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147 生きて欲しい

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 私の怪我が完治したのは四日後だった。

 私はザックと一緒に馬に乗り、水泳教室をしたノアの別荘を目指していた。町を離れて十分程経つと海は遠くなり鳥のさえずりが聞こえる森の中になった。
 しかし風に乗って潮の香りがする。前面は海、背面は森のファル独特の地形を実感する。

「ここにも軍人さんが」
 以前来た時と違うのは、軍人が森の道に点在していた。軍人は馬に乗っているのが私とザックだと分かると道を空けて手を振ってくれた。ザックはそれに手を軽く上げて応える。

「別荘にアルがいる事が分かって直ぐ監視を置いたんだ。別荘には関係者以外近づけない」
 私を抱き込む様にして手綱を握るザックが私の耳元で呟いた。
「そうなんだ」
 警備ではなくて監視か。私は小さく溜め息をついた。

 大罪人だから本来は牢屋に入れられると聞いたけれども、別荘ごと監視するという事は事実上この別荘がアルさんの牢屋だ。アルさんの病状は悪くて動かす事もままならないのだろう。



 奴隷商人を捕まえた騒ぎによって、アルさんの悪事が町の皆に知れ渡る事となった。アルさんは元々横柄な態度を取っていた事もあり『ファルの町』の皆から嫌われていた。だからアルさんが捕まったと聞くなり「どんな罰が与えられるのか?」という事が町の一番の話題なっている毎日だった。

 アルさんが死病にかかって伏せっている事は町の皆は知らない。どの程度の病状なのか、ザックとノアはもちろん知っているのだろうが私やマリンにその話をする事はなかった。

 アルさんの病気の進行具合ぐらいは教えて欲しいなぁ。
 
 物言いたげな私の視線にザックは困った様に笑い、私の頭に手を乗せ髪をすく。
「ナツミの怪我が完治したらな」
 全てを話す──とは言ってくれなかったけれども、私は気づいていた。

 ザックとノア達は私の力を必要としている。私もアルさんの死病の話を聞いてから、その覚悟をしていた。


 森を抜け開けた場所に小さな白い建物が現れた。二階建て屋敷はで横と奥に広がっている。窓は全て閉め切られ、中庭や入り口そして辺り一帯に何十人もの軍人が配置されている。
 水泳教室を開いた溜め池には水草の間から薄紫の花が咲いていた。あれから時間が経過した事を物語っている。

 ザックと私は馬から下りて軍人の一人に馬を托す。

 ザックは私の右手を優しく握りしめ、ゆっくりと屋敷に向かって歩き出した。そもそも『ジルの店』から連れ出してくれた時も「少し話がしたいと」言葉が少なかった。

 馬上でザックは私の怪我の具合を聞いていたが、もちろんネロさんやウツさんが施してくれた医療魔法のおかげで完全治癒していた。私の顔や肩に薄墨で描かれた魔法陣もすっかり消えているのだから聞かなくても分かっているはずだ。ザックは話し出す切っ掛けを探しているのだろう。
 案の定ザックは歩いていた足を突然止めた。
「ザック?」
 不思議に思って声をかけると、ザックは私に向き直り左手も握りしめる。

 下から覗き込んだザックの顔には苦悩が浮かんでいた。眉間に皺が寄っていて、歯を食いしばっている。垂れ気味の瞳を細めて痛みに耐えるような表情をしていた。

「ナツミ、俺は……」
 ようやく口を開いたけれどもザックはその先を話す事をためらっていた。いや、ためらうと言うよりも言いたくないといった様子だ。

 ザックは軍の命令で渋々私をここに連れて来たのだろう。想像するに、カイ大隊長とレオ大隊長から命じられて反発はしたものの、最後にノアとネロさんにはお願いと言われてどうしようもなくなったという事だろうか。

 だってザックは誰よりも私を大切に思ってくれる。同時に『ファルの町』の皆やノアの事も大切だから言い出せなくて辛いのだろう。

 私はザックの思いを理解して、握られた左手を離し彼の頬に触れた。ザックは私の顔を見つめて目を見開いた。私は笑って力強く頷く。

「ありがとうザック。私は大丈夫だから」
 ザックは私の言葉に口を一度開けると、息を飲みそして再び口を閉じた。それから私の瞳を覗き込んでおでこをコツンとつけると長い睫毛を伏せて溜め息をついた。
「ナツミありがとう……そして済まない」
 ザックの掠れた声は少し震えていた。

