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113 裏町へ その1
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裏町と海に行くために身を整えていると、ミラがやって来た。事情を話すと手を叩いて目を輝かせた。
「それなら水着を着ていくべきよ。海にも入るなら尚更よ。ナツミは昨日のウエイトレス姿ね。ならば問題ないっていうか、何故昨日と同じ姿なの。しかもお化粧も落としていないってどういう事?!」
昨日の出来事を詳しくミラに話すと、シンが疲れ果て眠っている理由が分かったと溜め息をついた。そうだよねシンも色々活躍してくれたし。しかし、すぐにミラが怒りだした。
「基本がなってないわよ。お化粧は寝る前に必ず落とす様に。肌は大切にしないと。絶対よ。マリンも一緒だなんてどういう事よっ。いつも言っているのに」
「すみません」
「ごめんなさい」
私とマリンは肩を寄せ合いミラのお説教を受けた。
ミラはまだ眠っているシンに尋ねたい事があるので一緒に出掛ける事を断念した。多分シンが起きたらブレスレットに埋まった魔法石の話をしたいのだろう。発見したの昨日だしね。
一緒にお出掛けが出来ないのは残念だがすぐにミラは気持ちを切り替える。私とマリンへの演出──つまり、スタイリストとしてテキパキと動き始めた。
「ナツミは、ん~そうね。ウエイトレス姿の水着でいいわ。凄くその水着が似合っているし。だけど下半身をどうするかよね。ヒップスカーフ一枚じゃ踊り子衣装での外出みたいになるし。換えたいわよね。そうだわ短いズボンを穿くといいかも。町の女の子はスカートやワンピースが多いし。ここはズボン、短いパンツっていうのもいいわね。ヒールを履いて欲しいけれども、ナツミったらへっぴり腰になるからねぇ。海で泳ぐかもしれないからそのまま海に入る事の出来るサンダルでいいわよ」
ミラはテキパキと私のお化粧を直しつつ、短いパンツ──白いホットパンツを手渡した。
私は困惑しながらホットパンツを広げて眉を下げた。
お尻に食い込む様なこのピタピタさ。果たして穿いている意味はあるのか? ヒップスカーフがホットパンツに替わっても踊り子、ダンサー感は拭えない様な気がする。水着のショーツ部分が覆われるか覆われないかの違いしかない。
「えー? こんなピチピチのパンツを穿くの恥ずか」
「恥ずかしくないの。もう! ナツミはどうして二言目には「恥ずかしい」が出てくるのよ『ファルの町』の女性はね、お洒落に皆気を遣っているんだから。お金がなくてもやりくりしてお化粧してみんなそれぞれ着飾っているのよ」
「それとこのパンツにどういう関係が」
「大ありよ。だってナツミは魅力的なのだからそれを伝えたいでしょ! こんなに可愛いウエイトレスが『ジルの店』にいるって話題にもなるし」
「……」
ホットパンツを穿く事が魅力なのか? よく分からないが昨日と同じ様に気合いが入ったミラは鬼スタイリストになって私を仕上げてくれる。
そんな傍らでマリンはテキパキと自分の水着を決めていく。
「ねぇミラ。私もナツミとお揃いの水着が着たい。お揃いで歩いたらきっと可愛いわよね」
「もちろんよ。じゃぁマリンはナツミの水着と色違いにしましょう。マリンはそうね、この薄水色から濃い青になっている水着にしましょ。きっと白い肌がより白く映えるわ」
「うんうん。それで私も短いパンツは紺色にするわね」
「それでいいわよ」
そして、私とマリンは色違いの水着に身を包んでザックとノアと一緒に出掛ける事になった。
ザックは黒いシャツに白いズボンを穿き、ノアは白いシャツに黒いズボンを穿くという、まるでオセロの二人になっていた。
足元は焦げ茶のサンダルを履いているが、腰には剣をぶら下げていた。少し物騒な気もするが外出先で何があるか分からないから仕方ない。
二人共シャツのボタンを大きく開けて胸元を覗かせていた。ノアもザックも鍛え抜かれた白い肌と日焼けした肌を晒していた。
その姿を見たミラが改めてポツリと呟いていた。
「やっぱりシンと比べると元々の骨格が大きいわよね。それに、剣は短くてもいいから装備したいでしょうし。うーん……そうなるとやっぱり水着の裾を短くするのはむずかしいかしら?」
ミラの呟きは隣にいた私にしか聞こえなかった。
