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148 領主代理

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 食堂の長テーブルは一体何人が並んで食事が出来るのだろう。改めて椅子を数えてみる。片側だけで十脚だから一度に二十人が食事をする事が出来る。

 水泳教室で来た時の夕食を思い出す。私が酔っ払ってノアに領主にならなくてもいいと言い放った事を後から聞かされた。何だか随分前の事の様に感じる。

 長テーブルのお誕生日席は他とは異なる装飾の椅子が置いてあった。

 家主が座る椅子だ。背もたれ部分が高くなっていて、くちばしの少し曲がった海鳥の木彫り装飾が施されていた。椅子の主のである領主は、アルさんネロさんそしてノアと話をしているだろう。二階に向かう階段ですれ違って三十分以上経つが特に音沙汰がない。

 争う様な声や怒号は聞こえないので静かに話をしているのだろう。私はそんな事を考えながら、ザックと二人でアルマさんのお手製パンでサンドを作りかぶりつく。

「この蒸し鶏の味付け酸っぱいけれども美味しいね」
 一口食べて咀嚼した後、感想を述べると隣に座っていたザックがトマトを摘まみながら笑った。

「そのソースはアルマ特製さ。蒸した鶏の胸肉を細かく割いていて、砕いたゆで卵と細かく刻んだ緑黄色野菜が混ざっていて美味いよな。酸味がきいている方が美味いなんて思いつかなかったぜ」
「うん。美味しい~」
 私は最後の一口を頬張るとウンウンと何度も頷いた。

 目の前には焼きたてのパン。そしてパンの中に挟む具材が所狭しとテーブルの上に並んでいる。肉、魚、野菜、何種類ものソースやドレッシング。セルフサンドで様々な味が楽しめる。

 医療魔法を使ってお腹が空いていた私に食事を用意してくれたのは、メイド頭のアルマさんだった。当然シェフもいるのだがアルマさんお手製のパンは絶品でとても美味しい。

「ナツミ口の端に卵がついてるぞ」
 ザックが笑って私の口の端についた卵を親指で拭ってくれた。そしてその指をペロリと自分で舐めてしまう。

「ありがとう」
 私はザックにお礼を言う。
 
 ザックは私の隣に座って次から次へとサンドを作り手渡してくれる。更に、飲み物や口の端についたソースなどを拭ってくれる。その間にザックは食事をしていた。
 そんなザックの様子を見ていたアルマさんが目を丸くしていた。
「仲間の世話はよくすると思っていたけれども、恋人にも甲斐甲斐しいとは意外だねぇ。ふんぞり返って女に世話をされる側かと思っていたのに」
 アルマさんは老いて丸くなりがちな背筋を伸ばし、私とザックにフルーツジュースを注いでくれた。

「知らなかったのか? 俺は好きな女にはとことん尽くす男なんだ」
 アルマさんの不思議がる声に何故か胸を張るザックだった。アルマさんはそんなザックの態度に笑っていた。

「いいさ。ザックがそうやって尽くすなら子供が生まれてもナツミと楽しくやっていけるだろうよ。私の心配事が一つ減って安心さ」
 
「んぐっ! こっ、子供」
 私はアルマさんの言葉に驚いて頬張ったサンドを喉に詰まらせた。慌てて胸を叩いて置かれたばかりのフルーツジュースを飲み干す。

「ナツミ大丈夫か。あーあ慌てて飲み込むから」
 私の背中をさすりながらザックが自分のジュースも差し出してくれた。
「ゴホッ。ごめん」
 私は喉に詰まらせた事とは別の理由で、真っ赤なり俯いてしまった。

 びっくりした。アルマさんが子供なんて言うから驚いてしまった。

「アルマ心配事が一つ減って安心なんて意味深な事を言うなよ。つーか、アルマは俺の事を心配していたか? いつも俺の事を竹箒で殴っていたよなぁ」
 ザックがアルマさんに向き直る。ザックは「子供」という言葉に慌てる様子もなかった。

 アルマさんはザックの前に再びフルーツジュースを差し出し溜め息をついていた。
「私はノア坊ちゃんの側にいるが少しばかりまともだったから安堵しているだけさ」
「酷い言い方だな。俺は昔からノアの事を世話してやっているのに」
 頬杖をついてザックはニヤリと笑ってみせた。

