氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

文字の大きさ
上 下
21 / 76
〜幕間〜

天秤を揺らす風 4

しおりを挟む
 



「になよひめの、かみ……?」



 汰一が聞き返すと、幼女は「うむっ」と頷き、


「そうじゃ。いい名じゃろ? 敬愛を込めて『艿那になちゃん』と呼ぶがいい」


 腰に手を当て、えっへんと胸を反らす。
 その幼女然とした振る舞いに、汰一は思わず半眼になる。


 この"境界"に呼び込んだということは、この子も神だと考えて良いのだろうけど……
 柴崎といい、どうしてこう神らしくない神にばかり相見あいまみえるのか。


 などと少々呆れるが、考えている暇はなかった。
 汰一は、急ぎ用件を聞くことにする。


「それで? でかい"厄"が来ているっていうのは本当なのか?」


 それに、小さな"福神ふくのかみ"── 艿那になはハッとなる。


「そうじゃ、今この建物の上空におる。ぬしの式神が祓おうと頑張っておるが、あの姿では効率が悪過ぎる。このままでは、あの"エンシ"にまで危害が及ぶぞ!」


 どうやら先日の"影の達磨だるま"と同じような……あるいはそれ以上の悪霊が迫っているらしい。

 汰一はポケットに手を入れ、柴崎にもらった御守りを握り、


「おい、柴崎。彩岐がピンチだ、何とかしろ」


 そう、呼びかけてみる。が……
 反応は、返って来なかった。


 あのチャラ神め、肝心な時に頼りにならない。
 しかし、あいつの応答を待っている暇はない。

 俺が……何とかしなければ。


 屋上へ向かおうと、汰一は色を失くした廊下を駆け出す……が、すぐに足を止める。

 この間のような戦い方が求められるなら、武器が必要だ。
 当然、竹刀しないは持って来ていない。ならば……


 汰一はきびすを返し、男子トイレへと駆け込む。
 そして、一番奥にある掃除用具入れを開け、デッキブラシを一本引ったくった。
 強度に不安はあるが、丸腰よりはマシだろう。


「何をしておる! 早く!!」


 律儀にトイレの外で待つ艿那になに呼びかけられ、汰一は廊下へ戻る。
 そして再び屋上を目指し、走り出した。





 ──施錠されていた屋上への扉は、艿那が念じただけであっさりと開いた。

 デッキブラシを手に屋上へ出た瞬間、豪風と雨粒が汰一に吹き付ける。
 思わず閉じた目を、すぐに開くと……


「…………なんだ、こいつは……」


 眼前に広がる光景に、汰一は絶句した。


 頭上を覆う、真っ黒な影。
 雨雲と見紛う程に巨大なそれは、血を吸い膨らんだひるのような形をしていた。


 こんな大きさの"厄"がいるなんて……こないだの"達磨だるま"の三倍はでかい。


 あまりの大きさに息を呑んでいると、視界に一筋の閃光が現れる。
 カマイタチだ。細長い身体をピンと張り詰め、一直線に"影の蛭"へと飛んで行く。

 そのまま何度か突進し、大きな口で"蛭"の身体を食い千切っていくが……
 まるでクジラに楯突くコバンザメ。体格差がありすぎる。
 食い尽くすのに途方もない時間がかかることは、一目瞭然だった。