昨日のシンの話では男性用の水着について話があった。シンは何度か試着したみたいだし。もしかして、ザックとノアの水着も検討しているのかもしれない。と、そこで私はザックに手を取られた。
「あっザック」
ザックは私の指に自分の指を絡めて繋いだ。そして私を引っ張りながら酒場の出口へ歩き出す。
「ミラありがとう。可愛くなったなナツミもマリンも」
スッと瞳を細めてザックが私の頬を親指で撫でた。
「えへへ。どういたしまして!」
ミラはザックに褒められて嬉しそうに笑った。ノアもマリンを連れながら同じ様にミラにお礼を言っていた。
「さて、裏町と海に出掛けようぜ。それに今日は海で泳ぐには最高の天気だ」
不敵に笑ったザックの顔を見上げる。海という言葉を聞いて私は嬉しくて強く頷いた。
『ファルの宿屋通り』は白い高い屏で囲まれているので、門を通らないと外に出る事が出来ない。門には大抵四人の門番がいる。腰には剣がぶら下がっている。ザックやノアより二回り程年上に見える門番は元軍人だとか。
「ザックじゃないか。ナツミを連れて裏町へ出掛けるのか」
「ナツミも連れていくのか。だけど連れていかない方がいいんじゃないのか。お前の悪い噂話、女の話ばかり聞かされる羽目になるんじゃないのか」
「だけど『ファルの宿屋通り』にいる時点で同じ様なもんか」
「違いない。もう既に噂は知り尽くしている様子だしな、ナツミも。良かったなぁザック、ナツミに捨てられずに済んで」
四人門番は白いシャツの前で腕を組んでわははと大声で笑った。
門番と話をした事は一度もないが既に私の名前を知っていた。
ザックの恋人に収まった話は瞬く間に広がったと事情通のトニもソルも言っていた。
黒髪の女は『ファルの町』一人だけだから、すぐに分かるのだろう。
ザックが門番の一人の肩を叩いた。
「馬鹿を言うなよ。この俺が捨てられるはずないだろ」
ザックは門番のからかいも何のその。カラカラと晴れ渡る空を見上げて笑った。
「よく言うぜ、この間はナツミの過去が分かって落ち込んでいたくせに。グフッ」
ぼそりとノアが呟いた声は門番に届かなかったが、ザックがノアの脇腹に素早く拳をねじ込んでいた。おかげでノアは少し脇腹を押さえて小さく震えていた。
そんなノアの背中をさすりながらマリンが苦笑いだった。
私はザックに引っ張られる様に抱き込まれ頭の上で頬ずりされる。
「んふふ~今日はナツミを裏町の奴らに自慢して紹介するのさ~」
最後に私の瞼にキスを一つ落とした。突然のキスに私は飛び上がる。
「恥ずかしいからっ」
私は近づいたザックの顔を両手で突っぱねてみせる。先ほどから歩く時は恋人繋ぎのままだし。ただでさえ注目されるザックなのに。店を出てから少しの時間しか経っていないのに恥ずかしくなってきた。
恥ずかしいってミラに聞かれたら「またなの?」って怒られそうだ。
これから裏町や海に行くのに。私は恥ずかしさでどうにかなったりしないかな。
そんな私の気持ちもお構いなしに、ザックは肩を抱きしめひたすら嬉しそうに笑っていた。
門番は首を傾げながら軽く笑う。
「ナツミの方が冷静だなんてな。いつもは女の方が自慢したがるのになぁ。ザック、お前そんな性格だったか?」
「ザックの性格も変えてしまうナツミか。惚れるってのは凄いもんだな。なぁ、ノアも相変わらずこんなザック相手に大変だな」
「裏町では問題もないと聞いているが、気をつけて行けよ」
「船も今日は港につくそうだから観光客も多いらしい。ナツミもマリンも迷子になるなよ」
そんな風に一言教えてくれる門番達だった。彼らに軽く手を振りながら私とザック、そしてノアとマリンは『ファルの町』に向かって歩き始めた。
門をくぐり抜けたあとの坂道を歩く。坂道は緩やかで遠くに海が見える。先日までの雨季がなかった様に青空が広がる。遠くを見つめると空の青と海の青の境目が分からなくなる程だった。
「門番さん達と仲良しなんだね」
隣で私の歩幅に合わせてくれるザックを見上げる。ザックは坂道を真っすぐ見つめながら懐かしそうに瞳を細めた。潮風がザックのウルフヘアを撫でる。後ろの長く伸びた部分がふわりと風に舞い柔らかな金髪が光っていた。
「あいつらは軍を退役して門番の仕事をしているが俺達が軍学校に入った時の教官だったんだ。今もたまに教官を頼まれるらしい。それぐらい信頼されている確かな奴らさ」
「え、そうなの?」
意外だと呟くと、隣を歩いていたノアも肩を揺らして笑った。
「そうそう、よく追いかけられたよな。あいつらが教官だった時、俺達よく軍学校の寮を抜け出してさ、裏町で遊んだり女のところに通うもんだから。はは、思い出しても笑える」
