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142 新 オベントウ大作戦 その8
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波の音が遠くに聞こえる。潮の香りがする。ここは海なのだろうか。今日も暑い日で雲が一つない空を見上げると太陽が眩しい。
人が寄りつかなかった浜辺にも露店を出すと皆が集まってくる。水着の貸し出しも大好評だし。浜辺には布張りのパラソルが登場する様になった。
危ない。あの子あんなところまで。
泳ぐ事の出来ない町の女性達は沖に出て行く事はないが、たまに勇気があるのか好奇心なのか、足がつくかつかないかの場所まで行ってしまう人がいる。
そんな女性を見つけた私は大声を上げて泳ぎ出す。
ライフセーバーとして彼女を助けたい。なのに、しかしいつまでたっても彼女の元にたどり着かない。私にはこれぐらいしか出来ないのに。
いつかジルさんの前で嘆いた言葉を思い出す。
何も出来ない私。
何も出来ないって、もどかしくて。
そこでふと我に返る。
私は何故海にいるの。今日はお城の側で露店を開いていたはず。マリンと二人布巾を洗う為に近くの洗い場に出かけたのだ。確かバッチとコルトと呼ばれる男二人に捕まって意識を失ったのだ。
そこで私は驚いて目を開けた。
「!」
何をしているの私は。意識を失っている場合ではない。
何度も瞬きをして視界を慣らす。慣れてきた目の前には埃を被った床が見えた。古い木製のテーブルや椅子が転がっている。建物内みたいだ。それにこの埃具合から廃屋だと思う。
何年も使われていない為木製のテーブルや椅子は朽ちかけている。
その埃っぽい床の上に男達が身に付けていたボロボロの外套が敷かれている。匂いで分かる。あの果物が腐りかけた、魔薬を焚きしめた匂いがする。気持ちが悪くなりそうだが、その上に私は転がされている。
体を少し動かしてみるが両腕が後ろで縛られていて自由がきかない。足はどうなっているだろうと動かすと縛られていない事が分かった。起き上がって歩き回る事は出来るかも。そう思ってもっと様子を見ようと首だけを上げて転がったまま上を見る。するとマリンの頭が見えた。
私と同じで両手を後ろで縛られボロ外套の上で転がされていた。
「マリン」
小声で呟くとマリンがピクリと動いた。マリンも意識が戻っていて寝転がったまま上を向き、私と視線を合わせた。
「ナツミ」
不安そうに瞳が揺れる。元々白い頬が更に色をなくしていて顔色が悪くなっていた。
「ここが何処か分かる?」
私はマリンにボソボソと呟く。
建物内なのだがあちこち壁が剥がれていて、外の風が吹き込んでくる。暑い中涼しい風が入ってくる。風に乗って濃い潮の香りがする。建物に遮られた向こうで波の音が聞こえる。
つまり城の側でいたはずなのに海の側まで連れてこられている事になる。
潮の香りと波の音のせいで、あんな夢を見たのか。夢の最後で思い出せないけれども、嫌な気持ちになった事を感じた。思わず体が震えた。すると視線を動かしていたマリンがポツリと呟いた。
「ナツミ見て。上」
「上?」
首を捻って視線を移すと朽ちている天井を見た。所々穴も空いている天井部分には、小窓代わりのステンドグラスがはめ込まれていた。朽ちていく様と対照的で、見事なステンドグラスだった。ステンドグラスは六種類で森と海の美しい自然を表現していた。
そのステンドグラスを見て、私はここが以前通りかかった集会所だという事が分かった。
裏町にノア、ザック、マリンと一緒に出向いて、エッバやザームと出会った。あの時に裏町の奥から海に向かって抜ける路地で見た集会所。ザックが子供の頃にはもう使われていなかった建物で、その昔花火大会や宿屋代わりに使われていたとか。
今ではすっかり人が寄りつかなくなったと言っていた。廃屋と化した集会所が建っている場所は、町の外れだし海に近いとは言え確か崖になっていたはずだ。
この場所にいるなんてきっとザックも分かっていないだろう。
とにかく建物の外に出て助けを呼ばないと。そう思い、マリンと二人体を起こした時だった。
「やっと目覚めたか」
建物の奥から声がした。
建物は小さな体育館の様で縦に長い。更に奥の方は朽ちているのもあり、人がいても見えない。ゆっくりと古い床を軋ませながら三人の男が近づいてきた。
柔らかい声なのだが、何処か険が立っている。
その声を聞いて私とマリンは後ろ手を縛られたまま二人肩を寄せ合った。水着から剥き出しの肩が触れお互いの温もりを分け合う。驚くぐらい私とマリンの肩は冷たくなっていたのだ。
怖い。凄く怖い。
何故こんな事になってしまったのだろう。ザック達から離れない様に気をつけていたのに。
露店を海の側で開いていた時はいつもザック、ノア、シンの誰かについてきてもらっていたのに。布巾の洗濯を頼んだダンさんも油断していたのかな。いつも女の子だけで行動しない様に注意してくれていたのに。
