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04 鈴木さんの誤解
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水曜日。あのスチールロッカーの夢を見てから三日経った。
私は自分が見た夢のくせに、直視できないと思い天野と岡本を避ける様になった。
出来るだけ早く出社をし、ランチタイムは企画部のフロアにある休憩室か自席でとる。会議は必要なものだけ出る。幸いな事に天野と岡本と同席する会議はなかった。
そして出来るだけ仕事に没頭し終電ギリギリで帰る。
天野と岡本が所属する営業部は外回りだから、直帰も多い。これなら会う事もない。しかし、仕事に全力投球をしてしまったのと変な気を遣いすぎてたったの三日でバテてきてしまった。
体が疲れれば眠る事が出来るが、今度は脳みそがオーバーヒート気味だ。
やはり二人と一度話し合いを設けるべきだろうか。
この時点で「何を」「どう」「話し合う事があるのか」に気がついていない私は、既にどうかしていたのだと思う。
仕事に没頭しながら気を許すと天野と岡本の二人はどうしているのかと考えてしまう。
つまり、心を奪われている事に気がついていなかったのだ。
「倉田さんこれが営業部のファイリング資料です。データはメールで送ったんですけれども、ファイルでしか残っていない物があったので持ってきました」
営業部内勤の鈴木さんが黒髪を今日も艶やかに輝かせて微笑んでいた。その細腕で背幅が十センチもある重たいファイルを持ってきてくれた。
白いレースの襟がついた紺色のワンピースを着ている。腰の部分が細くて折れそうだった。スラッとした足にはグレーのパンプスを履いていた。
控え目のメイク──に見えるが、実はそうではないと思う。ナチュラル風のバッチリメイク。フローラルの香りを漂わせてふわりと微笑む。完璧なお嬢様スタイルだ。
鈴木さんは黒髪眼鏡のエリート、岡本に夢中な女性だ。
羨ましいな。こういうワンピース私も二十歳ぐらいの時に着てみたかったなぁ。全然似合わないけれども。清楚からは程遠い自分。昔から老けて見えたのもあって可愛い服装やギャル系の服装は着た事がなかった。
はっ。いけないいけない脱線したわ。
「ありがとう。その案件なのだけれども、高橋君に任せたいと思っていて。高橋君ちょといい?」
鈴木さんから特大ファイルを受け取りながら、少し遠くの席にいる高橋君を呼ぶ。クルクルとくせ毛の髪の毛を揺らして高橋君が返事をする。
「えぇ~僕ですかぁ? 分かりましたよ。あっ! 鈴木さんじゃないか」
私の声だと怠そうに答えたのに、鈴木さんの姿を見るなり笑顔で飛んでくる。
可愛い若い子に態度を変えるとは。なかなか失礼だな高橋君。
企画を頑張る高橋君なのだが、調子がいいところと気分屋なところがある。
「えっと、高橋君って確か同期の?」
鈴木さんが少し引き気味に、飛んで来た高橋君を見つめた。
「そうだよ同期の高橋だよ。いやぁ~今回一緒に仕事が出来るんだぁ嬉しいなぁ」
高橋君は私のチームの最年少だ。
私は座ったまま椅子をクルリと回して高橋君に手渡された特大ファイルを渡した。
「高橋君今回この企画をあなたにお願いしたいの。鈴木さん、高橋君から質問をする事があるかもしれないけれどもよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
鈴木さんはニッコリ笑って高橋君に丁寧にお辞儀をした。その可愛い姿にすっかり心を奪われているのは高橋君だった。同期として元々気になっていたのだろう。
私の方は全く見ないまま、特大ファイルをひったくる。
それから鈴木さんを見つめて早口でまくし立てる。