 アルマさんはザックの態度に呆れていたが、改めてザックの顔を見つめると最後は優しく微笑んだ。

「ノア坊ちゃんの側にいてくれたからこそ心配していたのさ。ノア坊ちゃんが十歳になったばかりの頃、裏町に入り浸る日がはじまって今日という日までどうなる事かと」
 アルマさんはそこまで言って言葉を飲み込んだ。そして背中を丸くして俯いた。

 アルマさんはノアが領主の息子ではない事を知っている唯一の人物だ。

 ノアは金銭的に恵まれた環境だが、機能しない家族の中で育った。それと同時に、領主の長男であるアルさんも差別で傷つき育った。二人を子供の頃から静かに見守ってきたアルマさんは気が気ではなかっただろう。

 俯いたアルマさんの肩をポンと叩いたザックは太陽の様な笑顔で笑って見せた。
「アルマ。いつも気にかけてくれてありがとう。俺はもちろん平気さ。それにノアは大丈夫だ。ノアにも大切な人がいるからな。心配しなくても生きていけるぜ」
 ザックの言葉にアルマさんは顔を上げて、皺の多い顔を歪ませた。

 ゆっくりと息を吸ってザックの言葉に何度も頷いていた。それから私に振り返ると驚く程深々と頭を下げた。

「アルマさん?」
 突然の事で驚き私は思わず椅子から立つのも忘れてしまう。

「ナツミさんはアル坊ちゃんと繋がりのあった奴隷商人に酷く傷つけられたと聞きました。更にその奴隷商人の一人を海に叩き落として捕まえてくれた事も」
「えーと、海に叩き落としたわけでは」
 私は目を泳がせてしまった。

 捕まえたなんてとんでもない。私がしたのは海に一緒に飛び込んだだけで、奴隷商人ダンクが一人勝手に海面に叩きつけられただけなのだが。

 ゆっくりと顔を上げたアルマさんが小さな手で私の両手を握りしめた。
「ナツミさんは酷い目に合わされたのに、アル坊ちゃんを助けてくれたのですね」
 アルマさんが頭をもう一度深々と下げた。
「あ……」
 私は驚いてザックに視線を向けた。ザックは私に向かって頷いていた。
 
 私がここに来た理由をアルマさんは知らされていたのだ。食事を用意してくれたのも、私が医療魔法を使う事でお腹を減らすから──と、聞かされていたのだろう。

「ナツミさんは命を削ってまでアル坊ちゃんを助ける必要などなかったのに。それなのに」
 そこでアルマさんは顔を上げ私をじっと見つめた。小さな手が震えていた。

「それなのにナツミさんはアル坊ちゃんを助けてくれました。本当にありがとうございます。感謝しかありません。何のお返しも出来ず、申し訳ございません」
 アルマさんはそう言って再び深々と頭を下げた。

「アルマさん」
 いつまでも顔を上げないアルマさん。

 アルさんの側に心配してくれる人がいてよかった。

 私はアルマさんの手を握り返して、ゆっくりと左右に首を振った。
「もう顔を上げてください。それにお返しはたっぷりもらいました」
「え?」
 アルマさんがゆっくり顔を上げて首を傾げた。

「アルマさんの美味しいパンを頂きました。前に来た時も美味しいパンだなって思っていたんですよ。また食べる事が出来て嬉しいです。ね、ザック」
 私はザックに笑顔を向けると、ザックが優しく笑い返してくれた。

「そうだな。アルマのパンは最高だ。子供の頃、腹が減ったらパンを食わせてくれて本当に感謝しているさ。これからも美味いパンを焼いてくれよ」
 ザックは最後少し寂しそうにアルマさんに笑いかけていた。

 私とザックの言葉を受けて、アルマさんは目頭を押さえた。

「ザックに褒められて感謝される日が来ようとはね。私こそ感謝しかないのに」
 アルマさんは掠れた声でポツリと呟くと、もう一度頭を下げた。

「ナツミ様、ザック様、ありがとうございました。アルマ特製のデザートをお持ちします」
 アルマさんは私達に様をつけて呼ぶと、最後はしっかりと声を張り退出していった。

「様はつけなくてもいいのに」
 ザックと二人やたらと広い部屋に残された。おかげでポツリと呟いた私の声が辺りに響く。

 ザックは私の隣でアルマさんのパンを小さく千切り一口また一口と噛みしめて食べていた。それから小さくなったパンのかけらを見つめながらポツリと呟いた。
「アルマのパンを喰えるのはこれが最後だろう。そう思うと寂しいもんだな」
「え。アルマさんのパンを食べるのが最後ってどういう事?」
 呟いたザックに驚く。