考えれば考えるほど後悔と不安が湧き出てくる。私はその気持ちを隠す様に大声をわざと張り上げる。
「だっ誰なのっ」
情けない事に怖さで声は馬鹿みたいにひっくり返る。その声を聞いて男が近づいてきた男達が笑い出す。
穴の空いた天井から差し込んだ光が当たって姿が見えた。
「ハハッ。まるで威嚇に失敗した猫だな。でもそれも可愛いじゃないの。バッチもそう思うだろ?」
一人目は痩せ型で青いチュニックの男だった。ケタケタと笑うとギザギザの歯が見える。金髪を短く刈り上げていて、首から耳の後ろにかけて蔦の様な模様のタトゥーが見えた。
「コルト手を出すなよ。黒髪に目をつけたのは俺だ」
二人目は体格のよい男で朱色のチュニックを身にまとっていた。ソフトモヒカンの髪型と体格から想像すると軍人出身者の様子だ。鍛えられた腕は私の太股より太い。
青いチュニックの男はコルトで、朱色のチュニックの男はバッチという名前だ。
バッチという男は確か『ジルの店』まで旅人を装っていた男だ。
二人は私とマリンの側に立ち見下ろす。
「ね、ね、猫じゃないっ」
怖さを吹き飛ばす為に出来るだけ大声を上げる。だけれどやはり情けなく声をひっくり返してどもってしまう
声が反響して建物の中で響いた。この声が少しでも外に漏れ聞こえる事を私は願った。
私の必死の大声に、コルトとバッチに挟まれていた深紅のチュニックを男がゆっくりと三回拍手をした。嫌でも意識が男に集中する。
初めて見る男だった。
確か奴隷商人は三人組だとノアとザックが話していたのを聞いた。ではこの男が三人目の男だろう。
「そうやって外に居場所を知らせようとしているのか。健気だねでも残念ながら届かない」
歳のせいなのか皺の多い顔だしかし整っている。白髪交じりの金髪を後ろで縛っているが、耳元などは短く刈り上げられている。口角を上げて爽やかに笑うし緑色の瞳は美しい。しかし、上品な顔立ちなのに、視線は突き刺す様に冷たい。
その男が一メートル前に近づいた時、マリンが後ろにずり下がろうとした。しかし、足が震えている事と後で手を縛られているから、上手く体を動かせなかった。
「ダンク」
マリンが恐怖に怯えた声で名前を呟いた。
この深紅のチュニックを着た男がダンク。
かつてマリンと同じ踊り子集団で旅をしていた仲間だ。そして十五歳だったマリンに体を売る様に言った男だ。今は香辛料商人という名前で魔薬を売り、その裏では奴隷を売り買いするリーダー。
マリンの呟く声に突然真顔になったダンクだ。笑顔を張り付かせる事もなくマリンを見下ろす。そしてマリンの顔をジッと見つめ、ゆっくりと視線を落とし足先まで見つめる。
最後ダンクはマリンの前で片膝をついて座った。
「俺の名前を覚えていてくれたのかマリン。嬉しいね」
そう言ってマリンの方に手を伸ばし、顔を背けるマリンの顎を掴んだ。
マリンは恐怖で震えて青い瞳に涙を浮かべてダンクを見つめる。
両親が亡くなって悲しみに暮れているマリンに、無理矢理男に抱かれる様に指図したダンク。少女だったマリンは襲われて半裸状態になった姿で『ファルの町』を駆け抜け助けを求めた。きっとその時の恐怖が蘇ったのだろう。
「止めてよ。マリンに触らないで」
私は伸ばされたダンクの手を噛みつくつもりで顔を突き出した。
「ナツミ。キャァ!」
その私の行動に少しだけダンクが顔を動かしたのとマリンが私を呼ぶ悲鳴を聞いた。
瞬間、頬に熱が走る。痛いとは感じなかった。
私は右の耳で破裂音を聞いた。体がボロボロの外套の上に叩きつけられた。
私は耳から頬にかけてバッチに平手で叩かれた。そして床に叩きつけられたのだ。
一瞬何が起こったのか分からず目を大きく開けて見上げる。
上からはバッチが私を睨みつけていた。
「ダンクに噛みつこうなんて図々しい。威嚇も程々にするんだ。猫は猫らしく媚びるぐらいしてみせろ」
床にぶつかった左肩が嫌な音を立てた。口の中で鉄の味がする。
今の平手打ちで口の中に歯がぶつかって切れたのだ。右耳がキーンとしてバッチが私を罵る内容がはっきりと聞こえない。
叩かれた瞬間は痛みを感じない事を私は初めて知った。少し遅れてから体のあちこちが悲鳴を上げる。とても痛い。
「こらこらバッチ。お前ヤル前に女を壊してどうするつもりよ。しかも吸いつく肌の黒髪女を傷をつけるなんて。ナツミちゃん可哀相」
ケタケタと笑いながら私の頬を撫でて髪の毛をかき上げるのはコルトだった。
ようやく右の耳からも音が聞こえてくる。しかし少しコポコポと音がしている様な気がする。
「顔なんてどうでもいい。つっこむとこだけ無事なら同じだろ」
とんでもない事を言い出すバッチだ。
私は頬と左肩の痛みがだんだん強くなってきて、初めて呻いた。
「うっ」
声を出して息を止めていた事に気がついた。
