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12 満月の夜に
しおりを挟むこの店で働き始めて二週間──
「レンちゃんは今日も優しいなぁー」
「いえいえ。ジェイドさんが素敵だからですよ」
時刻は、午後十時。
仕切られた二人がけのソファー席に座り、私はすっかりお得意さんになったジェイドさんと談笑していた。
彼は、イストラーダ軍からの脱走兵のようだった。
もちろん直接聞いたことはないが、見たところ三十歳前後なので徴兵されないわけがない。顔に比較的新しい傷もある。きっと戦場から逃げ延びて来たのだろう。
この店には、こういう裏事情がありそうなお客さんがたくさん来る。
隣のテーブルでは、先輩ホステスさんと年配のお客さんが楽しそうにお喋りをしている。
カウンター席では、やはり訳ありそうな男性客がローザさんとお酒を煽り合っている。
ここは、事情を抱えた人たちを、何も聞かずに癒してあげる場所。
ヴァネッサさんがいつも口にするその言葉の意味が、私にもだんだんと分かり始めていた。
「レンちゃんはまだ若いのにしっかりしているよね。いつお嫁に行っても恥ずかしくないよ」
「そんな、私なんてまだまだ未熟者です。お店の先輩方みたいに良妻賢母な女性になるには、もっといろいろ修行しなくちゃ」
「いやいや。君もその歳でいろいろ苦労してきたんだろ? おじさんにはわかるよ。こんなご時世だし、こういうところで働いているのも何か事情があるんだろう?」
「それは………」
ジェイドさんの言葉に、少し考える。
ここで、同情を買うようなことを決して言ってはいけない。
ここは、私ではなくお客さんが重荷を下ろす場所なのだから。
と、ヴァネッサさんの教えを思い出し、私は彼の目を見つめ、
「それはみんな同じことです。苦労してない人なんていませんよ。それに、私はとっても恵まれているんです。お店のみなさんは親切だし、ここに来る前も、ある人にすごくお世話になって……その人には、感謝してもしきれません」
それから……
目を細め、口角上げて。
「そのお陰で、今こうして、ジェイドさんみたいな素敵な人に出会えたんですもの。私は、幸せ者ですよ」
そう、穏やかに笑ってみせる。
すると、ジェイドさんは、
「れ、レンちゃん……!」
頬を赤らめ、目を見開いた。
その反応に、私は……
この二週間、ローザさんから受けた数々の特訓を思い出し、震える。
お酒の注ぎ方。タバコの点け方。
話し方に、指先まで気遣う一つ一つの所作。
そして、お客さんに夢を見させる、必殺・キラースマイル。
ローザさん……私、すべて体得しましたよ……!!
なんて、ひとり達成感に打ち震えた──その時。
──カランコロン。
来客を知らせるベルが、店内に響いた。
「いらっしゃーぁ……い?」
カウンターにいるローザさんの出迎える声がする……が、最後に疑問符がついたように聞こえた。
それが気になり、ちらっと店の入り口を見てみる、と……
そこに立っていたのは、見たこともないタイプのお客さんだった。
女の子と間違えるくらいに可愛らしい顔立ち。
猫のようなつり目気味の黒い瞳に、黒ぶちメガネ。
同じく真っ黒な短髪は、つやつやのさらさら。
私と変わらない背丈の身体を、黒いスーツに包んでいる。
歳もおそらく、私と同じくらい……
……という、色酒場にはまるで不相応な、男の子だった。
「おいおい、ここぁお子様の来るところじゃねーぞ」
珍しいお客さまの登場に、ローザさんは眉間に皺を寄せ、めんどくさそうに言う。
「残念だけどなぁ、ここは子供が入っちゃだめなお店なんだ。さ、帰った帰った」
そう、追い払うように手を振るが……
男の子はきょとんと見上げるだけで、一向に動こうとしない。
ローザさんの額が、ピクピクと動くのが見える。
「聞こえなかったか? がきんちょは入れないって言ってんの。早いとこ回れ右して、そのドアを閉めな」
しびれを切らしたローザさんが、カウンターから出て追い払おうとした……刹那!
「ロォォザァァァアア!!」
ズザァアアッッ!!
店の奥から勢いよくヴァネッサさんが現れ、ローザさんの行く手を遮るようにスライディングした。
「えっ? なにごと?!」
私の隣で、ジェイドさんも思わず身を乗り出し、そちらを見る。
「な、なんだよクソジジィ! びっくりするじゃんか!!」
「誰がジジィよ! せめてクソババァと言って! いいかい、あんた!!」
驚くローザさんに、ヴァネッサさんはビシィッ! と例の男の子を指差し、叫ぶ。
「この方はアタシのお知り合い! そして、歴とした成人男性よ! ちゃんとお迎えして!!」
え……
「「えぇぇぇぇええ?!」」
気付けば私は、ローザさんと一緒に声を上げていた。
嘘だ……だって、どっからどう見ても十代の少年なのに……?!
「あのー……俺、今日はもう帰るわ」
「えっ。あっ、ジェイドさん!」
ヴァネッサさんの勢いと、まだ文句を言っているローザさんの形相にびびったのか、ジェイドさんはお金だけ置いてそそくさと帰って行った。
なんか……悪いことしたな。
しかし、人の心配をしている暇はなさそうだ。
ローザさんとヴァネッサさんは口論しているし、他のみんなもびっくりしたまま固まっている。
……ここは、私が行くしかない。
「も、申し訳ありませんでした、お客様。店の者がとんだ御無礼を……」
美少年なお客さんに近付き、私は深々と頭を下げる。
するとそのお客さんは、にこにこと可愛らしい笑顔を浮かべたまま、
「あぁ、いいよ別に。よくあることだから」
と、見た目通りの中性的な声で答えた。
そして、その猫のようなくりくりの瞳で私を見つめる。
「それより、ここは指名制なの?」
「あ、はい。いちおう」
「そっか。じゃあ……君」
「へっ?」
「僕、君を指名したい」
いきなりの指名に、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。
それを見た彼が──くすっと、妖しく笑う。
急に雰囲気が変わったことに、私は驚く。
彼は、射抜くような目で私を見つめ……
「この、真っ赤な色……」
動けなくなった私の髪を、すっと手に取ると……
「……僕、好きなんだよね」
そのまま、私の赤い髪に口づけをし……
口の端を吊り上げ、微笑んだ。
瞬間、
──ぞくぞく……ッ。
私の背筋を、妙な感覚が駆け抜けた。
それは、得体の知れない恐怖にも似ているが……
不思議と、どこか甘美な気もして……
なに、今の。
ひょっとして、私……
この、少年みたいなお客様の色気に、あてられた……?
「……ねぇ」
彼の声に、はっと思考を引き戻される。
「僕、こういうお店初めてだからよくわからないんだ。案内してくれる?」
そう言って笑う彼の表情は、無邪気な美少年のものに戻っていて……
……なんだったの? さっきの変わりようは。
それに……
私──この人の声を、知っている気がする。
……いや、それはさすがに気のせいか。
こんな人、一度会ったら忘れるはずがないもの。
気を取り直し、私はにこっと微笑んで、
「はい。それでは、お席までご案内しますね」
内心の戸惑いを隠しながら、彼を案内した。
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