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第二章 近づく距離と彼女の秘密
3-1 彩岐蝶梨の独白
しおりを挟むお姫さまになりたかった。
華やかなドレスを着て、綺麗なアクセサリーを身につけて。
優しい王子さまのキスで目覚めるような、可愛いお姫さまに。
だけど、
「──蝶梨ちゃんは、背が高くてかっこいいから、王子さま役にピッタリだね!」
小学六年生の秋。
学芸会の役決め会議の結果、王子さま役に抜擢された私に、友だちは満面の笑みで言った。
それに私は、
「……ありがとう」
と、微笑み返すしかなかった。
家に帰り、王子さま役に決まったことを祖母に話すと、彼女はあからさまに顔を顰めた。
「蝶梨が王子? お姫さまじゃなくて?」
「うん」
「蝶梨はそれでよかったの?」
「……みんなの投票で決まったから、期待に応えなきゃ、って思う」
「……そう。ま、それも必要な考えね。おばあちゃんも見に行くから、頑張って練習しなさい」
そう言って、祖母は着物の裾から皺々の手を伸ばし、私の頭を撫でた。
その頃の私は、友だちからの何気ない言葉に傷付き、なるべく大人っぽくてカッコいい服装や振る舞いをしようと躍起になっていた。
その違和感に、祖母は気付いていたのだろう。
気付いた上で、「それも成長の一部だ」と、静かに見守ってくれていたのだ。
学芸会の演目は、誰もが知っている『シンデレラ』。
私は原作の童話を読み込んだり、アニメ化された作品を何度も観たり、王子さまが登場する他のお伽話を研究するなどして、カッコいい王子さまが演じられるよう念入りに準備をした。
その中で、シンデレラが履くガラスの靴のサイズが二十二センチであることを知り、愕然としたのを覚えている。
当時の私は身長もどんどん伸び、二十三センチの靴がキツくなり始めていた。
「……これじゃあ、シンデレラになれなくて当然だ」
自分の足を眺めながら、ため息をついて。
私は、王子さまの練習を続けた。
そうして、学芸会まで残り一週間と迫った頃。
祖母が、急逝した。
突発的な心臓の病気だった。
あまりに突然の出来事に、遺体を目にしても、彼女の死を理解ができなかった。
大好きだったおばあちゃん。
学芸会、楽しみにしてくれていたのに。
練習の成果を見せることは、叶わなかった。
葬儀の時、常に厳格だった祖父が声を上げて泣いていたことが、今も忘れられない。
仲の良い夫婦だった。道場の師範の座を娘である母に託してからは、二人でよく旅行に出かけていた。今度の連休もどこか遠出しようと、楽しそうに話していた。
それなのに……
震える祖父の背中。
愛する人との、突然の別れ。
祖父の気持ちを思うと、悲しみがより一層強くなり、胸が苦しくなった。
そして……
同時に、気付かされた。
……そうか。
人は、死ぬのだ。
どんなに愛し合っていても、側にいることを誓い合っても、死別の運命からは逃れられない。
そんなこと、これまでに読んだどのお伽話にも書いていなかった。
『王子さまと幸せに暮しました』。
それでおしまい。
だから、想像すらしていなかったのだ。
幸せな物語の本当の結末が、こんなにも悲しいものだなんて。
祖母の死を受け入れられないままにバタバタと法要を終え、気付けば学芸会は数日後に迫っていた。
両親は「無理に参加しなくても良い」と言ってくれたが、任された役を放棄するつもりはなかった。
何より、祖母が楽しみにしていた学芸会なのだ。
彼女のためにも、やり遂げなければ──
──そうして、学芸会は無事成功に終わった。
友人や先生に「とてもよかった」と褒められ、期待に応えられたことに嬉しくなった。
帰宅すると、母が一冊の手帳を私に差し出してきた。
それは、祖母が毎日付けていた日記帳だった。
亡くなる数日前のページをめくると、そこにはこんなことが書かれていた。
『蝶梨が、学芸会で王子さま役に決まったとのこと。
周囲に頼られるのは大変良いことだが、あの子はどこか不本意な様子だった。
大丈夫。今は王子さまをやるしかなくても、いつか必ず蝶梨をお姫さまにしてくれる相手が現れる。
田舎者のお転婆娘だった私を、あの人がお姫さまにしてくれたように。
だって蝶梨は、私に似て美人だから。
何より、私にとって蝶梨は、既に世界で一番可愛いお姫さまですよ。』
万年筆で書かれた、達筆な字。
私は、祖母の書く字が好きだった。
優しい声が、温かな手が、凛とした笑顔が好きだった。
でも、もう。
彼女は、いない。
その時ようやく、もう祖母には会えないのだと実感し、私は声を上げて泣いた。
これが、私にとって初めて身近に感じた、人間の『死』だった。
──それから私は、『死』について考えた。
自分の『死』も、大切な人の『死』も、絶対に避けることはできない。
なら、どんな風に死ぬのが、一番幸せだろう?