倒れたまま肩を大きく動かして深呼吸する。私が声を上げた事で隣のマリンが叫んだ。
「ナツミ、ナツミ、ナツミ、ナツミ!」
何度も何度も私の名前を繰り返して呼び続ける。
ボロボロの外套上に倒れた私の視界先には、マリンの後で縛られた手が見える。爪が食い込んで血が滲むぐらい握りしめていた。
「マリン大丈夫だから。ゴホッ」
掠れた声で呟くと口の中が盛大に切れて、飲みきれなかった自分の血にむせかえった。
パッと口から血の飛沫が上がる。その様子を見たマリンが息を飲んだのが分かった。
「マリン。またお前はこうやって他の人間を傷つけて。そして自分は助かるんだよな」
ダンクが呆れた様にマリンを見つめる。
「そんな事していないわ。お願いナツミに乱暴をしないで。貴方が憎いのは私でしょう?」
マリンが泣きながらダンクに訴える。
しかし、ダンクは溜め息をついてやれやれと首を左右に振る。そして瞬きもせずマリンの顔に自分の顔を近づけて顎を更に強く掴んだ。
「憎いのは私、だって? マリン……哀れだなあ。何を勘違いしているんだ。誰もがお前に惹かれ、憎むほどの感情を持っていると思うな。うぬぼれるのも大概にしろ」
「痛っ」
ギリギリと顎を力一杯掴まれマリンは耐える。それから放り出す様にダンクはマリンの顎を手放した。放した瞬間にガリッと音がしてダンクの爪がマリンの顎の横を掠めたのが分かった。皮膚に食い込んだ指と爪がマリンの肌を傷つける。抉られた五センチほどの傷が右の顎から首の真ん中まで赤い筋をつけていた。
「っぁつ」
マリンは痛さに歯を食いしばり体を震わせていた。下を俯いたマリンと視線が合う。
マリンの青い瞳からボタボタ涙が落ちて、歯の根も合わないぐらい震えている。
「マリン。大丈夫だから。きっとノアとザック達が助けてくれるから」
私はそう自分にも言い聞かせながらマリンを励ます。
マリンも鼻水を啜りながら私の言葉に何度も頷いて、ボロボロの敷かれた外套に涙の染みを作っていく。
立ち上がったダンクがチュニックの腰に手を当てて溜め息をついた。腰からキセルを取り出し火をつけた。煙草ではないのだろう。香辛料──魔薬を吸って心を更に冷たく落ち着かせるつもりなのか。
「俺が憎いのはザックさ。俺はあの男が絶望する顔が見たいんだ。そして俺の前で「頼む止めてくれ」と跪かせたいのさ」
ダンクはニヤリと笑って遠くを見つめる。その視線の先にはザックの跪いた姿を想像しているのだろう。
「何でそんな事を」
マリンは泣きながらダンクを見上げる。そのマリンを冷めた目でダンクは見つめると歯ぎしりをしながら呟く。
「お前を俺のものにしようとしたのに、横から攫ったあの男が憎い。十年経った今もこの『ファルの町』でチヤホヤされ挙げ句の果てに領主の息子と仲良くするあの男が憎い。女も権力も人気も手にするなんて許さない。それは元々俺が得るものだったはずだ。十年前は仕返しをするどころか町から逃げるしかなかったが──今は違う」
ダンクは両手をパンと合わせてコルトとバッチに指示を送る。
するとその音を合図に、バッチが私の髪の毛を掴んで上半身を無理矢理起こす。
「痛っ」
引っ張られる髪の毛も痛いが、叩きつけられた左肩も鈍痛が走る。もしかしたら脱臼しているのかもしれない。
「見ろよコルト。可哀相に。黒髪女の唇の横が切れている」
バッチはそう言って、私の唇の端を親指で擦る。
平手打ちをされた時当然口の端も切れた。痛い! 再び私は悲鳴を上げた。
そんなバッチの行動に呆れた声を上げたコルトは溜め息をついた。
「何が可哀相だよ。それはバッチが痛めつけたんだろ? 香辛料がきまっているから気性が荒いって言うか適当って言うか。さてマリンだったな。お前の相手は俺がしてやるよ」
コルトは言いながらバッチが私にした様にマリンの髪の毛を掴み引っ張りマリンの顎の下に出来た傷を舐め上げる。
「ん~いい味。興奮しちゃう。ほら俺のこんなになっているんだぜ?」
そう言ってコルトはマリンを押し倒し自分の腰を押しつけた。
「嫌ぁッ!」
マリンは悲鳴を上げて首を振った。
バッチもマリンの隣に私を押し倒す。腐った果実の匂い魔薬の香りがバッチからする。
殴られて傷つけられた痛さと腐った様な匂いでむせかえる。コルトとバッチの二人はこの廃屋で、私とマリンを乱暴する気なのだ。
ザックに直接手が出せないから、敵わないからなのか。何て卑怯な事をするの。
そう思っていても声が出ない。それぐらい恐ろしいのだ。
「イイねぇ~恐怖で震える女って。でもその震えも直ぐに違う感覚になるさ、今の恋人、男を忘れるぐらいのな」
バッチが私を見下ろして笑う。
「ゆっくり二人共ヤレよ。香辛料を使ってもいいさ。だが壊さない程度にしろよ。それに単にヤルだけじゃ駄目だ。目一杯女をイかせてやれよ。そうしないとザックの絶望した顔が見えないだろう?」
ダンクは近くの朽ちた椅子に腰をかけキセルをふかした。コルトとバッチに襲われる私とマリンを眺めるつもりなのだろう。
