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136 新 オベントウ大作戦 その2
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「普段の軍で働いている時の姿も格好いいのに。更に格好いいなんて『みずぎ』は男性のものもあったのね」
「ノアとザックの『みずぎ』姿を見る為に、オベントウを買いに来てよかったぁ」
ノアとザックのポージングを見て黄色い声を上げたのは裏町の女性達だった。ノアとザック達が動く度に声を上げている。その女性達に近づき、ジョッキに入ったレモン水をすすめたのはニコだった。
「お姉さん。これはオベントウのおまけ。レモン水だよ。暑いから飲んでいって」
マリン曰く、美少年の登場だ。
短く切った赤い髪は少し伸びていた。耳にかけた髪の毛がさらりと揺れる。二人の女性と変わらない背格好のニコはショートパンツタイプの水着を着ていた。水着は海と同じ色のブルーだ。
まだ筋肉はあまりついていないニコ。これからどんな男性になるのか楽しみだ。それでも、すらりとした長い手足、宝石の様な大きな赤い瞳が印象的で屈託なく笑うと見惚れてしまう。人なつっこい美少年といった印象だ。
「レモン水が無料なの?」
「嬉しい! ありがとう」
ジョッキを受け取った二人の女性は、ニコの頭の先から爪先まで何度か見つめると小さな声で呟いた。
「これはこれでイイわね。ノア達とは違うけれども」
「イイ。凄くイイ」
満面の笑みを浮かべて立ち去るニコを見つめていた。
ニコは別のオベントウを買った人に近づきレモン水をすすめていた。男性にも女性にも受け入れられるニコの本領発揮だ。
そんなニコの姿を見つめながらオベントウを買ってくれた裏町の女性二人は溜め息をついた。
「いいなぁ。私も『みずぎ』着てみたいな」
「ええっ本気?」
「海に入りやすいみたいだし。でも泳げないから無理か」
「興味はあるわよね。あのナツミっていうザックの恋人なんて泳いでるし」
「そうよね女性なのに。泳げるのね」
その二人の話を聞いて私はポンと、彼女達二人の肩を後ろから叩いた。二人はゆっくりと振り返って私の姿を見ると小さな悲鳴を上げて飛び上がった。
今まで噂していた本人が真後ろに立っていたので驚いたのだろう。
私は驚く二人に笑いかける。
「興味があるなら水着を着てみない?」
「「え?」」
女性二人は目を丸めてお互いを見つめあう。
それから私の姿を頭の先から爪先まで見つめ、私の少し後ろに立っていたリンダとトニの姿を見つめてからバツが悪そうに首を振る。
「無理よ。興味はあるけれども私達あまり綺麗じゃないし」
「私達が着たら皆の笑いものよ。お腹もあんなに引っ込んでないのよ」
そう言って恥ずかしそうに俯いてしまう。
確かにマリンをはじめとする人気の踊り子だ。スタイルも抜群なのだ。
「踊り子の人達は規格外だから比べても仕方ないよ。けれども大丈夫だから。水着ってね、色んな種類があるの。お腹が気になるならパレオって言う結ぶ位置を自由に変える事の出来るワンピース状の布もあるよ。例えば、私は胸が小さいんだけど選んだ水着にフリルがついているから上手く隠れているでしょ?」
もちろん踊り子の中には、ぽっちゃり体型や私の様に胸が小ぶりな女性もいるけれども。自分にはないものを見ていたらはじまらない。
女性二人は私の言葉に俯いた顔を上げて私の胸を凝視した。
オフショルダーのトップスはフリルがついていてささやかな胸が上手く隠れていた。
「確かにおっぱいが小さいのに隠れてる」
「そうね。別におっぱいの小ささなんて気にならない」
俯いていたが少し顔が明るくなった。
複雑な気分だけれども仕方ない。私は頬をヒクつかせながらなんとか笑う。
「そうでしょ? だから二人に合う水着を貸し出すからあの小屋に行ってみてよ! そして一緒に海で水遊びしようよ」
私は彼女達二人の肩を抱いて浜辺にポツンと立っている小さな小屋を指差す。
元々漁師の道具小屋だったそうだが、今は使用していないそうだ。その小屋の前で、ミラが手招きしていた。
そのミラの姿を見て女性二人はゴクンと唾を飲んで頷いた。
よし。大成功。着替える気満々だね。
「じゃぁさ、あの小屋で着替えてきてね?」
私は二人の背中を押してミラの方に親指を立てて合図をした。
それを受けてミラも親指を立てて合図を受け取った。
この水着を貸し出すというのは、ミラとマリンの提案なのだ。
これも水着同様数日前に遡る。
***
ノアとザックが水着を着る事になり数日経った。水着をすっかり気に入った二人は周りの皆にどれだけいいかを説明する。泳ぎやすいと言う事が分かると単純なものだった。
本当は、二人の肉体美をマリンと一緒に褒めちぎったのが一番効果があったみたいだけれども。二人の体格の筋肉ムキムキの男性料理人達も称賛をしていた。
そのせいでダンさんも、ついでにネロさんも水着を着ると言い出した。
ダンさんはザック以上に筋肉がムキムキで驚いた。男性までもがその筋肉美に目を見張る。坊主頭に左目に傷の入ったボディービルダーと言ったところだ。
「クッ! 俺が負けるなんて」
ザックが悔しがって歯ぎしりをしたのをダンさんは笑っていた。
「俺に勝とうなんて十年早いさ」
十年経ってもザックが勝てるとは思えません……