「そうだったよなぁ。軍学校の寮は自由に出来ないから入りたくなかったのに、入れられた時期があったなぁ。気がついたら毎晩追いかけられてさ。そういえば俺の寮の部屋さ、窓には板を張られたな。出ようと思ったら出られないっていう……じゃないや。俺はそんな事していない。ノアだけだろ」
「ザックなぁ……そこまで自分でペラペラ話しておきながら今更だろ」
ノアとザックのやり取りに私とマリンは二人顔を見合わせて苦笑いをするしかなかった。そんな話をして歩くと道は大きく広がる。石畳の上じりじりと太陽の日差しが照りつけている。昼にかけてますます暑くなりそうだが、湿度が低いのでカラッとした暑さに私はむしろ爽やかだった。
以前ダンさんに海へ連れて来て貰った時と同じ風景が目の前に広がる。道なりには市場の様に果物、野菜、おかし、そしてアクセサリーなど色々な店が並んでいる。
すれ違う『ファルの町』の住人が男女関係なく振り返る。ザックとノアの二人だけでも十分目立っているのに、更に私とマリンが何となく変わった衣装で連れ立っているからなのか。とても注目を浴びている様な気がする。
色とりどりのワンピースをまとった町の女性達がザックとノアを見つけて黄色い声を上げる。ザックやノアが視線を移すと視線が合った様で嬉しそうな悲鳴に似た声を上げていた。
彼女らはザックやノアに微笑んでみせるが、隣に私とマリンがいる事を見つけるとがっかりしたり顔をこわばらせていた。
顔をこわばらせている? 以前だったら睨まれた様な気がしたけれども。
少し反応が違うので首を傾げる。しかし視線という視線が集中してくると、ザックやノアの様に気にしないという事が出来なくなってきた。
どうしよう。こんなに注目される事になるとは。き、緊張する。どんな顔して歩けばいいの。以前も同じ様にむしろもっときつい視線だったのに、意識するとしないとでは全く違うのだ。
私がゴクンと唾を飲み込んだ時だった。少し手が震えているのが分かったのか、ザックが繋いでいる手をギュッと握りしめた。
思わず見上げると、口の端を上げてザックが優しく笑った。
「気にするな。どんなに見られても堂々としていろ。ナツミは俺の自慢の女なんだ」
「そ、そうは言うけれども」
むしろそれで注目されていると思うのですけれど!
思わず眉を垂れてひきつりながら笑う。そんな顔をしてザックを見上げると、彼は白歯を出してニヤリと笑った。
「何だよナツミらしくない」
「私らしいって言われても」
「じゃぁ前の祭りの時みたいにキスするぞ」
あろうことかザックは歩きながらも、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「ヒッ! 嫌っ。そんなの絶対駄目だから」
私は思わず大声を上げて首がちぎれるぐらい左右に振る。私の大声に再び行き交う人々の注目を集めてしまう。
ザックを見つめていた女性達から小さな悲鳴が聞こえた。何故悲鳴?
「ザックを拒否したわよっ」
「えぇ?! 拒否するなんて」
「勇気があるわよね」
そんな言葉が聞こえた。
そりゃ拒否するよ。
だってザックのキスは腰砕けになりそう……ってそうではないから。
私は大きな声を出した事で緊張が少しほぐれた。
そんな私を見つめてザックが笑いながら傾けた顔を起こした。それから私の頭をポンと軽く叩いた。
「そうそう。そのぐらいの元気でいろよ。な?」
「もう、分かったよ。でもあんな皆の前でキスなんて絶対駄目だからね」
「ははは。気をつけろよ~そんなにビクビクしていたら俺はすぐにキスするからな」
「えぇ~」
恥ずかしくて溶けてしまう。
プンプンと怒りながらザックと繋いだ手を振ったら嬉しそうに笑ってくれた。
そうやって会話をしながら、体を少しでも動かすとあっという間に緊張がほぐれていく。
ありがとうザック。ザックはさりげなく私の事を見ていてくれていた。それがとても嬉しかった。
「ふぅん。ソルの噂話のおかげかな?」
ザックの隣で町の女性達の反応を見ながらノアが呟いた。
裏町で生活しているソルが、ナツミとトニが路地で揉めた時の話を武勇伝の様に裏町で語ったと聞いたが。その後、裏町で流れてくるナツミの噂にザックと顔を見合わせて笑った。
ナツミは『ファルの宿屋通り』で十年勤めている踊り子を締め上げて泣かせた。しかもあの気性の激しいトニ相手だったので、その事実だけでも名を轟かせる事に。更にそのトニが今度はナツミと仲良くなろうとしていると。もしかして、無理矢理従わされているのか? なんて噂もちらほらと。
