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第二章 近づく距離と彼女の秘密
6-1 ささやきに耳を傾けて
しおりを挟む──ゲームセンターで遊び、クッションから飛び出す奇妙な"黒い獣"と遭遇した日から、一週間が過ぎた。
これまで同様、柴崎があの"黒い獣"について説明をしに現れるものと汰一は考えていたのだが……
柴崎は、一向に現れなかった。
思い返してみると、最後に柴崎が現れたのは数週間前──屋上で巨大な"厄"と戦った、あの雨の日が最後だった。
その後、生徒会室に閉じ込められたりもしたが、その時も柴崎は現れなかった。
一体、どうしたというのだろう。
生徒会室での軟禁も、実体を持つ"黒い獣"が現れたことも、それほど危険な事象ではなかったということなのか。
それとも、単にサボっているだけなのか……
いずれにせよ、今まで通りカマイタチが側にいる状況を作るに越したことはない。
汰一は、蝶梨の周囲に変わったことがないか警戒しつつ、共に放課後を過ごす日々を送った。
そして──
「おわったぁああっ!」
チャイムが鳴るのと同時に、二年E組に浪川結衣の元気な声が響き渡った。
今日は期末考査の最終日。帰りのホームルームを終え、生徒たちは晴れやかな表情で席を立つ。
「んふふー、これでようやく我慢していた漫画が買えるっ。さっそく本屋さんへゴー!」
「何を言ってるの、結衣。今日から部活再開でしょ?」
「はっ! そうだった!」
そんな賑やかなやり取りをしながら、教室を出て行く女子たち。
蝶梨も生徒会へ向かうため、結衣たちと共に教室を後にした。
その後ろ姿を、汰一が密かに眺めていると……
「はー終わった終わった。これで心置きなくキャラ育成に時間を回せるぜ」
その視線を遮るように、忠克が目の前に現れた。
相変わらずソーシャルゲームのことで頭がいっぱいらしい彼を、汰一は面倒くさそうに見上げる。
「そんなこと言って、どうせお前はテスト前でもゲームしていたんだろ?」
「へへ、バレたか。さすが俺のことわかっているな、親友」
「親友だと思うなら授業のノート貸すなりしてくれてもよかっただろ……二週間分の遅れを取り戻すの、まじで大変だったんだからな」
「お。ってことは、試験範囲の勉強は間に合ったのか?」
「……ギリギリ、なんとか」
それもこれも、彩岐がポイントを絞って教えてくれたお陰なんだけど……
という補足は、胸の内に留めておくことにする。
忠克は、鞄を肩にかけながらニシシと笑って、
「ま、とりあえずテストお疲れさん。お前も庭いじりばっかしていないで、さっさと帰れよ」
そう言い残すと、軽く手を振り去って行った。
「庭いじりばっかり、ね……」
確かに今日は、花壇の手入れだけでなく、他にやりたいことがあった。
試験が終わったら実行しようと、前から決めていたことが──
汰一は忠克が教室から出るのを見届けると、中庭へ向かうべく席を立った。
* * * *
「──刈磨くん、お待たせ」
午後の日差しが照りつける花壇に、涼やかな声が響く。
花に水やりをする手を止め汰一が振り返ると、生徒会の仕事を終えた蝶梨が立っていた。
学校内にいるためか、あの日ゲーセンで見せたメイド姿が嘘だったかのように、無表情で凛とした雰囲気を醸し出している。
「今日は、どんな作業をするの?」
平坦な声で尋ねる、クールモードな彼女。
それに……
汰一は、手にしていたジョウロを足元に置いて、頭を深々と下げた。
「……彩岐さん。いや、彩岐さま。これまで僕の勉学を指導してくださり、本当にありがとうございました。お陰で無事、期末考査を乗り切ることができました」
「えっ?!」
いきなり仰々しく礼を言われ、蝶梨はクールな表情を崩しながら驚く。
「つきましては、本日はそのお礼をさせていただきたく、今日この後のお時間をお借りできればと考えているのですが……いかがでしょうか?」
顔を上げ、真剣な表情を向ける汰一に、蝶梨は慌てて手を振る。
「い、いいよそんな、お礼だなんて。私も授業の復習になって助かったし、そうでなくても刈磨くんにはいろいろお世話になっているし……」
「いや、何かさせてもらえなきゃ気が済まない。球技大会の仕事を代わりにやってくれたことも、中庭で気絶していたのを助けてくれたことも、ずっとお礼したいと思っていたんだ」
「で、でも……」
蝶梨が狼狽えていると、汰一は苦笑して、
「と言っても、大したことはできないんだけどな。今日はこれから、前に言っていたストレプトカーパスの苗を買いに行くつもりなんだ。その帰りに、彩岐の食べたいものでも奢らせてもらえたらな、って思ってさ」
「奢ってもらうなんて申し訳ないよ。この間『ぶたぬきもち』のぬいぐるみを獲ってもらったし、あれがお礼ってことで……」
「駄目だ。あれは自分のために獲ったものを彩岐に引き取ってもらっただけだから。な? テスト終わりの打ち上げも兼ねて、なんか一緒に食おうぜ。彩岐、何が食べたい?」
有無を言わさない口調で尋ねる汰一を、蝶梨は困ったように見つめ返してから……観念したように、口を開く。
「……本当にいいの?」
「あぁ、もちろん」
「じゃあ…………甘いものがいい、かな」
「よし、じゃあ甘味にしよう。花は国道沿いのホームセンターに買いに行くんだが……その近くに美味いたい焼き屋があったな。そこで良ければ寄るけど、どうだろう?」
その提案を聞いた途端、蝶梨は目を輝かせる。
「うん、たい焼き好き。食べたい」
「よかった。それじゃあ早速出発だ」
「でも、国道沿いのホームセンターって、ここからだとちょっと距離あるよね? 大丈夫?」
「あぁ、問題ない。花の苗を買いに何度も行っているし、自転車なら十五分くらいで……」
……と、そこまで言って。
汰一は、ハッと気がつく。
「……しまった。俺、自転車ないんだった」
事故で自転車を壊して以来、バス通学していることがすっかり頭から抜けていた。
汰一はスマホを取り出し、バスで向かう場合のルートを検索し始める。
その慌てた様子を、蝶梨はじっと眺め……
「……私、自転車あるけど…………乗る?」
と、少し緊張した声で尋ねる。
汰一はスマホをいじる手を止め、ゆっくり顔を上げて、
「…………え?」
喉を鳴らし、震える声で聞き返した。
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