そしてネロさんの水着姿はどちらかと言うとニコよりで美青年の風貌だった。痩せ型だけれども儚いと言う言葉が似合う男性だったのだ。
意外に似合うその姿に少し魅入ってしまった。するとネロさんは直ぐに喜んでしまった。
「ナツミさんそんなに見つめられると溶けちゃいますぅ。僕をどうする気ですか?」
そう言いながらクネクネしてみせる。
前言撤回。
ネロさんは黙っていれば美青年で、喋ったら変態なのは変わりなかった。
そして、オベントウを売りに行く目処が立った数日前。マリンとミラがお昼ご飯を食べていると二人がこう言い出した。
「オベントウ売りだけど。毎日水着で軽く泳いだりしているから裏町では話題に上りはじめているそうよ。だから集客は望めると思うのよ」
ミラがフォークでミニトマトを刺して呟く。
「うん。まぁそうだよね。今でもザックと泳いでいると町の女性達からキャーって声と悲鳴みたいな声が聞こえるしね」
私はパンをモグモグと頬張りながら、夕方海で魚をとっている時の事を思い出す。するとミラが鼻の頭に皺を寄せて低い声で呟いた。
「それはナツミとザックがところかまわずキスしまくるからでしょ。しかも濃厚なやつ。もうその場で濡れ場がはじまるかと思うわよ」
フンと鼻息を荒くしてミラが怒るとトマトを口に放り込む。
「ふふふ。私もナツミとザックの濃厚なキスを目の前で見ちゃった」
そう言いながらマリンが頬に自分の手を添えて微笑んだ。
「ごめん」
私は肩を小さく上げて謝る。
外でキスをお構いなしにしてくるザックに慣らされつつあるのか、私は慌てる事なく謝った。ザックにキスされると直ぐにうっとりしてしまう。
しかしミラの怒りは収まらず、マリンにもフンと鼻息を荒くして呟いた。
「それはマリンもノアも一緒だからね。本当にあんた達四人はところかまわずイチャイチャイチャイチャしてさ。目のやり場に困るから」
「それならミラだってシンとキスしてたじゃない。私達同じよね」
珍しくマリンが負けずに反論している。
「あたしのは二人のと違って濃厚じゃないのっ! と言うか、もういいわよ何だか恥ずかしくなるばかりだわこのやり取り。コホン。とにかくそういう風に男性とイチャイチャしている姿ばかり見せつけられると、町の女の子達はうんざりすると思うのよ」
ミラが真っ赤になって慌てたが、直ぐに咳払いをして立ち直った。
「あーそうだよね。でもイチャイチャを見せつけているなら既に町の女性達は感じ悪いと思っている可能性があるよね。そうじゃなくても『ファルの宿屋通り』の踊り子って言うだけで嫌われる傾向にあるみたいだし」
私はちぎったパンにソテーのソースを絡めて頬張る。
その私の言葉に向かい側に座っていたミラが身を乗り出してコソコソと話をはじめた。
「ナツミとマリンの事ならもう町の皆に知れ渡っているわよ。だから裏町の女性達も諦めているたいよ。ザックとノアの恋人って事で認められているみたいだし」
「そうなの?」
「そりゃあんなに濃厚なキスをしているの見たら諦めるわよ。あと踊り子が毛嫌いされる件だけれども。裏町の女性達からの風当たりが少ない様な気がするのよ。そう言えばナツミ達が裏町に行った時辺りから変わった様な。もしかして何かした?」
「あ……」
もしかしたら、エッバをはじめ、ソルやザームが裏町で上手く話を広げてくれているのかもしれない。そう思うと何だか心が温かくなった。
「ナツミは何でニヤニヤしているのよ? とにかく町の女性達もどういう事かいい感じだから。それよりも踊り子達が皆で水着を着てオベントウを売るのを見る事になるでしょ? そうしたらオベントウを買いに来た男性はデレデレになると思うの」
ミラがレモン水を飲みながら溜め息をついた。
「あ~それは想像出来るかも。ザックやノア達がいるから変なちょっかいを出す男性はいないと思うけれども。とはいえ『ゴッツの店』の踊り子も一緒になるから盛り上がりは大きくなりそうだよね」
私は溜め息をついた。夜の店ではお酒も入っているからだけれども開放的な海での水着姿もそれはそれで大騒ぎになりそうだ。
「そんなデレデレしっぱなしの男性を見るのは、裏町の女性からすると『つまらない』って感じると思うの。折角緩くなった踊り子への風当たりが強くなるのもつまらないでしょ? だからさ裏町の女性も巻き込んじゃおうと思って。そこでマリンといい案を思いついたの」
ミラはそこまで言うとマリンに視線を送って頷いた。
マリンもミラの視線を受け取って強く頷き説明をはじめた。
「裏町の女性にも体験してもらいたいと思って」
「体験?」
「そう。思い切って水着を貸し出して体験してもらうっていうのはどうかしら。そうしたら踊り子も裏町の女性も関係なくなるし。水着になって泳ぎを教えるのは難しいと思うけれども、服を着替えるのはとても興味深いし、浅瀬で遊ぶっていうのは楽しいと思うわ。だって私が楽しくて仕方ないんだもの」
絶対に。と断言するマリンだ。
少しだけ泳げる様になったマリンだが海の深いところで泳ぐのはまだ危ない。しかし、海の浅瀬で魚や蟹を眺めるだけでも楽しいらしい。
「なるほど。皆同じ姿になって体験するっていい案だね。是非やってみようよ」
泳げる様になって確実に変わってきたマリンとミラ。
その事が嬉しくて私は笑ってみせる。
裏町の女性達との交流かこれは益々楽しくなりそうだ。
