上 下
1 / 37

1 きれいなせかい

しおりを挟む

 嗚呼、世界って、本当に綺麗。
 いろんな色で溢れている。

 お空は青。
 葉っぱは緑。
 目玉焼きは黄色。
 お花はピンク。

 だけど、やっぱり、私──


「赤だけは……だいっきらい」


 一面に広がる、赤、赫、アカ。
 それを瞳に映し、黒い煙が立ち昇る青い空に向け、語りかける。

「……やっぱり、血の赤だよ……母さん」

 目の前で力なく横たわる、たち。
 その、金や白や亜麻色の髪が、今は私の髪よりもずっと、赤くなっていた。


 イストラーダ王国。
 私が生まれ育った、この国の名だ。

 隣国・ルイアブック民国と同盟を結んでいたのだが、そのルイアブックが二年前、西の大国・フォルタニカ共和国と戦争を始めた。
 圧倒的な力の差で、最初の一年でルイアブックは壊滅。残された小さな同盟国である我が国は、なす術もなく侵略・蹂躙されていった。

 ……ちょうど、こんな風に。

 隣の村も、町も、そうやって消えていった。
 若い男たちはみんな徴兵され出払っているので、いくらそこそこ栄えたこの街だって、ひとたまりもなかった。

 私が雇われている領主のこの屋敷も例に漏れず襲撃され、屋根には大穴、壁も崩れていて外が丸見え。骨組みとなっている太い柱だけが残され、辛うじて建物の形を保っているという状態。

 そしてそこに住まう人々も、あっという間に皆殺しにされてしまった……らしい。

 というのも、私も先ほど意識を取り戻したばかりで、なにが起こって、なぜ自分だけが生き残っているのかわからないのだ。

 ただ、気がついた時には……
 目の前には、真っ赤な世界が広がっていて……


「…………」

 血液と、人間が焼けたのが混じった、なんとも生々しい臭い。
 ここは領主とその家族が食事をするのに使っていた広間で、襲撃を受けた時、ちょうど昼食の時間で全員ここへ来ていた。
 綺麗だったはずの絨毯も、今は血の赤一色……

「……いたっ」

 突如、ズキンという鈍い痛みが後頭部を刺す。
 そこで初めて、自分の後頭部から血が流れていることに気がつく。

 ……そうか。敵国が放った攻撃魔法で家屋が崩れ、その破片で頭を打ったのだ。それでそのまま気絶して……
 本当に突然のことだったから、よく覚えていないけど……

 頭を押さえながら、周囲の様子を伺う。
 辺りに人の気配はなく、足音一つ聞こえない。
 ただ木造の家屋が燃えるパチパチという音だけが耳に響く。

 ……本当にみんな、死んでしまったのだろうか。
 敵は? もう去ったのだろうか。

 現実味のない光景を眺めながら、自分の手を目の前へ持ってくる。
 べったりとこびり付いた……赤い、血液。

 ……嫌な色。やっぱり、赤は嫌いだ。
 痛みに揺れる脳で、そんなことをぼんやりと考えていた……その時。


 ──ザッ、ザッ、ザッ……


 遠くから、かすかに足音。
 それから、男の声が聞こえる。

 誰か、街の人間が生きていたのだろうか?
 いや、それはない。仮に運よく生きていたとしても、私のようにどこかしら負傷して、すぐには歩き回れないはずだ。

 なら、足音の主は決まっている。
 ……ここを襲ったやつらだ。

「………………ッ」

 体がこわばる。
 身に迫る脅威を察知した途端に、目の前の景色が、一気にリアルに色づき始める。

 ああ、そうだ。
 ここは襲われたんだ。あいつらに。

 もう、幾度となく耳にしていた噂があった。
 血も涙もないフォルタニカ共和国の兵たちは、死に切れなかった女を……

 無残に犯し、散々弄んだ揚句、ムシケラのように殺すのだと。

「……ぅ……」

 吐き気がする。
 そんな死に方だけは嫌だ。絶対に、嫌だ!
 それなのに……


 ──ザッ、ザッ、ザッ……


 こうしている間にも、足音はどんどん近付いてくる。

 逃げなきゃ……早く、ここから。
 でも、何処に? もう敵に囲まれているかもしれない。
 それに、だめだ。腰が抜けてしまって完全に使い物にならない。

 ああ、どうしよう。震えが止まらない。
 どうしてこんな……こんなひどい死に方しなきゃならないの?
 それなら……
 いっそ、自分で…………



 ──その時。
 私の体を黒い影が包んだ。
 足音は、すぐそこまで迫っていたのだ。

  その人影を見上げる。
 軍服に身を包んだ一人の男が、こちらを見下ろしていた。

  銀髪だ。逆光で顔はよく見えないが、思ったよりも若いようだった。
 そして……その銀髪から覗く、長い耳。
 エルフの血が濃いのか。なら、こいつはやはり敵だ。

 フォルタニカの同盟国で、やつらの支援としてこの戦争に参加している、ロガンス帝国の人間……
 大昔にエルフ族が住んでいたと云われているその国には、エルフの特徴である長い耳を持つ者が多いそうだ。


