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〜幕間〜
天秤を揺らす風 4
しおりを挟む「になよひめの、かみ……?」
汰一が聞き返すと、幼女は「うむっ」と頷き、
「そうじゃ。いい名じゃろ? 敬愛を込めて『艿那ちゃん』と呼ぶがいい」
腰に手を当て、えっへんと胸を反らす。
その幼女然とした振る舞いに、汰一は思わず半眼になる。
この"境界"に呼び込んだということは、この子も神だと考えて良いのだろうけど……
柴崎といい、どうしてこう神らしくない神にばかり相見えるのか。
などと少々呆れるが、考えている暇はなかった。
汰一は、急ぎ用件を聞くことにする。
「それで? でかい"厄"が来ているっていうのは本当なのか?」
それに、小さな"福神"── 艿那はハッとなる。
「そうじゃ、今この建物の上空におる。ぬしの式神が祓おうと頑張っておるが、あの姿では効率が悪過ぎる。このままでは、あの"エンシ"にまで危害が及ぶぞ!」
どうやら先日の"影の達磨"と同じような……あるいはそれ以上の悪霊が迫っているらしい。
汰一はポケットに手を入れ、柴崎にもらった御守りを握り、
「おい、柴崎。彩岐がピンチだ、何とかしろ」
そう、呼びかけてみる。が……
反応は、返って来なかった。
あのチャラ神め、肝心な時に頼りにならない。
しかし、あいつの応答を待っている暇はない。
俺が……何とかしなければ。
屋上へ向かおうと、汰一は色を失くした廊下を駆け出す……が、すぐに足を止める。
この間のような戦い方が求められるなら、武器が必要だ。
当然、竹刀は持って来ていない。ならば……
汰一は踵を返し、男子トイレへと駆け込む。
そして、一番奥にある掃除用具入れを開け、デッキブラシを一本引ったくった。
強度に不安はあるが、丸腰よりはマシだろう。
「何をしておる! 早く!!」
律儀にトイレの外で待つ艿那に呼びかけられ、汰一は廊下へ戻る。
そして再び屋上を目指し、走り出した。
──施錠されていた屋上への扉は、艿那が念じただけであっさりと開いた。
デッキブラシを手に屋上へ出た瞬間、豪風と雨粒が汰一に吹き付ける。
思わず閉じた目を、すぐに開くと……
「…………なんだ、こいつは……」
眼前に広がる光景に、汰一は絶句した。
頭上を覆う、真っ黒な影。
雨雲と見紛う程に巨大なそれは、血を吸い膨らんだ蛭のような形をしていた。
こんな大きさの"厄"がいるなんて……こないだの"達磨"の三倍はでかい。
あまりの大きさに息を呑んでいると、視界に一筋の閃光が現れる。
カマイタチだ。細長い身体をピンと張り詰め、一直線に"影の蛭"へと飛んで行く。
そのまま何度か突進し、大きな口で"蛭"の身体を食い千切っていくが……
まるでクジラに楯突くコバンザメ。体格差がありすぎる。
食い尽くすのに途方もない時間がかかることは、一目瞭然だった。
この間のように、カマイタチをモップに纏わせ斬るしかない。
しかし問題は、どうやって空中に浮かぶ"厄"に近付くか、である。
汰一は、隣に立つ小さな神に助言を求めることにする。
「えぇと……になよの……」
「艿那ちゃんじゃ!」
「艿那ちゃん。あの"厄"に近付くにはどうすればいい?」
すると、彼女はニヤリと笑って、
「任せろ。われは"福神"にして、風を司る風神ぞ? 人の子ひとり持ち上げることなど訳ないわ」
そう言うと、小さな手のひらに団扇を出現させる。
その団扇を汰一に向け、円を描くと……
柔らかな風が生まれ、汰一の身体を包み込んだ。
直後、
「……うぉっ」
汰一の足が、ふわりと浮いた。
その隣で、艿那も重力を無視し浮き上がる。
「さぁ、このまま飛んでいくぞ!」
「まじかよ……どうやって?」
「こうじゃ!」
両手を上げ、ぴゅーっと上昇する艿那。
汰一も真似するように手を上げて、浮いた足で屋上の床を蹴る。
すると、水中で蹴伸びをするのと同じような感覚で身体が上昇した。
そのまま、みるみる内に頭上の"蛭"へと近付く。
汰一の接近に気付いたのか、"蛭"を喰らっていたカマイタチがびゅんと彼の元へ飛んで来た。
そのまま甘えるように腕に巻き付いてくるので、汰一はその身体に傷がないか確認する。
「……よかった、怪我はしていないみたいだな」
「呑気なことを言うている場合ではない! 早う変化させて"厄"を祓うのじゃ!!」
ぱたぱたと手を振りながら、艿那が急かすが……
しかし汰一は、苦笑いをして、
「それって、武器の姿に形に変える、ってやつか? 悪いが、俺にはそれができない」
「何故じゃ! そやつの主人はぬしじゃろ?! 真名を呼べば簡単に……!!」
真名……というのは、このカマイタチの本当の名前という意味だろうか?