「その為には水着を色んな形や大きさを取り揃えないといけないのよね。それにリンダやトニ達『ゴッツの店』の踊り子の水着も追加で作らないといけないし。うーん水着の作成、あたし……間に合うかな」
ミラが自信なさそうに呟いた時、私達のテーブルに影が落ちた。見上げると、リンさんをはじめとする先輩の踊り子達だった。
「面白そうな話じゃない。私達も協力するわよ。衣装や洋服を作るのが得意なのはミラだけじゃないでしょ?」
そう言って水着を作る事を手伝ってくれる事になった。
***
おかげで露店を出して三日目で、十人の裏町の女性が水着姿になり浅瀬ではしゃいでいる。もちろん監視役で私やシンが控えている。ライフセーバー復活だ。
体調が悪くなった場合は医療班としてネロさんが控えているし。(変態だけれどもね)
海が近いのに泳いだり水着という文化のないファルの町。女性の水着だけではなく男性の水着も受け皆が受け入れてくれている。
水着を着てみて晴れ晴れとした女性達。そしてオベントウを買いに来た男性達と楽しそうに談笑している。お昼だがお酒を提供していないので、皆理性はあるから特にちょっかいを出す男性もいない。
「もしかして、花屋のエマか?」
浅瀬で遊んでいた女性の一人にオベントウを買いに来た若い軍人が声をかける。
「そ、そうだけど」
エマと呼ばれた女性は水着に着替えた胸の辺りを押さえて恥ずかしそうにする。
「やっぱりそうか! 『みずぎ』可愛いねとても似合っているよ。オベントウを買いに来たのか?」
若い軍人は持ち帰り様に紙に包んだオベントウを軽く上げてみせた。
「そうなの。でも美味しくて直ぐに食べちゃった。今は『みずぎ』を借りて遊んでいたのよ。熱いけれども水が冷たくて気持ちいいわ。貴方はいつも花屋の向かいのクプレプ屋でお昼を食べているわよね」
「そうなんだよ~よく知ってるね」
二人の会話は弾み、少し話をしようとヤシの木の木陰に移動していた。
「オベントウ売りで恋人がたくさん誕生するかもね」
二人の様子を眺めていた私の右肩に手を置いたのはトニだった。
「あはは。そうかもしれないね。話す機会がなかなかなかった人達が話をする事が出来るものね」
私がそう答えると、今度は左肩にリンダが手を置いて笑う。
「でも男女だけじゃないわよ。私達踊り子と裏町の女の子と話す機会が増えて結構楽しいわ」
そうやってリンダが明るく笑うので私とトニは驚いてしまった。
「えっ。楽しいなんて」
「リンダこの間まで裏町の女性の事馬鹿にしていたんじゃなかったの?」
私とトニが口々に茶化して笑うと、リンダは口をへの字にして言葉に詰まる。それから諦めた様に溜め息をついたら首を傾げて笑った。
「私が悪かったわよ。ナツミ達が店に来てくれてから私も反省したのよ。色々誤解があったんだなって分かったの。だから思い切って話しかける様にしたの。そうしたら、皆聞いてくるのよ。例えばその体型を維持するのにどんな食事をとってるの? とか運動しているの? とか。私が痩せなきゃって思っていたみたいに、同じ悩みを抱えているのね」
「へぇ~それはよかったじゃん」
リンダの言葉にトニが顎を上げて笑う。
その態度にリンダがプリプリと怒り出す。
「もう! トニだって私と似た様な感じだったくせに」
「えー私はそんな事ないと思うわよ」
「そんな事あったわよ」
「そうねあったかもしれなけれど……ナツミを見てるとそういうの馬鹿らしくなってくるわよね」
「それは言えてる」
トニとリンダは私を間に挟み、おでこを付き合わせて睨み合うが、最後は私の顔を見てから吹き出して笑った。
「何だか失礼な事言われた様に思うけれども。いいか。皆楽しそうだし」
噛みつく様に話すトニとリンダだったけれども、角がとれて丸くなった。美容や恋愛の話に楽しむ女性になって町の女性達との会話を楽しんでいた。
水着を着て浅瀬で水遊びを楽しむ踊り子や裏町の女性達。
男性達もオベントウを買いに来てお昼ご飯をきちんととってお昼からの仕事にいそしむ。
もちろん働く女性も買っていってくれる。
ファルの町の皆と店の踊り子達の交流も深くなり、線が引かれていた様な境目もなくなってきたと思う。性別・人種・年齢は関係なく楽しく過ごす事が出来るのはいいよね。
私は改めて海や浜辺でゆっくりとお昼休みを楽しんでいる町の皆を見つめて微笑んだ。
私にも出来る事があった。
落ち込んで、自分なんて消えてしまえばいいと思っていた。
違う世界に来て、ザックやノア、マリンにミラそしてたくさんの人と出会った。もちろん色々な事があって苦しい事も驚く事もあった。
少しでも誰かの役に立てるのなら。この場所で。ファルの町で生きていけると思う。そんな自信がついていた。
「むむっ。悔しいっっ」
私もあの輪の中に入りたい。
エッバはナツミ達が露店を出している浜から離れた場所で、ギリギリと歯ぎしりをして見つめていた。白壁の建物に身を半分だけ隠してこっそり覗き見をする。
視力はいいから小さな姿でもナツミとザックも直ぐに確認出来た。
(皆狡いわよ。私だって奴隷商人の件がなければナツミと一緒に遊ぶのに。そしておにぎり食べたいっ)
裏町の女性が少しずつナツミ達に傾いて心を開いていっている。この三日間だけでもエッバと仲のいい幼なじみもナツミと話した事を自慢していた。
(私はナツミと親友なのに。どうしてこんな損な役回りなのっ?!)