 ザック謝らないで。私はね、私の出来る事をしたいだけなの。

 私は努めて明るい声を上げる。
「済まない……何て言わないでよ。さぁ行こう! アルさんの元に」
 私はザックとつないだ右手をブンブンと振り回しながら引っ張る様に歩き出す。

「ナツミには敵わねぇな」
 ザックは安心したのか軽く笑って、私のされる様になっていた。

「ねぇザック。アルマさんに沢山食事を用意してもらえる様にお願いできないかな。きっと凄くお腹が減ると思うの」
「もちろんさ」
 ザックはいつもの調子を取り戻し、私の右手をキュッと握りしめた。





 屋敷の一番奥の角部屋に案内される。そこがアルさんの部屋だった。
「あれ? ノア」
 私が思わず声を上げる。両開きの扉の前にはノアが壁に背を預けて立っていた。瞳を閉じ両腕を組んでじっと考え込んでいた。

「あ……来てくれたのか?」
 私の声に弾けた様にノアが振り向く。ノアの顔は私とザックを見比べて大きく安堵していた。
「ザックもそうだけど呼んでおいて今更何を言ってるの? 変なノアだね」
 私は肩を上げて笑って見せた。

 そんな私の軽い態度にノアが口を閉じて眩しそうに見つめた。唇が少し震えていて隠す様にノアは口元を手で覆った。

 そんなノアの肩をポンと叩いたのはザックだった。ノアはじっとザックを見つめて何度も頷いた。ザックはノアを見つめて口の端を上げて笑うと、ノアの肩をギュッと握って強く頷いた。
 ノアは小さく頭を垂れ、私に向かって視線を合わせた。

「ありがとう。す」
 ノアも小さく「済まない」と言い出しそうだったから私は人指し指をノアの口の前に立てた。ノアは言葉を飲み込んだ。

「それはザックに聞いたからもういいよ。ノアはノアのやるべき事をやってね。ノアだって沢山の心の痛みを知っているのでしょう?」
 私がそう言うとノアはアイスブルーの瞳を丸くしたが、直ぐにいつもの切れ長の瞳に戻り強く頷いた。

 そして私達三人はゆっくりと扉を開いて部屋の中に入った。



 部屋の中に入ると、入り口、窓、そしてバスルームなどがある部屋の扉の前にも監視の軍人が立っていた。
 部屋はもちろん広いので人口密度が多い事は気にならないが監視役の軍人の多さに今回の事の大きさを実感する。

 部屋の中央には四方に柱を立て、重厚な天蓋がついているベッドが鎮座していた。天蓋は紫色のカーテンで、縁には金の刺繍が施されている。大きなベッドの中央には痩せた男が横になっていた。

 ウエーブのかかったプラチナブロンドは肩下まで伸びている。浅黒い肌につり上がり気味の眉。切れ長の瞳は赤い色をしていた。

 髪の毛も水分が乾いているのかパサパサで、瞳の色に生気が宿っていない。

 ベッドに横たわっていた男は、私達三人が入っていたのを視線を動かし見つめた。それから小さく溜め息をついてゆっくりと体を起こす。

 しかし、体を起こす事も一苦労のようで、少し体を動かしただけで大きく咳をしていた。口を覆う手も筋肉がそげ落ちてまるで老人の様だ。
 右側に座っていた黒いフードをかぶった小柄な女がゆっくりと男の体を抱き起こす。やがて咳が止まり押さえていた掌を男は見つめる。掌には血がべっとりとついていて、それを見た女が側に置いてあったタオルで拭っていた。

 その様子を左側に座っているネロさんが見つめていた。ネロさんはベッド横のテーブルに様々な薬品の瓶を広げ咳き込む男の様子を見ながら薬の調合を続けていた。

 この人が、マリンを毒殺しようとしたり、私を混乱させてノアとザックの仲違いさせようとしたり、奴隷商人を使いファルの町を混乱に陥れようとした張本人。

 ネロとノアのお兄さん──アルさんその人だった。

 髪の色は北の国出身の領主である父の血を引いている証し。肌や瞳の色は『ファルの町』出身の母の血を引いている証し。軍人なので鍛えられた体だと聞いていたが、死病に犯されているせいでその面影はなかった。

