氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

文字の大きさ
上 下
2 / 76
第一章 訪れた幸運と非日常

1 麗氷の蝶

しおりを挟む



 遡ること、数時間前──



 ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎




 ──もし、神々が『ノアの方舟』的計画を再考し、現存する人類を"いる人間"と"いらない人間"に振り分けたとしたら、俺は間違いなく後者になるだろう。



 そんなことを考え、刈磨かるま汰一たいちはため息をついた。


 私立大鳳おおとり学院高校二年E組の教室は、いつもと変わらず賑やかな昼休みを迎えている。

 友人と談笑しながら弁当を食す者。
 漫画雑誌を回し読みする者。
 スマホゲームに興じる者。
 次の授業の準備をする者。

 何も変わらない、普段通りの平和な教室。
 それを、汰一は……


 白い三角巾に覆われた左腕をぶら下げながら、自席で静かに眺めていた。



 今から二週間前。
 彼は、交通事故に遭った。

 下校中、自転車に乗っていたところを車に撥ねられたのだ。
 頭を強打し、一時的に意識不明となったが、命に別状はなし。怪我も、左腕の骨折と軽い打撲で済んだ。

 で。
 今日が退院後初となる登校日なわけだが……

 二週間ぶりに顔を出した学校は、拍子抜けするくらいに何も変わっていなかった。


 当たり前か。普段からクラスでは目立たないようにしているし、友だちも多いとは言えない。しばらく不在にしたところで、周囲に与える影響はゼロだろう。

 自分がいなくとも、時計の針は問題なく進む。
 世界の歯車は、滞りなく回る。

 それでいい。リーダーシップやカリスマ性がある連中だけ方舟に乗ってくれ。そして人類というしゅを末永く紡いでいってくれ。俺の代わりに。


 ……などと自虐的な思考に陥る彼の元へ、一人の男子生徒が寄って来る。


「ほらよ、汰一。購買でコロッケパン買って来たぜ。ラスいちだったんだからな、感謝しろよ」


 そう言ってニヤリと笑う彼は、汰一の幼馴染にしてクラスメイトの平野ひらの忠克ただかつだ。

 茶色がかった短髪に、シルバーフレームの眼鏡。
 いつも飄々とした雰囲気の、掴みどころのない少年である。
 汰一とは幼稚園時代からの腐れ縁で、高校でも二年連続同じクラスになってしまった。

 コロッケパンを差し出すその笑みを、汰一はジトッとした目で見つめ返す。


「……俺が頼んだのはメンチカツパンのはずだが」
「それがちょうど売り切れちまったんだよ。やっぱ人気だからなぁー、残念残念」
「……お前の手に握られているそれはなんだ?」
「メンチカツパンだが?」
「やっぱり! お前今日は焼きそばパンにするって言ってただろうが!」
「仕方ねぇだろ? 最後に一個だけ残っているところを見たら、なんだか無性に食いたくなっちまってさぁ」
「最悪だ……まぁ買って来てもらったから文句は言えないんだけど」
「そうそう。負傷兵がノコノコと出向いていい場所じゃないぜ、昼休みの購買は。俺が戦利品をじっくり味わう様を指を咥えて見ているがいい」
「……お前、いつか誰かに刺されるぞ」


 そんな脅し文句にも、忠克はニシシと笑い返す。


「んで? どうよ、久しぶりに授業受けた感想は」
「さっぱりに決まってんだろ……さっきのは本当に数学か? 途中から英語の授業に変わらなかったか?」
「はは。二週間も休めば、まぁそうなるわな」
「わかってんならさっさとノート貸してくれよ。頑張って追いつかなきゃ次の期末考査で死ぬんだから。嫌だろ? 幼馴染が留年して離れ離れになるのは」
「いいや、全然。むしろお前がどこまで不幸になるのか見てみたい気持ちの方がデカいね。やっぱお前、疫病神でも憑いているんじゃねぇの?」


 そう言って楽しそうに笑う忠克。他人事ひとごとだと思いやがって……と、汰一は歯軋りをする。
 彼の不運な半生を知っているが故、忠克はこの痛ましい左腕を見たところで驚きもせず、「やれやれ、またか」と肩をすくめ、首を横に振るのみなのだ。


「本当に汰一は、運の悪さだけは天下一品だよなぁ。『全日本不運人間選手権大会』が開催されたらぶっち切りで優勝するだろうよ。十年来の親友が言うんだから間違いない」


 ……などとのたまう人間が親友なのだから、なるほど俺は日本一不運な男なのかもしれない。
 という言葉を口にする気力すらなくなり、汰一は深々とため息をついて、


「……で。『大会』で思い出したが、球技大会は上手くいったのか? 心配していたんだ、仮にも実行委員だったからな」


 コロッケパンを齧りながら、そう尋ねる。


 今から一週間前……つまり汰一が事故に遭った日から一週間後、球技大会がおこなわれたはずなのだ。
 その実行委員としてクラスから選出……否、誰もやりたがらずくじ引きになった結果、その役目を引き当ててしまったのが、汰一だった。