ザームと一緒にザック達から奴隷商人を誘き出す話を聞いた手前、ナツミとザックの近くに簡単に近づけなくなってしまった。
(仲良くしたいけど、それだと奴隷商人を誘い出せないし。それに私はナツミが好きだから嫉妬たっぷりに彼女の事を見つめるなんて出来ないわよ。やっぱり無理よ私にこの役まわりは)
エッバが思わずエプロンの裾を囓ったら、後ろで吹き出す声が聞こえた。
「その『むむっ』っていう口癖はザームの真似か?」
モスグリーンのバンダナを巻いた彫りの深い顔。瞳を細めて笑うのはソルだった。
エッバより先にナツミと仲良くなったと思っている裏町の青年だ。
ソルが言うザームというのは裏町を取り仕切っているザックと幼なじみの男の事だ。痛めつけられると喜ぶというおかしな性癖を持ち、三十前にしてつるっぱげの青年だった。優しい男だが変な奴なのだ。ザームの口癖が「む」なのだ。
「ザームの真似なわけないでしょ。それにザームは『む』って言うのよ!」
エッバは思い切って振り向きポニーテールで高く結んだ髪の毛をソルに叩きつける。しかしソルはひらりと一歩後ろへ下がってかわしてしまった。
「分かった分かった。それにしても悔しいって。ハハハ受けるし」
おそらくエッバは自分も輪に入りたいと歯ぎしりしていたに違いないが、十分嫉妬たっぷりにナツミやザックを見つめている様にも捉えられるので思わず吹き出してしまった。
(演技出来ないとか喚いていた割りにはバッチリじゃねぇか。嫉妬たっぷりって感じだぜ)
「もうっ! 腹が立つ! ソルの馬鹿馬鹿馬鹿!」
エッバは自分に与えられた損な役回りに苛立ち、ポカポカとソルの胸板を叩く。
寂しさと悔しさ、かまって欲しくて思わずエッバは涙目になってしまう。
「痛い痛い」
ソルも強めに叩くエッバの拳を受けとめながら涙目になった時、二人に声をかける男がいた。
「あんた達もしかして、目障りだって感じたりしてないか?」
「!」
「え?」
ソルは直ぐに身構えたがエッバは気配なく声をかけられて目を丸くしてしまう。
男はボロボロの焦げ茶色の外套を羽織っている。
頭にはフードを被り、足元を引きずる長い外套だった。
すっぽりと覆われた体は長身である事ぐらいしか分からない。顔が見えないので更に不気味だ。
(雨季明け、晴れた真昼に外套って。気味が悪いわ。それにこの匂いも気持ちが悪い。果物が腐った様な匂い)
エッバは思わずソルの後ろに隠れて気味の悪さに顔をしかめた。ソルはエッバを片腕で庇いながら外套の男に声をかける。
「何だよ目障りって」
ソルは腰帯に刺した短剣に手をかけながらゆっくりと尋ねる。
ソルの動きをフードの奥で見つめていた男は、両手を挙げて何も自分が手にしていない事を見せる。そしてゆっくりと浜辺を指差した。
「あの浜辺で大騒ぎしている彼奴らだよ」
男の指には人指し指中指薬指に大きな宝石がついた指輪をしていた。しかし三つとも指輪の台座に所々茶色い何かがこびりついているのが見えた。
ソルは瞬時にそれが血である事が分かった。
(こびりついて剥がれないぐらい血が固まっているって。何かヤバイ気がする。もしかしてこいつがザックさんが言っていた奴隷商人なのか? それなら──)
ソルはフンと溜め息をついて呟く。
「昔裏町にいた先輩達がやっている商売みたいなんだけど。確か軍人になったはずなのに『ファルの宿屋通り』の店を手伝ってるらしくて。こんな裏町界隈にまで出張ってこられるとさ、商売の邪魔になるなって思ってさ。な?」
ソルはそう言って後ろにいたエッバに視線を送る。
エッバはゴクンと唾を飲み込んでこくんと一度頷いた。どうやらエッバも状況を理解した様だ。
「そうなのよ。こっちとしても営業妨害よ。踊り子が寄ってたかって昼の裏町に出てくるなんて図々しいわ。それに裏町の若い女の子もさ直ぐに興味を示して本当に嫌な感じだわ」
エッバは出来るだけ嫌味たっぷりに話してみせた。
(仲間には入れない事が悔しくて歯ぎしりしていた姿を見られたのね。奴隷商人は完全に嫉妬していると勘違いしてくれたのかもしれないわね)
エッバの言葉に外套の男は大きく何度も頷いていた。
そして、顔を上げたフードの奥でニタリと笑う白い歯が見えた。
「分かるぜ俺にも。それに何かさぁ、ああいうの見るとイライラするだろ? 何だかお手々つないで仲良しごっこみたいでさ。だからさ、スッキリするとっておきの方法があるんだけど──」
そして、外套のポケットから白い薬包をソルとエッバの前に差し出した。
「ノアとザックの『みずぎ』姿を見る為に、オベントウを買いに来てよかったぁ」
ノアとザックのポージングを見て黄色い声を上げたのは裏町の女性達だった。ノアとザック達が動く度に声を上げている。その女性達に近づき、ジョッキに入ったレモン水をすすめたのはニコだった。
「お姉さん。これはオベントウのおまけ。レモン水だよ。暑いから飲んでいって」
マリン曰く、美少年の登場だ。
短く切った赤い髪は少し伸びていた。耳にかけた髪の毛がさらりと揺れる。二人の女性と変わらない背格好のニコはショートパンツタイプの水着を着ていた。水着は海と同じ色のブルーだ。