 嗚呼、やっぱり、もうどうにもならないのだ。
 この先には、どう転んでも"死"しかない。

 なら、せめて死に方を選ぼう。
 それが、残された最後の自由。

 汚される前に、私が……
 私を、殺してあげる。

 舌を、噛もう。
 母さん……ちょっと早いけど、そっちに行くね。


 先に死んでいった者たちの血で染まった、赤いセカイ。
 そんな最期の光景を瞳に焼き付け、私は目を瞑る。

 そして……舌を、思いっきり…………




 ……噛もうとした、その前に。


「ぉ……おい嬢ちゃん! 大丈夫か!? おめぇら、救護係を呼んで来い! 人が生きてる!」


 ……なんて声が聞こえて。
 私は思わず、


「………………はぁ?」


 そう言って、顔を上げた。
 噛みかけた舌がぴりっと痛む。

 呆けている私をよそに、目の前の銀髪男は、あろうことか自分が着ている軍服を──敵国の紋章が縫い付けられた軍服を脱いで、私の肩にそっとかけた。
 そして、ひどく焦った様子で顔を覗き込み、

「しっかし、よく生きてたなぁ……フォルタニカの連中、ずいぶん派手にやらかしやがって。あーあー頭から血が出てら。もう大丈夫だぞ。すぐに治してやるからな」

 なんてことを言ってくる。

 ……え?
 こいつ、今なんて……?

 と、一瞬考えそうになったが、私は肩にかけられた手を急いで振り払い、

「さ……触らないで! 死んでやる……死んでやるんだから!!」
「おいおい。せっかく助けようとしてるってぇのに、死ぬなんて言うなよ」

 私の言葉に、男は困ったように頭を掻く。
 それに、私はいよいよ困惑する。

 こいつ……今、助けようと、って言った?
 敵国の人間のくせに、犯すどころか……私を、助けようとしているってこと?

 ……いや、そんなはずはない。
 きっとこちらを油断させるための罠だ。

「ぅ……うるさい! そんなこと言って好きにできると思ったら、大間違いなんだから!!」

 震えながらも、精一杯大きな声で言ってやる。
 すると男は、やはり困った顔をして、

「まぁ、そうだよな。安心しろって方が無理だ。フォルタニカの攻撃を止められなかったくせに『大丈夫だ』なんて……無神経だったな。悪かった」
「ゆ、油断させようったって、そうは……」
「ああもう、わかったから。騒ぐと余計に傷口が開くだろ。頼むから大人しくしててくれ。文句なら傷を治した後にいくらでも聞くから」
「…………」

 申し訳なさそうに長い耳を垂らすその男の表情は、真剣そのものだった。
 その顔を、私は訝しげに覗き込み、

「……お前…………」
「ん?」
「……私を…………犯さない、のか……?」
「…………は?」

 銀髪男は文字通り目を丸くした。
 私はじっと身を固くして、反応を待つ。
 ……しばらくの沈黙の後、

「……なにを言ってるのかさっぱりわからねぇが……悪ぃな。俺、子供には興味ねぇんだわ。それに、そういうことはまず怪我を治して元気になってから……」

 よし、今だ。
 男が喋っている隙にもう一度、立ちあがって逃げようと試みる……

 ……が。
 突然、ぐにゃりと視界が歪む。
 身体が浮くような感覚に襲われ、意識が遠のいていく──


 ぽすっ。


 ……気がつくと私は、この男の腕に抱きとめられていた。

「ほら、言わんこっちゃない。そんなに血ィ流してんだから、急に立ったりしたら倒れるに決まってんだろ」
「う……」

 しまった……早く逃げなきゃ。
 敵国のやつの腕の中にいるなんて、危険すぎる。

 朦朧とする意識の中でそんなことを考えるが、身体が言うことを聞かない。本当に血が足りないようだ。

「そうそう、少し大人しくしてな。このまま運んでってやっから。って、あいつら遅ぇな。おい救護係! なにしてんだ、早く来い!!」

 そう、叫ぶ男。
 それを聞きながらも、どんどん意識は遠のいてゆく。

 本当に助けるつもりなのか……?
 いや、敵国の人間なのに、そんなはず……

 ……でも。
 この男の体温は、なんだか妙に心地いいような気がして……


 私の意識は、そこで途絶えた──


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。 そんな彼に見事に捕まる主人公。 そんなお話です。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。

待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

抱かれたい騎士No.1と抱かれたく無い騎士No.1に溺愛されてます。どうすればいいでしょうか!?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ヴァンクリーフ騎士団には見目麗しい抱かれたい男No.1と、絶対零度の鋭い視線を持つ抱かれたく無い男No.1いる。 そんな騎士団の寮の厨房で働くジュリアは何故かその2人のお世話係に任命されてしまう。どうして!? 貧乏男爵令嬢ですが、家の借金返済の為に、頑張って働きますっ!

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

処理中です...