 酷く痩せ細って鋭いが生気のない視線がノアを捉える。

「笑いに、来たのか、この俺を」
 アルさんはヒューヒューと喉から声が漏れる様に話す。途切れる掠れた声が、精いっぱい抵抗してみせる。

 ノアはゆっくりと長い足を踏み出す。それから真っすぐにアルさんを見つめて大きく息を吸った。

「笑える姿だったらよかったのに」
 ノアは冷静な声でそう答えた。

「な、に?」
 ノアの冷静な一言に、アルさんは片方の眉を上げて呟いた。

 ノアは更に一歩踏み出して背筋を伸ばした。そして真っすぐアルさんを見つめて話す。
「笑える姿だったら、存分に馬鹿にして笑ってやったのに。そんな棒きれみたいになった姿を見て笑える程俺は鬼畜じゃない」
 ノアの背中を私とザックは見つめる。ザックが私の隣で両手に拳を作っていた。私もノアの背中を見つめながら心の中で呟く。

 ノア頑張れ。ノアの一言がきっとアルさんを救えるよ。

 私もザックと同じ様に拳を作った。

「クソッ。もう少しで……もう少しでお前とザック、お前達に群がる人間に──ファルの町の人間に仕返しする事が出来たのに……ゴホッ!」
 アルさんが心底悔しそうに肩で息をしながら話すと、最後大きく咽せて咳を繰り返す。アルさんの背中を隣の黒いフードの女性が何度も撫でる。アルさんの押さえている口元の手を優しく押さえた。

 左側からネロさんも薬を調合する手を早めていた。もう限界が近いのだろう。アルさんは何とか一息ついて口を拭っている。

 その姿に傍らの女性はホッとしていた。それから黒いフードを脱いで、真っ赤なカールした長い髪を見せた。浅黒い肌に紫色の大きな瞳。細い眉をつり上げ、赤い口紅を塗ったぽってりした唇を噛んでノアを睨みつける。

「さぞいい気味でしょうね! 憎いアルがこんな姿になったのを見て、笑えるほど鬼畜じゃないなんてそんなの嘘ばかり。だって見れば分かるわよね。アルはもうじきこの世を去るし、ノア……あんたは領主の座を手に入れる!」
 最後の方は半ば叫んでいた。悔しくて仕方ないといった様子だった。口の端のほくろには見覚えがある。
「オーガ……俺はそんな事は考えていない」
 ノアがオーガさんにも冷静に言葉をかける。

 この人がオーガさんか。『オーガの店』の店長を務めていて、アルさんの悪事に荷担していた女性。歳は私より一廻りほど上だろうか。ジルさん曰くいつもジルさんの真似をして敵視していたとか。真っ黒のコートはいつか路地裏で私にザックとマリンは過去に関係があったと告げ口をしてきた姿と同じだった。

 オーガさんはノアの言葉にきつく目をつり上げてノアに向かって叫ぶ。
ってノアに取っては領主の座ですらもだと言うの? いつも周りからチヤホヤされて皆から無条件で好かれて来たあんたには、悔しくて薄暗い世界で生きてきたアルの気持ちなんて、ウッ」
 叫びながらオーガさんがノアに掴みかかろうとした。しかし、側にいた監視の軍人に取り押さえられ、両手を後ろに回されその場に押さえ込まれた。きつく腕を捻られていて痛そうにオーガさんは顔を歪ませた。

「産まれてきた時から何でも手に入れているノアには、私達はさぞかし滑稽でしょうよ……」
 オーガさんは最後涙をにじませて呟いた。俯いたオーガさんの表情は見えないが、ぽたりと雫がカーペットに染みを作っていたのが見えた。

 悔しそうな声が部屋に響き監視している軍人ですら俯いていた。

 ノアも一度俯いていたが、真っすぐアルさんを見つめるとゆっくりと歩み寄り、オーガさんがいた場所に立った。

 窪んだ瞳でじっとノアを見上げるアルさんは口に薄笑いを浮かべた。

「そうやって、俺の惨めに、逝く姿を、見に来たというわけか。お前の勝ちだ、ノア」
 アルさんは力なく言うと、細く棒の様になった両手を見つめる。ノアはそんなアルさんの頭部を見つめながら静かに答えた。

「何を言っているのか俺には分からない。勝ち負けだとかどうでもいい話だ」
「な、に?」
 あまりにも淡々と答えるノアにアルさんが斜めに睨み上げた。

「アルがどんな酷い目に合わされてきたかはネロから聞いたさ」
「っ、ネ、ロ」
 アルさんは隣のネロさんを睨んだ。ヒューヒューと喉から漏れる声で名を呼び強く抗議していた。