「僕、頑張ります! ありがとうございます倉田さん。僕ね鈴木さんと仕事したいと思っていて。折角だからお近づきに食事とかどうかな。そうだ~丁度今日、友達と食事をする予定があるんだ」
「え」
高橋君の強引な話に、微笑んでいた鈴木さんも顔をひきつらせた。
「た、高橋君それはちょっといきなりじゃないかな?」
私も顔をひきつらせて笑う。
何をいきなり食事に誘っているのよ! 仕事の話を先にしなさいよ仕事の話を。調子がいいのだから。しかし舞い上がった高橋君は私の話を聞かない。
「実はさぁ友達がバンドをやっていてさ。今度メジャーデビューする事になったんだ」
高橋君は胸を張って自慢をする。
関係ないでしょ。何故友達の話に切り替わるの。しかもバンドって。
「へぇ~それは凄いですねぇ~」
鈴木さんは、はじめこそ顔をひきつらせたが直ぐに優しい微笑みで返す。
凄い笑顔が眩しすぎて目が開けられないかも。
「そうなんだよ。そのお祝いで食事をする事になっていて。他にも友達が来る事になっているし。そっち方面の方もネットワークを広げるとさ、いいかもしれないよ」
そっち方面ってどっち方面よ。それに何故上から目線なの。ネットワークを広げるといいかもしれないよ? なんて格好つけて言わなくても。
「うーん、そうですね。確かに営業部としてはネットワークを広げるのはいいかもしれないけれども。でも、友達の中に突然知らない私が参加するのも」
素晴らしい。全然否定しないのにやんわり断ると。鈴木さんの話術、見習いたいわ。
「えぇ~そんな事を言わないでさぁ」
「だって気を遣わせてしまうのは、ね?」
高橋君の引かないお誘いを、鈴木さんは上手く避ける。
例えるのであれば、剛速球で投げる高橋君のボールを、鈴木さんは華麗に笑いながらかわしていく。
上司の私が遮るべきだけれども、鈴木さんがあまりにも上手くかわすので何処で口を挟んでいいのか。
鈴木さんも可愛いだけではないのね。内勤営業で外回りメンバーのバックアップをしていると聞いたけれども、彼女なりにサポート業務を頑張っているのだろう。鈴木さんは可愛いからこんなお誘いは日常茶飯事で、苦労しながらこういった会話術を身につけたのかもしれない。
そんな鈴木さんは、岡本に思いを寄せている。鈴木さんをとりまくお嬢様系の女の子達は、だいたい岡本と一緒にランチタイムを楽しんでいた。
岡本かぁ……
岡本って恋人は作らない主義みたいだったけれども。こんなに可愛い鈴木さんに言いよられたら悪い気はしないよね。
そう考えた時、夢の中、狭いスチールロッカーで岡本に貫かれた瞬間を思い出してしまった。
わ、私は何を思いだしているの? 思わずブルリと身を震わせて両手で体を抱きしめる。
スチールロッカーなんてありえないのに。しかしあの感触は慰安旅行の時と同じぐらい凄くて。後もう少しで……私は。ああ、しかしロッカーに入ってエッチするのはあの狭さがいいのかしら。密着するし。いいえ、そうは言ってもロッカーだけは──
私、鈴木さくらは、同期である高橋君の話を上手く避け続けていた。
倉田さんが何か考え込んでいる。どうしたのだろう。綺麗な顔なのに眉間に皺を寄せている。
あら? よく見たら倉田さんおでこを擦り剥いているの? どうしたのだろう珍しい。高橋君を軌道修正してくれたのに突然黙り込んでしまった。
それにしてもしつこいなぁ~高橋君ってマシンガンみたいに話を続けるからタイミングよく切り上げる事が出来ないのよね。どうしよう、倉田さんは何だか行く末を見守っているみたいにも見えるし。
はっ。
もしかして私は試されているのかしら? 倉田さんは元営業部と聞いた事があるわ。営業成績も優秀だと聞いた事がある。そしてかなりの美人とくれば、当時は今の私以上に声をかけられていたのかもしれない。いや、きっとそうだわ。当時から皆の人気者だと聞くし。
