上 下
6 / 37

6 不穏な影

しおりを挟む

「──ん……」


 夢を見ていた。

 誰かが、私の髪をそっと撫でる。
 慈しむように、壊れ物を扱うかのように。

 そして、その後に……
 全身を何かが這うような、舐めまわされるような感覚。

 くすぐったい。けど、少し……
 気持ちいいような、妙な感覚。

 それから最後に、その誰かは──
 いつも決まって、耳元でこう囁くのだ。

 吐息を感じるくらいの距離で。
 甘く、甘く。




「……もうすぐだよ。もうすぐで──

 君は全部、僕のものだ」





「──?!」


 がばぁっ!

 ベッドから飛び起き、ばっ、ばっ! と前後左右を確認する。
 が、すっかり見慣れたテントの中には、私の他に誰もいない。


 ……夢か。
 また、あの夢だ。

 ちょっともう、本当に……どうしちゃったんだろう、私。
 寝ながら、変な声とか出していないよね?


 バクバクと暴れる心臓を鎮めるように、私は胸を押さえる。

 これが初めてではなかった。
 ここ一ヶ月程、毎日ではないものの、頻繁にこの夢を見る。
 知らない、顔も見えない男の人に頭を撫でられ、全身にくすぐったさが走って……
 最後に耳元で、囁かれる。

 と、思い出して熱くなった顔をぶんぶん振る。
 だめだめ。シャキッとしなさい、フェレンティーナ。やっとここまで来れたのよ。夢見心地ではいられないわ。

 ぺちっ、と両の頬に手のひらを当て、気合いを入れた……その時、


「フェル、俺だ。起きているか?」


 テントの外から呼びかけられ、私は「は、はい!」と上ずった声で返事をする。
「入るぞ」と断った後に入り口を開けたのは──

「ルイス隊長! おはようございます!」
「おう、朝から気合い入ってんな」
「もちろんです! もうすぐイストラーダとロガンスとの国境ですから。なにか私にできることがあれば、言ってくださいね!」

 ……信じられないかもしれないが、ルイス隊長と、彼に対する私のセリフである。

 彼の部隊に同行して三ヶ月。
 私はこの人のことを『隊長』と呼び、いつの間にか敬語で話すようになっていた。
 彼の人となりを知れば知るほど、生意気な口を利くことが憚られるのだ。
 ……まぁ、周りのみんなの口調が移ったっていうのもあるけど。

「ありがとうな。だが、問題ねぇ。間諜にも、もう間もなく帰還する旨を伝えたところだ」

 隊長は、明るい口調でそう答える。


 私たちは今、イストラーダ王国と、隊長たちの所属するロガンス帝国との国境付近に位置する森の中にいた。
 隊長たちはもうすぐ、ロガンス帝国に帰還するのだ。

 私が隊長に助けられたあの街は、イストラーダ王国の中心に位置していたのだが、そこから三ヶ月かけてようやく国境付近まで来た。
 その間、ほとんどの時間を移動に割いてきたが、時折、破壊された街を見つけては生き残った者がいないかを探した。私が助けられた時みたいに。

 しかし、誰も見つからなかった。
 ……いや、正確に言おう。

 
 そこにいたのは、『人間だったものたち』だけ。

 進めば進むほど、この国がどんなにひどい状況なのかが露わになっていく。
 行きつく街は、ほとんど壊滅状態。

 抱いたってどうしようもない悔しさやもどかしさ、同情心、そして……
 自分が生き残ったのは本当に奇跡だったのだということを、痛いほど思い知らされた。

 こんな状態になってもまだ降伏宣言を出していないなんて、この国の王様はどうかしているんじゃないだろうか? 我が国ながら情けない。


 そんな日々を送る中で、どういうわけか私は、あのいかがわしい夢を度々見るようになり……
 そのことを、誰にも言えずにいた。


「あと一時間ほどで出発するぞ。それまでに飯と、準備を済ませろ」
「はい!」

 隊長の言葉に背筋を伸ばし、返事をする。
 彼はにこっと笑うと、静かにテントを後にした。

 …………はぁ。
   
 とりあえず、顔を洗おう。
 今だ纏わりつく夢の余韻を綺麗さっぱり洗い流すべく、私は身支度を始めた。



 * * * * 



 その日の午後。
   
「──あとどれくらいだ?」
「はっ。このまま順調に進めば、七日ほどでロガンス領内に入れるかと」

 ルイス隊長の問いかけに、隊員の一人が答えた。

 木々が鬱蒼と生い茂る森の中を、隊は国境を目指し、馬で進む。
 昼間なので日は高いはずなのだが、葉が影を作っているせいでほんのり薄暗い。苔の香りのする湿った空気が、辺り一面に漂っていた。

「そうか。ま、焦って進むこともねぇしな。もう少し行ったところに小さな湖がある。今日はそこにテントを張ろう」
「はっ」

 隊長の後を進む兵たちが、声を揃えて返事をする。
 が、その直後には緊張感を解き、口々におしゃべりを始めた。

「湖かぁー。久しぶりにちゃんとした水浴びができるな……」
「そうだ。せっかくだから誰が一番早く泳げるか競争しようぜ。フェルちゃんに審判してもらおう」
「賛成ー! 俺、水泳は得意なんだ。フェルちゃんにいいところ見せるぞー!」
「何言ってんのよ、ダメに決まってるでしょ? せっかく私が傷を癒したのに、はしゃいで怪我されたら意味ないもん。溺れたって助けてあげないんだからね」
「えぇー」
「えーじゃない。大人しく水浴びだけしてなさい」
「「はーい」」