だからザックと関係のあった町の女達は、ザックに手を出そうものならどんな制裁がナツミより下されてしまうのかとビクビクしている──とか。
「ソルの噂話って? そういえばナツミの事を町で話したと聞いたけれども」
マリンがノアの呟きに首を傾げた。
「そうそう。裏町に入ればソルがどんな風にナツミの事を吹聴したかそのうち分かるさ」
ノアがマリンに流し目を寄越しながら、意地悪そうに笑った。
その笑い方は今までノアが今まで外でしなかった笑い方だ。
領主の三男であるノアは問題児だったが、そんな事は過去の事だと強調するため爽やかな男性の振りをして過ごしていた。冷たそうなノアの風貌が優しく微笑むのだから、女性からは王子様の様に見られていた。
実際は真逆のノアだった。そしてそれを隠さないノアになってきた。マリンが側にいる外でも。マリンはノアが自分に心を許してくれている様で嬉しくなった。
「ふふふ」
マリンは首を傾げながら笑った。
「何だよ、気味悪いなぁ」
不意に笑ったマリンにノアが口を尖らせた。ノアの子供っぽい顔に周りの女性達が反応して小さく囁いていた。
「ノアってあんなに意地悪な笑い方をしていたかしら?」
「きっとマリンっていう恋人を連れているからじゃないの? マリンってどうしてあんなに髪の毛が短いの?」
「ほんとよね。前までは長かったわよね」
「しかも短くても美人だし。それに、悔しいけれどもお似合いよね」
ノアは今凄く力が抜けた姿だって事も気がついていないのかな。
「ふふふ。そうなの。気味悪いのよ私」
「?」
マリンの満足した様な笑みに、今度はノアが首を傾げる番だった。
「この大通りを真っすぐ歩いて行けば海だ。だけど、今日は裏町へ行ってから海に行くからな」
「分かった」
ザックが私の手を引いて、突然路地を曲がった。合わせてノアとマリンも曲がる。
「この通りを通るのは久しぶりだな。確かナツミが来る前にマリンと一緒に店を探しに来たよな」
「そうね。確か砂糖菓子があるからって一緒に来たわよね」
ノアとマリンが思い出した様に話していた。
「砂糖菓子かぁ美味しそう。ねぇそもそも裏町ってどの辺りからを指すの? 路地を曲がったら?」
私はキョロキョロと辺りを見回しながらザックに手を引かれて歩く。何だか美味しそうな食べ物の匂いと陽気な町の雰囲気が伝わってくる。
大通りより道幅が狭くなるが、足元は石畳のままだし行き交う人の様子も変わりない。まだ地元の人間と観光客が混ざっている様に感じる。
道を挟んで左右には屋台の様な店が広がっている。大通りと同じ様に野菜やお菓子を売っている店が多い。あと居住区があるのか、二階建てや三階建ての高い建物が目立ち始める。大通り程道幅が広くないだけで大差はない様に思う。
「厳密に「ここから」っていうのははないけれども『ファルの宿屋通り』から真っすぐ海まで抜けている大通りと港の辺りは「表」で、それ以外はほとんど裏町かな。路地を曲がって更に奥へ奥へ入れば町の表情も変わるから何となく分かると思う」
「そうなんだ。裏町っていうからさ、ギャングとかいるのかなって。路地を一つ曲がったら薄暗くて。それこそ「俺達のシマを荒らすつもりか」とか。あっ、美味しそうな匂い……」
ザックに手を引かれながら思った事を話す。そんな薄暗い町を想像していたからこの陽気な優しい様子が意外だった。そして、途端に香ばしいよだれが思わず垂れそうな匂いがする。つられてお腹が「ぐぅ」と鳴った。
「ぎゃんぐって何だ。しかも「シマを荒らす」って。ハハッ、ナツミの考えってどうなってんだ。面白い事を言うなぁ。そしてとどめにお腹が鳴るとか大忙しだな。しかし、いわれてみれば腹が減ったなぁ。何か食べるか?」
ザックが軽く笑って鳴った私のお腹を見つめた。
「ごめん。食いしん坊で。しかもお金を持っていないのに」
ザック達にはお腹が鳴るところばかりしか聞かれていない様な気がしてきた。改めて顔が赤くなる。
「金の事なんて気にするなよ。ノアもどうだ?」
ザックが私の肩を抱きながら笑った。そしてノアに問いかける。
「そういえば朝食を食べてなかったな」
「そうね。私もお腹が空いたわ」
ノアとマリンも頷いていた。
「よし決まりだ何か喰おうぜ」
ザックが白い歯を見せて笑った。
そんな私達の様子を、少し遠くから見つめていた人物がいた。
