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第四章 二番目の呪い
宇宙一の夢
しおりを挟む館内は、エントランスロビー同様、クラシカルで格式高い雰囲気に満ちていた。
客室も、食事のための広間も、廊下や階段に至るまで、全ての調度品が高級感に溢れ、隙がない。
しかし、緊張感を駆り立てるような嫌味なものでもない。
高級旅館には縁がない海斗でも、館内を歩けば歩く程、不思議と穏やかな気持ちになれた。
それは、廊下に漂う柔らかなお香の香りや、障子や縁側といった馴染みのある和の意匠と、従業員の温かな対応のおかげだった。
「特別だけど、なんか懐かしい……不思議な場所だね」
写真を撮りながら呟かれた翠の言葉に、海斗は深く同意する。
「あぁ。非日常的な空間なのに、すごく心が落ち着く。これこそが宿のあるべき姿なのかもしれないな。俺の祖父母も、こんな素晴らしい場所で新婚旅行ができてさぞ幸せだっただろう」
「えへへ、ありがとう。そんな風に言ってもらえると、私も鼻が高いよ」
長い廊下の先頭を歩く未空が、照れ臭そうに笑う。
未空は、心の底からこの旅館を誇りに思っているようだった。
館内を案内する表情や言葉から、そのことが如実に感じられる。
その上、今は従業員と同じパンツスーツに身を包んでいるため、本物のコンシェルジュに案内されているような気分になる。時折りすれ違う宿泊客に挨拶する姿は、十五歳という年齢を忘れるほど様になっていた。
しかし……
「スーツ姿の未空ちゃんもかっこいいけど……将来、お母さんと同じ女将さんの着物を着た未空ちゃんも、絶対に綺麗だと思う」
翠の呟きに、海斗も頷く。
すると、何故か雷華が得意げに腰に手を当て、
「あったりまえよ。未空の夢は『宇宙一の女将になること』なんだから。そしてあたしの夢は、未空のお宿の宿泊客第一号になること。その時は、着物で迎えてもらわなきゃね」
誇らしげにそう言った。
翠は「おぉ」と眼鏡の端を光らせるが、未空は慌てて手を振り、
「もう、雷華ってば。そんな小学生時代の発言を掘り返さないでよ。それに、私は……」
……と、言いかけたところで。
「──だから、それじゃ駄目だと言っているだろう!」
……という怒鳴り声が、廊下の向こうから聞こえてきた。
女性の声だ。
誰かを叱りつけるような、年齢を感じる声。
本館の一階、大広間を抜けた先から響いているようだった。
海斗たちが声のする方に目を向けると、未空は小さくため息をつき、
「はぁ……ごめんね。ちょっと行ってくる」
心当たりがあるのか苦笑いをして、廊下を駆けて行った。
残された海斗たち三人は、互いに顔を見合わせ……無言で目配せをし、未空の後をこっそり尾けることにした。
未空を追い、廊下の突き当たりを曲がると、美味しそうな香りが海斗たちの鼻を掠めた。
どうやらこの先は厨房のようだ。
未空はその厨房の入口にかけられた暖簾をくぐり、中にいる人物と話し始める。
「もう少し声を抑えないと、廊下にまで響いているよ。お客さまに聞かれたらどうするの?」
「あぁ、未空。ごめんね。お友だちはもう帰ったのかい?」
「まだいるけど……」
そんなやり取りの後、暖簾の向こうから未空が戻って来たので、三人は隠れる間もなくその場に留まる。
すると、未空に続いて二人の女性が厨房から出てきた。
一人は、背の低い高齢の女性。
白銀の髪を綺麗に結い上げ、見るからに上等な着物を身に纏っている。
先ほどの怒鳴り声は、この老婆のものなのだろうか? 怒鳴っている姿が想像できない程に、優しく柔らかな笑みを浮かべていた。
もう一人は、やはり着物姿の妙齢の女性。
こちらも長い黒髪を結い上げており、涼しげな目元と凛とした雰囲気が未空によく似ていた。
二人の女性は、海斗たちに対面すると、深々と一礼し、
「本日はようこそいらっしゃいました。当旅館の大女将をしております、未空の祖母です。いつも孫がお世話になっております」
「未空の姉で、初実と言います。雷華ちゃん、お久しぶりです」
そう言って、順番に挨拶をした。
海斗と翠はつられるように一礼し、雷華は「お久しぶりです」と答えた。
大女将は、再び頭を下げながら陳謝する。
「先ほどは申し訳ありませんでした。初実は今、女将になるための修行中でして……私もつい、指導に熱が入ってしまったものですから。驚かせてしまいましたよね」
それを聞き、海斗は思わず未空に目を向けるが……彼女は、居心地悪そうに俯いている。
「ということは……未空ちゃんのお姉さんが、女将を継ぐ人、なんですか?」
海斗の脳裏に浮かんだ疑問を、翠が遠慮がちに尋ねる。
大女将はゆっくりと頷き、
「えぇ。何しろ長女ですからね。歴史ある『つるや旅館』を継ぐ者として、今から素養を身につけてもらわないと困ります」
やはり、穏やかな声で答えた。
その優しげな表情のまま、大女将は未空を見つめ、
「その点、未空は次女ですから、うちに縛られる必要はありません。いつも言っていることだけれど、そんな格好までして手伝う必要はないのよ? せっかくお友だちが来てくださったのだから、この後お外で遊んでくればいいじゃない」
それは、優しく穏やかで、孫を甘やかすおばあちゃんの声そのものだった。
しかし、海斗は……その言葉に疎外感のような、寂しい気持ちを覚えた。
だから、
「……弓弦は」
思わず口が動いてしまい、
「……『つるや旅館』が、大好きなんです。だから、この旅館を手伝うことに時間を使いたいって……そう思っているんじゃないでしょうか」
そんなことを口走っていた。
未空は顔を上げ、驚いたように海斗を見る。
その反応に、部外者が余計なことを言ってしまったと後悔するが……その時、
「──それは違うわ」
海斗のセリフをばっさり否定する、雷華の声が響く。
「手伝いたいなんてそんな甘い気持ちじゃない。未空は本気で女将になりたいと思っているのよ。親切で優しくて、宇宙一お客さんを喜ばせる女将に。それ以上でも、それ以下でもないわ」
大女将に向け、言い放った。
祖母と姉が呆気に取られているのを見て、未空は……
「な……何言ってるのよ、雷華。そんなわけないでしょ? 女将はお姉ちゃんがなるんだから。ごめんね、お姉ちゃんの修行の邪魔しちゃって。ほら……みんな行こ」
そう言って、足早にその場を後にした。
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