何て趣味が悪い。そう思いながら恐怖と絶望そして悔しさ、様々な思いが混ざった私の視線を受けてダンクはせせら笑った。
「黒髪女、ナツミだったな。言いたい事は分かるぜ。卑怯だと言いたいのだろう。だが俺は知っている。ザックは自分に対しての攻撃はめっぽう強い。心も体も恵まれた男だ」
「……」
私は無言でダンクを見つめる。下手に答えると馬乗りになっているバッチにまた殴られるかもしれないからだ。
「しかし、どうだ。町の目をかけていたソルやザームとか言う仲間に裏切られ、付き合いの長い町医者にも見切りをつけられ──自分のお気に入り、ナツミを奪われた時はどんな顔をしてくれるだろうなぁ? まさに今のナツミみたいな顔だと面白いがな。ハハ簡単なものだな。ファルの町の人間は快楽に弱い。抱き込むのはこの香辛料で十分とはね。ククク」
ダンクはそう笑って大きくキセルをふかした。
「えっ」
何て事。
私とマリンが攫われたのはソル、ザーム、ウツさんの裏切りがあったからなの?
言われてみれば露店を出してからソルやエッバには会っていない。
この間ウツさんの店に行った時には、確か城の方で売る様にアドバイスを受けた。
それは裏町の皆が、この私とマリンを攫うチャンスを作ったって事なの?
それもこのダンクの甘い誘い、香辛料という名前の魔薬にとりつかれたって事?
そんな。そんな事って。
怖い。どうやってこの恐怖に立ち向かえばいいのだろう。悔しくて涙が溢れる。
何も出来ない私──
何も出来ないって、もどかしくて悔しい。
こんな事を考えた事が前にもあった。そうだジルさんが活を入れてくれたのだっけ。
何も出来ない、ではないでしょう?
ジルさんの声が頭の中で聞こえた。
そうだ。何も出来ないのじゃない。何が出来るかだ。
ソルやエッバ達が裏切ったって本当かどうかも分からないのに。
好きな人達を信じなくてどうするの。
考えろ私。
私は怖さと戦う為に、必死に首を左右に振る。
力では勝てないけれども出来る事があるはずだ。
こんな事には屈しない。今の私に出来る事があるとしたら、ダンクが言う様にザックが絶望になる顔なんてさせない事だ。
それならば──
すると力が抜けた様に震えが止まる。
私の体の震えが止まったのを感じたのか、押し倒しているバッチが首を傾げた。
「いきなり死んだか。まだ服も脱がしてないのに」
ペチペチと叩いていない方の頬を軽く叩く。
「……すればいい」
「は?」
ポツリと呟いた私にバッチが首を傾げる。真っすぐ顔を上げる。
怖がるな。勇気を出せ。私にだって出来る事が一つある。
バッチのソフトモヒカン越しに天井のステンドグラスが見えた。
「好きにすればいい。私を抱いてどんなに滅茶苦茶にしても、私は屈したりしない」
私はステンドグラスからバッチに視線を動かして呟いた。
しかしバッチは私に跨がったまま天を仰いで笑う。
「言うじゃねぇか。香辛料を使っても同じ事が言えるか見物だな。お前みたいなガキは快楽で触れられただけで股を濡らすに決まっている」
「香辛料を使われても私の心は屈しない。私が心から感じるのはザック一人だけ。体が奪われたって直ぐにザックが上書きしてくれる」
「はぁ?」
「だって私はザックじゃなきゃ意味がないもの」
自分でも思った以上に低くて太い声に隣でマリンの水着を引き剥がそうとしているコルトも手を止めて私に注目をした。
「ナツミ……」
押さえつけられたマリンが目を丸めて横に同じ様に押し倒された私を見つめた。
「マリン大丈夫だよ。私達は負けない」
私の顔を見てマリンは涙を止めた。それからゴクリと息を飲む。
「うん。ナツミの言う通り」
マリンも覚悟を決めたのだ。
「私だって……どんなに痛めつけられても屈しない」
マリンはそう言い切ってコルトを真っすぐ見つめる。
「クソガキが……舐めやがって。コルト、バッチやってしまえ」
私とマリンの態度にキセルをふかしていたダンクが地を這う様な声で唸り上げた。
「分かってる。ハハ楽しみさ」
「よがった時が見物だな」
とうとうコルトとバッチが私とマリンの水着を引きちぎろうと手をかけた。
「ザック。ザック」
必死にザックの名前を口の中で何度も呟く。
恐ろしい時間を耐えようとした時だった。ふと見上げた天井のステンドグラス越しに人影が見えた。
もしかして──
「ザック!」
私の大声を合図に天井のステンドグラスが割れてザックとノアが降ってきた。
人が寄りつかなかった浜辺にも露店を出すと皆が集まってくる。水着の貸し出しも大好評だし。浜辺には布張りのパラソルが登場する様になった。
危ない。あの子あんなところまで。
泳ぐ事の出来ない町の女性達は沖に出て行く事はないが、たまに勇気があるのか好奇心なのか、足がつくかつかないかの場所まで行ってしまう人がいる。
そんな女性を見つけた私は大声を上げて泳ぎ出す。
