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3 軽やかな足取り
しおりを挟む――自室に戻り、淡々と荷物をまとめる。
罪人である私に声をかける同僚はいなかった。
だが、私に向ける眼差しに同情が混じっていることは感じ取れた。
それだけで十分だった。皆、私がガヴィーノ様を誘惑するような人間でないことは知っているし、ファティカ様を気の毒に思う気持ちも同じなはずだから。
三年使ったこの部屋にはそれなりに愛着があったが、持ち出すべき私物は想像以上に少なかった。
初めて来た時と同じ小さなトランク一つに荷物を収め、部屋を出ようとする――と、
「あははっ。ほんと、馬鹿な女よねぇ」
廊下から、微かに聞こえる笑い声。
ドリゼラ様だ。お付きの侍女に話しているのだろう、顔を見なくともあの高慢な笑みが浮かぶ。
「ファティカにはくたびれた雑巾のような姿がお似合いなのに、勝手に傷を癒したりして…… あの子ったら、痣だらけになるどころか、わたくしより肌が綺麗なんですもの。ずっと気に食わなかったのよ?」
それを聞き、私は息を止める。
仲の良い姉妹には見えなかったが……ファティカ様のことをそんな風に思っていたなんて。
「間抜けな婚約者様も、今回ばかりは大いに役立ってくれたわ。『治癒の魔法が使える下女がいる』と教えた途端、目を輝かせて駆けて行くんだもの。わたくしが手を煩わせるまでもなく、あの魔女を葬ることができたわ」
意地悪な高笑いが廊下に響く。
なるほど……全てはドリゼラ様が仕組んだことだったのだ。きっとどこかで、私がファティカ様を癒すのを目撃したのだろう。そのことを不服に思い、私を追放する計略を立てた、ということか。
「ま、これでファティカも身の程を弁えるでしょう。自分の『甘え』のせいで仲の良い下女が追放されたのだから。今ごろ罪悪感に苦しんでいるでしょうね。うふふ、いい気味だわ」
腑が煮え繰り返るような怒りに、身体が震える。
ドリゼラ様もレビウス様も、どうしてそこまでしてファティカ様を苦しめたがるのだろう?
自分の妹や娘に対し、このような仕打ちができるだなんて……私には、到底理解できない。
そう考えると、この屋敷を出ることになり、かえって良かったように思える。
こんなおかしな一族に仕えていれば、遅かれ早かれ歪みが生じていたはずだから。
ただ一つ……ファティカ様のことだけは気がかりだ。
ドリゼラ様の言う通り、あのお方は今、私のせいで罪悪感に苛まれているに違いない。
そして、これまで以上に誰にも頼らず、弱音を吐かずに頑張らなければと考えるはずだ。
お側で支えられないことは心残りだが……幸か不幸か、来月には魔法学院の寮へ入られる。この意地悪な一家から物理的に離れ、新しいお友達ができれば、きっと心も軽くなるだろう。
もう一度、ファティカ様の明るい未来を神に祈って。
私は、わざと大きな音を立て、部屋を出た。
すると、廊下の向こうを歩いていたドリゼラ様がビクッと驚き、こちらを振り返る。
「あ、あら……まだいたの? もうとっくに出て行ったのだと思っていたわ」
扇子で口元を隠し、嘲笑うように言う彼女。
私は、「残念ながらそのひん曲がった性格だけは私の治癒魔法でも治せそうにありません」とか、「病弱と言う割によく食べよく寝、連日おでかけ三昧お買い物三昧でしたね。これからもどうか健やかにお過ごし遊ばせ」とか、あらゆる嫌味を脳裏に浮かべるが、全て飲み込む。
私は去るだけだが、ファティカ様はこの家に残る。
ここでドリゼラ様の怒りを買えば、その矛先が再びファティカ様に向くかも知れない。
だから、
「三年間お世話になったお屋敷なので、去るのが心苦しくて……うっ、うっ……」
私は、渾身の嘘泣きをしてみせた。
案の定、ドリゼラ様は満足げに笑い、
「あはっ。後悔したって遅いわ! さぁ、とっとと出ていきなさい! 邪悪な魔女め!!」
心底嬉しそうに、言った。
私は泣き真似をしつつ、彼女の前から足早に去る。
そうして屋敷の玄関を出たところで、スッと真顔に戻し、
「……ふん。可哀想な人」
吐き捨てるように、そう呟いた。
* * * *
――さて。追放されたはいいが、私には行く宛てがなかった。
生まれ故郷の村は遠く、頼れる親族や知り合いもいない。元いた孤児院には年齢的に戻れない。
つまりは、早いところ住む場所と新しい職を見つけなければならないのだが……ヒルゼンマイヤー家のあるこの街からは離れたかった。
……うーん。あまり土地勘はないけれど、なるべく王都に近い街まで行こうか。そっちの方が、働き口も多いだろう。
幸い、しばらく宿屋暮らしができるくらいの貯蓄はあった。と言っても、なるべくなら住み込みで働ける場所を探したいものだ。そういう生活に、ずっと慣れてきたから。
新しい仕事……何にしよう。
培った使用人のスキルを生かせる仕事といえば、何があるだろうか? いや、いっそのことまったく違う職種に就くのもおもしろいかもしれない。
なんて、今夜寝る場所すら決まっていないのに、まるで羽が生えたように自由な気持ちになる。
今の私は、何者でもないけれど、何者にでもなれる。
そんな根拠のないワクワク感を抱えながら、私は街の馬車乗り場へと歩を進めた。
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