まだ筋肉はあまりついていないニコ。これからどんな男性になるのか楽しみだ。それでも、すらりとした長い手足、宝石の様な大きな赤い瞳が印象的で屈託なく笑うと見惚れてしまう。人なつっこい美少年といった印象だ。
「レモン水が無料なの?」
「嬉しい! ありがとう」
ジョッキを受け取った二人の女性は、ニコの頭の先から爪先まで何度か見つめると小さな声で呟いた。
「これはこれでイイわね。ノア達とは違うけれども」
「イイ。凄くイイ」
満面の笑みを浮かべて立ち去るニコを見つめていた。
ニコは別のオベントウを買った人に近づきレモン水をすすめていた。男性にも女性にも受け入れられるニコの本領発揮だ。
そんなニコの姿を見つめながらオベントウを買ってくれた裏町の女性二人は溜め息をついた。
「いいなぁ。私も『みずぎ』着てみたいな」
「ええっ本気?」
「海に入りやすいみたいだし。でも泳げないから無理か」
「興味はあるわよね。あのナツミっていうザックの恋人なんて泳いでるし」
「そうよね女性なのに。泳げるのね」
その二人の話を聞いて私はポンと、彼女達二人の肩を後ろから叩いた。二人はゆっくりと振り返って私の姿を見ると小さな悲鳴を上げて飛び上がった。
今まで噂していた本人が真後ろに立っていたので驚いたのだろう。
私は驚く二人に笑いかける。
「興味があるなら水着を着てみない?」
「「え?」」
女性二人は目を丸めてお互いを見つめあう。
それから私の姿を頭の先から爪先まで見つめ、私の少し後ろに立っていたリンダとトニの姿を見つめてからバツが悪そうに首を振る。
「無理よ。興味はあるけれども私達あまり綺麗じゃないし」
「私達が着たら皆の笑いものよ。お腹もあんなに引っ込んでないのよ」
そう言って恥ずかしそうに俯いてしまう。
確かにマリンをはじめとする人気の踊り子だ。スタイルも抜群なのだ。
「踊り子の人達は規格外だから比べても仕方ないよ。けれども大丈夫だから。水着ってね、色んな種類があるの。お腹が気になるならパレオって言う結ぶ位置を自由に変える事の出来るワンピース状の布もあるよ。例えば、私は胸が小さいんだけど選んだ水着にフリルがついているから上手く隠れているでしょ?」
もちろん踊り子の中には、ぽっちゃり体型や私の様に胸が小ぶりな女性もいるけれども。自分にはないものを見ていたらはじまらない。
女性二人は私の言葉に俯いた顔を上げて私の胸を凝視した。
オフショルダーのトップスはフリルがついていてささやかな胸が上手く隠れていた。
「確かにおっぱいが小さいのに隠れてる」
「そうね。別におっぱいの小ささなんて気にならない」
俯いていたが少し顔が明るくなった。
複雑な気分だけれども仕方ない。私は頬をヒクつかせながらなんとか笑う。
「そうでしょ? だから二人に合う水着を貸し出すからあの小屋に行ってみてよ! そして一緒に海で水遊びしようよ」
私は彼女達二人の肩を抱いて浜辺にポツンと立っている小さな小屋を指差す。
元々漁師の道具小屋だったそうだが、今は使用していないそうだ。その小屋の前で、ミラが手招きしていた。
そのミラの姿を見て女性二人はゴクンと唾を飲んで頷いた。
よし。大成功。着替える気満々だね。
「じゃぁさ、あの小屋で着替えてきてね?」
私は二人の背中を押してミラの方に親指を立てて合図をした。
それを受けてミラも親指を立てて合図を受け取った。
この水着を貸し出すというのは、ミラとマリンの提案なのだ。
これも水着同様数日前に遡る。
***
ノアとザックが水着を着る事になり数日経った。水着をすっかり気に入った二人は周りの皆にどれだけいいかを説明する。泳ぎやすいと言う事が分かると単純なものだった。
本当は、二人の肉体美をマリンと一緒に褒めちぎったのが一番効果があったみたいだけれども。二人の体格の筋肉ムキムキの男性料理人達も称賛をしていた。
そのせいでダンさんも、ついでにネロさんも水着を着ると言い出した。
ダンさんはザック以上に筋肉がムキムキで驚いた。男性までもがその筋肉美に目を見張る。坊主頭に左目に傷の入ったボディービルダーと言ったところだ。
「クッ! 俺が負けるなんて」
ザックが悔しがって歯ぎしりをしたのをダンさんは笑っていた。
「俺に勝とうなんて十年早いさ」
十年経ってもザックが勝てるとは思えません……
そしてネロさんの水着姿はどちらかと言うとニコよりで美青年の風貌だった。痩せ型だけれども儚いと言う言葉が似合う男性だったのだ。
意外に似合うその姿に少し魅入ってしまった。するとネロさんは直ぐに喜んでしまった。
「ナツミさんそんなに見つめられると溶けちゃいますぅ。僕をどうする気ですか?」
そう言いながらクネクネしてみせる。
前言撤回。
ネロさんは黙っていれば美青年で、喋ったら変態なのは変わりなかった。
そして、オベントウを売りに行く目処が立った数日前。マリンとミラがお昼ご飯を食べていると二人がこう言い出した。