ライフセーバーとして彼女を助けたい。なのに、しかしいつまでたっても彼女の元にたどり着かない。私にはこれぐらいしか出来ないのに。
いつかジルさんの前で嘆いた言葉を思い出す。
何も出来ない私。
何も出来ないって、もどかしくて。
そこでふと我に返る。
私は何故海にいるの。今日はお城の側で露店を開いていたはず。マリンと二人布巾を洗う為に近くの洗い場に出かけたのだ。確かバッチとコルトと呼ばれる男二人に捕まって意識を失ったのだ。
そこで私は驚いて目を開けた。
「!」
何をしているの私は。意識を失っている場合ではない。
何度も瞬きをして視界を慣らす。慣れてきた目の前には埃を被った床が見えた。古い木製のテーブルや椅子が転がっている。建物内みたいだ。それにこの埃具合から廃屋だと思う。
何年も使われていない為木製のテーブルや椅子は朽ちかけている。
その埃っぽい床の上に男達が身に付けていたボロボロの外套が敷かれている。匂いで分かる。あの果物が腐りかけた、魔薬を焚きしめた匂いがする。気持ちが悪くなりそうだが、その上に私は転がされている。
体を少し動かしてみるが両腕が後ろで縛られていて自由がきかない。足はどうなっているだろうと動かすと縛られていない事が分かった。起き上がって歩き回る事は出来るかも。そう思ってもっと様子を見ようと首だけを上げて転がったまま上を見る。するとマリンの頭が見えた。
私と同じで両手を後ろで縛られボロ外套の上で転がされていた。
「マリン」
小声で呟くとマリンがピクリと動いた。マリンも意識が戻っていて寝転がったまま上を向き、私と視線を合わせた。
「ナツミ」
不安そうに瞳が揺れる。元々白い頬が更に色をなくしていて顔色が悪くなっていた。
「ここが何処か分かる?」
私はマリンにボソボソと呟く。
建物内なのだがあちこち壁が剥がれていて、外の風が吹き込んでくる。暑い中涼しい風が入ってくる。風に乗って濃い潮の香りがする。建物に遮られた向こうで波の音が聞こえる。
つまり城の側でいたはずなのに海の側まで連れてこられている事になる。
潮の香りと波の音のせいで、あんな夢を見たのか。夢の最後で思い出せないけれども、嫌な気持ちになった事を感じた。思わず体が震えた。すると視線を動かしていたマリンがポツリと呟いた。
「ナツミ見て。上」
「上?」
首を捻って視線を移すと朽ちている天井を見た。所々穴も空いている天井部分には、小窓代わりのステンドグラスがはめ込まれていた。朽ちていく様と対照的で、見事なステンドグラスだった。ステンドグラスは六種類で森と海の美しい自然を表現していた。
そのステンドグラスを見て、私はここが以前通りかかった集会所だという事が分かった。
裏町にノア、ザック、マリンと一緒に出向いて、エッバやザームと出会った。あの時に裏町の奥から海に向かって抜ける路地で見た集会所。ザックが子供の頃にはもう使われていなかった建物で、その昔花火大会や宿屋代わりに使われていたとか。
今ではすっかり人が寄りつかなくなったと言っていた。廃屋と化した集会所が建っている場所は、町の外れだし海に近いとは言え確か崖になっていたはずだ。
この場所にいるなんてきっとザックも分かっていないだろう。
とにかく建物の外に出て助けを呼ばないと。そう思い、マリンと二人体を起こした時だった。
「やっと目覚めたか」
建物の奥から声がした。
建物は小さな体育館の様で縦に長い。更に奥の方は朽ちているのもあり、人がいても見えない。ゆっくりと古い床を軋ませながら三人の男が近づいてきた。
柔らかい声なのだが、何処か険が立っている。
その声を聞いて私とマリンは後ろ手を縛られたまま二人肩を寄せ合った。水着から剥き出しの肩が触れお互いの温もりを分け合う。驚くぐらい私とマリンの肩は冷たくなっていたのだ。
怖い。凄く怖い。
何故こんな事になってしまったのだろう。ザック達から離れない様に気をつけていたのに。
露店を海の側で開いていた時はいつもザック、ノア、シンの誰かについてきてもらっていたのに。布巾の洗濯を頼んだダンさんも油断していたのかな。いつも女の子だけで行動しない様に注意してくれていたのに。
考えれば考えるほど後悔と不安が湧き出てくる。私はその気持ちを隠す様に大声をわざと張り上げる。
「だっ誰なのっ」
情けない事に怖さで声は馬鹿みたいにひっくり返る。その声を聞いて男が近づいてきた男達が笑い出す。
穴の空いた天井から差し込んだ光が当たって姿が見えた。
「ハハッ。まるで威嚇に失敗した猫だな。でもそれも可愛いじゃないの。バッチもそう思うだろ?」
一人目は痩せ型で青いチュニックの男だった。ケタケタと笑うとギザギザの歯が見える。金髪を短く刈り上げていて、首から耳の後ろにかけて蔦の様な模様のタトゥーが見えた。
「コルト手を出すなよ。黒髪に目をつけたのは俺だ」
二人目は体格のよい男で朱色のチュニックを身にまとっていた。ソフトモヒカンの髪型と体格から想像すると軍人出身者の様子だ。鍛えられた腕は私の太股より太い。