わ、私だって自力で切り抜ける事を見せないと! この話を上手く切り上げなくては。
試されていると感じた私は、何とか高橋君のお誘いを見事別の話に切り替える事が出来た。
「で、鈴木さんはどんな男性が好みなの?」
「えぇ~それは素敵な男性は沢山いるし」
よっしゃー! 何とか異性の好みの話に切り替わった。
でもね高橋君、お生憎様。私が今狙っているのは岡本君だけなのよ。あなたには興味がないの。
ふふふ、どうですか? 倉田さん。私は高橋君のしつこいお誘いを自力で切り抜ける事が出来ましたよっ! これで倉田さんに話を戻せば高橋君の相手は倉田さんがしてくれるはず。つまり高橋君にお説教が下る事になるだろう。
「好みの男性と言えば、是非倉田さんにも意見を聞いてみたいんですけど」
私はニッコリ笑って倉田さんに向き直る。
「あっそうだね。倉田さんはどんな男性が好みです?」
よっしゃー! 高橋君も食いついてくれた。
高橋君は私と一緒に倉田さんに向き直った。しかし、倉田さんは予想外のしかも大きな声ではっきりとこう言った。
「絶対ロッカーなんてありえないから!」
私は二人に何かを尋ねられた反動で、思い出してしまった夢の内容をかき消す為に大声で叫んだ。その声量に自分が驚いて口を両手で塞ぐ。
阿呆な私は何を大声で口走っているの。
「「え?」」
当然鈴木さんと高橋君は豆鉄砲を食らったハトの様な顔になり(実際にハトのそんな顔を見た事はないけれども)私を見つめる。
「ロッカーって……あっ、もしかしてバンドマンですか?」
鈴木さんが目を丸めて尋ね返した。
「え? ち、違うのよ。ご、ごめんなさい。ロッカーはその、えっと。な、何でもないのよ。何でも! あははは」
何故ロッカーがバンドマンになるのか分からないけれども、私は慌てて否定をした。
「は、はぁ。そ、そうですか。でもびっくりしたぁ~」
高橋君は私の声に我に返った様になり、今まで話し続けていた口を閉じた。
それで私はここぞとばかりに高橋君を制した。
「と、とにかく高橋君。あんまり鈴木さんを困らせる様な発言はしない様に。仕事ですからね」
そうだ仕事だ。私も気をつけないと。何を思い出しているのやら。
「そ、そうですよね。ごめんね鈴木さん。資料ありがとうこんなに重いのに。企画頑張るからよろしくね」
「え、ええ。こちらこそ。よろしくお願いします」
鈴木さんはそう言い残すとそそくさと企画部を後にした。
私は倉田さん高橋君と話した後、真っすぐ営業部のフロアで自分の席に戻った。
ロッカーって……バンドマンって言えばいいのに。倉田さんも妙に古くさい言い方をするわね。少しおばさんっぽい言動が多いけれども、美人だから何か許されちゃうのよね。
そう思いながら戻ると、何と驚く事に岡本君が私の席の側で立っていた。
「岡本君! お帰りなさい。外回りから帰ってきたの?」
「あっ、鈴木さん!」
岡本君はダークグレーのスーツを着ていた。オーダースーツだろう。細身でも長身の彼は足がとても長い。それに市販のスーツでは微妙に胴体周りがフィットしないと言っていたし。
艶やかな短めの黒髪で前髪だけは少し長い。サラサラとしている髪型は清潔感がある。日焼けしないのか肌も透き通る様に白い。女の私でも負けそうだ。
笑うととても若く見える。高校生の様だが着こなされているスーツを見れば、一目で仕事が出来る男だと分かる。それに彼はいつも朝一番に出社して調べ物やメールチェックを済ませている。
「確か凄く重たいファイルを倉……じゃない、企画部に持っていくはずだったでしょ? 一緒に持っていこうと思ってさ」
岡本君がパーティションで仕切られた私の席で、長身を折り曲げる様にする。
黒縁眼鏡の奥、切れ長の瞳が細くなった。近づくと岡本君の使っている香水、イランイランの香りがした。
きゃー。近い近い、今まで生きてきた中で一番に近い! そして色っぽい!