建物の隙間で私達四人の様子をうかがっていた。ザックとノアはさりげなく目配せをしていて気がついていた。
だけれど、私とマリンは全く気がついていなかった。
「それなら水着を着ていくべきよ。海にも入るなら尚更よ。ナツミは昨日のウエイトレス姿ね。ならば問題ないっていうか、何故昨日と同じ姿なの。しかもお化粧も落としていないってどういう事?!」
昨日の出来事を詳しくミラに話すと、シンが疲れ果て眠っている理由が分かったと溜め息をついた。そうだよねシンも色々活躍してくれたし。しかし、すぐにミラが怒りだした。
「基本がなってないわよ。お化粧は寝る前に必ず落とす様に。肌は大切にしないと。絶対よ。マリンも一緒だなんてどういう事よっ。いつも言っているのに」
「すみません」
「ごめんなさい」
私とマリンは肩を寄せ合いミラのお説教を受けた。
ミラはまだ眠っているシンに尋ねたい事があるので一緒に出掛ける事を断念した。多分シンが起きたらブレスレットに埋まった魔法石の話をしたいのだろう。発見したの昨日だしね。
一緒にお出掛けが出来ないのは残念だがすぐにミラは気持ちを切り替える。私とマリンへの演出──つまり、スタイリストとしてテキパキと動き始めた。
「ナツミは、ん~そうね。ウエイトレス姿の水着でいいわ。凄くその水着が似合っているし。だけど下半身をどうするかよね。ヒップスカーフ一枚じゃ踊り子衣装での外出みたいになるし。換えたいわよね。そうだわ短いズボンを穿くといいかも。町の女の子はスカートやワンピースが多いし。ここはズボン、短いパンツっていうのもいいわね。ヒールを履いて欲しいけれども、ナツミったらへっぴり腰になるからねぇ。海で泳ぐかもしれないからそのまま海に入る事の出来るサンダルでいいわよ」
ミラはテキパキと私のお化粧を直しつつ、短いパンツ──白いホットパンツを手渡した。
私は困惑しながらホットパンツを広げて眉を下げた。
お尻に食い込む様なこのピタピタさ。果たして穿いている意味はあるのか? ヒップスカーフがホットパンツに替わっても踊り子、ダンサー感は拭えない様な気がする。水着のショーツ部分が覆われるか覆われないかの違いしかない。
「えー? こんなピチピチのパンツを穿くの恥ずか」
「恥ずかしくないの。もう! ナツミはどうして二言目には「恥ずかしい」が出てくるのよ『ファルの町』の女性はね、お洒落に皆気を遣っているんだから。お金がなくてもやりくりしてお化粧してみんなそれぞれ着飾っているのよ」
「それとこのパンツにどういう関係が」
「大ありよ。だってナツミは魅力的なのだからそれを伝えたいでしょ! こんなに可愛いウエイトレスが『ジルの店』にいるって話題にもなるし」
「……」
ホットパンツを穿く事が魅力なのか? よく分からないが昨日と同じ様に気合いが入ったミラは鬼スタイリストになって私を仕上げてくれる。
そんな傍らでマリンはテキパキと自分の水着を決めていく。
「ねぇミラ。私もナツミとお揃いの水着が着たい。お揃いで歩いたらきっと可愛いわよね」
「もちろんよ。じゃぁマリンはナツミの水着と色違いにしましょう。マリンはそうね、この薄水色から濃い青になっている水着にしましょ。きっと白い肌がより白く映えるわ」
「うんうん。それで私も短いパンツは紺色にするわね」
「それでいいわよ」
そして、私とマリンは色違いの水着に身を包んでザックとノアと一緒に出掛ける事になった。
ザックは黒いシャツに白いズボンを穿き、ノアは白いシャツに黒いズボンを穿くという、まるでオセロの二人になっていた。
足元は焦げ茶のサンダルを履いているが、腰には剣をぶら下げていた。少し物騒な気もするが外出先で何があるか分からないから仕方ない。
二人共シャツのボタンを大きく開けて胸元を覗かせていた。ノアもザックも鍛え抜かれた白い肌と日焼けした肌を晒していた。
その姿を見たミラが改めてポツリと呟いていた。
「やっぱりシンと比べると元々の骨格が大きいわよね。それに、剣は短くてもいいから装備したいでしょうし。うーん……そうなるとやっぱり水着の裾を短くするのはむずかしいかしら?」
ミラの呟きは隣にいた私にしか聞こえなかった。
昨日のシンの話では男性用の水着について話があった。シンは何度か試着したみたいだし。もしかして、ザックとノアの水着も検討しているのかもしれない。と、そこで私はザックに手を取られた。
「あっザック」
ザックは私の指に自分の指を絡めて繋いだ。そして私を引っ張りながら酒場の出口へ歩き出す。