 そして同時に部屋の扉が開き低い声が聞こえた。
「そこからは俺が説明しよう」
 扉には詰め襟長袖の白い上着と黒いズボンを穿いた陸上部隊のカイ大隊長が立っていた。

 プラチナブロンドのウェーブした髪に隠れた左目。抉られて今はないが、残った右目で見つめられると動けなくなる強い眼光は健在だ。
 先日、奴隷商人ダンクを捕まえた現場にいて、恋人のジルさんと私を助けてくれた。

「カイ大隊長……」
 突然のカイさんの登場に、私はポカンと見上げるばかりだがザックは違った。
 カイ大さんの姿を見るなり椅子から立ち上がる。両手を体の横につけ四十五度のお辞儀をする。直ぐに体を起こして両足を肩幅程度に広げ背中に両腕を回し背筋を伸ばして立った。

 カイさんは私達二人を一瞥し長テーブルの端まで歩く。それから私とザックの向かい側の席についた。

「ザック今は三人だけだ。崩してくれていい。それに食事をしていたのだろう。かまわない座ってくれ」
「えっ大隊長?」
 私は思わず声を上げる。確かザックは小隊長だったはず。ザックはもう一度お辞儀をすると体の力を抜いた。

「はい失礼します。カイ
 ザックは静かに返事をすると、ゆっくりと椅子に腰をかけた。

「カイ領主代理!?!」

 私はモゴモゴと口の中で叫び、向かい側に座るカイさんと隣に座るザックの二人を何度も見比べて冷や汗を流した。





「俺とレオの二人が領主代理となる事に決定したのは一昨日の夜だ。二人体制で領主代理となるのは他の町でも事例がないのでな。軍会議で随分紛糾したものだ。また今回の活躍によりザックとノアの両名は大隊長へ昇格となった」

 レオさんとは『もみ上げ長めの二重巨人』の海上部隊の大隊長だ。

 軍の陸上部隊大隊長の一人が目の前にいるカイさんで、海上部隊大隊長がレオさんだった。その二人がいきなり領主代理とは。更にザックとノアが大隊長だなんて。昇格はめでたい事だけれども。私は話についてゆけず、目の前のフルーツジュースばかり見つめていた。
 
「ナツミは話についていけないという顔だな」
 カイさんが珍しく笑った。余程私の動揺が手に取る様に分かったのだろう。
 
「だってアルさんのお父さん……先ほどすれ違った領主様がこんなに早く退陣するとは思ってもなかったので。お父さんだから責任は感じていると思いましたけれども」
 私がポツリと呟くとカイさんはエスプレッソに似た飲み物「ココ」のカップを持ち上げ口に含んだ。

「領主は今回騒ぎを起こした奴隷商人とアルについて、出向していた北の国で報告を受けていた。報告を受けて領主は『息子であるアルの罪は自分の責任でもある』と。自ら罰を受けると、申し出たのさ。近々、アルと共に近くの離島に生涯幽閉となる。そしてメイド頭のアルマは世話をする為、二人についていく事を希望している」

「生涯幽閉って。一生離島で暮らすと言う事ですか?」
 衝撃の事実に私は驚く。

 だからザックは、アルマさんのパンが食べられなくなると寂しそうに呟いたのか。

 私の驚いた顔にカイさんは頷いた。それからカップを置くと、テーブルの上で両手を組んだ。

「ダンク達、奴隷商人もそうだが、アルは闇の人身売買に繋がりがある。その情報全てを引き出す必要がある。しかしアルは死病だ、直ぐに死なれては困る。そこでネロの開発した死病用の薬を完成させる為、アルには実験台になってもらう。この薬が完成すれば『ファルの町』の医療は更に一歩先をいく事になるだろう」

「実験台……」
 私はカイさんの言葉をオウム返しで呟く。

 情報と医療。

 この二つを握った『ファルの町』は闇の情報を手に入れ、奴隷商人の介入を許さない町となり安心して暮らす事が出来る。薬が完成すれば他国からも引く手あまただろう。薬を販売する事で利益も手にする。医療も充実した町となれば更に訪れる人が増え、町の利益や繁栄に繋がっていく。

