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8 知られざる真実
しおりを挟む「ヒルゼンマイヤー家……今、ヒルゼンマイヤー家って言いました?!」
またまた思いがけない話が飛び出した。
ヒルゼンマイヤー家に復讐? 組織?
彼は一体何を知っていて、何をしようとしているのだろう……?
耳を疑い聞き返す私に、彼は静かに頷く。
「そう。君が数週間前まで働いていた、あの貴族の一家だ」
「って、私があそこにいたことを知っているんですか?!」
「もちろん。そもそも俺は、ヒルゼンマイヤー家に潜入捜査する中で君を見つけたのだからな」
悪びれる様子もなく答えるジンさんに、私は顔が青ざめるのを自覚する。
潜入捜査……?
それって、使用人として働く姿を、知らない間に見られていたってこと?
いつ、どこで、どんな風に見られていた……?
衝撃の連続に絶句していると、ジンさんは私をにこりと見つめ、こう言った。
「安心しろ。君が掃除の合間に庭の草花にぶつぶつ話しかけたり、鼻歌を歌いながらモップを相手に踊っていたところなど、俺は見ていない」
「わぁあああっ! やっぱり見られてた! 何なんですかあなた! 不法侵入して人の恥ずかしいところを覗くのが趣味の変態ですか?!」
「まさか。君という協力者候補を見つけられたのは、言わば副産物だ。俺がヒルゼンマイヤー家に潜入していた理由は……あの一家が、とある組織と繋がりを持ち、犯罪に手を染めているからだ」
「は、犯罪……」
「そう。今から四年前、当主のレビウスは、家の跡目を継がせるための優秀な子供を組織から買った。つまり、人身売買だ」
「え……」
「そうしてあの家に来たのが――次女のファティカ。君が献身的に世話をしていた、あの娘だ」
そんな……
ファティカ様が、実の娘ではなく……犯罪組織から買われた子供……?!
目を見開く私に、ジンさんは小さく息を吐く。
「やはり君は、ファティカが養子であることすら聞かされていなかったのだな。無理もない。あの家の隠蔽体質には俺も手こずらされた。結果、ファティカを買ったという物的証拠も見つけられず終いだ」
「そ……それじゃあ、他の使用人は知っていたんですか? ファティカ様が実子ではないことを……」
「ファティカがあの家に来たのは四年前、彼女が十三歳の時だ。その頃から勤めている者は知っているだろうが、表向きは『孤児院から引き取った養子』ということになっている。組織から買った事実は、レビウス本人しか知らないだろう」
正直、もうヒルゼンマイヤー家の名前すら聞きたくないと思っていたが……ファティカ様に関わる話なら別だ。
私は身を乗り出し、ジンさんに尋ねる。
「つまり、ファティカ様は……ヒルゼンマイヤー家の陞爵のために買われたのですか?」
「そうだ。ヒルゼンマイヤー家の地位を上げるには、優秀な騎士か魔導師を排出し、国に貢献するのが近道だ。しかし、長女のドリゼラにはその野望に役立つような魔法が宿らなかった。次子を授かることもなく、焦ったレビウスは、強力な氷の魔法を宿すファティカを犯罪組織から買った……というわけだ」
言って、ジンさんは気分が悪そうに顔を顰める。
私も、ファティカ様の辛そうな笑顔を思い出し、胸が苦しくなる。
ファティカ様が理不尽に虐げられていたのは、お家の威光のためだけに引き取られた『よその子』だからで……その実態は、犯罪組織による人身売買の犠牲者だったのだ。
「貴族が養子を取ること自体は珍しい話じゃない。跡継ぎ問題で常に揺れる上流社会ではよくあることだ。レビウスの場合、孤児院から引き取るのではなく『犯罪組織から人を買った』ということが問題なんだ」
確かに、これが事実なら大問題だ。名門貴族にあるまじきスキャンダル。露見すれば、爵位の剥奪は免れないだろう。
「……ヒルゼンマイヤー家の状況はわかりました。それで……あなたは何故、『復讐』がしたいのですか?」
ジンさんを見つめ、緊張気味に尋ねる。
