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28 暗転

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 いつの間にか、家の前に辿り着いていた。
 どうやってここまで来たのか、覚えていない。
 放心状態のまま、無心で駆けて来たから。


「…………」

 こんな気持ちは、初めてだ。
 胸の奥が、抉られたように痛い。
 自分がものすごく惨めで、無価値な存在へと沈んでいくような……
 そんな、絶望的な感覚。

 まだ営業時間なので、【禁断の果実】の窓からは光が漏れていた。
 ヴァネッサさんもローザさんも、店の中にいるだろう。

 ローザさん……
 いつだったか、彼女が言ってくれた言葉が、ふと脳裏をよぎる。


『あたしらはホステスで、向こうは客! この関係をくれぐれも忘れんじゃねぇぞ!』


 ……本当に、その通りだった。
 彼にとって、これは単なる遊びで……
 金持ちおぼっちゃまの、ただの暇つぶしだった。
 それなのに私は、ローザさんの忠告も聞かずに、本気になってしまった。

 ……馬鹿だな、本当に。
 ごめんなさい、ローザさん。 
 もらったお小遣いで買ったこのワンピース、見てもらいたかったけど……
 今日はちょっと、笑顔で見せられそうにありません。


 ──それから
 お店の入り口の石段を見て、私は、あの夜のことを思い出す。
 クロさんが……ここで、待っていた時のことを。


「…………っ」


 思えばあの時から、彼に恋をしていた。

 彼に会えるだけで、毎日が意味もなく楽しくて。
 キラキラしていて、ドキドキしていて。
 今までの辛かったことも忘れて。

 彼に、夢中になった。

 ……でも。
 それは全て、偽りの時間だった。
 彼にとっては、期限付きのゲームだったのだから。

「…………」

 煌めく思い出と決別するように。
 私は店の前を去り、自室へ向かう螺旋階段を上ろうとした……その時。


「れ……レンちゃん!!」


 後ろから、誰かに呼ばれた。
 振り返ると、そこには……

「え……ジェイド、さん……?」

 クロさんが来る前までお得意さんだった、あのジェイドさんがいた。
 そういえば、クロさんに魔法で追い出されて以来、見かけていなかった。

 そんな久しぶりに会うその人が、ひどく焦った表情で私に近付き、言う。

「た、大変なんだよ!」
「どうしたんですか? そんなに慌てて……」
「それが……」

 ごくり、と彼は唾を飲み込むと、


「……国境を越えて、いきなりロガンス軍が攻めてきたんだ。もう街の近くまで来ている。今は俺らみたいな脱走兵が集まって対処してるが、いつまでもつか……」
「え……」


 ロガンス軍が……攻めてきた……?
 そんな、まさか……


「た……確かなんですか? それは」
「あぁ、間違いねぇ。ロガンス帝国の紋章が付いた旗をでかでかと掲げて、押し寄せて来たんだからな」

 ……そんなはずがない。
 ルイス隊長たちの所属するあの国が、そんなことをするはずがない。
 だって、自らの危険を承知の上で、敵国の民を救おうとしていたような人たちなのだ。

 だからきっと、なにかの間違いだ。
 仮に本当だとしても、なにか誤解が生じているに違いない。
 話せばきっと、わかってくれる。

「俺は一旦前線から外れて、避難するようみんなに知らせに来たんだが、早く戻って食い止めないと……」
「私も行きます」

 ジェイドさんの言葉を遮り、私は言う。

「私も一緒に、前線へ行きます」
「で、でもレンちゃん、相手はロガンス軍だぜ? 心配なのはわかるが、危険すぎる!」
「いいえ、大丈夫です。私が……説得してみせます」

 だって、今の私、怖いものなんて何もないんだもの。
 失恋、しましたから。

 私はどうなってもいい。けど……
 この街の人たちや、ルイス隊長たちが危険な目に遭うのだけは、絶対に嫌だ。

「連れて行ってください。みんな、どこで戦っているんですか?」

 決死の覚悟で頼み込むと、ジェイドさんは迷いを見せつつも、

「……そこまで言うんなら、しかたない。場所を教えよう。さぁ、こっちだ」

 そう言って走り出すので、私はその後に続いた。




 ジェイドさんは、私が隊長の部隊を離脱した日、兵士Aに見送られた森の中へと入った。

 まだ、魔法で戦う音などは聞こえてこない。
 それどころか、夜の森は、恐ろしいほどに静かだった。

「しかし、正直助かったよ。レンちゃんがいれば、みんなの傷を治してもらえるからな」

 前を走るジェイドさんがこちらに振り返りながらそう言ってくる。
 それに私は、笑顔で答える。

「はい。私、ちゃんとみんなを助けますから」

 そうだ。こんな私にもできることがある。
 それは、この魔法で人を救うこと。
 ローザさんやヴァネッサさんや、お店のみんな。
 この街の人全員と、もちろん、ロガンス軍の人たちも。

 見ていなさいよ、クロさん。
 あんたが遊ぶだけ遊んで捨てた女が、今から戦争を止めるんだからね!

 と、未だ痛む心の中で、そんな風に意気込んでみる……が。


 ……ふと。
 私の脳裏に、ある疑問が浮かぶ。
 それは……


「でも……どうしてジェイドさんが、私の魔法のことを知っているんですか?」


 よく考えたら、ジェイドさんの前でこの魔法を使ったことはなかったはずだ。
 クロさんに「使っちゃだめだよ」と言われていたから。
 なのに……どうして彼は、知っているのだろう?

「…………」

 私の問いに、ジェイドさんは答えない。
 そして……

 突然、その姿を消した。

 たった今まで目の前を走っていたはずなのに、いきなり消えてしまったのだ。

「え……ジェイド、さん……?」

 足を止め、辺りを見回す……と。



 ──ガッ!!



 突然、強烈な痛みが後頭部を襲った。
 そして、


「……少しの間、おとなしくしていてもらうぞ」


 背後から、そんな声が聞こえて……


「ぅ……」


 私の意識は、そこで途絶えた。


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