 貿易も豊富で人の出入りも多い。下手をしたら母体の北の国より潤って力を持っていく──

「ファルの町が悪目立ちしたりして」
 思わずポツリと呟いた言葉にカイさんが反応する。私は慌てて両手で口を塞ぐが遅かった。
 男性二人は不敵に笑う。

 私の言葉を受けてカイさんは話を続けた。
「ナツミの言う通り『ファルの町』は目立つだろう。まずは領主一家から次の領主を選出しなかった事を北の国から指摘を受けるだろう。慣例ならノアが次の領主なのだからな。俺自身、貴族の出だが北の国の貴族社会から敬遠され『ファルの町』に飛ばされた身だ。さらに貴族とは全く関係のない『ファルの町』出身のレオ。俺達二人が領主代理を務めると言うのだからな」
 カイさんは鋭い眼光のまま薄く笑った。

 それは挑む様な笑い方だった。北の国の国、貴族の中でも色々争い事があるのだろう。

 私はそんなカイさんの言葉に吸い寄せられる様に尋ねた。

「どうしてノアを領主にしなかったのですか? だってノアは覚悟を決めていたはず」
「俺とレオの二人に領主代理を務めて欲しいと言い出したのはノアなんだ」
 カイさんが頬杖をついた。
「えっノアが?」
 私はノアが水泳教室の最終日に言っていた事を思い出した。

 ──俺は逃げるのはやめる。馬鹿な俺が何処までやれるかは分からないが、領主やその他の事ももっと真っすぐ立ち向かってみようと思う。ザック、シン、間抜けな俺を助けてくれよ? ──

 逃げる事をやめたノアは、この短期間で様々な経験をした。
 恋人マリンと親友ザックの過去。奴隷商人やアルさんとの対峙。

 その間に今の自分に何が足りないのか気がついたのだ。

 私の隣に座るザックが私の表情から色々読み取ったのだろう。ゆっくりとカイさんの言葉の続きを話してくれた。
「ノアは『三年欲しい』と言っていた。三年の間に、町の人々と軍の信頼。他にも領主として求められる判断能力を必ず身につけると。──ノアは周りに助けを求めたのさ」
 ザックは優しく微笑んでいた。

 ザックはノアに必要なのは「覚悟」と「自信」と「頼る事」だと言っていた。ノアはその通りになったのだ。

「ノアはザックだけではなく、カイさんとレオさんを頼る事にしたんだね」
 近くにいるザックですら警戒していたノアが、周りを頼って一つの答えを出したのだ。

 私の言葉にザックは強く頷いた。

 カイさんは更に続ける。
「ノアは奴隷商人から町を守る為、裏町の人間や踊り子に宿屋の店主同士皆が結束した様を見て──いや違うな……そのきっかけを作ったナツミの振る舞いを見て、自分もそうありたいと思った様だな」
 カイさんの言葉に私は驚いてしまった。

「そんな。町の皆が結束したのは、ノアやザックが元々繋がっていたからなのに」
 それでもノアが私を思ってくれた事に、照れくさくなった。

「俺とレオは三年間ノアの楯になろうと思う。俺とレオが矢面に立てば『ファルの町』への風当たりも強いかも知れない。しかしやる価値はある。何故ならファルの町が豊になり皆が幸せに暮らしていける一歩だからだ。ザックもノアに力を貸す事は惜しまない、そうだろう?」
 カイさんは最後ザックに同意を求めた。
 それを受けてザックは瞳を細めて強く頷いた。

「はい。もちろんです」
 ザックは背筋を伸ばして真っすぐカイ領主代理を見つめた。

 私はザックの決意した横顔を見て、新しい第一歩をノアとザックが踏み出した事を強く感じた。

 カイ領主代理が胸のポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認しながら視線をザックに向けた。
「ではザック大隊長、領主がそろそろ城に戻るはずだ。済まないがノア大隊長と一緒に護衛を頼む」
「しかしそれではナツミが」
 ザックは身を乗り出して私とカイさんを見比べる。

「心配ない。ナツミはシン小隊長に頼んで『ジルの店』まで送る事にする。ザック大隊長は自分の仕事に専念するんだ」
「ですが──」
 ザックは諦められないのか反論する。しかしカイさんは向かい側の席からザックの前に手をかざす。

「ザックがナツミに話したい事があるのは分かっている。しかし後数日の辛抱だ。ザックとノアがこの苦しい中、激務と言われる大隊長の仕事をこなさなければお前達二人の立場も危うい。ノアが望む三年間の第一歩は、大隊長として部隊を掌握してこそだ。それは理解しているな」
「はい」
 ザックは苦しそうに顔を歪ませたが最後はっきりと返事をした。

 ザックは私に大隊長になった事も含めて、自ら報告をしたかったのだろう。この数日間、夜遅くの帰宅だったし、朝も早くから仕事に向かっていたし。そして今日の事も説明もそこそこに、私を連れてこなければならなかった。話す時間が欲しかったのだろう。

