氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

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第二章 近づく距離と彼女の秘密

6-6 ささやきに耳を傾けて

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 地面を叩く激しい雨。
 頭上ではゴロゴロと雷まで鳴り出した。


 汰一は蝶梨と共に神社へと駆け、石畳みの上に自転車を乗り上げる。
 そのまま奥へ進んで行くと、頭上を覆う木々が傘となり、幾分か雨を凌いでくれた。
 同時に明るさも遮られ、まだ夕方だというのに、神社の参道には夜のような薄暗さが漂っていた。


「……あれ」


 隣を走る蝶梨が、前方を指さす。
 暗い視界の先に見えてきたのは……やしろと思しき建物だった。

 かなり年季が入っているのだろう、木造の柱や壁が黒ずんでいる。
 一般的な神社に置かれている賽銭箱や鈴などは見当たらない。ただ、襖の閉まった本殿があるのみだった。
 その隣にもう一つ小屋のような建物があるが、こちらもシャッターが閉まっており、人の気配はなかった。

 見るからに薄気味悪い場所だが、背に腹はかえられない。汰一は本殿の方を視線で指し、「あの下に行こう」と蝶梨に言った。


 屋根の下に退避すると、汰一は自転車のスタンドを立て、「はぁ」と息を吐いた。
 身体はびしょ濡れだが、花の苗はビニール袋で覆ったため無事だった。たい焼きも袋に入れたので濡れはしなかったが、すっかり冷めてしまっただろう。


「あーあ。濡れちゃったね」


 そう言って、蝶梨は水滴のぽたぽた垂れる前髪を掻き分ける。
 濡れて艶の増した髪と、肌に張り付いたブラウスが暗がりの中で浮かび上がって見え、汰一は咄嗟に顔を背ける。


「……そうだな。結局、彩岐は一口もたい焼き食べていないし……今ここで食うか?」
「ううん。おうちに持って帰ってから食べるよ」
「その方がいいかもな。いずれにせよ……止んでくれなきゃ帰ることもできないが」


 言いながら、汰一は木々の隙間に見える灰色の空を見上げ……
 嫌な予感が的中してしまったと、小さくため息をつく。


 先ほどたい焼き屋で起きた突風は、やはり艿那になか、似たような神が起こしたものなのだろうか?
 もしそうなのだとすれば、前回同様、この雨雲と共に巨大な"厄"が現れないか心配である。

 此岸しがんへの強い影響力を持つ"厄"が出現すれば、蝶梨にも危害が及ぶ可能性がある。
 前回のように"亡者たちの境界"で戦うことになるのか、それとも柴崎がちゃんと対応してくれるのか……

 いずれにせよ、今回は一つだけ、あの時とは違う点があった。
 それは、退避したこの場所が『神社』だということ。

 薄気味悪い雰囲気ではあるが、神社なら神がいるはず。
 どんな神が祀られているのかはわからないが、きっと"エンシ"を護ってくれるだろう。

 ……と言っても、これまでに出会ったのが『チャラ男』と『幼女』ということごとく神らしくない面々なので、見知らぬ神を頼りにしていいものかいささか不安ではあるが……


 汰一は半眼になりながら、閉め切られた本殿をちらりと見る。
 と、その横で蝶梨が「あ」と声を上げ、


「私、タオル持っているんだった。今日、体育あったから」


 そう言って、鞄の中から花柄のフェイスタオルを取り出した。
 そして、長い髪の先を包み込むようにして水滴をぬぐい……そのまま、後ろ髪をまとめるように掻き上げ、首元を拭き始める。
 その艶やかな姿に汰一が釘付けになっていると、視線に気付いた蝶梨が手を止めて、


「刈磨くんも使う? 私が拭いた後で申し訳ないけど……濡れたままだと風邪引いちゃうよ?」


 そのタオルを、スッと差し出した。
 思いがけない申し出に、汰一が「へっ?」と声をひっくり返すと、


「それとも……この前みたいに、私が拭いてあげようか?」


 なんて、悪戯っぽく言うので。
 汰一は、あの雨の日に髪を拭かれたことを思い出し、蝶梨以上に顔を赤らめ、


「だだだ大丈夫です。お構いなく」


 と、慌てて彼女の手からタオルを引ったくった。

 しかし、受け取ってから気が付く。
 これは、彼女の髪や首筋を、今まさに拭いていたタオル。
 彼女に拭いてもらうなんて恐れ多くて、つい引ったくってしまったが……
 彼女の使ったタオルを借りるという時点で、十分に恐れ多いことであった。


「ごめん、やっぱり私が拭いた後だと使いづらいよね。濡れてるし……」


 タオルを見下ろしたまま硬直している汰一を見て、蝶梨は申し訳なさそうに言う。
 それに、汰一は首をぶんぶん横に振り、


「そういうわけじゃない。逆に使うのが申し訳なくて、躊躇ためらっていただけだ。……ありがたく借りることにするよ」


 彼女の厚意を無下にする訳にはいかない。
 ここは一つ、気を引き締めて……

 ごくっ。
 と喉を鳴らし、汰一は手の中のそれを見つめると、


「……では、少々拝借して」


 などと、妙な言葉遣いを口走りながら。
 可愛らしい花柄のタオルを広げ、頭に乗せた。

 ……瞬間。


 ──ふわっ。


 と、汰一の鼻腔を、甘い香りがくすぐる。
 その匂いにドキリとし、汰一は思わず固まる。


「どうかした?」


 動きを止めた汰一を、蝶梨は不思議そうに見つめる。
 汰一は、「いや」と答えてから、



「彩岐って、タオルまでいい匂いなんだなぁ……と…………」



 …………って。
 あぁぁああああああ!!


