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第二章 近づく距離と彼女の秘密

5-5 蝶とゲームセンター

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「…………はぁ」


 そわそわと、落ち着かない様子で……
 汰一は、『ぶたぬきもち』のぬいぐるみを抱えながら、同じ場所を行ったり来たりしていた。


 汰一と蝶梨は、ゲームセンターの四階にあるプリクラコーナーへ移動していた。
 受付でコスプレ衣装を借りた蝶梨は、今まさに着替えているところだ。そのため、汰一はぬいぐるみを預かり、着替えが終わるのを待っているのである。

 いまいち違いのわからない数台のプリントシール機と、楽しげに撮影を楽しむ女性グループやカップルたち。
 そんな環境に一人置かれ、汰一は場違い感を覚えずにはいられなかった。


 プリクラコーナーなんて、一生縁がないと思っていた。
 このような場所に自分が来ていることにも驚きだが、それ以上に驚くべきなのは……

 彼女が、自ら「コスプレをしたい」と言い出したことである。


 汰一の横を、ナースや婦警のコスプレ衣装を着た女性グループが通過していく。
 他にもアイドル風の衣装やアニメキャラクター風の衣装に着替えている人をちらほら見かける。
 衣装の無料貸出しは、なかなかに人気を博しているようだった。

 蝶梨もきっと、今日のこの機会に、今まで着ることのできなかった"可愛い服"を着てみたいと思ったのだろう。
 その姿を自分にだけ見せてくれるのだから、それだけ心を許してくれているのだろうと、汰一は嬉しく思う。
 が……


「…………はぁぁ」


 嬉しいはずなのに、その口からはため息が深々と漏れる。
 何故なら……


 彼女のコスプレ姿が楽しみすぎて、"期待と興奮"に胸を圧迫されまくっているからである。


 だって、あの彩岐が、コスプレ衣装だぞ……?
 そんなの、どう転んだって可愛いに決まっている。
 ポスターで見かけたメイド服やナース服、他の客が着ていたアイドル衣装や婦警の制服など種類が多くありそうだが、彼女が何を選んだのかは知らされていない。

 ……駄目だ。どの衣装を想像しても可愛すぎて、目眩めまいがしてくる。
 想像だけでクラクラしているのだから、実際目にしたらどうなってしまうのだろう。良くて気絶、悪くて即死、といったところか。

 いっそ見なくてもいいのでは? だって俺が見なくても、そこにコスプレ姿の可愛い彩岐がいるという事実に変わりはないわけだし……俺が見るなんて罰当たりな気がするし。
 いやしかし、この目で確認するまではコスプレ衣装を本当に着たかどうかはわからない。やっぱり恥ずかしくなって、途中でやめている可能性もある。

 ちゃんと確認しなければ……あの更衣室の中で、コスプレ姿の可愛い彩岐がが、永久に重なったままなのだ……


 ……などと、興奮するあまり『シュレーディンガーの猫』のようなことを考え始める汰一。

 とりあえず、先ほど買った炭酸飲料の残りを飲み、気持ちを落ち着かせることにする。
 すっかり温くなり、気の抜けてしまった喉越しに顔をしかめていると……


「…………おまたせ」


 ……と。
 遠慮がちな声が、横から聞こえた。
 間違いなく、蝶梨の声である。

 汰一は、ごくっと喉を鳴らしながら……
 ゆっくりと、そちらを向いた。

 刹那、汰一の目が大きく見開かれる。
 彼の瞳に映ったのは……


 ミニスカートのメイド服を身に纏い、恥ずかしそうに俯く、蝶梨の姿だった。


 黒地のワンピースに、フリルたっぷりの白いエプロン。
 頭にも、フリルとリボンをあしらったカチューシャを付けている。
 エプロンの胸元や左右のポケットの部分にもリボンが付いた、何とも可愛らしいデザイン。
 明らかに給仕には向かない膝上丈のスカートからは、白いニーハイソックスを履いた脚がすらりと伸びている。