 蔑まれていた事はノアに知られたくなかったのだろう。ネロさんは困った顔をしながらもじっとアルさんを見つめていた。

「しかし、酷い目に合わされてきた気持ちが分かるなんて、俺は言わない。何故かって? 俺はアルじゃないからな」
 ノアのはっきりした言葉にアルさんは再び睨み上げる。ノアはアイスブルーの瞳を細くして淡々と話し続ける。

「アルではない俺が簡単に分かるなどと口には出来ない。アルがどんな辛い目に合い心がすり減ったか。母親という大切な人を失い、皆からつまはじきにされた事。その時どんな風に思ったのかはお前だけしか分からない事だからだ。それと同じ様に俺の事を「産まれて来た時から何でも手に入れている」等とは言えないはずだ。オーガもアルも俺じゃないからな」

 心の痛みはそれぞれだから、安易に理解できるとは言えない。もちろんそれはお互い様だとノアは突き放した。ノアの気持ちもアルさんには理解できない、そう言いたいのだ。

「そう、さ。同情は、まっぴら、だ……」
 アルさんの小さな呟きが聞こえた。
 
 失ったものが多すぎて寂しさから抜け出せない。かと言って空しさを分かって欲しいわけでもない。
 どうしたら空しさを埋められるのかが分からないアルさんなのだろう。
 しかしそれはノアも同じだ。

 ノアも腫れ物を触る様に育てられる状況に理由が分からず一人屋敷を飛び出して裏町に身を落とした。軍人となっても、ノアは誰に期待されていない事が分かり、王子様を装った。

 領主の座について欲しいと心底思っている人はいないのが分かっていたけれども。必要とされていると感じたかったのかも知れない。

 そして更に追い討ちをかける様に自分の出生を知った。心に穴が空いたのはノアだけではなくネロさんも同じだった。

 しかし、ノアとネロさんには近くで支えてくれる人が、愛してくれる人がいたから一つ先に進む事が出来たのだ。

 私は押さえつけられているオーガさんを見つめた。オーガさんもノアの言葉を静かに聞いていた。

 アルさんだってオーガさんという側に寄り添ってくれる人がいる。しかし二人共が向いてはいけない方向を向いてしまったから、罪を繰り返すような事になってしまった。

「俺はアルのした数々の事は許せない。これからもマリンにした事も思い出しては怨むだろう。夢の中でアルが出てきたなら、怒りのあまり切り刻むかも知れない。それはアル、お前も同じだろうな」
 寂しそうにノアが笑った。その声が静かに部屋に響いた。皆がノアの言葉に耳を傾けた。

「アルがどんな状況下にいても、罪を償うべきだと思う。それが死ぬ事なのか生きる事なのか俺には正直分からない。あれ程アルが憎くて苦手で腹が立つ存在だったのにな。だけど」
 言葉をそこで切ってグッと下唇を噛んだ。ノアは肩に力を入れて拳を作る。