今の話を聞く限り、人身売買の件にジンさんには関わりがないように思える。
どうして『復讐』などという強い感情を持つに至ったのか、そこが不可解だった。
ジンさんは居住まいを正し、暫し黙り込むと……言葉を選ぶように、こう答えた。
「……十年前、俺の友人の一家が、その犯罪組織に暗殺された」
「暗殺……?」
「友人の父親は、高名な魔法研究者だった。ある時、友人の父親は、同僚の中に違法な人身売買に手を染めている者がいることに気付いた。証拠を揃えて告発しようと準備してしていたが、それに気付いた貴族たちが犯罪組織に依頼し、事故に見せかけ殺したんだ。友人を含む一族全員、一人残らずな」
ジンさんの目に、憤りと憂いが浮かぶ。
私は口元を手で覆い、言葉を失う。
「その暗殺計画に、ヒルゼンマイヤー家のレビウスも加担していた。一部の貴族は、上流社会の中で有利に立ち回れるようにとその組織の力を利用している。そうして組織は、現在も貴族を相手に人身売買や暗殺を請け負い、商売を続けている……俺は、それが許せない。だから、組織を壊滅させ、顧客となっている悪徳貴族たちを洗い出し、一掃すると決めた。それが、俺の果たしたい『復讐』だ」
そこで、彼は話を終えた。
青い瞳が、少し揺れながら、馬車の床を見つめている。
平民として生まれ、孤児として生きてきた私にとって、彼の話は壮絶すぎて、現実味がなかった。
しかし、きっと真実なのだろうとも思えた。現にファティカ様は家族とは思えないような仕打ちを受けていたし、レビウス様にも奥様にも似ていなかった。
ならば、彼女はどこから連れて来られたのだろう。
故郷は? 本当の家族は?
強力な魔法を宿してしまったが故に犯罪組織に拉致され、売られてしまうだなんて……あまりにも酷すぎる。
ヒルゼンマイヤー家に対しては、もう個人的な恨みなどない。
追放されたからといって、復讐してやりたいとも思わない。
けど、ファティカ様を……一人の少女の人生をめちゃくちゃにしたというのなら、それは絶対に断罪されるべきだと思う。
だから私は――彼に尋ねる。
「……それで、私に求める『協力』とは、どのようなものなのですか?」
経緯を全て聞いた今、「何故、私なのか」という疑問は深まるばかりだった。
だって私は、戦闘能力もなければ偵察能力もない、少し治癒魔法が使えるだけの非力な一般人なのだ。彼の力になれる要素があるとは到底思えない。
膝に手を乗せ、ジンさんの返答を待つと……彼は静かに私を見つめ、口を開いた。
「君に頼みたいのは、ファティカから組織の情報を聞き出すことだ」
「情報、ですか?」
「そう。組織は貴族と結託し、その存在を巧妙に隠してきた。規模も拠点も不明。それを知るのは顧客である貴族たちと、人身売買された被害者のみだ。拉致された時の状況、実行犯の特徴、拠点の場所……そうした当事者しか知り得ない情報を君に聞き出してほしい。ファティカにとっては思い出すことすら憚られる記憶だろう。口止めをされている可能性も高い。しかし、懇意にしていた君が尋ねれば、勇気を出して打ち明けてくれるかもしれない」
なるほど。どうやら私は、治癒力ではなく『ファティカ様と親しい』という一点のみで彼に見初められたらしい。確かに、私以上にファティカ様と近しい人間はいないだろう。
「ファティカは明後日、魔法学院へ入学する。ヒルゼンマイヤー家から物理的に離れるこのタイミングを狙わない手はない。君には俺の秘書として学院に出入りしてもらう。もちろん協力の謝礼は払うし、それとは別に秘書としての給与も支給する。衣食住も保障しよう。これが雇用の条件だ」
そして、ジンさんは私の目を覗き込み、真摯な態度で、
「――俺のシナリオには、君が必要だ。どうか……力を貸してほしい」
そう、懇願するように言った。
その表情に、私はドキッとさせられる。
先ほどまでの冗談混じりな雰囲気が嘘のように、真剣に私を求めている顔だ。
……いや、これも演技なのかもしれない。