何? 何? 何なのイランイランって。華やかな香りなのに彼がつけると上品だし。
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫です今さっき企画部の倉田さんに渡してきましたから」
私は赤くなった頬を押さえ耐えきれず岡本君から慌てて離れる。
気遣ってもらえると嬉しいけれども、近づかれると心臓が持たない。
「そうなんだ……ははは」
何故か岡本君は肩を落としていた。少し眉が下がって可愛く見えた。
「ふふ、変な岡本君」
「最近運動不足だから何か持って歩いてみようかなって。企画部に行くぐらいなら丁度いい距離かなって思ってさ。そっか持って行ったかぁ~」
岡本君は鼻の頭を掻きながら柔らかく笑った。
「運動不足だなんて冗談でしょ。スタイルがいいのに。そんな事ないと思うけれども。面白い事を言うんですね。あっ、面白い事と言えばさっきの倉田さんも面白くって」
私は直前に起こった倉田さんの慌て様を思い出した。
ああ、何度思い出しても面白すぎる。いきなり男性の好みを聞かれてあんな反応ってないわよね。あの時は驚いて何も言えなかったけれども、冷静に考えるともの凄く倉田さん挙動不審でおかしかった。
「……倉田さん?」
私が思わず出した言葉に岡本君が眉をひそめた。
「ふふふ。今さっきなんですけれどもね。スッゴく倉田さんが面白い事を言ったんですよ」
「へぇ、どんな事ですか? そんなに鈴木さんが笑うなら僕、気になるなぁ」
きゃぁ! 岡本君が気になるって言った? 私が気になるって?
私はキョロキョロと辺りを見まわして岡本君に近づき小さく呟く。
すると自然と岡本君が長身を倒して私の顔に自分の耳を近づける。きゃぁスッゴく近い!
「倉田さんバンドマンと付き合っているみたいなんです」
私がそっと囁くと、岡本君はヒュッと息を飲んだ。
「……ぇ」
そして切れ長の目をまん丸にした。そうよね、驚くわよね~
私が岡本君の手を何気に握ろうとした時、課長に大声で呼ばれた。
「鈴木さん~ごめんこの分析データの事教えて欲しいんだけど~」
チッ! いいところで。直ぐに行かないと課長は面倒くさいからなぁ。
私は岡本君からスッと離れてニッコリ笑って手を振った。
「って事なの。じゃぁね岡本君気遣ってくれてありがとう! 課長~今行きます~」
「う、うん」
岡本君は首をかしげて笑いながら手を振り替えしてくれた。
きゃぁ~倉田さんのおかげで岡本君とひそひそ話する事が出来たわ!
