氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

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第一章 訪れた幸運と非日常

7 蝶、花と戯れる

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「──いつ見ても綺麗だね」



 辿り着いた花壇を前にし、蝶梨は髪を耳にかけながらそう言った。

 スカートの裾を押さえゆっくりとしゃがみ、花を眺める横顔に、汰一は……


「……そうだな、綺麗だ」


 と、うわ言のように呟いた。

 蝶梨がいるだけで、見慣れた中庭の花壇が西洋の城の庭園かのように見えてくる。
 花を愛でる姿は、その名の通り美しい蝶のようだった。


 ……と、つい見惚れてしまった汰一は、気を取り直すように「んんっ」と咳払いをし、


「じゃあ早速、チューリップの花摘みをやってみようか」


 と、物置ものおきから取ってきた軍手を蝶梨に渡した。
 彼女は受け取りながら、小首を傾げて彼を見上げる。


「はなつみ?」
「そう。ほら、昨日話したやつ。栄養豊富な球根を残すために、茎を折って花の部分を切除するんだ」


 言って、昨日野球ボールを喰らう直前まで作業していたチューリップを指さす。
 花をもがれ、緑の葉と真っ直ぐに伸びた茎だけを土から生やした、何ともシュールな光景だ。

 それに、蝶梨は……
 何故か「ごくっ」と喉を鳴らして、


「くっ……首が……」
「え?」
「……何でもない。どんな風にやるか、もう一度見せてもらってもいい? 参考にしたい」
「いいよ。と言っても、こうやって茎をポキッて折るだけなんだけどな」


 言いながら、汰一は彼女の隣にしゃがんで……
 残っていたチューリップの花を、ポキッと摘んだ。

 瞬間。



「はぅっ」



 彼女の口からそんな声が上がり、汰一は「へ?」とそちらを向く。すると……

 どういうわけか、彼女は。
 両手で口を押さえ、顔を真っ赤にしていて……


「……さ、彩岐?」
「はっ。ご、ごめんなさい。すごい、思い切りがいいなって……」
「あぁ、ごめん。驚かせたな。確かにちょっと胸が痛くなる作業だし、やっぱり他のをやろうか?」
「ううん、大丈夫。来年も咲かせるために必要な作業なら、ちゃんと覚えたいから……もっと、見せてほしい」


 心なしか声が上擦っている。目線も泳いでいて、どこか落ち着きがない様子だ。
 首(正しくは茎)を折られたチューリップに心を痛めているのなら、無理に見せたくはないと汰一は思うが……


「……本当に大丈夫か?」
「うん、大丈夫。続けて」


 じっ、と見つめ返す彼女の目は、真剣というよりはどこか必死に見えた。
 そんなに熱心に覚えようとしているならと、汰一は花摘みを続けることにする。

 チューリップの花の下、細い茎の部分に手を伸ばし……


「……ごめんな」


 そう呟いてから。
 一つずつ、茎を折り始めた。



 ──ポキッ。


「っ……」


 ──ポキッ。


「ひっ……」


 ──ポキッ。


「ん……っ」


 ──ポキッ。


「あっ……」



 ……ちょっと待て。



「…………彩岐、本当に大丈夫か?」


 汰一は手を止め、蝶梨の様子を窺う。



 ……一体、どういうことだ。
 花を一つ、また一つと摘む度に……

 彼女が横で、頬を上気させながら、悩ましげな声を漏らすのですが……?



 汰一が困惑していると、蝶梨は口元を手で押さえ、


「ん……だいじょぶ……ごめん……」


 と、指の隙間から吐息を漏らしながら答えた。
 その瞳は、心なしか潤んで見える。


 ……何なんだ、この反応は。
 なんだかすごくイケナイコトをしている気分になる。

 あれだろうか。共感というか、感情移入が強すぎるタイプなのか? 
 折られている時のチューリップの心情とかを想像し、声が出てしまうのだろうか?

 いずれにせよ、そんな艶っぽい反応されると……こちらの身が持たない。


 汰一は、すくっと立ち上がって、


「……と、花摘みはこんな感じだ。あとは葉や茎が枯れたら球根を収穫する。それまでは放置だ」


 そう言って、花摘みの作業を切り上げることにする。
 このまま続けてもお互いのためにならない。そんな気がしたのだ。
 しかし蝶梨は、「え?」と声を上げ、


「も、もう終わりにしちゃうの?」


 と、何故か少し残念そうに汰一を見上げてくるので……
 汰一は疑問を深めつつ、「うん」と頷く。


「次は別の花の手入れをしよう。彩岐の家にはチューリップの他にどんな花が植っているんだ?」
「えと……バラとかツツジとか、紫陽花あじさいとか」
「なら、紫陽花のをしてみようか。ちょうどやろうと思っていたんだ」


 汰一は、花壇の端に植わっている紫陽花の方へと移動する。
 花の時期には少し早いが、新しい芽が少しずつ出ている。白色という紫陽花にしては珍しい色の花をつけるその株を、汰一は大切に育てたいと考えていた。