「ミラありがとう。可愛くなったなナツミもマリンも」
スッと瞳を細めてザックが私の頬を親指で撫でた。
「えへへ。どういたしまして!」
ミラはザックに褒められて嬉しそうに笑った。ノアもマリンを連れながら同じ様にミラにお礼を言っていた。
「さて、裏町と海に出掛けようぜ。それに今日は海で泳ぐには最高の天気だ」
不敵に笑ったザックの顔を見上げる。海という言葉を聞いて私は嬉しくて強く頷いた。
『ファルの宿屋通り』は白い高い屏で囲まれているので、門を通らないと外に出る事が出来ない。門には大抵四人の門番がいる。腰には剣がぶら下がっている。ザックやノアより二回り程年上に見える門番は元軍人だとか。
「ザックじゃないか。ナツミを連れて裏町へ出掛けるのか」
「ナツミも連れていくのか。だけど連れていかない方がいいんじゃないのか。お前の悪い噂話、女の話ばかり聞かされる羽目になるんじゃないのか」
「だけど『ファルの宿屋通り』にいる時点で同じ様なもんか」
「違いない。もう既に噂は知り尽くしている様子だしな、ナツミも。良かったなぁザック、ナツミに捨てられずに済んで」
四人門番は白いシャツの前で腕を組んでわははと大声で笑った。
門番と話をした事は一度もないが既に私の名前を知っていた。
ザックの恋人に収まった話は瞬く間に広がったと事情通のトニもソルも言っていた。
黒髪の女は『ファルの町』一人だけだから、すぐに分かるのだろう。
ザックが門番の一人の肩を叩いた。
「馬鹿を言うなよ。この俺が捨てられるはずないだろ」
ザックは門番のからかいも何のその。カラカラと晴れ渡る空を見上げて笑った。
「よく言うぜ、この間はナツミの過去が分かって落ち込んでいたくせに。グフッ」
ぼそりとノアが呟いた声は門番に届かなかったが、ザックがノアの脇腹に素早く拳をねじ込んでいた。おかげでノアは少し脇腹を押さえて小さく震えていた。
そんなノアの背中をさすりながらマリンが苦笑いだった。
私はザックに引っ張られる様に抱き込まれ頭の上で頬ずりされる。
「んふふ~今日はナツミを裏町の奴らに自慢して紹介するのさ~」
最後に私の瞼にキスを一つ落とした。突然のキスに私は飛び上がる。
「恥ずかしいからっ」
私は近づいたザックの顔を両手で突っぱねてみせる。先ほどから歩く時は恋人繋ぎのままだし。ただでさえ注目されるザックなのに。店を出てから少しの時間しか経っていないのに恥ずかしくなってきた。
恥ずかしいってミラに聞かれたら「またなの?」って怒られそうだ。
これから裏町や海に行くのに。私は恥ずかしさでどうにかなったりしないかな。
そんな私の気持ちもお構いなしに、ザックは肩を抱きしめひたすら嬉しそうに笑っていた。
門番は首を傾げながら軽く笑う。
「ナツミの方が冷静だなんてな。いつもは女の方が自慢したがるのになぁ。ザック、お前そんな性格だったか?」
「ザックの性格も変えてしまうナツミか。惚れるってのは凄いもんだな。なぁ、ノアも相変わらずこんなザック相手に大変だな」
「裏町では問題もないと聞いているが、気をつけて行けよ」
「船も今日は港につくそうだから観光客も多いらしい。ナツミもマリンも迷子になるなよ」
そんな風に一言教えてくれる門番達だった。彼らに軽く手を振りながら私とザック、そしてノアとマリンは『ファルの町』に向かって歩き始めた。
門をくぐり抜けたあとの坂道を歩く。坂道は緩やかで遠くに海が見える。先日までの雨季がなかった様に青空が広がる。遠くを見つめると空の青と海の青の境目が分からなくなる程だった。
「門番さん達と仲良しなんだね」
隣で私の歩幅に合わせてくれるザックを見上げる。ザックは坂道を真っすぐ見つめながら懐かしそうに瞳を細めた。潮風がザックのウルフヘアを撫でる。後ろの長く伸びた部分がふわりと風に舞い柔らかな金髪が光っていた。
「あいつらは軍を退役して門番の仕事をしているが俺達が軍学校に入った時の教官だったんだ。今もたまに教官を頼まれるらしい。それぐらい信頼されている確かな奴らさ」
「え、そうなの?」
意外だと呟くと、隣を歩いていたノアも肩を揺らして笑った。
「そうそう、よく追いかけられたよな。あいつらが教官だった時、俺達よく軍学校の寮を抜け出してさ、裏町で遊んだり女のところに通うもんだから。はは、思い出しても笑える」
「そうだったよなぁ。軍学校の寮は自由に出来ないから入りたくなかったのに、入れられた時期があったなぁ。気がついたら毎晩追いかけられてさ。そういえば俺の寮の部屋さ、窓には板を張られたな。出ようと思ったら出られないっていう……じゃないや。俺はそんな事していない。ノアだけだろ」