 汰一はこれまで、メイド服におもむきを感じるタイプの人間ではなかったが……
 フリルやリボンのアクセントや、白と黒のシンプルなデザインが、可愛い存在をより可愛く引き立たせることに一役も二役も買っていることを思い知らされ……


「…………ぐぅっ……」


 "可愛い"の過剰摂取による急性中毒を起こし、『ぶたぬきもち』を抱きしめながら、その場に崩れ落ちた。


「えっ?! ちょ、刈磨くん大丈夫?!」


 蝶梨が驚いて駆け寄るが、汰一はバッ! と手のひらを向け、


「駄目だ、来るな! これ以上近付いたら……空気中の"可愛い"濃度が致死量に達し、俺は死ぬ!!」
「どういうこと?!」
「無理……直視できない……眼球がこの"可愛い"の量に全然対応していない……キャパオーバーで爆発しそう……」
「爆発?! なんか怖いよ!」
「俺の人生、不運なことも多かったけど、今日まで生きてこられて本当によかった……ありがとう、彩岐。元気でな」
「待って刈磨くん死なないで?!」


 錯乱したセリフを吐き散らかしながら、床にうずくまる汰一に……
 蝶梨はそっと近付き、しゃがみ込むと、



「……か、『可愛い』って言ってもらえるのは嬉しいけど……せっかく勇気を出して着たから、その……もっとちゃんと見てほしいな、なんて思ったり……」



 ……と。
 尻すぼみな声で、弱々しく呟くので。


「…………」


 汰一は、床からむくりと顔を上げ、蝶梨の方を見た。

 羞恥心に耐えるように、少し拗ねたように、唇を噛み締めながらほんのり頬を染めている、メイドさんな彼女。
 そんな彼女が、『もっと見てほしい』と言っている。

 その事実に。


「……………………」


 汰一の中の何かが、「ぷつん」と切れた。


 彼は真顔になり、すくっと立ち上がると、


「……確かに、こんな態度を取るのは失礼だったな。すまなかった」
「へ?」
「立ってくれ。今から……から」


 そう言って、『ぶたぬきもち』を抱えたまま腕を組む。
 そのあらたまった雰囲気に、蝶梨は少し緊張しながらも、彼の前に立つことにする。

 汰一はキリッとした表情で、真正面に立つ蝶梨の頭のてっぺんからつま先までを、じっくりと眺める。
 そして……


「……まず、顔面が抜群に可愛いな」


 と……
 顎に手を当てながら、クソ真面目なトーンで言い放った。
 そのセリフに蝶梨が顔をかぁっと赤くすると、汰一はさらに追撃する。


「そうやってすぐに赤くなるところも可愛い」
「なっ……」
「肌が白いから、赤くなった頬が際立つんだよな。だからこそ、そういう黒地の服も似合う」
「へ……」
「エプロンもまた良い。大きめのフリルが彩岐の華奢な可愛さを強調している。ウエストで縛ったリボンのおかげで、スカートの膨らみにかけて美しい曲線を演出しており、彩岐のスタイルの良さを魅せるデザインになっている」
「う……」
「カチューシャもグッドだ。両サイドに付いたリボンが可愛い。今日のおさげ髪ともマッチしている。というか、髪サラサラすぎじゃないか? そこも最高に可愛いな」
「ん゛っ……」
「極め付けはニーハイソックスだ。今まであまり興味がなかったが、これは彩岐が履くために存在していたんだな。タイトな布地に包まれた長い脚と、スカートとの間に見える絶対領域……申し訳ないが、眩しすぎて直視できない。ここについては詳細なコメントを控えさせてもらう」
「…………っ」
「誤解のないように言わせてもらうと、俺は『メイド服』を褒めているわけではない。『メイド服』によって強調された彩岐本来の可愛さを称賛しているに過ぎない。可愛いのは、彩岐自身だ」
「っ!?」
「要するに、俺が言いたいのは…………『その格好、彩岐に似合いすぎてて最強に可愛い』、ということだ」