なるほど。式神を変化させるには、真名を呼ぶことが必要らしい。
しかし……
「生憎俺はただの人間だから、神のやり方は真似できない。代わりに……」
汰一の言葉に合わせるように、カマイタチの身体が風そのものに姿を変える。
そして、
「……人間のやり方で、彩岐を護る」
手にしたデッキブラシに、風と化したカマイタチが竜巻のように纏わり付いた。
その時、悠然と漂っていた"影の蛭"が動いた。
空中を泳ぐように身体をうねらせると、頭と思しき方を汰一たち向け……
歯のない巨大な口を、ばかっと開けた。
「ぎゃーっ! 気付かれたーっ!!」
叫びながら、ぴゅーっと離れる艿那。
汰一は、風を纏ったデッキブラシを構え……
宙を蹴るようにして、"蛭"へと向かって飛んだ。
飲み込もうとしているのか、大きな口を開けたまま迫り来る"蛭"。
それに、汰一はギリギリまで近付き……
口に飛び込む直前に急下降し、"蛭"の身体の下へと入り込む。
そして、デッキブラシを横薙ぎに振るった。
刹那、ブラシの柄から"風の刃"が放たれる。
鋭利な刃が"蛭"の身体を斬り裂き、さらにその断面がボコボコと抉れた。
抵抗し、逃げようと動く"蛭"。
それを追いながら、汰一はブラシを何度も振るっていく。
「す、すごい……」
"風の刃"が"蛭"の身体を次々に削っていく様を、艿那は驚きながら見つめる。
が、"蛭"も大人しくやられているだけではなかった。
軟体動物のような動きで身体をしならせ、逃げる速度を急速に上げる。
しかも、その向かう先は高校の校舎……蝶梨がいる二年E組の教室の方だ。
「まずい……!」
足止めしようと併走しながらブラシを振るうが、"蛭"は止まらない。
なす術もなく、あっという間に校舎へ到達してしまう……かと思われたが、
「えぇーいっ!!」
そんな声と共に、艿那が団扇を下から上へ掬うように振るった。
直後、猛烈な向かい風が巻き起こり、"蛭"の身体がひっくり返る。
「今じゃ!」という艿那の声より早く、汰一は動いていた。
動きを止めた"蛭"を目掛けて宙を駆けると、勢いを殺さないまま尻尾から胴体にかけてを乱れ斬っていく。
"風の刃"が触れた箇所から、塵のように消失していく"蛭"の身体。
「このまま、頭まで斬り裂けば……!!」
額に汗を滲ませながら、汰一はブラシを振るい続ける。
そうして、長大な全長の半分程まで消し去った……その時。
"蛭"が、再び動いた。
最後の足掻きを見せるように、残った半身をビクビクッと痙攣させると……
弾けるような速さで起き上がり。
そのまま、口を大きく開け……
汰一の身体を、丸呑みにした。
「……! 小僧!!」
艿那の叫びが、濁って聞こえてくる。
"蛭"の口の中は、底なしの沼のようだった。
闇をドロドロに溶かしたような、黒い水。
息ができず、もがけばもがく程に胎へと飲み込まれる。
(まずい……早く斬らなきゃ……!!)
汰一は息を止めながらデッキブラシを振るうが……"風の刃"は発現しない。
水中だと、風が起こせないのだろうか?
カマイタチの様子を確認したいが、一寸先も見えぬ程の闇に包まれ叶わない。
焦る汰一の耳に……どこからか、声が聞こえてくる。
『…………暗いよ……』
それは、幼い声。
小さな子どもが、何かに怯えているような声。
『怖いよ……』
『寒いよ……』
『寂しいよ……』
『お母さん、どこ?』
『なんで見つけてくれないの?』
『僕はここにいるのに……』
声と共に、様々な感情が汰一に流れ込んでくる。
不安。
孤独。
恐怖。
絶望。
そして……
憎悪。
これは、この"厄"の……霊魂の感情か?
"厄"は、この世に強い未練を残し、転生を拒む魂が悪霊化したもの。
この魂は……幼い子どものものだったのだろうか?
しかし、その思考も闇に飲み込まれる。
酸素が足りない。身体が、ひどく冷たい。
暗い。
怖い。
寂しい。
気が狂いそうな程の絶望が、汰一の心を侵蝕する。
どこからが"厄"の感情で、どこまでが自分の感情なのか、境目がわからなくなる。
駄目だ。飲まれるな。
彩岐を護らなきゃ。
こんなでかい"厄"に触れられたら、どんな禍が起きるかわからない。
耐えろ。抗え。
飲まれる前に、飲み込め。
そうやって、ねじ伏せたじゃないか。
あの時だって。
汰一は、目を閉じる。
そして、自らの魂の深いところに触れようとした────その時。
「──お待たせ、汰一クン」
あの、癪に触る声が聞こえ……
周囲を包む闇を、閃光が斬り裂いた。
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