほどじゃないよ。俺も前から興味があったんだ」
「……ごめんね。私が普通じゃないから、汰一くんに気を遣わせちゃってるね」
「何言ってんだよ。蝶梨が楽しくなきゃ俺も楽しくない。それに……興奮気味に話している蝶梨は、最高に可愛いよ」
「かっ……?!」
「むしろその『ハァハァ顔』をもっと見せてほしい」
「わ……私、そんなにハァハァしてる?」
「してる」
「うぅ……」


 恥ずかしそうに俯き、小さくなる蝶梨。
 その照れ顔がどうしようもなく可愛くて、汰一は抱きしめたくなる衝動を抑えながら微笑む。



「俺の前では、本当の自分を隠さずにいてくれよ。全部好きなんだから、気持ち悪いなんて思うわけがない。ありのままの蝶梨の顔を……俺だけに見せてくれ」



 真っ直ぐに言われ、蝶梨は目を見開く。
 そして、赤らめた顔をふいっと逸らし、



「じゃあ……この夏は、私の恥ずかしい顔をいっぱい見せちゃうから…………ぜんぶ、受け止めてね?」



 ……なんて呟くので。
 蝶梨としては『素を見せる』という意味で言ったのだろうが、汰一の耳には別のニュアンスを含んだセリフに聞こえてしまい……
 ゴクッ、と喉を鳴らしてから、


「……じっくり見させていただきます」
「えっ?!」
「蝶梨のあんな顔やこんな顔も、余すことなく網膜に焼き付けます」
「あ、あんな顔やこんな顔って?!」
「もう言質は取ったから。ちゃんと見せてくれよ? 恥ずかしい顔」
「うぅ……汰一くんてやっぱり、時々いじわるだよね」
「それほどでも」
「ていうか、そう言う汰一くんは私に隠していることとかないの? 私も見せるんだから、汰一くんも隠さずに見せてよ!」


 眉間に皺を寄せ、抗議するように言う蝶梨に、汰一はドキッとする。
 何故なら……彼女には、隠していることだらけだから。

 蝶梨が"エンシ"と呼ばれる神候補なことも、柴崎という神の存在も、そいつと協力して蝶梨を護っていることも……
 そして自分が、いつ、どうやって彼女を好きになったのかという経緯も……
 何もかも、秘密にしている。


 しかし汰一は、口元に小さな笑みを浮かべて、


「隠していること、ね……強いて言えば……」
「言えば……?」


 蝶梨が固唾を飲んで続きを待つ中……
 汰一は、ぴっと人さし指を立て、



「──向こうにあるコンビニに、『ぶたぬきもち』のガチャガチャが入荷したという情報、とかかな」



 ……と、前方を指さすので。
 その途端、蝶梨は目をキラキラと輝かせながら、



「うそっ、行かなきゃ! 汰一くん、今すぐ行こう! 早く!!」


 そもそもの質問をすっかり忘れた様子で、無邪気に走り出した。

 
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