 この間のように、カマイタチをモップに纏わせ斬るしかない。
 しかし問題は、どうやって空中に浮かぶ"厄"に近付くか、である。

 汰一は、隣に立つ小さな神に助言を求めることにする。


「えぇと……になよの……」
艿那になちゃんじゃ!」
艿那になちゃん。あの"厄"に近付くにはどうすればいい?」


 すると、彼女はニヤリと笑って、


「任せろ。われは"福神ふくのかみ"にして、風を司る風神ふうじんぞ? 人の子ひとり持ち上げることなど訳ないわ」


 そう言うと、小さな手のひらに団扇うちわを出現させる。
 その団扇を汰一に向け、円を描くと……
 柔らかな風が生まれ、汰一の身体を包み込んだ。

 直後、


「……うぉっ」


 汰一の足が、ふわりと浮いた。
 その隣で、艿那も重力を無視し浮き上がる。


「さぁ、このまま飛んでいくぞ!」
「まじかよ……どうやって?」
「こうじゃ!」


 両手を上げ、ぴゅーっと上昇する艿那。
 汰一も真似するように手を上げて、浮いた足で屋上の床を蹴る。
 すると、水中で蹴伸びをするのと同じような感覚で身体が上昇した。
 そのまま、みるみる内に頭上の"蛭"へと近付く。

 汰一の接近に気付いたのか、"蛭"を喰らっていたカマイタチがびゅんと彼の元へ飛んで来た。
 そのまま甘えるように腕に巻き付いてくるので、汰一はその身体に傷がないか確認する。


「……よかった、怪我はしていないみたいだな」
「呑気なことを言うている場合ではない! 早う変化へんげさせて"厄"を祓うのじゃ!!」


 ぱたぱたと手を振りながら、艿那が急かすが……
 しかし汰一は、苦笑いをして、


「それって、武器の姿に形に変える、ってやつか? 悪いが、俺にはそれができない」
「何故じゃ! そやつの主人あるじはぬしじゃろ?! 真名まなを呼べば簡単に……!!」


 真名……というのは、このカマイタチの本当の名前という意味だろうか?
 なるほど。式神を変化へんげさせるには、真名を呼ぶことが必要らしい。
 しかし……


生憎あいにく俺はただの人間だから、神のやり方は真似できない。代わりに……」


 汰一の言葉に合わせるように、カマイタチの身体がに姿を変える。
 そして、



「……人間おれのやり方で、彩岐を護る」



 手にしたデッキブラシに、風と化したカマイタチが竜巻のように纏わり付いた。


 その時、悠然と漂っていた"影の蛭"が動いた。
 空中を泳ぐように身体をうねらせると、頭と思しき方を汰一たち向け……
 歯のない巨大な口を、ばかっと開けた。


「ぎゃーっ! 気付かれたーっ!!」


 叫びながら、ぴゅーっと離れる艿那。
 汰一は、風を纏ったデッキブラシを構え……
 宙を蹴るようにして、"蛭"へと向かって飛んだ。


 飲み込もうとしているのか、大きな口を開けたまま迫り来る"蛭"。
 それに、汰一はギリギリまで近付き……
 口に飛び込む直前に急下降し、"蛭"の身体の下へと入り込む。
 そして、デッキブラシを横薙ぎに振るった。