その答えを、私はお伽話や昔話の中に求めた。
登場人物の『死』を描いた物語は、いくつか存在した。
愛する人を手にかけるくらいならと、自ら泡になることを選んだ人魚姫。
この『死』は、美しいかもしれないが、あまりにも悲しすぎる。
運命に翻弄され、すれ違いの果てに自害したロミオとジュリエット。
これも一つの愛の形と呼べるのだろうが、幸せな『死』とは呼べない。
どうしよう。
幸せな死に方のお手本が見つからない。
どうやって死ぬのが一番良いだろう?
一人で死ぬのは嫌だな。
できることなら……
大切な人の側で、その時を迎えたい。
答えのないその問いに、しばらく囚われていたが──
中学に入学すると新しい生活に忙しくなり、いつの間にか、悩んでいたこと自体忘れてしまっていた。
ただでさえ高かった身長は、中学生になってますます伸び、幼稚で夢見がちな内面を置いたまま、外見だけが大人になった。
小学校に引き続き、私はクールで大人な自分を演じていたが……小学校時代にはなかった変化が訪れた。
それは、男子生徒からの告白。
男子だけじゃない。女子からも何回か「好きです」と言われた。
私は困惑した。
だってその人たちが「好きだ」と言っているのは、本当の私じゃないから。
なんだか騙しているようで申し訳ないと思いながら、それらすべてを丁重に断った。
中学一年の終わり。
街中を歩いていたらスカウトを受けて、一年間だけ雑誌のモデルをやった。
本当の自分を曝け出すきっかけになるのではないかと思って始めたことだったが、可愛くて女の子らしい装いをすることが怖くて、結局クールでボーイッシュなファッションを自ら志願した。
本名を隠し、ショートカットのウィッグを被っていたから、同じ中学の人たちにバレることはなかった。
本当の自分と、周囲が認識する自分とのズレは、日増しに広がっていく。
このままではいけない。
新しい環境に身を置いて、一からやり直さなければ。
そう考え、私は通学圏内で最も偏差値の高い大鳳学院高校を受験することにした。
結果は、合格。
同じ中学からの合格者は、他にいなかった。
これは、チャンスだ。
今こそ小学校時代から続く『クールキャラ』の呪縛を解き放ち、本当の自分を曝け出す時。
大丈夫。怖くない。今までの私を知る人は、誰もいないのだから。
そう心に決め、高校に入学した…………はずだったのだが。
入学直後。
私につけられたのは、『麗氷の蝶』という冷冷たるあだ名だった。
淡々とした口調も表情も、いつの間にか癖になっていて、"素"の自分の出し方をすっかり忘れてしまったのだ。
これでは中学時代の二の舞だ。
もちろん、周りに頼られるのは嫌いじゃない。
先生からは「生徒会役員へ推薦する」とまで言われているし、期待に応えたいとは思う。
だけど本当の私は、ビビりで幼稚で、クールとは程遠い性格なのだ。
いずれ、今の"彩岐蝶梨"を演じることに限界が来ることは目に見えている。
でも……今さらどうやって、"素"を出していけばいいのだろう?
──入学して二ヶ月。
梅雨が近付く、蒸し暑い日だった。
少し遅めの五月病のような状態になっていたのだろう。とにかく一人になりたくて、放課後、私は何気なく中庭を訪れた。
それまで機会がなく、その時初めて中庭に足を踏み入れたのだが……
花壇に植えられた花の美しさに、思わず嘆息したのを覚えている。
知らなかった。
この高校の中庭が、こんなに美しい庭園になっているなんて。
自宅で育てる程に花が好きな私は、綺麗に植えられた花々を夢中で眺めた。
しばらく歩き回っていると……花壇の一角に、誰かがしゃがみ込んでいることに気が付く。
男子生徒だった。
後ろから横顔が僅かに見えるだけだが、少なくとも同じクラスでは見ない顔。
大人しそうというか、ミステリアスというか……少し不思議な雰囲気を醸し出している。
ワイシャツの袖を捲り、両手に軍手を嵌め、何か作業をしているようだった。
……この人が、花壇を綺麗にしているのだろうか?
少し気になり、こっそり様子を窺っていると……
彼は、ぽつりと、
「……ごめんな」
そう、申し訳なさそうに呟いて。
花壇の周りに生えた雑草を…………ズルリと、抜いた。
瞬間。
心臓が、ドキッと跳ね上がる。
どうしてそうなったのかわからない。しかし、何故かその手捌きから目が離せず、しばらく見つめていると……
その後も彼は、丁寧な手つきで、雑草を抜いていった。
その様を見れば見る程、速まる鼓動。
嗚呼、命を奪っているというのに……なんて優しい手捌き。
……そうだ。
彼なら、きっと。
きっと、私のことも…………
…………ん? 『私のことも』、なんだろう?
そう、自分の感情に首を傾げて。
私は、熱くなった身体を抱えたまま、その場を去った。
それから。
私は幾度となく中庭に足を運び、彼が花壇を手入れする様子を盗み見た。
彼の素性が気になり、いろいろと調べ、同じ一年生であることがわかった。
彼の名は、刈磨汰一。
美化委員会に所属する、隣のクラスの……あまり目立たない男子生徒だった。
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