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100 近づく影

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 私とトニが微笑んで少しすると、ザックが咳払いをした。
「トニ、それは良かったが……気をつけろよ。気のいい軍人や男ばかりじゃないからな」
「そうそう。ザックさんの言う通り『ファルの町』の男達は気性が荒いですからね。基本的に女に口答えされたら怒り出しそうなのが多いだろうし」
 ザックの言葉に同じ様に腕を組んでソルが頷く。

 そうだった……『ファルの町』は男尊女卑が色濃い町だった。
 女は女らしく、髪の毛も長く女性らしい体つきを望まれるし、男は男らしく屈強である事を良とするらしいから。勘違いして乱暴でいいと思っている男性が相手の場合、暴力で黙らせられるかもしれないし。

 私も改めて唾を飲み込む。ここにいるザック達が優しいから思わず忘れてしまいそうになるけれど気をつけなくては。

「分かっているわよ。だからちょっと失敗しちゃったって言ってるでしょ。もう、せっかくの気分に水を差すんだから!」
 トニは口を尖らせて小脇にずっと抱えていた紙袋を開ける。そして中からひとまわり小さな紙袋を取り出し私に差し出した。

「はい! 元気がずっとなかったナツミにお礼とお土産」
 少し頬を染めて真っすぐ差し出した紙袋を受け取る。
「お礼とお土産って、いいの?」
 私は紙袋を受け取る。
 少しだけ重みを感じるがふわりと紙袋から果物の香りが漂ってくる。
「元気になったみたいだけど、この間まで目の下のクマが凄かったから。この果物でも食べて元気出しなさい。それに助言してくれたお礼よ、お礼!」
 トニは頬を赤らめて口を尖らせている。

 そんなトニの様子に私は笑ってしまう。もう、トニも本当は優しいのに素直じゃないのだから。
「ありがとう」
 大したことはしていないのにトニの優しさに私は嬉しくなって思わず胸が詰まる。
 そんな私の頭の上に拳をポンと置いて、髪の毛を撫でてくれたのはザックだった。
「良かったな」
「うん!」
 ザックは優しく笑ってそれからトニに向き直る。

「ありがとうトニ。色々気遣ってくれてさ」
 トニはそんなザックの微笑みに更に顔を赤くしてそっぽを向いた。
 
「ザックまでそんな爽やかな笑顔なんて。狡いわよ一度もそんな顔見せたことないのに。とにかく調子が狂うから! お礼を言うのは、もうなしよ!」
 トニが私達に背中を向けてしまう。声が少し震えて緊張していたのが分かった。

 トニはトニなりにザックに対して思うところはあるのだろうが、その気持ちを乗り越えて新しく歩き始めていた。

 トニは素敵な女性だ。照れ屋で意地っ張りで、喧嘩っ早いけれど──本当はとても優しい。

 そんなトニを無言で見つめるつもりだったのに、その雰囲気をぶち壊す人物がいた。

「あっ。何で涙目なんだよ。似合わねぇ~」
 わざわざ背中を向けるトニの目の前に回り込んでソルが顔を覗き込む。

 「なっ、何よもう!」
 トニは覗き込まれた顔を慌てて背け、ソルに向かって拳を振り上げたがソルはヒョイとかわしていた。

「へへっ。そんなのは俺には通用しないさ!」
「もう~本当に繊細さに欠けるわねソルって」
「そうやってメソメソするのはトニには似合わないさ。そうやって拳を振り回すぐらいが丁度いいんじゃねぇの?」
 さらりと言ってのけるが、ソルなりにトニを励まそうとしているのだろう。

 トニもそれが分かったのか、目元を押さえてから溜め息をついてニヤリと笑った。
「ソルは私に興味が出たのかしら。何なら今日店に来る? 私はいつでも空いているわよ」

「冗談じゃねぇ。俺は怒鳴られたくないし。それに、『ゴッツの店』にいける様な金はないし。でも俺はいつでも裏町にいるぜ。何ならトニの方こそ来れば? 俺だっていつでも空いてるんだぜ」
 元気を出して上手く返したトニにソルは口の端を上げて笑った。あどけない少年の顔だが整っているだけに色っぽく見えた。

「ふふふ。生意気ね。で、ソルもナツミに果物を買って来たんじゃないの? その紙袋から甘い匂いがするわ。それは葡萄ね」
 そう言ってトニはパッと笑い、今度はソルの小脇に抱える紙袋を指差した。

「お。そうだった。ほら、ナツミ。俺もお土産。森の奥にいかないと捕れない森葡萄なんだぜ。これを食べて元気出せよな?」
 そう言ってソルも紙袋を私の前に差し出した。
「ソル。ありがとう!」
 私はソルにお礼を言いつつ紙袋を受け取る。