「オベントウ売りだけど。毎日水着で軽く泳いだりしているから裏町では話題に上りはじめているそうよ。だから集客は望めると思うのよ」
ミラがフォークでミニトマトを刺して呟く。
「うん。まぁそうだよね。今でもザックと泳いでいると町の女性達からキャーって声と悲鳴みたいな声が聞こえるしね」
私はパンをモグモグと頬張りながら、夕方海で魚をとっている時の事を思い出す。するとミラが鼻の頭に皺を寄せて低い声で呟いた。
「それはナツミとザックがところかまわずキスしまくるからでしょ。しかも濃厚なやつ。もうその場で濡れ場がはじまるかと思うわよ」
フンと鼻息を荒くしてミラが怒るとトマトを口に放り込む。
「ふふふ。私もナツミとザックの濃厚なキスを目の前で見ちゃった」
そう言いながらマリンが頬に自分の手を添えて微笑んだ。
「ごめん」
私は肩を小さく上げて謝る。
外でキスをお構いなしにしてくるザックに慣らされつつあるのか、私は慌てる事なく謝った。ザックにキスされると直ぐにうっとりしてしまう。
しかしミラの怒りは収まらず、マリンにもフンと鼻息を荒くして呟いた。
「それはマリンもノアも一緒だからね。本当にあんた達四人はところかまわずイチャイチャイチャイチャしてさ。目のやり場に困るから」
「それならミラだってシンとキスしてたじゃない。私達同じよね」
珍しくマリンが負けずに反論している。
「あたしのは二人のと違って濃厚じゃないのっ! と言うか、もういいわよ何だか恥ずかしくなるばかりだわこのやり取り。コホン。とにかくそういう風に男性とイチャイチャしている姿ばかり見せつけられると、町の女の子達はうんざりすると思うのよ」
ミラが真っ赤になって慌てたが、直ぐに咳払いをして立ち直った。
「あーそうだよね。でもイチャイチャを見せつけているなら既に町の女性達は感じ悪いと思っている可能性があるよね。そうじゃなくても『ファルの宿屋通り』の踊り子って言うだけで嫌われる傾向にあるみたいだし」
私はちぎったパンにソテーのソースを絡めて頬張る。
その私の言葉に向かい側に座っていたミラが身を乗り出してコソコソと話をはじめた。
「ナツミとマリンの事ならもう町の皆に知れ渡っているわよ。だから裏町の女性達も諦めているたいよ。ザックとノアの恋人って事で認められているみたいだし」
「そうなの?」
「そりゃあんなに濃厚なキスをしているの見たら諦めるわよ。あと踊り子が毛嫌いされる件だけれども。裏町の女性達からの風当たりが少ない様な気がするのよ。そう言えばナツミ達が裏町に行った時辺りから変わった様な。もしかして何かした?」
「あ……」
もしかしたら、エッバをはじめ、ソルやザームが裏町で上手く話を広げてくれているのかもしれない。そう思うと何だか心が温かくなった。
「ナツミは何でニヤニヤしているのよ? とにかく町の女性達もどういう事かいい感じだから。それよりも踊り子達が皆で水着を着てオベントウを売るのを見る事になるでしょ? そうしたらオベントウを買いに来た男性はデレデレになると思うの」
ミラがレモン水を飲みながら溜め息をついた。
「あ~それは想像出来るかも。ザックやノア達がいるから変なちょっかいを出す男性はいないと思うけれども。とはいえ『ゴッツの店』の踊り子も一緒になるから盛り上がりは大きくなりそうだよね」
私は溜め息をついた。夜の店ではお酒も入っているからだけれども開放的な海での水着姿もそれはそれで大騒ぎになりそうだ。
「そんなデレデレしっぱなしの男性を見るのは、裏町の女性からすると『つまらない』って感じると思うの。折角緩くなった踊り子への風当たりが強くなるのもつまらないでしょ? だからさ裏町の女性も巻き込んじゃおうと思って。そこでマリンといい案を思いついたの」
ミラはそこまで言うとマリンに視線を送って頷いた。
マリンもミラの視線を受け取って強く頷き説明をはじめた。
「裏町の女性にも体験してもらいたいと思って」
「体験?」
「そう。思い切って水着を貸し出して体験してもらうっていうのはどうかしら。そうしたら踊り子も裏町の女性も関係なくなるし。水着になって泳ぎを教えるのは難しいと思うけれども、服を着替えるのはとても興味深いし、浅瀬で遊ぶっていうのは楽しいと思うわ。だって私が楽しくて仕方ないんだもの」
絶対に。と断言するマリンだ。
少しだけ泳げる様になったマリンだが海の深いところで泳ぐのはまだ危ない。しかし、海の浅瀬で魚や蟹を眺めるだけでも楽しいらしい。
「なるほど。皆同じ姿になって体験するっていい案だね。是非やってみようよ」
泳げる様になって確実に変わってきたマリンとミラ。
その事が嬉しくて私は笑ってみせる。
裏町の女性達との交流かこれは益々楽しくなりそうだ。
「その為には水着を色んな形や大きさを取り揃えないといけないのよね。それにリンダやトニ達『ゴッツの店』の踊り子の水着も追加で作らないといけないし。うーん水着の作成、あたし……間に合うかな」
ミラが自信なさそうに呟いた時、私達のテーブルに影が落ちた。見上げると、リンさんをはじめとする先輩の踊り子達だった。