「ザックなぁ……そこまで自分でペラペラ話しておきながら今更だろ」
ノアとザックのやり取りに私とマリンは二人顔を見合わせて苦笑いをするしかなかった。そんな話をして歩くと道は大きく広がる。石畳の上じりじりと太陽の日差しが照りつけている。昼にかけてますます暑くなりそうだが、湿度が低いのでカラッとした暑さに私はむしろ爽やかだった。
以前ダンさんに海へ連れて来て貰った時と同じ風景が目の前に広がる。道なりには市場の様に果物、野菜、おかし、そしてアクセサリーなど色々な店が並んでいる。
すれ違う『ファルの町』の住人が男女関係なく振り返る。ザックとノアの二人だけでも十分目立っているのに、更に私とマリンが何となく変わった衣装で連れ立っているからなのか。とても注目を浴びている様な気がする。
色とりどりのワンピースをまとった町の女性達がザックとノアを見つけて黄色い声を上げる。ザックやノアが視線を移すと視線が合った様で嬉しそうな悲鳴に似た声を上げていた。
彼女らはザックやノアに微笑んでみせるが、隣に私とマリンがいる事を見つけるとがっかりしたり顔をこわばらせていた。
顔をこわばらせている? 以前だったら睨まれた様な気がしたけれども。
少し反応が違うので首を傾げる。しかし視線という視線が集中してくると、ザックやノアの様に気にしないという事が出来なくなってきた。
どうしよう。こんなに注目される事になるとは。き、緊張する。どんな顔して歩けばいいの。以前も同じ様にむしろもっときつい視線だったのに、意識するとしないとでは全く違うのだ。
私がゴクンと唾を飲み込んだ時だった。少し手が震えているのが分かったのか、ザックが繋いでいる手をギュッと握りしめた。
思わず見上げると、口の端を上げてザックが優しく笑った。
「気にするな。どんなに見られても堂々としていろ。ナツミは俺の自慢の女なんだ」
「そ、そうは言うけれども」
むしろそれで注目されていると思うのですけれど!
思わず眉を垂れてひきつりながら笑う。そんな顔をしてザックを見上げると、彼は白歯を出してニヤリと笑った。
「何だよナツミらしくない」
「私らしいって言われても」
「じゃぁ前の祭りの時みたいにキスするぞ」
あろうことかザックは歩きながらも、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「ヒッ! 嫌っ。そんなの絶対駄目だから」
私は思わず大声を上げて首がちぎれるぐらい左右に振る。私の大声に再び行き交う人々の注目を集めてしまう。
ザックを見つめていた女性達から小さな悲鳴が聞こえた。何故悲鳴?
「ザックを拒否したわよっ」
「えぇ?! 拒否するなんて」
「勇気があるわよね」
そんな言葉が聞こえた。
そりゃ拒否するよ。
だってザックのキスは腰砕けになりそう……ってそうではないから。
私は大きな声を出した事で緊張が少しほぐれた。
そんな私を見つめてザックが笑いながら傾けた顔を起こした。それから私の頭をポンと軽く叩いた。
「そうそう。そのぐらいの元気でいろよ。な?」
「もう、分かったよ。でもあんな皆の前でキスなんて絶対駄目だからね」
「ははは。気をつけろよ~そんなにビクビクしていたら俺はすぐにキスするからな」
「えぇ~」
恥ずかしくて溶けてしまう。
プンプンと怒りながらザックと繋いだ手を振ったら嬉しそうに笑ってくれた。
そうやって会話をしながら、体を少しでも動かすとあっという間に緊張がほぐれていく。
ありがとうザック。ザックはさりげなく私の事を見ていてくれていた。それがとても嬉しかった。
「ふぅん。ソルの噂話のおかげかな?」
ザックの隣で町の女性達の反応を見ながらノアが呟いた。
裏町で生活しているソルが、ナツミとトニが路地で揉めた時の話を武勇伝の様に裏町で語ったと聞いたが。その後、裏町で流れてくるナツミの噂にザックと顔を見合わせて笑った。
ナツミは『ファルの宿屋通り』で十年勤めている踊り子を締め上げて泣かせた。しかもあの気性の激しいトニ相手だったので、その事実だけでも名を轟かせる事に。更にそのトニが今度はナツミと仲良くなろうとしていると。もしかして、無理矢理従わされているのか? なんて噂もちらほらと。
だからザックと関係のあった町の女達は、ザックに手を出そうものならどんな制裁がナツミより下されてしまうのかとビクビクしている──とか。