青いチュニックの男はコルトで、朱色のチュニックの男はバッチという名前だ。
バッチという男は確か『ジルの店』まで旅人を装っていた男だ。
二人は私とマリンの側に立ち見下ろす。
「ね、ね、猫じゃないっ」
怖さを吹き飛ばす為に出来るだけ大声を上げる。だけれどやはり情けなく声をひっくり返してどもってしまう
声が反響して建物の中で響いた。この声が少しでも外に漏れ聞こえる事を私は願った。
私の必死の大声に、コルトとバッチに挟まれていた深紅のチュニックを男がゆっくりと三回拍手をした。嫌でも意識が男に集中する。
初めて見る男だった。
確か奴隷商人は三人組だとノアとザックが話していたのを聞いた。ではこの男が三人目の男だろう。
「そうやって外に居場所を知らせようとしているのか。健気だねでも残念ながら届かない」
歳のせいなのか皺の多い顔だしかし整っている。白髪交じりの金髪を後ろで縛っているが、耳元などは短く刈り上げられている。口角を上げて爽やかに笑うし緑色の瞳は美しい。しかし、上品な顔立ちなのに、視線は突き刺す様に冷たい。
その男が一メートル前に近づいた時、マリンが後ろにずり下がろうとした。しかし、足が震えている事と後で手を縛られているから、上手く体を動かせなかった。
「ダンク」
マリンが恐怖に怯えた声で名前を呟いた。
この深紅のチュニックを着た男がダンク。
かつてマリンと同じ踊り子集団で旅をしていた仲間だ。そして十五歳だったマリンに体を売る様に言った男だ。今は香辛料商人という名前で魔薬を売り、その裏では奴隷を売り買いするリーダー。
マリンの呟く声に突然真顔になったダンクだ。笑顔を張り付かせる事もなくマリンを見下ろす。そしてマリンの顔をジッと見つめ、ゆっくりと視線を落とし足先まで見つめる。
最後ダンクはマリンの前で片膝をついて座った。
「俺の名前を覚えていてくれたのかマリン。嬉しいね」
そう言ってマリンの方に手を伸ばし、顔を背けるマリンの顎を掴んだ。
マリンは恐怖で震えて青い瞳に涙を浮かべてダンクを見つめる。
両親が亡くなって悲しみに暮れているマリンに、無理矢理男に抱かれる様に指図したダンク。少女だったマリンは襲われて半裸状態になった姿で『ファルの町』を駆け抜け助けを求めた。きっとその時の恐怖が蘇ったのだろう。
「止めてよ。マリンに触らないで」
私は伸ばされたダンクの手を噛みつくつもりで顔を突き出した。
「ナツミ。キャァ!」
その私の行動に少しだけダンクが顔を動かしたのとマリンが私を呼ぶ悲鳴を聞いた。
瞬間、頬に熱が走る。痛いとは感じなかった。
私は右の耳で破裂音を聞いた。体がボロボロの外套の上に叩きつけられた。
私は耳から頬にかけてバッチに平手で叩かれた。そして床に叩きつけられたのだ。
一瞬何が起こったのか分からず目を大きく開けて見上げる。
上からはバッチが私を睨みつけていた。
「ダンクに噛みつこうなんて図々しい。威嚇も程々にするんだ。猫は猫らしく媚びるぐらいしてみせろ」
床にぶつかった左肩が嫌な音を立てた。口の中で鉄の味がする。
今の平手打ちで口の中に歯がぶつかって切れたのだ。右耳がキーンとしてバッチが私を罵る内容がはっきりと聞こえない。
叩かれた瞬間は痛みを感じない事を私は初めて知った。少し遅れてから体のあちこちが悲鳴を上げる。とても痛い。
「こらこらバッチ。お前ヤル前に女を壊してどうするつもりよ。しかも吸いつく肌の黒髪女を傷をつけるなんて。ナツミちゃん可哀相」
ケタケタと笑いながら私の頬を撫でて髪の毛をかき上げるのはコルトだった。
ようやく右の耳からも音が聞こえてくる。しかし少しコポコポと音がしている様な気がする。
「顔なんてどうでもいい。つっこむとこだけ無事なら同じだろ」
とんでもない事を言い出すバッチだ。
私は頬と左肩の痛みがだんだん強くなってきて、初めて呻いた。
「うっ」
声を出して息を止めていた事に気がついた。
倒れたまま肩を大きく動かして深呼吸する。私が声を上げた事で隣のマリンが叫んだ。
「ナツミ、ナツミ、ナツミ、ナツミ!」
何度も何度も私の名前を繰り返して呼び続ける。
ボロボロの外套上に倒れた私の視界先には、マリンの後で縛られた手が見える。爪が食い込んで血が滲むぐらい握りしめていた。
「マリン大丈夫だから。ゴホッ」
掠れた声で呟くと口の中が盛大に切れて、飲みきれなかった自分の血にむせかえった。
パッと口から血の飛沫が上がる。その様子を見たマリンが息を飲んだのが分かった。
「マリン。またお前はこうやって他の人間を傷つけて。そして自分は助かるんだよな」
ダンクが呆れた様にマリンを見つめる。
「そんな事していないわ。お願いナツミに乱暴をしないで。貴方が憎いのは私でしょう?」
マリンが泣きながらダンクに訴える。