ふふふ、それにあの倉田さんあの態度は傑作だったし。
三日前に島田がランチタイムで言っていた婚活パーティーの話も嘘ではないのかも。
きっと婚活パーティーでバンドマンに出会ったのだわ。もしかしておでこの擦り剥きはバンドマンとの揉め事でついたとか? きゃぁ~何よそれ面白すぎる。
島田と一緒に慰安旅行で倉田さんの部屋を訪ねた時、不倫をしていると思い込んでいたけれども、バンドマンっていうのも凄いわね。
だってあんなに美人でスタイル抜群、巨乳女子よ。きっと凄い恋愛遍歴を持っているに違いない。そして男性経験も──
「ふふふ、今日のランチタイムは島田と情報共有しなきゃ!」
こんな面白い話題久しぶりだわ。私は課長のもとに足早に急いだ。
「……バンドマンってどういう事ですか」
取り残された、岡本は誰にも聞こえない声で呟いた。
私は自分が見た夢のくせに、直視できないと思い天野と岡本を避ける様になった。
出来るだけ早く出社をし、ランチタイムは企画部のフロアにある休憩室か自席でとる。会議は必要なものだけ出る。幸いな事に天野と岡本と同席する会議はなかった。
そして出来るだけ仕事に没頭し終電ギリギリで帰る。
天野と岡本が所属する営業部は外回りだから、直帰も多い。これなら会う事もない。しかし、仕事に全力投球をしてしまったのと変な気を遣いすぎてたったの三日でバテてきてしまった。
体が疲れれば眠る事が出来るが、今度は脳みそがオーバーヒート気味だ。
やはり二人と一度話し合いを設けるべきだろうか。
この時点で「何を」「どう」「話し合う事があるのか」に気がついていない私は、既にどうかしていたのだと思う。
仕事に没頭しながら気を許すと天野と岡本の二人はどうしているのかと考えてしまう。
つまり、心を奪われている事に気がついていなかったのだ。
「倉田さんこれが営業部のファイリング資料です。データはメールで送ったんですけれども、ファイルでしか残っていない物があったので持ってきました」
営業部内勤の鈴木さんが黒髪を今日も艶やかに輝かせて微笑んでいた。その細腕で背幅が十センチもある重たいファイルを持ってきてくれた。
白いレースの襟がついた紺色のワンピースを着ている。腰の部分が細くて折れそうだった。スラッとした足にはグレーのパンプスを履いていた。
控え目のメイク──に見えるが、実はそうではないと思う。ナチュラル風のバッチリメイク。フローラルの香りを漂わせてふわりと微笑む。完璧なお嬢様スタイルだ。
鈴木さんは黒髪眼鏡のエリート、岡本に夢中な女性だ。
羨ましいな。こういうワンピース私も二十歳ぐらいの時に着てみたかったなぁ。全然似合わないけれども。清楚からは程遠い自分。昔から老けて見えたのもあって可愛い服装やギャル系の服装は着た事がなかった。
はっ。いけないいけない脱線したわ。
「ありがとう。その案件なのだけれども、高橋君に任せたいと思っていて。高橋君ちょといい?」
鈴木さんから特大ファイルを受け取りながら、少し遠くの席にいる高橋君を呼ぶ。クルクルとくせ毛の髪の毛を揺らして高橋君が返事をする。
「えぇ~僕ですかぁ? 分かりましたよ。あっ! 鈴木さんじゃないか」
私の声だと怠そうに答えたのに、鈴木さんの姿を見るなり笑顔で飛んでくる。
可愛い若い子に態度を変えるとは。なかなか失礼だな高橋君。
企画を頑張る高橋君なのだが、調子がいいところと気分屋なところがある。
「えっと、高橋君って確か同期の?」
鈴木さんが少し引き気味に、飛んで来た高橋君を見つめた。
「そうだよ同期の高橋だよ。いやぁ~今回一緒に仕事が出来るんだぁ嬉しいなぁ」
高橋君は私のチームの最年少だ。
私は座ったまま椅子をクルリと回して高橋君に手渡された特大ファイルを渡した。
「高橋君今回この企画をあなたにお願いしたいの。鈴木さん、高橋君から質問をする事があるかもしれないけれどもよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
