氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

文字の大きさ
上 下
34 / 76
第二章 近づく距離と彼女の秘密

3-1 彩岐蝶梨の独白

しおりを挟む
 




 お姫さまになりたかった。


 華やかなドレスを着て、綺麗なアクセサリーを身につけて。
 優しい王子さまのキスで目覚めるような、可愛いお姫さまに。

 だけど、


「──蝶梨ちゃんは、背が高くてかっこいいから、王子さま役にピッタリだね!」


 小学六年生の秋。
 学芸会の役決め会議の結果、王子さま役に抜擢された私に、友だちは満面の笑みで言った。

 それに私は、


「……ありがとう」


 と、微笑み返すしかなかった。



 家に帰り、王子さま役に決まったことを祖母に話すと、彼女はあからさまに顔をしかめた。


「蝶梨が王子? お姫さまじゃなくて?」
「うん」
「蝶梨はそれでよかったの?」
「……みんなの投票で決まったから、期待に応えなきゃ、って思う」
「……そう。ま、それも必要な考えね。おばあちゃんも見に行くから、頑張って練習しなさい」


 そう言って、祖母は着物の裾から皺々の手を伸ばし、私の頭を撫でた。

 その頃の私は、友だちからの何気ない言葉に傷付き、なるべく大人っぽくてカッコいい服装や振る舞いをしようと躍起になっていた。
 その違和感に、祖母は気付いていたのだろう。
 気付いた上で、「それも成長の一部だ」と、静かに見守ってくれていたのだ。


 学芸会の演目は、誰もが知っている『シンデレラ』。
 私は原作の童話を読み込んだり、アニメ化された作品を何度も観たり、王子さまが登場する他のお伽話を研究するなどして、カッコいい王子さまが演じられるよう念入りに準備をした。

 その中で、シンデレラが履くガラスの靴のサイズが二十二センチであることを知り、愕然としたのを覚えている。
 当時の私は身長もどんどん伸び、二十三センチの靴がキツくなり始めていた。


「……これじゃあ、シンデレラになれなくて当然だ」


 自分の足を眺めながら、ため息をついて。
 私は、王子さまの練習を続けた。




 そうして、学芸会まで残り一週間と迫った頃。

 祖母が、急逝した。




 突発的な心臓の病気だった。
 あまりに突然の出来事に、遺体を目にしても、彼女の死を理解ができなかった。

 大好きだったおばあちゃん。
 学芸会、楽しみにしてくれていたのに。
 練習の成果を見せることは、叶わなかった。


 葬儀の時、常に厳格だった祖父が声を上げて泣いていたことが、今も忘れられない。
 仲の良い夫婦だった。道場の師範の座を娘である母に託してからは、二人でよく旅行に出かけていた。今度の連休もどこか遠出しようと、楽しそうに話していた。
 それなのに……

 震える祖父の背中。
 愛する人との、突然の別れ。

 祖父の気持ちを思うと、悲しみがより一層強くなり、胸が苦しくなった。

 そして……
 同時に、気付かされた。



 ……そうか。
 人は、死ぬのだ。
 どんなに愛し合っていても、側にいることを誓い合っても、死別の運命からは逃れられない。

 そんなこと、これまでに読んだどのお伽話にも書いていなかった。
『王子さまと幸せに暮しました』。
 それでおしまい。

 だから、想像すらしていなかったのだ。
 幸せな物語の本当の結末が、こんなにも悲しいものだなんて。




 祖母の死を受け入れられないままにバタバタと法要を終え、気付けば学芸会は数日後に迫っていた。
 両親は「無理に参加しなくても良い」と言ってくれたが、任された役を放棄するつもりはなかった。
 何より、祖母が楽しみにしていた学芸会なのだ。
 彼女のためにも、やり遂げなければ──