「面白そうな話じゃない。私達も協力するわよ。衣装や洋服を作るのが得意なのはミラだけじゃないでしょ?」
そう言って水着を作る事を手伝ってくれる事になった。
***
おかげで露店を出して三日目で、十人の裏町の女性が水着姿になり浅瀬ではしゃいでいる。もちろん監視役で私やシンが控えている。ライフセーバー復活だ。
体調が悪くなった場合は医療班としてネロさんが控えているし。(変態だけれどもね)
海が近いのに泳いだり水着という文化のないファルの町。女性の水着だけではなく男性の水着も受け皆が受け入れてくれている。
水着を着てみて晴れ晴れとした女性達。そしてオベントウを買いに来た男性達と楽しそうに談笑している。お昼だがお酒を提供していないので、皆理性はあるから特にちょっかいを出す男性もいない。
「もしかして、花屋のエマか?」
浅瀬で遊んでいた女性の一人にオベントウを買いに来た若い軍人が声をかける。
「そ、そうだけど」
エマと呼ばれた女性は水着に着替えた胸の辺りを押さえて恥ずかしそうにする。
「やっぱりそうか! 『みずぎ』可愛いねとても似合っているよ。オベントウを買いに来たのか?」
若い軍人は持ち帰り様に紙に包んだオベントウを軽く上げてみせた。
「そうなの。でも美味しくて直ぐに食べちゃった。今は『みずぎ』を借りて遊んでいたのよ。熱いけれども水が冷たくて気持ちいいわ。貴方はいつも花屋の向かいのクプレプ屋でお昼を食べているわよね」
「そうなんだよ~よく知ってるね」
二人の会話は弾み、少し話をしようとヤシの木の木陰に移動していた。
「オベントウ売りで恋人がたくさん誕生するかもね」
二人の様子を眺めていた私の右肩に手を置いたのはトニだった。
「あはは。そうかもしれないね。話す機会がなかなかなかった人達が話をする事が出来るものね」
私がそう答えると、今度は左肩にリンダが手を置いて笑う。
「でも男女だけじゃないわよ。私達踊り子と裏町の女の子と話す機会が増えて結構楽しいわ」
そうやってリンダが明るく笑うので私とトニは驚いてしまった。
「えっ。楽しいなんて」
「リンダこの間まで裏町の女性の事馬鹿にしていたんじゃなかったの?」
私とトニが口々に茶化して笑うと、リンダは口をへの字にして言葉に詰まる。それから諦めた様に溜め息をついたら首を傾げて笑った。
「私が悪かったわよ。ナツミ達が店に来てくれてから私も反省したのよ。色々誤解があったんだなって分かったの。だから思い切って話しかける様にしたの。そうしたら、皆聞いてくるのよ。例えばその体型を維持するのにどんな食事をとってるの? とか運動しているの? とか。私が痩せなきゃって思っていたみたいに、同じ悩みを抱えているのね」
「へぇ~それはよかったじゃん」
リンダの言葉にトニが顎を上げて笑う。
その態度にリンダがプリプリと怒り出す。
「もう! トニだって私と似た様な感じだったくせに」
「えー私はそんな事ないと思うわよ」
「そんな事あったわよ」
「そうねあったかもしれなけれど……ナツミを見てるとそういうの馬鹿らしくなってくるわよね」
「それは言えてる」
トニとリンダは私を間に挟み、おでこを付き合わせて睨み合うが、最後は私の顔を見てから吹き出して笑った。
「何だか失礼な事言われた様に思うけれども。いいか。皆楽しそうだし」
噛みつく様に話すトニとリンダだったけれども、角がとれて丸くなった。美容や恋愛の話に楽しむ女性になって町の女性達との会話を楽しんでいた。
水着を着て浅瀬で水遊びを楽しむ踊り子や裏町の女性達。
男性達もオベントウを買いに来てお昼ご飯をきちんととってお昼からの仕事にいそしむ。
もちろん働く女性も買っていってくれる。
ファルの町の皆と店の踊り子達の交流も深くなり、線が引かれていた様な境目もなくなってきたと思う。性別・人種・年齢は関係なく楽しく過ごす事が出来るのはいいよね。
私は改めて海や浜辺でゆっくりとお昼休みを楽しんでいる町の皆を見つめて微笑んだ。
私にも出来る事があった。
落ち込んで、自分なんて消えてしまえばいいと思っていた。
違う世界に来て、ザックやノア、マリンにミラそしてたくさんの人と出会った。もちろん色々な事があって苦しい事も驚く事もあった。
少しでも誰かの役に立てるのなら。この場所で。ファルの町で生きていけると思う。そんな自信がついていた。
「むむっ。悔しいっっ」
私もあの輪の中に入りたい。
エッバはナツミ達が露店を出している浜から離れた場所で、ギリギリと歯ぎしりをして見つめていた。白壁の建物に身を半分だけ隠してこっそり覗き見をする。
視力はいいから小さな姿でもナツミとザックも直ぐに確認出来た。
(皆狡いわよ。私だって奴隷商人の件がなければナツミと一緒に遊ぶのに。そしておにぎり食べたいっ)
裏町の女性が少しずつナツミ達に傾いて心を開いていっている。この三日間だけでもエッバと仲のいい幼なじみもナツミと話した事を自慢していた。
(私はナツミと親友なのに。どうしてこんな損な役回りなのっ?!)
