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坊ちゃまの長い長い惚気話 4
しおりを挟む――馬を走らせ、ジンたちはデヴァリア家の長男・メイガスの屋敷へ辿り着いた。
エミディオが魔法で『選定者』の姿に化け、その影の中にジンが身を潜める。
特殊部隊の精鋭たちが屋敷を囲む中、二人は組織の拠点である高い塔に侵入した。
最上階にいたのは、三人の男。
エミディオは先ほど炎に焼かれた服を利用し、「国の特殊部隊に奇襲された」と嘯いた。
動揺する組織の男たち。その混乱の隙を突き、影の中から現れたジンが、魔法で三人の目から光を奪った。
後は、驚くほど簡単だった。
エミディオが三人を瞬く間に捕縛し、それで終わり。
十年以上もの間、捜査の手を逃れ続けていた犯罪組織の最期としては、あまりに呆気ないものだった。
視力と身体の自由を奪った状態のまま、組織の三人は特殊部隊に引き渡された。
残るは、あの教会から逃げた『炎の術師』のみ。
かつてジンの生家に火を放ち、家族を暗殺した張本人だ。
「数人で追っているから大丈夫だと思うけど……にしても、なかなか連絡が来ないね」
屋敷内で特殊部隊の面々が家宅捜査を進める中、元の姿に戻ったエミディオが、庭を見渡しながら言う。
それにつられるように、ジンも暁に染まる空を眺めた。
教会の火災から一夜明け、朝になってしまった。
メルは、無事に王都へ帰ることができただろうか?
彼女を安心させるためにも、早く『術師』を捕まえたいところだが……
……と、最後に抱き締めたメルの温もりを一人思い出していると――
――ザッ……!!
それは、一瞬の出来事だった。
眩い朝焼けが陽炎のように揺らいだかと思うと、ジンの背後に突如として『炎の術師』が現れ……
ジンの背に、ナイフを突き刺さした。
「……ッ! ジン!!」
エミディオが駆け寄ろうとするが、『炎の術師』がナイフと反対の手を掲げ、周囲に炎を放つ。
それはたちまち高い火柱となり、壁のようにエミディオの行く手を阻んだ。
「ククッ……どうせ地獄に堕ちるなら……最後に一人、嬲り殺してやる……!」
狂気に満ちた声を上げ、ジンに突き立てたナイフを更に押し込む『炎の術師』。
恐らく、ジンが十年前に暗殺したアイロルディ家の生き残りであることには気付いていない。
単に組織が壊滅したことへの報復として、無差別な殺意を向けているのだろう。
鋭利なナイフで抉られる痛み。
肌を焼く炎の熱。
しかしその中で、ジンは…………笑っていた。
何故なら――
「――ようやくお前に、『復讐』ができる」
ジンは、ナイフを突き刺す『術師』の手首を強く握る。
そして、そのまま振り返ると……
『術師』の目の前に、一つの箱を突き付けた。
それは、宝石箱ほどの小さな箱。
ジンは、その箱を開くと……ニタリと笑い、
「さぁ…………俺と同じ暗闇を味わうがいい」
酷く高揚した声で、言った。
直後、『術師』の身体が、気体のようにぐにゃりと歪んだ。
そしてそのまま、ジンが持つ箱の中――
底なしの闇が広がる、真っ暗な異空間へと吸い込まれ……
「…………!」
声すら上げる間もなく、小さな箱の中へと封じられた。
同時に、ジンを取り囲んでいた炎が消えた。
エミディオが急いで駆け寄るが、その表情はすぐに困惑の色へと変わる。
「……『炎の術師』は?」
警戒しながら周囲を見回すエミディオに、ジンは箱を差し出し、淡々と答える。
「この中だ」
「へ?」
「これは、俺が作った『暗闇の檻』。中には圧縮した"影"があり、人間を引き摺り込むことができる」
「それって……」
「光も音もない、真の暗闇に閉じ込める拷問道具だ。俺が解放しない限り、奴は出られない。五日……いや、七日はこのままにしておこう。解放した時にまともな自意識が残っている保証はないがな。事情聴取なら他の奴らをあてにするといい」