 ──そうして、学芸会は無事成功に終わった。
 友人や先生に「とてもよかった」と褒められ、期待に応えられたことに嬉しくなった。

 帰宅すると、母が一冊の手帳を私に差し出してきた。
 それは、祖母が毎日付けていた日記帳だった。

 亡くなる数日前のページをめくると、そこにはこんなことが書かれていた。



『蝶梨が、学芸会で王子さま役に決まったとのこと。
 周囲に頼られるのは大変良いことだが、あの子はどこか不本意な様子だった。
 大丈夫。今は王子さまをやるしかなくても、いつか必ず蝶梨をお姫さまにしてくれる相手が現れる。
 田舎者のお転婆てんば娘だった私を、あの人がお姫さまにしてくれたように。
 だって蝶梨は、私に似て美人だから。
 何より、私にとって蝶梨は、既に世界で一番可愛いお姫さまですよ。』



 万年筆で書かれた、達筆な字。
 私は、祖母の書く字が好きだった。
 優しい声が、温かな手が、凛とした笑顔が好きだった。

 でも、もう。
 彼女は、いない。


 その時ようやく、もう祖母には会えないのだと実感し、私は声を上げて泣いた。
 これが、私にとって初めて身近に感じた、人間の『死』だった。




 ──それから私は、『死』について考えた。

 自分の『死』も、大切な人の『死』も、絶対に避けることはできない。
 なら、どんな風に死ぬのが、一番幸せだろう?

 その答えを、私はお伽話や昔話の中に求めた。
 登場人物の『死』を描いた物語は、いくつか存在した。


 愛する人を手にかけるくらいならと、自ら泡になることを選んだ人魚姫。
 この『死』は、美しいかもしれないが、あまりにも悲しすぎる。

 運命に翻弄され、すれ違いの果てに自害したロミオとジュリエット。
 これも一つの愛の形と呼べるのだろうが、幸せな『死』とは呼べない。


 どうしよう。
 幸せな死に方のお手本が見つからない。
 どうやって死ぬのが一番良いだろう?
 一人で死ぬのは嫌だな。
 できることなら……

 大切な人の側で、その時を迎えたい。



 答えのないその問いに、しばらく囚われていたが──

 中学に入学すると新しい生活に忙しくなり、いつの間にか、悩んでいたこと自体忘れてしまっていた。





 ただでさえ高かった身長は、中学生になってますます伸び、幼稚で夢見がちな内面を置いたまま、外見だけが大人になった。
 小学校に引き続き、私はクールで大人な自分を演じていたが……小学校時代にはなかった変化が訪れた。

 それは、男子生徒からの告白。
 男子だけじゃない。女子からも何回か「好きです」と言われた。

 私は困惑した。
 だってその人たちが「好きだ」と言っているのは、本当の私じゃないから。

 なんだか騙しているようで申し訳ないと思いながら、それらすべてを丁重に断った。



 中学一年の終わり。
 街中を歩いていたらスカウトを受けて、一年間だけ雑誌のモデルをやった。
 本当の自分を曝け出すきっかけになるのではないかと思って始めたことだったが、可愛くて女の子らしい装いをすることが怖くて、結局クールでボーイッシュなファッションを自ら志願した。
 本名を隠し、ショートカットのウィッグを被っていたから、同じ中学の人たちにバレることはなかった。


 本当の自分と、周囲が認識する自分とのズレは、日増しに広がっていく。
 このままではいけない。
 新しい環境に身を置いて、一からやり直さなければ。

 そう考え、私は通学圏内で最も偏差値の高い大鳳おおとり学院高校を受験することにした。

 結果は、合格。
 同じ中学からの合格者は、他にいなかった。



 これは、チャンスだ。
 今こそ小学校時代から続く『クールキャラ』の呪縛を解き放ち、本当の自分を曝け出す時。
 大丈夫。怖くない。今までの私を知る人は、誰もいないのだから。

 そう心に決め、高校に入学した…………はずだったのだが。


 入学直後。
 私につけられたのは、『麗氷の蝶』という冷冷たるあだ名だった。


 淡々とした口調も表情も、いつの間にか癖になっていて、""の自分の出し方をすっかり忘れてしまったのだ。

 これでは中学時代の二の舞だ。
 もちろん、周りに頼られるのは嫌いじゃない。
 先生からは「生徒会役員へ推薦する」とまで言われているし、期待に応えたいとは思う。
 だけど本当の私は、ビビりで幼稚で、クールとは程遠い性格なのだ。
 いずれ、今の"彩岐蝶梨"を演じることに限界が来ることは目に見えている。

 でも……今さらどうやって、"素"を出していけばいいのだろう?