「大丈夫だよザック。時間が出来た時にいっぱい話をしようよ。私はずっと待ってるから」
 私はザックを見つめながら彼の手を握りしめる。するとザックはキュッと唇を軽く噛んで、眩しそうに私を見つめた。それから小さく「済まない」と答えて、直ぐにカイさんに向き直り早口でまくし立てた。

「了解しました。しかし十秒だけ時間をください」
「全くお前ときたら……十秒だな。いいだろう」
 カイさんが片手でザックを追い払う仕草をした。

 その仕草を見るなりザックは私の顎を上に向かせると唇を深く合わせて私の舌を絡め取った。

「!」
 突然の濃厚なキスに私は驚いてされるがままになった。嵐の様なキスの最後は、舌を吸い上げられリップ音を大きくならすとザックは離れていった。それから私の耳元で低く響く声で囁いた。
「浮気するなよ。いい子で待ってろ」
 ゾクリとする艶のある声で囁かれ、顔が真っ赤になってしまった。ザックは私の背中をポンポンと叩くとカイ領主代理に一礼をして部屋から出て行った。

「うっ……浮気なんてするわけないのに」
 私は去っていったザックに向かって口を尖らせた。は、恥ずかしすぎる。バッチリと間近にキスを見られたカイさんと二人きりにされる私の身にもなって欲しい。
 私は顔を真っ赤にしてカイさんと視線を合わせることが出来ずにいた。
 
「全くだ。浮気の心配をするのはむしろナツミだろ。失礼な事を言う奴だな」
 カイさんは溜め息をついて胸のポケットに懐中時計をしまった。
「すみません。カイ領主代理」
 仰ると通りです……無邪気なザックに私は益々いたたまれなくなった。





 ザックが去ってから直ぐにアルマさんが特製ケーキを持ってきてくれた。

 アルマさんが用意をする間、カイさんと私二人の無言の時間が過ぎていく。やがてアルマさんが深く頭を下げて部屋から下がった頃、カイさんは小さく咳払いをして笑った。

「領主代理は言いにくいだろう。カイでいい。どうせジルも俺の事は呼び捨てだろうからな」
「は、はい。じゃぁカイさんで……」
 ジルさんも呼び捨てって、そんなの当たり前でしょう。だってジルさんはカイさんの恋人なのだから。とは言うもののジルさんの場合、公式の場であったとしても領主代理の二人を平気で呼び捨てにしそうだ。

 カイさんは私に向かって突然頭を下げた。
「アルの治療をしてくれて感謝する」
 突然カイさんの後頭部が見えて私は慌てた。

「そんなカイさんまで。顔を上げてください。私は元々力を貸す必要があると思っていたので問題ないですよ」
 私の一言にカイさんが溜め息を一つ吐きながら頭を上げた。

「……ザックは最後まで反発してナツミを連れてくる事を拒んでいた。最後はノアとネロに頭を下げられて大分悩んだ様だった。元々ナツミの性格も考えて、ザックも意地を通す事を諦めた様だ。ザックはナツミの力が制御できなくてナツミが倒れる事を恐れていたのだろう。ザックは随分自分の中で葛藤していた様だ。その事を理解してもらえると助かる」
「ザックらしいですね。私はアルさんが別荘にいると聞いた時から、自分にしか出来ないと思って治療のシミュレーションというか、自分の命を削る前で魔法治療を止める想像をしていたので上手くいきました」
 イメージトレーニングが役に立った。私はにんまり笑うと目の前のクリームたっぷりのケーキを小さく切り分け一口食べた。

 蕩けるクリームに笑顔になる。味わって食べよう。最後のアルマさんのケーキだ。アルマさんは自ら、幽閉となるアルさんと領主のお世話をする事を選んだのだ。

「奴隷商人を生きて捕まえ、アルの命を助けてくれたナツミには感謝しかない。そこでナツミには特別に褒美を出す事になっている。望むものはないか?」
 カイさんは意外な事を言い出した。

「褒美って。そもそも奴隷商人を捕まえたのは私だけではないですし」
 裏町の皆、エッバやソルそれにザームさん。『ゴッツの店』の皆がよく活躍してくれたと思う。私は慌てて首を左右に振って見せた。

「ザックとノアは大隊長へ、シンは小隊長へ昇格した。ネロは……アルの居場所を黙っていた事もあるから、褒美を出す事は出来ない。今のまま小隊長で留まって医療魔法の研究をすすめてもらう」
「ネロさん……」
 よかった。ネロさんまで島への幽閉になったらどうしようかと思ったけれども。ひとまずおとがめなしの様だ。更にカイさんは続ける。