いつもの平坦な口調で語られる、冷酷な私刑内容。
その澄ました瞳の奥に、ジンの闇を感じ……エミディオは、思わず苦笑いをする。
「……特殊部隊が奴を捕縛していたらどうするつもりだったの?」
「無論、収容所に忍び込み、この檻へぶち込むつもりだった」
「あのさ、公務員の前であんま『忍び込む』とか言わないでもらえる?」
「しかし、その手間が省けた。メルを攫おうとした愚かな『選定者』も全身火傷の重症だ。俺は満足している。他の連中への処罰は国に任せよう」
「はは……ジンさんこわーい」
「メルには言うなよ」
「言えるわけないよ。本気になったジンは僕より容赦ないんだもん。うっかり口を滑らせようものなら、僕までその檻に入れられそうだし」
「よくわかっているじゃないか。賢明な判断だ」
「はぁ……ま、とにかくおつかれ。やっと終わったね。どう? 家族の仇を討った気分は」
と、十年に及ぶ悲願達成に対するものとは思えない軽い口ぶりに、ジンはジトッとエミディオを睨む。
しかし、その緊張感のない雰囲気に、黒く高ぶった感情が鳴りを潜めてゆくのもまた事実で……
ジンは、ふっと笑みを浮かべながら頷く。
「達成感……と言うよりは、呪縛から解き放たれたような感覚だな。これでようやく……自分の人生に専念できる」
そう言って、これまでの十年間を振り返るように顔を上げる。
朝日が昇ったばかりの空は、彼を祝福するように、白く輝いていた。
その清々しい横顔を眺め、エミディオも穏やかに微笑む。
「……そっか。ふふ、よかったよかった」
「それよりも、早くメルの元へ帰りたい。大丈夫だろうか……つまらない男にナンパなどされていないだろうか?」
「って、その前に怪我! ちゃんと治療しないと!」
「いや、いい。このまま帰ればメルに治癒してもらえる。余計なことをするな」
「馬鹿なの?! せめて止血だけはして! 自分で思ってるより血ィ出てるからね?!」
などとどやされながら、特殊部隊の治療班の元へ搬送され……
応急処置と、諸々の後処理を済ませ、結局メルの元に帰り着いたのは翌日の夕方のことだった。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
「――そうして『復讐』を果たし、彼女に想いを告げ……婚約するに至った、というわけだ」
と、ジンは隣に立つ老人――アイロルディ家の元執事・ヤドヴィクに言う。
『復讐』が幕を下ろしてから二ヶ月。
魔法学院の長期休暇を利用し、ジンはメルを連れ、イドリス領にあるヤドヴィク夫妻の家を訪れていた。
『復讐』が果たされたことは既に手紙で報告済みだったが、詳細までは認めることができなかった。
特にメルとの婚約に至るまでの経緯は、数枚の便箋ではとてもじゃないが収まり切らない。
そのため、口頭で長々とメルとの馴れ初めを語っていたところである。
柔らかな日差しが降り注ぐ昼下がり。
ジンとヤドヴィクは今、庭の木陰に立っていた。
綺麗に剪定された低木と、美しい花に囲まれた、見事な庭園だ。
その中央で、メルとヤドヴィクの妻・ヘレンが、テーブルに食器を並べている。天気が良いので、庭でお茶会をしようと準備しているのだ。
ヘレンと談笑しながらティーカップの用意をするメルを見つめ、ヤドヴィクが微笑む。
「坊ちゃまが『婚約した』とおっしゃられた時には大層驚きましたが……明るく優しくて、芯のあるお嬢さんのようですね、メルフィーナ様は」
「あぁ。しかも見ての通り、愛らしく可憐だ。今日のために用意したあの白いワンピースもよく似合っている。彼女の無垢な魅力を存分に引き立てていると、そうは思わないか?」
「……坊ちゃまが生き生きとされていて、ヤドヴィクは嬉しゅうございます」
メルに熱い視線を向けるジンを見上げ、ヤドヴィクは皺の目立つ目を細めた。