鈴木さんはニッコリ笑って高橋君に丁寧にお辞儀をした。その可愛い姿にすっかり心を奪われているのは高橋君だった。同期として元々気になっていたのだろう。
私の方は全く見ないまま、特大ファイルをひったくる。
それから鈴木さんを見つめて早口でまくし立てる。
「僕、頑張ります! ありがとうございます倉田さん。僕ね鈴木さんと仕事したいと思っていて。折角だからお近づきに食事とかどうかな。そうだ~丁度今日、友達と食事をする予定があるんだ」
「え」
高橋君の強引な話に、微笑んでいた鈴木さんも顔をひきつらせた。
「た、高橋君それはちょっといきなりじゃないかな?」
私も顔をひきつらせて笑う。
何をいきなり食事に誘っているのよ! 仕事の話を先にしなさいよ仕事の話を。調子がいいのだから。しかし舞い上がった高橋君は私の話を聞かない。
「実はさぁ友達がバンドをやっていてさ。今度メジャーデビューする事になったんだ」
高橋君は胸を張って自慢をする。
関係ないでしょ。何故友達の話に切り替わるの。しかもバンドって。
「へぇ~それは凄いですねぇ~」
鈴木さんは、はじめこそ顔をひきつらせたが直ぐに優しい微笑みで返す。
凄い笑顔が眩しすぎて目が開けられないかも。
「そうなんだよ。そのお祝いで食事をする事になっていて。他にも友達が来る事になっているし。そっち方面の方もネットワークを広げるとさ、いいかもしれないよ」
そっち方面ってどっち方面よ。それに何故上から目線なの。ネットワークを広げるといいかもしれないよ? なんて格好つけて言わなくても。
「うーん、そうですね。確かに営業部としてはネットワークを広げるのはいいかもしれないけれども。でも、友達の中に突然知らない私が参加するのも」
素晴らしい。全然否定しないのにやんわり断ると。鈴木さんの話術、見習いたいわ。
「えぇ~そんな事を言わないでさぁ」
「だって気を遣わせてしまうのは、ね?」
高橋君の引かないお誘いを、鈴木さんは上手く避ける。
例えるのであれば、剛速球で投げる高橋君のボールを、鈴木さんは華麗に笑いながらかわしていく。
上司の私が遮るべきだけれども、鈴木さんがあまりにも上手くかわすので何処で口を挟んでいいのか。
鈴木さんも可愛いだけではないのね。内勤営業で外回りメンバーのバックアップをしていると聞いたけれども、彼女なりにサポート業務を頑張っているのだろう。鈴木さんは可愛いからこんなお誘いは日常茶飯事で、苦労しながらこういった会話術を身につけたのかもしれない。
そんな鈴木さんは、岡本に思いを寄せている。鈴木さんをとりまくお嬢様系の女の子達は、だいたい岡本と一緒にランチタイムを楽しんでいた。
岡本かぁ……
岡本って恋人は作らない主義みたいだったけれども。こんなに可愛い鈴木さんに言いよられたら悪い気はしないよね。
そう考えた時、夢の中、狭いスチールロッカーで岡本に貫かれた瞬間を思い出してしまった。
わ、私は何を思いだしているの? 思わずブルリと身を震わせて両手で体を抱きしめる。
スチールロッカーなんてありえないのに。しかしあの感触は慰安旅行の時と同じぐらい凄くて。後もう少しで……私は。ああ、しかしロッカーに入ってエッチするのはあの狭さがいいのかしら。密着するし。いいえ、そうは言ってもロッカーだけは──
私、鈴木さくらは、同期である高橋君の話を上手く避け続けていた。
倉田さんが何か考え込んでいる。どうしたのだろう。綺麗な顔なのに眉間に皺を寄せている。
あら? よく見たら倉田さんおでこを擦り剥いているの? どうしたのだろう珍しい。高橋君を軌道修正してくれたのに突然黙り込んでしまった。
それにしてもしつこいなぁ~高橋君ってマシンガンみたいに話を続けるからタイミングよく切り上げる事が出来ないのよね。どうしよう、倉田さんは何だか行く末を見守っているみたいにも見えるし。
はっ。
もしかして私は試されているのかしら? 倉田さんは元営業部と聞いた事があるわ。営業成績も優秀だと聞いた事がある。そしてかなりの美人とくれば、当時は今の私以上に声をかけられていたのかもしれない。いや、きっとそうだわ。当時から皆の人気者だと聞くし。