しかし、ダンクは溜め息をついてやれやれと首を左右に振る。そして瞬きもせずマリンの顔に自分の顔を近づけて顎を更に強く掴んだ。
「憎いのは私、だって? マリン……哀れだなあ。何を勘違いしているんだ。誰もがお前に惹かれ、憎むほどの感情を持っていると思うな。うぬぼれるのも大概にしろ」
「痛っ」
ギリギリと顎を力一杯掴まれマリンは耐える。それから放り出す様にダンクはマリンの顎を手放した。放した瞬間にガリッと音がしてダンクの爪がマリンの顎の横を掠めたのが分かった。皮膚に食い込んだ指と爪がマリンの肌を傷つける。抉られた五センチほどの傷が右の顎から首の真ん中まで赤い筋をつけていた。
「っぁつ」
マリンは痛さに歯を食いしばり体を震わせていた。下を俯いたマリンと視線が合う。
マリンの青い瞳からボタボタ涙が落ちて、歯の根も合わないぐらい震えている。
「マリン。大丈夫だから。きっとノアとザック達が助けてくれるから」
私はそう自分にも言い聞かせながらマリンを励ます。
マリンも鼻水を啜りながら私の言葉に何度も頷いて、ボロボロの敷かれた外套に涙の染みを作っていく。
立ち上がったダンクがチュニックの腰に手を当てて溜め息をついた。腰からキセルを取り出し火をつけた。煙草ではないのだろう。香辛料──魔薬を吸って心を更に冷たく落ち着かせるつもりなのか。
「俺が憎いのはザックさ。俺はあの男が絶望する顔が見たいんだ。そして俺の前で「頼む止めてくれ」と跪かせたいのさ」
ダンクはニヤリと笑って遠くを見つめる。その視線の先にはザックの跪いた姿を想像しているのだろう。
「何でそんな事を」
マリンは泣きながらダンクを見上げる。そのマリンを冷めた目でダンクは見つめると歯ぎしりをしながら呟く。
「お前を俺のものにしようとしたのに、横から攫ったあの男が憎い。十年経った今もこの『ファルの町』でチヤホヤされ挙げ句の果てに領主の息子と仲良くするあの男が憎い。女も権力も人気も手にするなんて許さない。それは元々俺が得るものだったはずだ。十年前は仕返しをするどころか町から逃げるしかなかったが──今は違う」
ダンクは両手をパンと合わせてコルトとバッチに指示を送る。
するとその音を合図に、バッチが私の髪の毛を掴んで上半身を無理矢理起こす。
「痛っ」
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「見ろよコルト。可哀相に。黒髪女の唇の横が切れている」
バッチはそう言って、私の唇の端を親指で擦る。
平手打ちをされた時当然口の端も切れた。痛い! 再び私は悲鳴を上げた。
そんなバッチの行動に呆れた声を上げたコルトは溜め息をついた。
「何が可哀相だよ。それはバッチが痛めつけたんだろ? 香辛料がきまっているから気性が荒いって言うか適当って言うか。さてマリンだったな。お前の相手は俺がしてやるよ」
コルトは言いながらバッチが私にした様にマリンの髪の毛を掴み引っ張りマリンの顎の下に出来た傷を舐め上げる。
「ん~いい味。興奮しちゃう。ほら俺のこんなになっているんだぜ?」
そう言ってコルトはマリンを押し倒し自分の腰を押しつけた。
「嫌ぁッ!」
マリンは悲鳴を上げて首を振った。
バッチもマリンの隣に私を押し倒す。腐った果実の匂い魔薬の香りがバッチからする。
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「イイねぇ~恐怖で震える女って。でもその震えも直ぐに違う感覚になるさ、今の恋人、男を忘れるぐらいのな」
バッチが私を見下ろして笑う。
「ゆっくり二人共ヤレよ。香辛料を使ってもいいさ。だが壊さない程度にしろよ。それに単にヤルだけじゃ駄目だ。目一杯女をイかせてやれよ。そうしないとザックの絶望した顔が見えないだろう?」
ダンクは近くの朽ちた椅子に腰をかけキセルをふかした。コルトとバッチに襲われる私とマリンを眺めるつもりなのだろう。
何て趣味が悪い。そう思いながら恐怖と絶望そして悔しさ、様々な思いが混ざった私の視線を受けてダンクはせせら笑った。
「黒髪女、ナツミだったな。言いたい事は分かるぜ。卑怯だと言いたいのだろう。だが俺は知っている。ザックは自分に対しての攻撃はめっぽう強い。心も体も恵まれた男だ」
「……」
私は無言でダンクを見つめる。下手に答えると馬乗りになっているバッチにまた殴られるかもしれないからだ。
「しかし、どうだ。町の目をかけていたソルやザームとか言う仲間に裏切られ、付き合いの長い町医者にも見切りをつけられ──自分のお気に入り、ナツミを奪われた時はどんな顔をしてくれるだろうなぁ? まさに今のナツミみたいな顔だと面白いがな。ハハ簡単なものだな。ファルの町の人間は快楽に弱い。抱き込むのはこの香辛料で十分とはね。ククク」
ダンクはそう笑って大きくキセルをふかした。
「えっ」
何て事。
私とマリンが攫われたのはソル、ザーム、ウツさんの裏切りがあったからなの?