「えへへ。何だか皆優しくて嬉しい……」
 そう言ってザックを見上げるのがだ、ザックは面白くなさそうに口を尖らせた。
「何だよ知らないうちに仲良くなりやがって……大体何で二人して毎日こんな路地に来るんだよ」
 呆れた様にトニとソルを見比べる。トニとソルもお互いを見つめてクシャっと顔を崩して笑った。
「言われてみればそうねぇ。気がついたら少しで良いからナツミと話がしたくてね」
「そうだなぁ。俺もここで少し話をするのが日課みたいになってるな」
「日課ってなぁ……ナツミは元気になっているから大丈夫だから。もう気を遣うなよ」
 ザックは私の肩を抱き寄せながら、トニとソルの二人の前で手を振った。

「元気が出たならそれでいいけど……そもそもナツミの元気がなかったのって、ザックのせいじゃないでしょうね?」
「お、俺?」
「本当だ。確か二度寝したとか言ってたけど、それってザックさんのせいじゃないんですか?」
「え……」
 トニとソルに詰め寄られザックは少し仰け反ってしまう。二人の言う事はあながち間違ってもいないのでザックは言葉を失っていた。

「とにかく、ナツミの体調はザックが何とかしなさいよ!」
「本当ッスよ」
 ザックは鼻先まで二人に指を指されていた。

「何なんだよ一体。どれだけナツミに肩入れしているんだよ。ナツミ、こいつら鬱陶しいって言ってやれ!」
 ぶつくさ言いながらザックは溜め息をついていた。

「えー。そんなの出来ないよ」
 私はその様子を見ながら笑ってしまった。



「さて……行くわね。これを渡したい踊り子仲間もいるし。ナツミ、ザックまた明日会いましょう」
 トニが気を取り直して小脇に抱えた紙袋を見つめた。まだ紙袋の中に果物が入っている様だ。
「ああ。……って言うかまた来るのか?」
 ザックが小さく呟いたので私は思わず肘でザックの脇腹をつついた。が、ザックの固い筋肉はビクともしなかった。ザックが舌を出して笑っていた。

「良いのよナツミ気にしてないから」
 トニはからりと笑って私の目の前で手を振った。

「どうしたの? 体調を崩している友達がいるの? 雨季だったしね風邪かな。夏風邪は苦しいよね。お大事にね」

 私は呟くトニの言葉に反応して声をかけると、振った手を止めて複雑な顔をした。

「友達っていうわけじゃないけどね。同じ店で働いてる踊り子なんだけどさ、訳ありでね」
「訳あり?」
 私がオウム返しで呟くとトニが小さな声で顔を寄せてきた。
「例の営業停止になった『オーガの店』から移転してきたなのよ。調子を崩しているの」
「え」
 私は『オーガの店』と聞いて固まってしまった。
 だって、そのオーガさんに先日この路地で暗示をかけられそうになったのだ。
 そして──そのオーガさんは色々問題を起こしている、ノアのお兄さんアルさんの恋人だ。

 思わず私はザックの顔を見上げる。私の顔を見てからザックも片方の眉を上げた。

「調子を崩してるっていうのはどんな様子なんだ?」
 ザックがトニさんの声のトーンに合わせて小さく囁く。

 トニが辺りをさりげなく見回して、私の側に立って小さく呟き始めた。少し離れていたソルもそれとなく近づいてきてザックとトニの側に立つ。

「それがね数日前に初めて来た四十代ぐらい男がね、三人連れ立って店に来たんだけど。確か商人だって言っていたわ。何の商人なのかは分からないんだけど。これがまた三人共なかなかの色男でね。踊り子も色めきたったのよ」

 四十代位の色男で商人って、まさか。
 私はトニの話に頷きながら続きを促す。

「その男三人が店主のゴッツさんに『ファルの町』の拠点として常宿にしたいって交渉していたみたいだけど、ゴッツさんは断ったみたいでね。きっと安値で泊まろうとしたのね。まぁ、その商人は断られても気を悪くするでもなく店でお金を使ってくれたんだけどさ。それで、このオーガの店から来た踊り子ってさ、体を武器にしている娘なもんだから何かと客と寝たがるって言うか」

「まぁ、オーガの店自体が実のところ娼館っぽいところがあったしなぁ」
 ザックが溜め息交じりに呟いた。

 が、私は驚いて声を上げる

「えぇ?! そうなの?」

 何て事。アルさんの事を暴くとはいえ、そんな店にザックは通いつめていたの? 
 私は思わずザックを振り返る。ザックは慌てて首を振る。

「待て待て。誤解するなっ。俺はオーガの店の踊り子と寝てないぞ!」

 小声で呟くが慌てて否定をするザックだった。

「えぇ……あやしい……」
 アルさんの事を調べるために通いつめていたそうだが本当なのだろうか? 
 こうなると一緒に通いつめていたノアやシンもあやしい。私はザックを横目で見つめる。