 蝶梨も後に続き、彼に近付いて、


「とりき……って、何をするの?」


 そのまま、汰一の隣にしゃがみ込んだ。

 瞬間、ふわっと香る甘い匂い。
 その近さに、汰一の鼓動が加速する。


 こんな近くに寄って来てくれるのは、信頼されているからなのか、それとも何とも思われていないからなのか……
 ……まぁ、間違いなく後者だろう。


 と、胸の内の複雑な緊張感を悟られぬよう、汰一は目の前に植わっている紫陽花を指さす。


「芽の付いた枝を土に埋めて、そこから新しい株を作るんだ。この紫陽花、長いこと放置されてて枯れ気味だから……」
「……埋める?」


 突然、彼女が被せ気味に尋ねるので、汰一が驚きながらも「あぁ」と答えると、


「それってつまり……生きている枝を、埋めるってこと?」


 こぶしをきゅっと握りながら、神妙な面持ちで尋ねる蝶梨。
 その表情に、汰一は困惑しつつも頷く。


「まぁ……そうなるけど」
「……そんなことして、大丈夫なの?」
「もちろん大丈夫だよ。不思議なことに、そこから根が出て新しい株ができるんだ。ちょっと残酷に見えるけど、歴とした手入れの一つだよ」
「……そっか」


 すんと落ち着いて目を逸らす彼女に……汰一は、ますます疑念を深める。


 元からクールで、感情をあまり表に出さない彼女だが……
 今はそれとは違う理由で、彼女が何を考えているのかわからなかった。

 花を痛めつけるような行為に過剰反応しているようにも思えるが、単純に慣れていないだけなのだろうか?
 とりあえず本人が花の手入れを知りたがっているのだから、明確な拒絶がない限りは続けることにしよう。


 気を取り直し、汰一は取り木の説明を始めることにする。


ぎ木は聞いたことあっても、取り木は知らない人多いよな。まず、この芽が出ている枝の部分を地面に着くように折り曲げて、針金で固定する」


 汰一は紫陽花の枝を掻き分け、緑色の芽が付いたものを掴む。
 そして、用意していた針金をU字に曲げ、枝を固定するように地面に挿し込んだ。


「あとはこの芽の部分に土を被せてやれば……数ヶ月でここから根が出て、新しい株が出来上がる。そしたら、若くて元気な紫陽花を増やすことが…………」


 と、説明しながら蝶梨の方を見ると、


「………………」


 彼女は、ほんのり頬を染めて。
 口に当てた両手の隙間から、熱い吐息を漏らし……
 汰一が枝に土をかける様を、じっと見つめていた。


 ……いや、だから。
 一体何がどうしたらそういう反応になるんだよ??



「……彩岐、具合でも悪いのか?」


 いよいよ本気で心配になり、汰一は作業の手を止める。


「ぼーっとしているし、顔も赤い。もしかして、俺が怪我しているからって無理に手伝おうとしていないか?」
「え?」
「体調、あまり良くないんだろう? それとも本当はこういうのが苦手とか……いずれにせよ、俺の怪我のせいで付き合ってくれているなら無理はしないでくれ。ほら、左腕は完全に治っているから」


 言いながら、汰一は昨日まで折れていた左腕を動かしてみせる。


 そうだ。そうに違いない。
 真面目で責任感の強い彼女だから、事故に遭った上にエラーボールまで喰らうような情けないクラスメイトを心配して、体調不良にも関わらず付き添ってくれているのだ。
 花の手入れに興味があるという話自体、嘘なのかもしれない。


 と、一人納得する汰一だったが……
 しかし蝶梨は、少し目を泳がせて、


「えぇと……体調は全然、悪くない」
「……本当か?」
「うん。こういうのが苦手なわけでもない」
「なら、どうして……」


 そんな、妙な反応をするんだ?

 そう直球で聞くわけにもいかず、汰一が言葉を探していると、


「……刈磨くんの怪我が心配っていう気持ちもあるけど……」


 蝶梨は、困ったように眉を寄せながら、



「……言ったでしょう? 刈磨くんがお花のお世話しているの、前から見ていたって。それで、その……すごく"華麗な手捌てさばき"だったから、もっと近くで見たいなって思ったの。だから……無理して付き合っているとかじゃない」



 そのセリフと、窺うような上目遣いが相まって、汰一の心臓がドクドクと加速する。


 まさかそんな思いで俺のことを見ていてくれたとは……
 しかし、"華麗な手捌き"って言われるほどスタイリッシュな手入れをしていた覚えはないが……一体どこを見てそのような評価をしてくれているのだろう?


「……彩岐は…………」



 俺の、何を見ていたんだ?



 そう尋ねようとした……その時。

 蝶梨の後方──校庭の方から、何かがこちらへ飛んで来るのに気が付く。



 あれは……間違いない。


 野球部が飛ばした、真っ白な硬式ボールである。



 ……って、またかよ!!


 思わず脳内でツッコみつつ、汰一は立ち上がり、蝶梨の背後へ素早く回る。
 そして、ボールが彼女に当たらないよう両手を広げ、自らの身体を盾にする。


「刈磨くん……!」


 それに気付いた蝶梨が声を上げるが、汰一は動かない。


 やはり、不運体質が完治したわけではないのだ。
 これは、俺が呼び寄せた"厄"に違いない。
 だったら……

 そのわざわいから彼女を護るのが、俺の役目だ。


 みるみる内に迫ってくる、白い魔球。
 まもなく訪れるであろう痛みに備え、汰一が目を閉じた……刹那。



 ──ヒュンッ!!



 鞭がしなるような音と共に、汰一の目の前を一迅いちじんの風が吹き抜ける。

 そして……

 眼前に迫っていた野球ボールが、明後日の方向へと飛ばされていった。
 
 
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