 刹那、ブラシのから"風のやいば"が放たれる。
 鋭利な刃が"蛭"の身体を斬り裂き、さらにその断面がボコボコとえぐれた。

 抵抗し、逃げようと動く"蛭"。
 それを追いながら、汰一はブラシを何度も振るっていく。


「す、すごい……」


 "風のやいば"が"蛭"の身体を次々に削っていく様を、艿那は驚きながら見つめる。

 が、"蛭"も大人しくやられているだけではなかった。
 軟体動物のような動きで身体をしならせ、逃げる速度を急速に上げる。

 しかも、その向かう先は高校の校舎……蝶梨がいる二年E組の教室の方だ。


「まずい……!」


 足止めしようと併走しながらブラシを振るうが、"蛭"は止まらない。
 なす術もなく、あっという間に校舎へ到達してしまう……かと思われたが、



「えぇーいっ!!」



 そんな声と共に、艿那が団扇を下から上へ掬うように振るった。
 直後、猛烈な向かい風が巻き起こり、"蛭"の身体がひっくり返る。

「今じゃ!」という艿那の声より早く、汰一は動いていた。

 動きを止めた"蛭"を目掛けて宙を駆けると、勢いを殺さないまま尻尾から胴体にかけてを乱れ斬っていく。

 "風のやいば"が触れた箇所から、塵のように消失していく"蛭"の身体。


「このまま、頭まで斬り裂けば……!!」


 額に汗を滲ませながら、汰一はブラシを振るい続ける。
 そうして、長大な全長の半分程まで消し去った……その時。


 "蛭"が、再び動いた。


 最後の足掻きを見せるように、残った半身をビクビクッと痙攣させると……

 弾けるような速さで起き上がり。
 そのまま、口を大きく開け……


 汰一の身体を、丸呑みにした。



「……! 小僧!!」


 艿那の叫びが、濁って聞こえてくる。


 "蛭"の口の中は、底なしの沼のようだった。
 闇をドロドロに溶かしたような、黒い水。
 息ができず、もがけばもがく程におくへと飲み込まれる。


(まずい……早く斬らなきゃ……!!)


 汰一は息を止めながらデッキブラシを振るうが……"風のやいば"は発現しない。

 水中だと、風が起こせないのだろうか?
 カマイタチの様子を確認したいが、一寸先も見えぬ程の闇に包まれ叶わない。

 焦る汰一の耳に……どこからか、声が聞こえてくる。



『…………暗いよ……』



 それは、幼い声。
 小さな子どもが、何かに怯えているような声。



『怖いよ……』
『寒いよ……』
『寂しいよ……』
『お母さん、どこ?』
『なんで見つけてくれないの?』
『僕はここにいるのに……』



 声と共に、様々な感情が汰一に流れ込んでくる。


 不安。
 孤独。
 恐怖。
 絶望。
 そして……

 憎悪。


 これは、この"厄"の……霊魂の感情か?
 "厄"は、この世に強い未練を残し、転生を拒む魂が悪霊化したもの。

 この魂は……幼い子どものものだったのだろうか?


 しかし、その思考も闇に飲み込まれる。
 酸素が足りない。身体が、ひどく冷たい。

 暗い。
 怖い。
 寂しい。

 気が狂いそうな程の絶望が、汰一の心を侵蝕しんしょくする。
 どこからが"厄"の感情で、どこまでが自分の感情なのか、境目がわからなくなる。



 駄目だ。飲まれるな。
 彩岐を護らなきゃ。
 こんなでかい"厄"に触れられたら、どんなわざわいが起きるかわからない。

 耐えろ。抗え。
 飲まれる前に、飲み込め。
 そうやって、ねじ伏せたじゃないか。



 だって。




 汰一は、目を閉じる。
 そして、自らの魂の深いところに触れようとした────その時。






「──お待たせ、汰一クン」




 あの、癪に触る声が聞こえ……

 周囲を包む闇を、閃光が斬り裂いた。
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺たちの共同学園生活

雪風 セツナ
青春
初めて執筆した作品ですので至らない点が多々あると思いますがよろしくお願いします。 2XXX年、日本では婚姻率の低下による出生率の低下が問題視されていた。そこで政府は、大人による婚姻をしなくなっていく風潮から若者の意識を改革しようとした。そこて、日本本島から離れたところに東京都所有の人工島を作り上げ高校生たちに対して特別な制度を用いた高校生活をおくらせることにした。 しかしその高校は一般的な高校のルールに当てはまることなく数々の難題を生徒たちに仕向けてくる。時には友人と協力し、時には敵対して競い合う。 そんな高校に入学することにした新庄 蒼雪。 蒼雪、相棒・友人は待ち受ける多くの試験を乗り越え、無事に学園生活を送ることができるのか!?

俯く俺たちに告ぐ

青春
【第13回ドリーム小説大賞優秀賞受賞しました。有難う御座います!】 仕事に悩む翔には、唯一頼りにしている八代先輩がいた。 ある朝聞いたのは八代先輩の訃報。しかし、葬式の帰り、自分の部屋には八代先輩(幽霊)が! 幽霊になっても頼もしい先輩とともに、仕事を次々に突っ走り前を向くまでの青春社会人ストーリー。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...