 そう、迷いなく言い放って。
 汰一は、長い長い講評を終えた。


 今の彼に『照れ』や『迷い』はなかった。
 何故なら、"理性のダム"が決壊しているから。
 想いを心に留めておくための防壁は、今や完全に失われていた。
 可愛い。好き。可愛い。大好き。
 溜まりに溜まったそれらの感情が瀑布の如く溢れ、止まらない褒め言葉となって口から湧き出したのだ。
 

 飴の鞭で殴られ続けるような汰一の口撃に、蝶梨はよろけながらバクバク暴れる心臓を押さえる。


(なにこれ、死んじゃう……嬉しすぎて、恥ずかしすぎて、刈磨くんに褒め殺されちゃう……! こんなり方があったなんて……さすが刈磨くん、殺しのプロ……!!)


 ……と、いつの間にか『殺しのプロ』認定されていることなどつゆ知らず、汰一はおもむろにスマホを取り出し、


「いくら払えばいい?」
「へっ?」
「一枚でいい。メイド姿の彩岐を撮影する権利を買わせてくれ」
「はぇっ?!」
「今日の持ち合わせで足りない場合は分割払いでお願いしたいのだが、可能だろうか?」
「そんな、お金なんか取れるわけ……!」
「あぁ、確かに。有形文化財だもんな。尊すぎて値段などつけられるはずもなかった。俺としたことが……では、この姿を網膜に焼き付けるから、あと一時間くらい見つめさせてくれないか?」
「いや、普通に撮っていいから!!」


 そう叫んでから、蝶梨はハッとなる。
 しかし、時すでに遅し。汰一は、真剣な瞳の奥をギラリと光らせ、


「え。撮ってもいいのか?」


 と、スマホを構えながら一歩近付く。
 その熱に気圧されるように、蝶梨は少したじろいで……


「……い、一枚だけなら……いいよ」


 スカートの裾をきゅっと握りながら、観念したように言った。
 汰一は、やはりキリッとした真顔のまま頷く。


「ありがとう。一生の宝にする」
「……他の人には見せないでね」
「もちろん、他の奴になんか見せるものか。この写真は、俺個人で使わせてもらう」
「つ……『使う』、って……?」
「プリントアウトして自室の天井に貼り、毎日拝み倒す」
「それはやめて!」


 本気なのか冗談なのかわからないトーンで言う汰一に、蝶梨はさすがに声を上げる。
 そして、


「じゃあ……本当に撮るよ?」


 と、汰一があらたまったようにスマホのカメラを向けるので……
 蝶梨は、やはり恥ずかしそうに「うん……」と答え、緊張気味にカメラの方を見た。


 プリントシール機のフロアにいながらスマホで撮影をするなんて、何ともおかしな話だが……
 二人とも、その違和感にすら気付けない精神状態だった。

 理性を失った汰一と、その熱に当てられた蝶梨。

 撮られるつもりはなかったのに。
 ただ、可愛い服を着てみたかっただけなのにと、蝶梨はこの状況を恥ずかしく思うが……

 汰一のスマホに自分の写真が残るのは、なんだか嬉しいような気もして……

 せっかくなら少しでも可愛く写りたいと、モデル時代を思い出し、背筋を伸ばす。
 

 姿勢を正した蝶梨を、汰一はスマホ越しに見つめ、
 

「…………やっぱり、可愛いな」


 と、目を細め、うわ言のように呟いてから。
 彼女の姿を写そうと、カメラを構え直した…………その時。




「ここ、ここ! ほら、プリ機めっちゃ充実してんの! すごいでしょ?」




 ……そんな明るい声と共に。
 一人の少女が蝶梨の後方に現れた。


 その姿を認めた瞬間……汰一は、一気に正気を取り戻す。


 低めの身長に、愛嬌のある笑顔。
 茶色がかったショートヘアを、頭の左上でちょんと結んでいる。
 軽やかな足取りでこちらへ向かってくるその少女を、汰一は知っていた。

 汰一と蝶梨のクラスメイトにして、二年E組イチの元気娘。
 あの『クロに染まる純情』といういかがわしい漫画を蝶梨に教えた張本人である……


 …………浪川なみかわ結衣ゆい、その人だった。
 
 
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