 こんなノリが、この隊では日常茶飯事だ。
 みんなやる時はやるのだが、基本的にはゆるゆるである。

 残念そうに返事するみんなに、私が笑いながら「よろしい」と頷いた─その時だった。


「……止まれ」


 突然、隊長が手を上げ、進行を制した。
 急な指示に、私の乗っている馬が脚を上げていななく。

「ど、どうしたんですか?」
「静かに」

 私の声を遮り、隊長は全身を緊張させて辺りを見回す。
 それはまるで、天敵を探す獣のように研ぎ澄まされた目で……
 他の兵たちも何かを感じ取っているのか、押し黙って隊長の指示を待っている。

 ぴりぴりと、肌に刺さるような緊張感……それを切り裂くように、


「──後ろだ! 迎撃しろ!!」


 隊長が、勢いよく振り返り叫んだ。
 兵たちも一斉に振り返り、構える。

 直後、複数の光の球が、森の木々を燃やしながらとんでもない速さで飛んできた。

 これは……火球? つまり、攻撃魔法?!
 でも、一体誰が……

「フェル! こっちに飛び移れ!!」

 そう言って、隊長は自分の馬を私に近づける。
 考えている暇はない。言われるがままに、私は急いでその後ろに飛び乗る。
 それを確認すると、彼は再び振り返り、

「おめぇら! 伏せろ!!」

 空気を震わすような大声で、言う。
 それに応えるように、絶え間なく飛んでくる火の球を盾や魔法で弾いていた兵たちが頭を低くした。

 そして……


「──風刃フウジン! 雷刃ライジン!!」


 隊長が目にも止まらぬ速さで宙に『署名』をし、そのままその手を勢いよく振るった。
 刹那。

 ──ぶわぁっっ!! 

 肉眼で見えるほどの猛烈な風が生まれ、飛来していた火の球を、文字通り一瞬で薙ぎ払う。
 さらに、

 ──バリバリバリィッ!!

 その風の刃のすぐ後を、今度は眩い光の帯が、空間を裂くような音を立てながら進んでゆき……
 後方に密生していた木々を、巨大な鎌でも振るったかのように一気に斬り倒した。

 その数、三十本ほどか。重々しい音と共に木々が倒れ、鳥たちの騒めきと共に、陽の光が差し込んできた。

「す、すごい……」

 あまりの速さ、そして魔力の強大さに、思わず声を上げる。
 これが……隊長の、魔法の力……

 しかし隊長は、今だ臨戦態勢を取りその手を構えている。
 そして、その鋭い視線の先を見ると……
 森という隠れ蓑を失い露わになったのは、陽の光だけではなかった。

 こちらと同じく馬に乗った二人組が、そこにいた。
 どちらも顔を布で覆っているので定かではないが、体格からして男か。

 この二人が、先ほどの攻撃を仕掛けてきたのだろうか?
 隊長の放った魔法をどう避けたのか、馬ごと無傷な状態でこちらを向いている。

「いきなり火の球ぶつけてくるとは、ずいぶんご挨拶なこった……どこのモンだ? 大体の察しはつくが」

 隊長が、聞いたこともないような低い声音で言う。
 そして、

 ──シュッ!

 私には、隊長が一瞬手を動かしたように見えただけだったが……
 その直後、二人組の内の一人の顔布が裂けて、はらりと落ちた。
 私の目では追えなかったが、魔法の刃を放ったのだろう。

「……引け。次は、首を狙うぞ」

 ぞく……っ。
 私でもわかるくらいの殺気を、隊長が放つ。
 いつもはお気楽な兵たちも、恐ろしい形相で構えている。

 これが、軍隊。
 これが、戦場……


「…………」

 謎の二人組は、何も答えない。
 張りつめた空気が、森の中を支配する──と。


 ──カッッ!!


 いきなり、猛烈な光が視界に広がった。

「……っ!」
「目を閉じろ!」

 隊長が私に覆いかぶさる。
 瞼の裏からでもわかるくらいの強い光は、しばらく続き……

「……閃光玉とは、ずいぶんと古風なやり方をしてくれるな」

 隊長がそう呟いた頃にはもう、光も二人組も消えてしまっていた。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

旦那様は魔法使い

なかゆんきなこ
恋愛
クレス島でパン屋を営むアニエスの夫は島で唯一の魔法使い。褐色の肌に赤と青のオッドアイ。人付き合いの少し苦手な魔法使いとアニエスは、とても仲の良い夫婦。ファンタジーな世界で繰り広げる、魔法使いと美女のらぶらぶ夫婦物語。魔法使いの使い魔として、七匹の猫(人型にもなり、人語を解します)も同居中。(書籍掲載分は取り下げております。そのため、序盤の部分は抜けておりますのでご了承ください)

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...