 なってしまったが運の尽き、もう大変だった。
 何せ誰も実行委員をやりたがらない程ヤル気のないクラスだ。誰がどの競技に出場するか、何度話し合おうとなかなか決まらない。
 明日こそは決めるぞと、決意を固めたその日の帰りに車に撥ねられ……二週間の入院である。
 そのため、球技大会が無事に成功したのかずっと気になっていたのだ。


 汰一の質問に、忠克はメンチカツパンを頬張りながら頷く。


「あぁ。お前がグズグズしてて決められなかった競技分担は、ちゃんと翌日のホームルームで決まったぜ。あの"麗氷れいひょうの蝶・ちより様"がバッチリ仕切ってくださったからな、即決だったわ。球技大会当日もお前がやるべき仕事を代わりにやってくれて、大成功に終わったぜ」


 ……という忠克のセリフに、汰一は一瞬固まる。


 "ちより様"。

 そんなふざけた呼び方でも、その名を聞くだけでドキリとしてしまう。
 そうか。彼女が、俺の代わりに……


 ……と、汰一が言葉を失っていると、




「──刈磨かるまくん」




 鈴の音が鳴るような声が、彼の名を呼んだ。
 忠克の後ろ……背筋を伸ばし立っているのは、一人の女子生徒。


 凛々しい雰囲気の、美しい少女だ。
 腰まで伸ばした艶やかな黒髪。
 長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、光を反射し極彩色ごくさいしきに輝いている。
 白い肌に、赤い唇。同世代の女子と比べると高身長な、スラッとした身体。
 そして……近付くだけでふわりと漂う、甘い香り。


 彼女の名は、彩岐さいき蝶梨ちより


 このクラスで……いや、学校単位で見てもトップクラスの美少女である。
 先ほど忠克が口にした『麗氷の蝶・ちより様』こそ、彼女なわけだが……


 突然声をかけられ固まる汰一を、彼女は表情を変えずに見下ろし、


「これ、休んでた間の各教科のプリント。渡しておいてって、担任の先生に頼まれた」


 そう、淡々とした声で言った。
 汰一はごくっと喉を鳴らしてから、平静を装いつつプリントを受け取る。


「あ……ありがとう」
「怪我、治るまでは無理しないで」
「うん……あ、球技大会のこともありがとうな。俺の代わりにいろいろやってくれたって聞いたよ」
「気にしないで。私はやるべきことをやっただけだから。それじゃあ」


 そう言って、彼女は長い黒髪をひるがえし、去って行った。
 その後ろ姿を、半ば放心状態で見つめる汰一に、


「はぁ……ちより様は今日もクールだなぁ。お前、怪我してよかったな。あのちより様と会話できちゃったぞ?」


 忠克が、皮肉っぽく言ってくる。
 しかし今回ばかりは、ツッコむどころか全力で「イエス」と答えたくなってしまう。

 何故なら、彼は……



 彩岐蝶梨に、どうしようもなく恋をしているからである。
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺たちの共同学園生活

雪風 セツナ
青春
初めて執筆した作品ですので至らない点が多々あると思いますがよろしくお願いします。 2XXX年、日本では婚姻率の低下による出生率の低下が問題視されていた。そこで政府は、大人による婚姻をしなくなっていく風潮から若者の意識を改革しようとした。そこて、日本本島から離れたところに東京都所有の人工島を作り上げ高校生たちに対して特別な制度を用いた高校生活をおくらせることにした。 しかしその高校は一般的な高校のルールに当てはまることなく数々の難題を生徒たちに仕向けてくる。時には友人と協力し、時には敵対して競い合う。 そんな高校に入学することにした新庄 蒼雪。 蒼雪、相棒・友人は待ち受ける多くの試験を乗り越え、無事に学園生活を送ることができるのか!?

俯く俺たちに告ぐ

青春
【第13回ドリーム小説大賞優秀賞受賞しました。有難う御座います!】 仕事に悩む翔には、唯一頼りにしている八代先輩がいた。 ある朝聞いたのは八代先輩の訃報。しかし、葬式の帰り、自分の部屋には八代先輩(幽霊)が! 幽霊になっても頼もしい先輩とともに、仕事を次々に突っ走り前を向くまでの青春社会人ストーリー。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...