 ──入学して二ヶ月。
 梅雨が近付く、蒸し暑い日だった。

 少し遅めの五月病のような状態になっていたのだろう。とにかく一人になりたくて、放課後、私は何気なく中庭を訪れた。

 それまで機会がなく、その時初めて中庭に足を踏み入れたのだが……
 花壇に植えられた花の美しさに、思わず嘆息したのを覚えている。

 知らなかった。
 この高校の中庭が、こんなに美しい庭園になっているなんて。

 自宅で育てる程に花が好きな私は、綺麗に植えられた花々を夢中で眺めた。
 しばらく歩き回っていると……花壇の一角に、誰かがしゃがみ込んでいることに気が付く。


 男子生徒だった。
 後ろから横顔が僅かに見えるだけだが、少なくとも同じクラスでは見ない顔。
 大人しそうというか、ミステリアスというか……少し不思議な雰囲気を醸し出している。
 ワイシャツの袖を捲り、両手に軍手を嵌め、何か作業をしているようだった。

 ……この人が、花壇を綺麗にしているのだろうか?

 少し気になり、こっそり様子を窺っていると……
 彼は、ぽつりと、


「……ごめんな」


 そう、申し訳なさそうに呟いて。
 花壇の周りに生えた雑草を…………ズルリと、抜いた。


 瞬間。
 心臓が、ドキッと跳ね上がる。


 どうしてそうなったのかわからない。しかし、何故かその手捌きから目が離せず、しばらく見つめていると……
 その後も彼は、丁寧な手つきで、雑草を抜いていった。

 その様を見れば見る程、速まる鼓動。
 嗚呼、命を奪っているというのに……なんて優しい手捌き。


 ……そうだ。
 彼なら、きっと。
 きっと、私のことも…………

 …………ん? 『私のことも』、なんだろう?


 そう、自分の感情に首を傾げて。
 私は、熱くなった身体を抱えたまま、その場を去った。





 それから。
 私は幾度となく中庭に足を運び、彼が花壇を手入れする様子を盗み見た。

 彼の素性が気になり、いろいろと調べ、同じ一年生であることがわかった。


 彼の名は、刈磨汰一。


 美化委員会に所属する、隣のクラスの……あまり目立たない男子生徒だった。
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺たちの共同学園生活

雪風 セツナ
青春
初めて執筆した作品ですので至らない点が多々あると思いますがよろしくお願いします。 2XXX年、日本では婚姻率の低下による出生率の低下が問題視されていた。そこで政府は、大人による婚姻をしなくなっていく風潮から若者の意識を改革しようとした。そこて、日本本島から離れたところに東京都所有の人工島を作り上げ高校生たちに対して特別な制度を用いた高校生活をおくらせることにした。 しかしその高校は一般的な高校のルールに当てはまることなく数々の難題を生徒たちに仕向けてくる。時には友人と協力し、時には敵対して競い合う。 そんな高校に入学することにした新庄 蒼雪。 蒼雪、相棒・友人は待ち受ける多くの試験を乗り越え、無事に学園生活を送ることができるのか!?

俯く俺たちに告ぐ

青春
【第13回ドリーム小説大賞優秀賞受賞しました。有難う御座います!】 仕事に悩む翔には、唯一頼りにしている八代先輩がいた。 ある朝聞いたのは八代先輩の訃報。しかし、葬式の帰り、自分の部屋には八代先輩(幽霊)が! 幽霊になっても頼もしい先輩とともに、仕事を次々に突っ走り前を向くまでの青春社会人ストーリー。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...