「ソルの噂話って? そういえばナツミの事を町で話したと聞いたけれども」
マリンがノアの呟きに首を傾げた。
「そうそう。裏町に入ればソルがどんな風にナツミの事を吹聴したかそのうち分かるさ」
ノアがマリンに流し目を寄越しながら、意地悪そうに笑った。
その笑い方は今までノアが今まで外でしなかった笑い方だ。
領主の三男であるノアは問題児だったが、そんな事は過去の事だと強調するため爽やかな男性の振りをして過ごしていた。冷たそうなノアの風貌が優しく微笑むのだから、女性からは王子様の様に見られていた。
実際は真逆のノアだった。そしてそれを隠さないノアになってきた。マリンが側にいる外でも。マリンはノアが自分に心を許してくれている様で嬉しくなった。
「ふふふ」
マリンは首を傾げながら笑った。
「何だよ、気味悪いなぁ」
不意に笑ったマリンにノアが口を尖らせた。ノアの子供っぽい顔に周りの女性達が反応して小さく囁いていた。
「ノアってあんなに意地悪な笑い方をしていたかしら?」
「きっとマリンっていう恋人を連れているからじゃないの? マリンってどうしてあんなに髪の毛が短いの?」
「ほんとよね。前までは長かったわよね」
「しかも短くても美人だし。それに、悔しいけれどもお似合いよね」
ノアは今凄く力が抜けた姿だって事も気がついていないのかな。
「ふふふ。そうなの。気味悪いのよ私」
「?」
マリンの満足した様な笑みに、今度はノアが首を傾げる番だった。
「この大通りを真っすぐ歩いて行けば海だ。だけど、今日は裏町へ行ってから海に行くからな」
「分かった」
ザックが私の手を引いて、突然路地を曲がった。合わせてノアとマリンも曲がる。
「この通りを通るのは久しぶりだな。確かナツミが来る前にマリンと一緒に店を探しに来たよな」
「そうね。確か砂糖菓子があるからって一緒に来たわよね」
ノアとマリンが思い出した様に話していた。
「砂糖菓子かぁ美味しそう。ねぇそもそも裏町ってどの辺りからを指すの? 路地を曲がったら?」
私はキョロキョロと辺りを見回しながらザックに手を引かれて歩く。何だか美味しそうな食べ物の匂いと陽気な町の雰囲気が伝わってくる。
大通りより道幅が狭くなるが、足元は石畳のままだし行き交う人の様子も変わりない。まだ地元の人間と観光客が混ざっている様に感じる。
道を挟んで左右には屋台の様な店が広がっている。大通りと同じ様に野菜やお菓子を売っている店が多い。あと居住区があるのか、二階建てや三階建ての高い建物が目立ち始める。大通り程道幅が広くないだけで大差はない様に思う。
「厳密に「ここから」っていうのははないけれども『ファルの宿屋通り』から真っすぐ海まで抜けている大通りと港の辺りは「表」で、それ以外はほとんど裏町かな。路地を曲がって更に奥へ奥へ入れば町の表情も変わるから何となく分かると思う」
「そうなんだ。裏町っていうからさ、ギャングとかいるのかなって。路地を一つ曲がったら薄暗くて。それこそ「俺達のシマを荒らすつもりか」とか。あっ、美味しそうな匂い……」
ザックに手を引かれながら思った事を話す。そんな薄暗い町を想像していたからこの陽気な優しい様子が意外だった。そして、途端に香ばしいよだれが思わず垂れそうな匂いがする。つられてお腹が「ぐぅ」と鳴った。
「ぎゃんぐって何だ。しかも「シマを荒らす」って。ハハッ、ナツミの考えってどうなってんだ。面白い事を言うなぁ。そしてとどめにお腹が鳴るとか大忙しだな。しかし、いわれてみれば腹が減ったなぁ。何か食べるか?」
ザックが軽く笑って鳴った私のお腹を見つめた。
「ごめん。食いしん坊で。しかもお金を持っていないのに」
ザック達にはお腹が鳴るところばかりしか聞かれていない様な気がしてきた。改めて顔が赤くなる。
「金の事なんて気にするなよ。ノアもどうだ?」
ザックが私の肩を抱きながら笑った。そしてノアに問いかける。
「そういえば朝食を食べてなかったな」
「そうね。私もお腹が空いたわ」
ノアとマリンも頷いていた。
「よし決まりだ何か喰おうぜ」
ザックが白い歯を見せて笑った。
そんな私達の様子を、少し遠くから見つめていた人物がいた。
建物の隙間で私達四人の様子をうかがっていた。ザックとノアはさりげなく目配せをしていて気がついていた。
だけれど、私とマリンは全く気がついていなかった。
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