わ、私だって自力で切り抜ける事を見せないと! この話を上手く切り上げなくては。
試されていると感じた私は、何とか高橋君のお誘いを見事別の話に切り替える事が出来た。
「で、鈴木さんはどんな男性が好みなの?」
「えぇ~それは素敵な男性は沢山いるし」
よっしゃー! 何とか異性の好みの話に切り替わった。
でもね高橋君、お生憎様。私が今狙っているのは岡本君だけなのよ。あなたには興味がないの。
ふふふ、どうですか? 倉田さん。私は高橋君のしつこいお誘いを自力で切り抜ける事が出来ましたよっ! これで倉田さんに話を戻せば高橋君の相手は倉田さんがしてくれるはず。つまり高橋君にお説教が下る事になるだろう。
「好みの男性と言えば、是非倉田さんにも意見を聞いてみたいんですけど」
私はニッコリ笑って倉田さんに向き直る。
「あっそうだね。倉田さんはどんな男性が好みです?」
よっしゃー! 高橋君も食いついてくれた。
高橋君は私と一緒に倉田さんに向き直った。しかし、倉田さんは予想外のしかも大きな声ではっきりとこう言った。
「絶対ロッカーなんてありえないから!」
私は二人に何かを尋ねられた反動で、思い出してしまった夢の内容をかき消す為に大声で叫んだ。その声量に自分が驚いて口を両手で塞ぐ。
阿呆な私は何を大声で口走っているの。
「「え?」」
当然鈴木さんと高橋君は豆鉄砲を食らったハトの様な顔になり(実際にハトのそんな顔を見た事はないけれども)私を見つめる。
「ロッカーって……あっ、もしかしてバンドマンですか?」
鈴木さんが目を丸めて尋ね返した。
「え? ち、違うのよ。ご、ごめんなさい。ロッカーはその、えっと。な、何でもないのよ。何でも! あははは」
何故ロッカーがバンドマンになるのか分からないけれども、私は慌てて否定をした。
「は、はぁ。そ、そうですか。でもびっくりしたぁ~」
高橋君は私の声に我に返った様になり、今まで話し続けていた口を閉じた。
それで私はここぞとばかりに高橋君を制した。
「と、とにかく高橋君。あんまり鈴木さんを困らせる様な発言はしない様に。仕事ですからね」
そうだ仕事だ。私も気をつけないと。何を思い出しているのやら。
「そ、そうですよね。ごめんね鈴木さん。資料ありがとうこんなに重いのに。企画頑張るからよろしくね」
「え、ええ。こちらこそ。よろしくお願いします」
鈴木さんはそう言い残すとそそくさと企画部を後にした。
私は倉田さん高橋君と話した後、真っすぐ営業部のフロアで自分の席に戻った。
ロッカーって……バンドマンって言えばいいのに。倉田さんも妙に古くさい言い方をするわね。少しおばさんっぽい言動が多いけれども、美人だから何か許されちゃうのよね。
そう思いながら戻ると、何と驚く事に岡本君が私の席の側で立っていた。
「岡本君! お帰りなさい。外回りから帰ってきたの?」
「あっ、鈴木さん!」
岡本君はダークグレーのスーツを着ていた。オーダースーツだろう。細身でも長身の彼は足がとても長い。それに市販のスーツでは微妙に胴体周りがフィットしないと言っていたし。
艶やかな短めの黒髪で前髪だけは少し長い。サラサラとしている髪型は清潔感がある。日焼けしないのか肌も透き通る様に白い。女の私でも負けそうだ。
笑うととても若く見える。高校生の様だが着こなされているスーツを見れば、一目で仕事が出来る男だと分かる。それに彼はいつも朝一番に出社して調べ物やメールチェックを済ませている。
「確か凄く重たいファイルを倉……じゃない、企画部に持っていくはずだったでしょ? 一緒に持っていこうと思ってさ」
岡本君がパーティションで仕切られた私の席で、長身を折り曲げる様にする。
黒縁眼鏡の奥、切れ長の瞳が細くなった。近づくと岡本君の使っている香水、イランイランの香りがした。
きゃー。近い近い、今まで生きてきた中で一番に近い! そして色っぽい!