 ノアは真っすぐに顔を上げてお腹に力を入れて声を張る。

「だけど──どんなにアルが憎くても悪事を働いた人間でもお前自身が嫌だと思っても。俺はアルに生きて欲しい」

 静かな部屋にノアの嘘偽りのない声が響いた。

 部屋にいる監視の軍人。傍に座るネロさん。押さえつけられたままのオーガさん。私の隣で拳を作っていたザック。皆が目を大きく開いた。

 ノアは近くにあった丸椅子に座り、視線をアルさんに合わせてもう一度ゆっくりと話す。

「どんなに惨めでも這いつくばっても、ファルの町の皆からつまはじきにされたって。俺はアルに生きて欲しい」
 そのノアの言葉にアルさんがスッと涙を流した。

 笑う事も悔しさもなくポツリと呟く。

「生きる、か。それが、俺の出来る、皆に対する、仕返しか?」
 言葉を続けるのも困難なのかゼーゼーと肩で息をしてポツポツと呟くアルさんだ。

「そうかも知れないな」
 ノアは口を歪ませて意地悪く笑った。王子様の仮面を外したノアの素顔だ。

「ノ、ア。馬鹿な、馬鹿な、男だ。本当に、馬鹿な、弟だ……ゴホッ!」

 弟──そうはっきり聞こえたのを最後にアルさんは大きく咽せた。そして大量の血を吐き白いシーツを真っ赤に染めた。

「!」
 薬を用意したネロさんの顔色が変わる。飲み薬では、咽せているのに飲み込めない。

 私はとっさに駆け出して、ベッドの上に飛び乗る。
 アルさんは白目を剥きながら後ろに倒れ込みベッドに仰向けになった。

「アル!」
 ノア、ネロさん、オーガさん、ザックがアルさんの名を叫ぶ中、私はアルさんの上に跨がり胸の辺りに手を当てる。

 異世界から来た私にどうして医療魔法が備わっているのか、ずっと分からなかった。
 しかし、異世界に転移したのは意味があるとネロさんが言っていた。

 ザック、ノア、マリンとの出会いだけではない、ファルの町の全てが私にとって意味がある事だった。それならば医療魔法にも意味があるはずだ。

 きっと私はアルさんを助ける為に、医療魔法を授けられたのだろう。

 私はアルさんの顔をじっと見つめ呟いた。

「生きて」

 そして罪を償って。

 私は思いを込めて両手を重ねた。瞬く間に黄色い光が両手から溢れ出した。力を注ぎ込むような不思議な感覚。
 見ると青白かったアルさんの顔に血色が戻る。顔の皺が少し減ったところで、パッと手を放した。

「ナツミ!」
 ザックが私の腋の下に手を入れて、アルさんの上から抱き起こす。そしてベッドの端に座らせた。ザックが心配そうに私の顔を覗き込む。

 私の医療魔法は体力を使う。使いすぎると命を削る羽目になる。

 だからザックは心配しているのだ。きっと私に治療をする様にカイ大隊長とレオ大隊長が命令し、そしてネロとノアにお願いをされたのだろう。

 だからザックは渋々私を別荘に連れてきた。

 アルさんの病状は素人の私が見ても分かる。死病の末期だ。今の咳き込み具合は命が途絶えかけたと言ってもいいだろう。

 出来れば治療をさせたくないザックだったのだろう。私が医療魔法を使って今のアルさんを完治をさせようものなら、私の命と引き換えにしてしまうからだ。

 別荘へ来る途中、死にそうなザックの顔を思い出す。

 優しいザックの事だ途中で私を抱えて逃げだそうとか考えていたのかも知れない。

 しかし逃げるわけには行かないよね? 私にしか出来ないのなら、やるしかないのだ。

「大丈夫だよ。少しだけ時間を巻き戻しただけだから」
 私はザックに微笑んで無事を伝える。するとザックはホッと溜め息をついてその場にヘナヘナとしゃがみ込む。

「……こっちが死にそうだ。飛び乗った途端、掌が金色に凄く輝くからさ。あんなのウツの治療でも見た事ないぞ」
 ザックの額が私の膝に当たった。そしてザックが私の太股に手を置いて縋る。突然だから驚いたのだろう。

「ごめんねザック。でも大丈夫だよ。しっかりとお腹は減ってきたけれども。ここから私の出番はないよ」
 私はザックの頭を撫でながら振り返る。ネロさんが私の視線を受けとめ、強く頷くと飲ませようとしていた薬をアルさんの口に向かって注ぎ込んでいた。アルさんは喉を動かして薬を飲み干す。するとゆっくりと目が開いて自分に驚きながらベッドから起き上がる。

「生きている? まさか」
 アルさんが私の顔とネロさんの顔を見て驚いていた。相変わらず痩せた体のままだが、自分で起き上がるぐらいまでには病状が巻き戻った様だ。

「後はノアとネロさんに任せるよ」
 私は傍に座るノアとネロさんと顔を合わせて笑った。ノアもネロさんも小さく何度も頷いていた。
「ありがとうナツミ」
「ありがとうナツミさん」
 二人はそう言うとアルさんに視線を戻してアルさんの肩にそれぞれの手を置いた。

「まだ完治はしていない。少し前の状態に戻っただけだろう。だが咳き込む事もないだろう」
 ノアが優しく笑いかける。

「あ、ああ……そんな。まさか」
 自分の状態が信じられないのかアルさんは喉や顔を自分で何度も触っている。

「薬は未完成だから何処まで命を延ばせるかは分からないけれども。これから改良を重ねて投薬をしていくよ。牢屋の中でだろうけれどもね。でもよかった……」
 ネロさんも優しく笑っていた。