ザームと一緒にザック達から奴隷商人を誘き出す話を聞いた手前、ナツミとザックの近くに簡単に近づけなくなってしまった。
(仲良くしたいけど、それだと奴隷商人を誘い出せないし。それに私はナツミが好きだから嫉妬たっぷりに彼女の事を見つめるなんて出来ないわよ。やっぱり無理よ私にこの役まわりは)
エッバが思わずエプロンの裾を囓ったら、後ろで吹き出す声が聞こえた。
「その『むむっ』っていう口癖はザームの真似か?」
モスグリーンのバンダナを巻いた彫りの深い顔。瞳を細めて笑うのはソルだった。
エッバより先にナツミと仲良くなったと思っている裏町の青年だ。
ソルが言うザームというのは裏町を取り仕切っているザックと幼なじみの男の事だ。痛めつけられると喜ぶというおかしな性癖を持ち、三十前にしてつるっぱげの青年だった。優しい男だが変な奴なのだ。ザームの口癖が「む」なのだ。
「ザームの真似なわけないでしょ。それにザームは『む』って言うのよ!」
エッバは思い切って振り向きポニーテールで高く結んだ髪の毛をソルに叩きつける。しかしソルはひらりと一歩後ろへ下がってかわしてしまった。
「分かった分かった。それにしても悔しいって。ハハハ受けるし」
おそらくエッバは自分も輪に入りたいと歯ぎしりしていたに違いないが、十分嫉妬たっぷりにナツミやザックを見つめている様にも捉えられるので思わず吹き出してしまった。
(演技出来ないとか喚いていた割りにはバッチリじゃねぇか。嫉妬たっぷりって感じだぜ)
「もうっ! 腹が立つ! ソルの馬鹿馬鹿馬鹿!」
エッバは自分に与えられた損な役回りに苛立ち、ポカポカとソルの胸板を叩く。
寂しさと悔しさ、かまって欲しくて思わずエッバは涙目になってしまう。
「痛い痛い」
ソルも強めに叩くエッバの拳を受けとめながら涙目になった時、二人に声をかける男がいた。
「あんた達もしかして、目障りだって感じたりしてないか?」
「!」
「え?」
ソルは直ぐに身構えたがエッバは気配なく声をかけられて目を丸くしてしまう。
男はボロボロの焦げ茶色の外套を羽織っている。
頭にはフードを被り、足元を引きずる長い外套だった。
すっぽりと覆われた体は長身である事ぐらいしか分からない。顔が見えないので更に不気味だ。
(雨季明け、晴れた真昼に外套って。気味が悪いわ。それにこの匂いも気持ちが悪い。果物が腐った様な匂い)
エッバは思わずソルの後ろに隠れて気味の悪さに顔をしかめた。ソルはエッバを片腕で庇いながら外套の男に声をかける。
「何だよ目障りって」
ソルは腰帯に刺した短剣に手をかけながらゆっくりと尋ねる。
ソルの動きをフードの奥で見つめていた男は、両手を挙げて何も自分が手にしていない事を見せる。そしてゆっくりと浜辺を指差した。
「あの浜辺で大騒ぎしている彼奴らだよ」
男の指には人指し指中指薬指に大きな宝石がついた指輪をしていた。しかし三つとも指輪の台座に所々茶色い何かがこびりついているのが見えた。
ソルは瞬時にそれが血である事が分かった。
(こびりついて剥がれないぐらい血が固まっているって。何かヤバイ気がする。もしかしてこいつがザックさんが言っていた奴隷商人なのか? それなら──)
ソルはフンと溜め息をついて呟く。
「昔裏町にいた先輩達がやっている商売みたいなんだけど。確か軍人になったはずなのに『ファルの宿屋通り』の店を手伝ってるらしくて。こんな裏町界隈にまで出張ってこられるとさ、商売の邪魔になるなって思ってさ。な?」
ソルはそう言って後ろにいたエッバに視線を送る。
エッバはゴクンと唾を飲み込んでこくんと一度頷いた。どうやらエッバも状況を理解した様だ。
「そうなのよ。こっちとしても営業妨害よ。踊り子が寄ってたかって昼の裏町に出てくるなんて図々しいわ。それに裏町の若い女の子もさ直ぐに興味を示して本当に嫌な感じだわ」
エッバは出来るだけ嫌味たっぷりに話してみせた。
(仲間には入れない事が悔しくて歯ぎしりしていた姿を見られたのね。奴隷商人は完全に嫉妬していると勘違いしてくれたのかもしれないわね)
エッバの言葉に外套の男は大きく何度も頷いていた。
そして、顔を上げたフードの奥でニタリと笑う白い歯が見えた。
「分かるぜ俺にも。それに何かさぁ、ああいうの見るとイライラするだろ? 何だかお手々つないで仲良しごっこみたいでさ。だからさ、スッキリするとっておきの方法があるんだけど──」
そして、外套のポケットから白い薬包をソルとエッバの前に差し出した。
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