そして、ジンはメルを見つめたまま……低く、穏やかな声で言う。
「……俺は、彼女といると幸せだ。彼女も、俺といると幸せだと言ってくれる。だから……一緒になろうと思う」
それから、ヤドヴィクの目を真っ直ぐに見つめ、
「……俺はもう大丈夫だ。時期が来たら、あの場所にもう一度、アイロルディ家の屋敷を建てる。その時は……ヤドヴィク。君とヘレンを招いてもいいか?」
そう、微笑みながら言った。
ジンにとって、ヤドヴィクは幼い頃から知る執事であり、あの事件以降、自分を引き取ってくれた育ての親でもある。
ヤドヴィクはずっと、ジンの幸せを願っていた。『復讐』に理解を示しながらも、ジンが人並みの幸せを掴むことを強く望んでいた。
そんなヤドヴィクを安心させるため、ジンはメルを連れて来た。『復讐』は終わり、これからは幸せな道を歩んで行くのだと……メルとならそれが実現できるのだと伝えたくて、この家に帰って来た。
新しい屋敷に招きたいというジンの言葉に、ヤドヴィクは目尻に涙を浮かべ、ゆっくりと頷き、
「えぇ、もちろんでございます……ありがとうございます、ジーンフリード坊ちゃま。本当に、お疲れ様でございました」
十年という年月を噛み締めるように、そう言った。
その表情に、ジンは安堵したように笑う。
「もっとも、再建は少し先の話だ。今はまだ、恋人気分に浸っていたい。彼女と一緒にやりたいことや行きたいところが、まだまだたくさんあるからな」
「えぇ、ぜひそうなさってください。焦らずともこのヤドヴィク、長生きできるよう努めて参ります。メルフィーナ様との生活を、どうか大切に」
ヤドヴィクの言葉に、ジンが「あぁ」と頷いた、その時。
「ジンさーん! ヤドヴィクさーん!」
庭の真ん中で、メルがこちらに手を振りながら呼びかける。
「お茶とスコーンのご用意ができましたよー! 木陰は冷えるでしょう? こちらの日向で、お茶会を始めましょー!」
暖かな日差しをいっぱいに浴び、眩しい笑顔を向ける彼女。
その姿に、ジンは――彼女と初めて出会った時のことを思い出す。
『こんな日陰にいたら、元気がなくなっちゃいますよ? 私がこっそり、日の当たる花壇へ移してあげますね』
日陰に咲く花に向け、メルが言った言葉――
ジンはずっと、自分が彼女という運命の相手を見つけたのだと思っていた。
しかし……
あの日、"影"に生きる自分を見つけてくれたのは、彼女の方だったのかもしれない。
……なんて、陽だまりのように笑うメルを見つめ、思う。
その温もりに招かれるように、ジンは木陰から歩み出し、お茶会の会場へと近付く。
テーブルの上には花柄のティーセットと、焼きたてのスコーンが並んでいた。
「見てください! ヘレンさんに教わりながら作ったスコーン、綺麗に焼けていると思いませんか? ブルーベリーのジャムも作ったので、クロテッドクリームと合わせてお召し上がりください」
「ふむ、君の言う通り、実に美しい焼き目だ。メルが作った初めてのスコーン……これは防腐を施し、記念に保管しなければな」
「何言ってるんですか、ちゃんと食べてくださいよ! これから何度だって焼いて差し上げますから!!」
これから、何度だって。
そんな何気ない言葉に舞い上がってしまうくらいに、ジンはメルに夢中で……
これから過ごす彼女との未来が、楽しみで仕方なかった。
目を吊り上げるメルに、ジンはくすりと笑い、
「ふふ、冗談だ。では――早速いただくとしよう」
彼女を愛おしげに見つめながら、席に着いた。
光の満ちた暖かな庭で、ささやかで幸せなお茶会が今、始まった――
*おしまい*
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
最後までお読みいただきありがとうございました!
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