 二人の笑顔にアルさんが筋肉がそげ落ちた両手で顔を覆った。
「あ、ああ……」
 くぐもった声で何度か嗚咽を繰り返していたが聞こえた。

 ようやく三人の兄弟が揃った。血が繋がっていても繋がっていなくてもいいと思うよ。亡くなったアルさんとネロさんのお母さんも、ノアのお母さんも見守っているだろう。

 これからどうなるのかは──父親の領主とカイ大隊長やレオ大隊長とが決めていくだろう。私はザックやマリンと一緒に見守っていけばいいのだ。
 
 私はぴょこんとベッドから立ち上がると、へたり込むザックを引き上げる。
「ザックお腹が減ったから、早くアルマさんのところに連れて行って」
 ザックは突然私に引き上げられて目を丸めるが、呆れた様に溜め息をついて私を抱き上げた。
「ワッ! 自分で歩けるよ?」
「それは俺が許さない。じゃぁな、ノア、ネロ。俺達は食堂に先に行ってるぜ」
 ザックは長い足を踏み出し出口に向かって歩き出す。

 途中オーガさんが監視者に押さえつけられた腕を解かれて座り込んでいた。抱きかかえられた私を見上げると両手をつき頭を床に擦りつけた。
「ありが、ありがとう……」
 泣きながら蚊の鳴くような小さな声で呟いていた。

 好きな人がいつ亡くなってしまうのか分からない状態でいるのはとても辛かっただろう。しかしオーガさんも罪を償わなくてはいけない。

 アルさんと一緒にいられるかどうかは分からないけれども、罪を一緒に償っていけたらいいね。

 私は心の中で呟いてザックに抱き上げられたまま部屋を後にした。




「ぐぅ~」
 部屋を出て階段を降りはじめた辺りで私のお腹が鳴った。

「駄目かぁ。やっぱり鳴るんだね。今日は鳴らない様に調節したつもりだったんだけどなぁ」
 医療魔法を使うとお腹が減る。命を削る事はなかったけれどもお腹は減るのだ。

 鳴らなくてもいいのに。お腹は減ったの理解しているのだしさ。

 私は自分のお腹を怨めしそうに見つめた。すると抱きかかえたままのザックが笑いはじめた。
「仕方ないさ。生きている証拠だ。その音を聞いてホッとするぜ。あ」
 そこまでザックが呟くと下から何人かの軍人を引き連れて階段を上ってくる人物がいた。

 プラチナブロンドの長い髪の毛を三つ編みにしていて、耳の下から顎の下まで髭を蓄えている。痩せ型の男性の年齢は五十過ぎだろうか。背が高く整った顔で切れ長の瞳。海の色をした長いマントを身につけていた。
 ザックが私を抱きしめたまま無言でその男性に頭を下げる。私もわけが分からないけれどもザックと合わせて頭を下げた。
 男性はザックと私の前で止まると同じ様に頭を下げた。ゆっくりと頭を上げてザックと私と視線を合わせると、強く頷きながら呟いた。

「感謝する」
 優しい声で応えると再び踵を返し階段を上っていった。その男性を取り囲む軍人の姿が見えなくなったところで、私はザックに問いかけた。

「もしかして今の人って」
 ザックは私の言葉を聞きながら階段を再び降りはじめた。
「そうファルの町の現領主。アルとネロの父親さ」
 ザックは強く頷いて応えてくれた。

 領主が『ファルの町』に戻って来た。ずっと北の国で国王の病状や政治に携わっていたと聞いている。領主が二階に上がっていったという事は、きっと三兄弟が揃う部屋に向かっているのだろう。
 
「アルさんの為に戻って来たのかな」
 二階をじっと見つめながら私が呟くとザックが応えてくれた。
「そうだと思うぜ。……領主も責任を取る必要があるだろうしな」
 ザックが監視で立っている他の軍人に聞こえない程度の声で呟いた。
「!」
 そうか。
 だってアルさんは自分の息子だもの。こんな大騒ぎ、犯罪を起こしたアルさんはもちろん罰せられるだろうが、領主だって責任を問われるだろう。

 となると、早々に領主交替となるのでは。

 えっそうなると誰が領主になるの? ノアなの? しかし待って。先ほどオーガさんに『領主の座を手に入れる』と罵られた時ノアは確かこう言った。

 ──オーガ……俺はそんな事は考えていない──

 次の領主はノアではないって事?

 私は無言で抱きかかえられたザックの肩に置いた手に力を込めた。言葉には発しなかったけれども私の顔を見てザックは察してくれた。

「そうだな。その話もナツミにしておかないとな」

 私はザックに抱きかかえられたまま食堂に入り、誰が新しい領主になるのかを知る事となった。
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