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プロローグ

1.桜の歌

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「――紗音しゃのんさん。ほら、桜が咲いていますよ」


 車の助手席に座るわたしの横で、運転席の女性が言う。

 彼女の名前は、坂田詩蓮さかたしれんさん。
 黒ぶち眼鏡に黒いスーツ、長い黒髪をおだんごに結った、綺麗な人だ。

 わたしは助手席の窓を開け、顔を出す。
 車は、桜並木の下を走っていた。

 目の前を流れる満開の桜が、わたしの瞳をピンク色に輝かせる。
 頬を撫でる風は柔らかく、暖かな春の匂いがした。

 思わず「わぁ……」とつぶやき、わたしは新しい生活への期待に、胸を膨らませた。



 ――三月下旬。
 中学二年に上がる春休み。

 わたしは生まれ故郷である宇都宮を離れ、東京に向かっていた。
 幼い頃からの夢を、叶えるために……



「『桜』といえば、紗音さんはどんな歌を思い浮かべますか?」

 そう尋ねられ、わたしは再び坂田さんに目を向ける。

 坂田さんとは、今日出会ったばかりだ。
 これから一人暮らしをするわたしのために、わざわざ東京から迎えに来てくれた。
 だから、お互いのことをよく知るために、こんな質問をしてくれたのだと思う。

 坂田さんは、眼鏡の奥の目を優しく細めると、

「『歌のおねえさん』である紗音さんのおすすめを、ぜひ教えてください」

 なんて、期待のこもった声で言った。
 わたしは恥ずかしくなり、慌てて手を振る。

「う、『歌のおねえさん』だなんて、そんな……わたしはまだ……!」
「でも、これからなるでしょう?」

 運転しながら、にっこり笑う坂田さん。
 わたしはなにも言えなくなり、照れくさい気持ちのまま「えっと……」と考える。

「『桜』といえば……やっぱり『さくらマーチ』とか、『ひらひらり』とかですかね」
「子供の頃、誰もが一度は耳にする童謡ですね。懐かしいです」
「坂田さんは、どんな歌を思い浮かべますか?」
「私は……そうですね。『スリーピース・ブー』の、『サクサクラッタッタ』でしょうか」

 その答えに耳を疑い、わたしは「えっ?」と聞き返す。
 坂田さんは、少し困ったように笑って、

「すみません、ご存知ないですよね。少し前に、アニメの主題歌を歌って注目されたバンドの曲なのですが……」
「知ってます!」

 ぐいっと身を乗り出し、坂田さんに近づくわたし。
 坂田さんの肩が、びっくりして跳ねる。

「『スリーピース・ブー』……ブタの着ぐるみで顔を隠した三人組バンド……わたし、大ファンなんです!」
「えっ、本当ですか?」
「はい! 『サクサクラッタッタ』ももちろん知っています! さっくさくー、さっくさくー♪  ですよね?」
「そうそう、それです! 嬉しい……まさかこんなところで『ブー』ファンに会えるなんて!」
「あの、わたしのスマホに曲が入っているので、流してもいいですか?」
「えぇ、ぜひ。一緒に聴きましょう!」

 そう答える坂田さんの声は、子供みたいにはしゃいでいて。
 わたしは、坂田さんと一気に距離が縮まったようで嬉しくなり、スマホを操作して『サクサクラッタッタ』を流した。

 運転しながら、坂田さんが小さくリズムに乗る。
 それにつられるように、わたしも体を揺らす。
 歌のサビに差しかかると、「さっくさくー、さっくさくー♪」と二人の声が重なり、おかしくなって笑い合った。

 あぁ、歌の力ってすごい。
 年齢も、住んでいた場所も違うのに、一つの歌があるだけでこんなにも仲良くなれる。

 長い間、歌から逃げていたけれど……

(わたし……やっぱり、歌が好きだなぁ)

 そう、胸の中でつぶやいて……
 わたしは、これまでの出来事を振り返った。
 
 
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