 ザックは必死に首を振っていた。それを見たトニが再び小声で話す。

「ナツミそれは本当よ。ザックは別のところで寝ていたわね。例えば私のところとか、後は確か……」

 そして続けざまソルも呟いてくれた。

「そうそう、ザックさんは裏町でもよろしくやってたぜ! ナツミ。オーガの店の踊り子達と良い関係になった話は聞いていない」
「う、うん。分かった。分かったから!」

 私は顔をひきつらせて笑った。

 それはそれでどうなのよー?!
 フォローされているのかされていないのか分からない状況なのですけれども……

「で、とにかくそのオーガの店から来た娘が早速その男三人を一度に相手にするってなってね」

 トニが淡々と話を続けるが、私は思わず声を上げる。

「えぇえぇ?! モガッ!」
「シッ!」
 ザックの大きな手で私は口を塞がれてしまった。
 
 その男三人を一度に相手ってどういう事なの。

 私は理解して飲み込む事が出来なかった。

「男三人って。げぇ、女三人なら良いのに」
 ソルがげんなりしながら呟いていた。

 そういう事ではないからっ。私は心の中で叫ぶ。

「一晩、時間泊を使用して泊まっていったんだけどさ。翌朝に男達が去っていった後、その娘がなかなか起きてこなくて。昼にやっと起きて来たかと思うとこう言うのよ『天にも昇るぐらい凄かった』って。れつが回らない程余韻が凄いみたいでさ、もう皆で呆れちゃって」
「呂律が回らない?」
 ザックが小さな声で呟いた。

「そうなのよ。その商人の男三人のアレについて細かく話をしてるみたいなんだけど、話す内容が余韻に浸っておかしくって、よく分からないと言うか。それを聞いた仲間皆で呆れちゃって。でも、翌日も男三人が店に来て、そのオーガの店の娘を相手にするって言ってさ。二日目は凄かったわよ。時間泊の部屋は防音なのにさ、獣みたいな声が聞こえるぐらい盛り上がったみたいで。そしたらその娘さ、イッたままになっちゃって」

「イッたままって?」
 ザックが小さな声でトニに聞き返す。トニは結構エグい話をしたので更に尋ねられ困った様な顔をした。

「だからぁ、察してよね。盛りのついた雌猿よ。余韻が抜けきれずってヤツでさ。体を触っただけで達しちゃうって言うか。とにかく見てられなかったわよ。セックスをやり過ぎると壊れるのね。初めて知ったわ」

 え……
 何気に恐ろしい言葉に私は口を押さえられたまま目を丸くしてザックを見つめる。そんな私の顔を見ると、ザックは小さく頷いた。
 
 その男三人は例の奴隷商人なのでは。
 何故ならば、奴隷商人は薬を使って体を売らせる事をするとか。もしかして……その娘は薬を使われた可能性があるのでは。

「えぇ~? やり過ぎで壊れるって。そんなのあるのかよ」
 流石にソルも顔をひきつらせていた。

「その出来事が雨季に入った頃なんだけどね。触っただけで達する事はなくなったけど、あれからその娘が寝込んじゃって。もしかして男三人に変な薬でも使われたんじゃないかって疑ったゴッツさんが医者まで手配してさ。で、診てもらったけど原因は分からないままでね。羽目を外し過ぎたのね。食欲もないみたいでさ……それで果物だったら食べられるかなって」
 紙袋を抱え直しながらトニが呟いた。トニなりにその娘を心配しているのだ。

「なるほど……」
 トニの話を聞いたザックは私の口を塞いだままソルに向き直って小さな声で呟いた。

「ソル。悪いが今から走ってウツの店に行ってくれないか」
「え?」
 ソルは驚いてザックの顔を見つめた。ザックの目は真っすぐにソルを捉えていた。

「今、軍の魔法部隊にいる医療魔法専門のネロがウツの店に行っているんだ。それで、今の話を店に来た客達には聞かれない様にネロとウツに話すんだ。そうしたらネロ達には全部分かるから。それを伝えたらお前は真っすぐに俺のところに来い。『ジルの店』には裏口から一人で入れ。いいな?」
「……」
 ザックが低い声でボソボソ話すのを聞くとソルはそれ以上事情を聞かずに強く頷いて、ひらりと身を翻すと路地から消えていった。

 ザックの様子を見たトニは驚いて口を開けたままになっている。ザックは相変わらず私の口を塞いだままトニに向き直る。

「いいかトニ。このドアを開けて『ジルの店』に入れ。声を上げるな」
 そう言うと顎を使ってトニにドアを開ける様に促す。ザックの表情は一転して厳しくなっており、濃いグリーンの瞳がトニを厳しく射貫く。

「……」
 トニは口を開けたままザックの尋常じゃない様子に何度も首を縦に振った。そして、怖いのか緊張からなのかカクカク動きながらドアを開けてジルの店に入る。

「ナツミ、今から手を離すが大きな声は上げるんじゃない。分かったな。聞きたい事があるだろうが全て店に戻ってからだ。いいな? 静かに店に戻るんだ」

 言いたい事や聞きたい事が沢山あり過ぎてザックにバレてしまった様だ。
 ザックにすぐに強く言われて私は首を縦に振った。

 こんな路地の井戸端会議から、奴隷商人の尻尾が掴めそうだった。
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