言われてみれば露店を出してからソルやエッバには会っていない。
この間ウツさんの店に行った時には、確か城の方で売る様にアドバイスを受けた。
それは裏町の皆が、この私とマリンを攫うチャンスを作ったって事なの?
それもこのダンクの甘い誘い、香辛料という名前の魔薬にとりつかれたって事?
そんな。そんな事って。
怖い。どうやってこの恐怖に立ち向かえばいいのだろう。悔しくて涙が溢れる。
何も出来ない私──
何も出来ないって、もどかしくて悔しい。
こんな事を考えた事が前にもあった。そうだジルさんが活を入れてくれたのだっけ。
何も出来ない、ではないでしょう?
ジルさんの声が頭の中で聞こえた。
そうだ。何も出来ないのじゃない。何が出来るかだ。
ソルやエッバ達が裏切ったって本当かどうかも分からないのに。
好きな人達を信じなくてどうするの。
考えろ私。
私は怖さと戦う為に、必死に首を左右に振る。
力では勝てないけれども出来る事があるはずだ。
こんな事には屈しない。今の私に出来る事があるとしたら、ダンクが言う様にザックが絶望になる顔なんてさせない事だ。
それならば──
すると力が抜けた様に震えが止まる。
私の体の震えが止まったのを感じたのか、押し倒しているバッチが首を傾げた。
「いきなり死んだか。まだ服も脱がしてないのに」
ペチペチと叩いていない方の頬を軽く叩く。
「……すればいい」
「は?」
ポツリと呟いた私にバッチが首を傾げる。真っすぐ顔を上げる。
怖がるな。勇気を出せ。私にだって出来る事が一つある。
バッチのソフトモヒカン越しに天井のステンドグラスが見えた。
「好きにすればいい。私を抱いてどんなに滅茶苦茶にしても、私は屈したりしない」
私はステンドグラスからバッチに視線を動かして呟いた。
しかしバッチは私に跨がったまま天を仰いで笑う。
「言うじゃねぇか。香辛料を使っても同じ事が言えるか見物だな。お前みたいなガキは快楽で触れられただけで股を濡らすに決まっている」
「香辛料を使われても私の心は屈しない。私が心から感じるのはザック一人だけ。体が奪われたって直ぐにザックが上書きしてくれる」
「はぁ?」
「だって私はザックじゃなきゃ意味がないもの」
自分でも思った以上に低くて太い声に隣でマリンの水着を引き剥がそうとしているコルトも手を止めて私に注目をした。
「ナツミ……」
押さえつけられたマリンが目を丸めて横に同じ様に押し倒された私を見つめた。
「マリン大丈夫だよ。私達は負けない」
私の顔を見てマリンは涙を止めた。それからゴクリと息を飲む。
「うん。ナツミの言う通り」
マリンも覚悟を決めたのだ。
「私だって……どんなに痛めつけられても屈しない」
マリンはそう言い切ってコルトを真っすぐ見つめる。
「クソガキが……舐めやがって。コルト、バッチやってしまえ」
私とマリンの態度にキセルをふかしていたダンクが地を這う様な声で唸り上げた。
「分かってる。ハハ楽しみさ」
「よがった時が見物だな」
とうとうコルトとバッチが私とマリンの水着を引きちぎろうと手をかけた。
「ザック。ザック」
必死にザックの名前を口の中で何度も呟く。
恐ろしい時間を耐えようとした時だった。ふと見上げた天井のステンドグラス越しに人影が見えた。
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「ザック!」
私の大声を合図に天井のステンドグラスが割れてザックとノアが降ってきた。
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