私に「うん」と言わせるための、巧妙な作戦に違いない。
だけど、それでもいいと思った。
この言葉が嘘だろうが本気だろうが、私の心は決まっていたから。
私は姿勢を正し、彼の瞳を真っ直ぐに見据え、
「――わかりました。あなたの『復讐』に、協力します」
そう、はっきりと答えた。
暗殺を請け負うような犯罪組織に関わるなんて、どう考えても危険だ。
しかし、ファティカ様は既に危険な目に遭い、今も苦しんでいる。それを放置することなどできるはずもなかった。
どうせ行く宛てもないし、やりたいこともない。
ファティカ様を救うお手伝いができる上にお給料と住む場所も保障してもらえるというのなら、転職先としてはむしろ好条件である。
あっさり快諾した私に、ジンさんは面食らったような顔をする。
「……本当にいいのか?」
「何を今さら。もう王都に向けてだいぶ走っちゃってるじゃないですか。ここまで来たら、乗り掛かった船ですよ」
「……ありがとう。君に危険が及ぶことは決してないよう尽力する。どうか安心してほしい」
「それって……代わりにあなたが危険な目に遭うかもしれない、ってことですか?」
「それはそうだ。俺が相手にしているのは、金のためなら躊躇いなく人を殺せるような連中だからな。俺自身の危険は承知の上だ」
「……私なんかが口を出すことではないですが、くれぐれも命だけは大切にしてくださいね。何かあれば私の治癒魔法で傷を癒せますが……死んだ人間を生き返らせることはできないですから」
目を逸らしながら忠告するように言うと、ジンさんはにこりと嬉しそうに頷く。
「あぁ。聖女様のありがたいお言葉、肝に銘じておくよ」
「もう聖女じゃないですよ。あなたが解雇させたんでしょう?」
「そうだったな。しかし、稀に見る高い治癒能力と、他者を気遣うその優しさは、やはり聖女と呼ぶに相応しいと俺は思うぞ?」
「よく言いますよ。結局私は、そうやって聖女だ何だと煽てられ、良いように利用されて、いらなくなったらポイされたただの金ヅル女ですから。あなたも、ご利用が終わったらスパッと切り離してくださいね? その方が私としても気が楽です」
と、ツンとした口調で言うと……ジンさんは、顎に手を当て、
「……ふむ。やはり、それが君の本性か」
感心したように、そんなことを口にした。
思わず「はぁ?」と言い返すと……彼はニヤリと笑い、
「――『可哀想な人』。ヒルゼンマイヤー家を出る時、吐き捨てるように言っただろう?」
「なっ……あなた、どこまで知って……!」
「ドリゼラに泣かされたのかと思えば、ピタリと泣き止んで悪態をついた。それを見た時、俺は思ったんだ。この女……面白い、と」
「面白い?! 何がですか!?」
「その場の状況に合わせ、適切な態度を演じ分ける柔軟性。そして、それを可能にする高潔でしたたかな魂……君のそういうところが気に入って、声をかけようと決めたんだ」
「要するに性格の悪さが『復讐』向きだと認められたってことですよね?! あんま嬉しくないんですけど、その理由!!」
……って、駄目だ。何故かこの人を相手にすると、つい素の自分が出てしまう。
私は「んんっ」と仕切り直すように咳払いをし、話題を変えることにする。
「……それで? 私は今日からどこに住めばいいんですか? もしかして、これから物件を探しに行くとか?」
「いや、君の住む場所は既に用意してある。君の承諾が得られたらすぐに提供できるよう、部屋を確保していたからな」
「ふーん、用意周到ですね。王都にある物件かぁ……ジンさんのお家からも近い場所なんですか?」
「あぁ。というより、俺の家だ」
「……へ?」
ジンさんは、私の反応を楽しむように口の端を吊り上げて、
「君には、俺と一緒に住んでもらう。今日からよろしくな、メル」
「え…………えぇぇえええっ!?」
私の絶叫が、ガタゴト響く車輪の音に重なった。
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