「協力をしてくれた裏町の皆には既に褒美として賞金を渡している。エッバやソル、ザームも既に受け取っている頃だ。それに軍の新しい体制発表をするので、近々裏町を上げての祭りを行う。『ゴッツの店』も賞金を受け取っているからナツミが気にする必要はない。問題は……『ジルの店』だな。交渉中だ。は無茶な要求をするのでな。正直、手こずっている」
 カイさんはウェーブした毛先を摘まみながら溜め息をついていた。

 とはジルさんの事だろう。ジルさんは一体何を要求しているのだろう。

「私は『ジルの店』にいる身ですから。ジルさんが要求しているのであれば、特別に褒美を受け取るわけにはいきません」
 私は苦笑いでカイさんに返すと、カイさんは首を左右に振って見せた。

「そもそもナツミがいなければ、今のノアとザック、そして町の結束は存在しなかった。ナツミが皆の考えを変えたのだ。ナツミの振る舞いや考え方は『ファルの町』の体質そのものを変えようとしている。だからナツミはもっと自分の存在を自覚するべきだ」

 異世界から来た私の存在は異質で、結果として『ファルの町』によい作用を与えたとしてもこれからはどうだろう。カイさんの言う事はもっともで、私も自分の存在を自覚する必要がある。

「でもご褒美って言われても、ピンと来ないと言うか」
 困ってしまう。私は食べかけのケーキを見つめながら呟いた。
「そう言えばウツから聞いたのだが。ナツミはザックに魔法石を贈りたいのだろう?」
「えっ」
 驚いて顔を上げると意地悪そうに笑うカイさんがいた。
「宝石用の魔法石はとても高価だ。なのにナツミは自ら稼いでザックに贈りたいそうだな」
「もうウツさんったらお喋りなんだから!」
 ウツさんの馬鹿。カイさんにそんな事を喋ったらジルさんにも伝わってしまう。そして『ジルの店』の仲間に伝わり冷やかされるに決まっている。

 私は顔を真っ赤にして誤魔化す為にケーキを食べすすめる。

「だからナツミの褒美はザックに贈る魔法石にしてはどうだ? なかなかよい提案だと思うが」
 カイさんが私の食べるケーキをじっと見つめながらココを一口飲んだ。

「もう! カイさんまでそんな事を言うなんて。それは駄目なんです。自分の力で手に入れないと。贈られるザックだって先祖代々のものならともかく、もらったもので済まされるのは嬉しくないと思うんです」
 分かっていないカイさんも。私は首を左右に振った。

「それもウツに聞いた。ウツが感心していたぞ。ウツもネロと競う程の変態……変人だが、ナツミの行動には注目している様だ」
 カイさんはウツさんとネロさんの事を思わず変態と呼んだ。何事もなかった様に変人と言い直したが、カイさんから見てもあの二人は変態だと思っているのだろう。

「注目だなんて大げさです。でもなぁ魔法石は高価なんですよね。分割で払うとしても、お金をどうやって稼ぐかが問題ですよねぇ──ん? 稼ぐ……そうだ! その手があったか」

 いい事を思いついた! 私はフォークに刺したケーキを一口で頬張るとと、満面の笑みをカイさんに向けた。

 その顔を見たカイさんは首を傾げた。

「その手があったとは、どの手だ?」
「ご褒美っていうよりも、お願いなんですけれども──」
 私の提案を聞いてカイさんは酷く面食らった。

 面食らった後あまりにも長い間無言が続いた。
 数秒、数十秒と経つ。
 カイさんを怒らせてしまったのかと心配になった頃にカイさんは額に手を当てて天井を仰いだ。

 そして──辺りに響く大きな声で大笑いをはじめた。

「はははっ。何を言い出すかと思えば、何だナツミの願いは。そもそもそれは褒美なのか? ジルでも思いつかないぞ。いいやジルが聞いたら呆れるだろう! ハッハハハハ! アーッハッハ!」
 カイさんの大きな笑い声は、部屋の外や窓の外で警備していた軍人達を驚かせていた。

 屈強な軍人ですらひと睨みで震え上がる眼光の持ち主──カイ領主代理がナツミの前で天を仰いで、大声で笑っている。

「笑うんだ……あのカイ領主代理を笑わせるナツミは、やはりただ者ではない」
 軍の皆に間にナツミの噂が再び広がったとか。
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