何? 何? 何なのイランイランって。華やかな香りなのに彼がつけると上品だし。
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫です今さっき企画部の倉田さんに渡してきましたから」
私は赤くなった頬を押さえ耐えきれず岡本君から慌てて離れる。
気遣ってもらえると嬉しいけれども、近づかれると心臓が持たない。
「そうなんだ……ははは」
何故か岡本君は肩を落としていた。少し眉が下がって可愛く見えた。
「ふふ、変な岡本君」
「最近運動不足だから何か持って歩いてみようかなって。企画部に行くぐらいなら丁度いい距離かなって思ってさ。そっか持って行ったかぁ~」
岡本君は鼻の頭を掻きながら柔らかく笑った。
「運動不足だなんて冗談でしょ。スタイルがいいのに。そんな事ないと思うけれども。面白い事を言うんですね。あっ、面白い事と言えばさっきの倉田さんも面白くって」
私は直前に起こった倉田さんの慌て様を思い出した。
ああ、何度思い出しても面白すぎる。いきなり男性の好みを聞かれてあんな反応ってないわよね。あの時は驚いて何も言えなかったけれども、冷静に考えるともの凄く倉田さん挙動不審でおかしかった。
「……倉田さん?」
私が思わず出した言葉に岡本君が眉をひそめた。
「ふふふ。今さっきなんですけれどもね。スッゴく倉田さんが面白い事を言ったんですよ」
「へぇ、どんな事ですか? そんなに鈴木さんが笑うなら僕、気になるなぁ」
きゃぁ! 岡本君が気になるって言った? 私が気になるって?
私はキョロキョロと辺りを見まわして岡本君に近づき小さく呟く。
すると自然と岡本君が長身を倒して私の顔に自分の耳を近づける。きゃぁスッゴく近い!
「倉田さんバンドマンと付き合っているみたいなんです」
私がそっと囁くと、岡本君はヒュッと息を飲んだ。
「……ぇ」
そして切れ長の目をまん丸にした。そうよね、驚くわよね~
私が岡本君の手を何気に握ろうとした時、課長に大声で呼ばれた。
「鈴木さん~ごめんこの分析データの事教えて欲しいんだけど~」
チッ! いいところで。直ぐに行かないと課長は面倒くさいからなぁ。
私は岡本君からスッと離れてニッコリ笑って手を振った。
「って事なの。じゃぁね岡本君気遣ってくれてありがとう! 課長~今行きます~」
「う、うん」
岡本君は首をかしげて笑いながら手を振り替えしてくれた。
きゃぁ~倉田さんのおかげで岡本君とひそひそ話する事が出来たわ!
ふふふ、それにあの倉田さんあの態度は傑作だったし。
三日前に島田がランチタイムで言っていた婚活パーティーの話も嘘ではないのかも。
きっと婚活パーティーでバンドマンに出会ったのだわ。もしかしておでこの擦り剥きはバンドマンとの揉め事でついたとか? きゃぁ~何よそれ面白すぎる。
島田と一緒に慰安旅行で倉田さんの部屋を訪ねた時、不倫をしていると思い込んでいたけれども、バンドマンっていうのも凄いわね。
だってあんなに美人でスタイル抜群、巨乳女子よ。きっと凄い恋愛遍歴を持っているに違いない。そして男性経験も──
「ふふふ、今日のランチタイムは島田と情報共有しなきゃ!」
こんな面白い話題久しぶりだわ。私は課長のもとに足早に急いだ。
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そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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社長室の蜜月
ゆる
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内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
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