 つい本音を溢してしまい、汰一は顔を真っ青に、頭を真っ白にする。


 最悪だ……しかもこんな言い方、タオルだけじゃなく本体もいい匂いだって思っていることがバレるだろうが……!
 弁明を……いや、気色悪い発言をしたことに対するお詫びを……!!


 動揺のあまり口をパクパクさせ、汰一が謝罪の言葉を探していると、


「…………ほんと?」


 蝶梨は、ほんのり顔を赤らめ、


「私のこと……いい匂い、って思っていてくれたの?」


 そう、遠慮がちに尋ねてくる。
 汰一は……まず、自分の発言に引かれていないことに驚く。
 それから、彼女が照れたような顔をしていることに驚き、


「ぅ……うん。ずっと、いい匂いだなって思ってた」


 取り繕うことも忘れ、素直に答えた。
 蝶梨は目を見開き、照れたように頬を染めながら、


「そ、そっか…………えへへ」


 嬉しそうに笑うと、そのまま汰一の頭に乗ったタオルをそっと取り上げる。
 そして、


「……実は私も、自転車に乗せてもらっている時…………刈磨くんって、いい匂いだなぁって、思った」


 汰一の頬に垂れる水滴を優しくぬぐいながら、蝶梨が言う。



「……知ってる? いい匂いだなって感じる人とは…………相性がいいんだって」



 呟くようなそのセリフに汰一が聞き返すより早く、蝶梨がすぐに続けて、


「な、なんてね。うろ覚えの知識だから、私の思い違いかも。あはは……」


 そう、誤魔化すように笑った。

 甘い香りに包まれ、優しい手つきで髪を拭かれながら、汰一は……
 そのセリフに、鼓動をさらに加速させる。


 彼女も、自分の匂いを良いと思ってくれていた。
 しかも、『相性が良い』という話をまで持ち出して……
 自分に、全幅の信頼を置いてくれている証だろう。
 だからこそ、やはり……


「……なぁ、彩岐」


 もっと、彼女に近付きたくて。



「俺……彩岐のこと、もっと知りたい。だから…………もし理解わかっているのなら、君が何にときめいているのか、教えてもらえないか?」



 先ほど、雨に降られて聞き出せなかったその問いを、再び投げかける。


 本当は、『答えを知るのが怖い』という気持ちもある。
 "『ときめきの理由』を探す手伝いをする"という名目でこれまで側にいることができたのだから、彼女が既にそれを見つけているのであれば、その手伝いも不要となる。
 つまりは、一緒にいるための口実がなくなってしまうのだ。

 しかし、それ以上に……

 誰も知らない彼女の本心を、自分だけは知っていたいという気持ちの方が強かった。



「恥ずかしいとか言いづらいとか、もちろんあると思う。でも、ここまで一緒に『理由』を探して来たんだから……俺もちゃんと、その答えが知りたいよ」


汰一は、雨音よりもうるさく響く鼓動を感じながら、彼女を真っ直ぐに見つめる。

 蝶梨は、汰一の髪を拭く手を止め、動揺したように口を閉ざすと……
 たタオルを胸に当て、首を横に振り、


「…………無理だよ」


 肩を震わせ、俯く。



「……ごめんね。刈磨くんの言う通り、本当は…………自分が何にときめいているのか、少し前からわかっていた。でも……」



 バッと顔を上げ、今にも泣きそうな顔をして、



「……やっぱり言えない。言えないよ、こんなの……普通じゃないもん」



 そう、目に涙を浮かべながら言った。
 初めて見る表情に、汰一はドキッとしながら言葉を返す。


「言ったはずだ。どんな理由だったとしても、俺は幻滅したりしない」
「無理だよ。刈磨くんが思っているよりずっと……ずっと変なの」
「大丈夫だよ。今までも散々"素"を見せてくれたじゃないか」
「そうだけど……だからこそ、刈磨くんには嫌われたくないの。せっかく、仲良くなれたのに……」


 ぽろっ、と。
 蝶梨の目から、涙が溢れ落ちる。


「……ごめんね。私、刈磨くんが思っているような人間じゃない。自分でも変態だって思うもん。こんなおかしな理由でときめいてるなんて……」
「変態でもいい」


 蝶梨の声を遮るように。
 汰一は、はっきりと言い切る。

 そして……






「……おかしくてもいいよ。それがどんなものであっても…………

 俺は、彩岐のことが好きだ」






 揺れる蝶梨の瞳を見つめ。
 そう、言った。


 
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