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092 ゴミ捨て場 井戸端会議の件について

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「なるほどね。アルとオーガとそして凶暴な奴隷商人。全てが繋がったわね」

 ジルさんの執務室で私とザックそしてマリンとノアが立ったまま、黒いフードの女性オーガさんの一件を説明した。
 説明はザックとマリンの出会いの話から始まり、現時点で分かった事、全てだ。

 ジルさんはマリンの雇い主としてザックとの関係を知っていたので、改めてノアを見つめていた。ノアが「大丈夫だ」と手をあげたのを見て、優しい微笑みを浮かべていたのが印象的だった。
 ジルさんなりに心配をしていたのだろう。

 そして、私にもひと言。
「ナツミも、やっと泣くことが出来たのね」
 そう言って頭を撫でてくれた。
「はい」
 私はジルさんに向かって笑って見せた。

 当初から遊び倒しているザックと、思い切って付き合うように言ってくれたのはジルさんだった。それを考えると、とても大切な繋がりをくれたジルさんには感謝しかない。
 
 しかし、ジルさんは全ての説明を聞いたところで、書類がたくさん乗った執務用のテーブルに両肘をつき、口元に手を当て考えこんでしまった。

 外に声が漏れ聞こえない様に、窓やドアを締め切って更に鍵をかけていた。部屋の灯りは執務テーブルの上にあるランプだけだ。ジルさんの向かって右側の頬を照らしている。ジルさんは少しの間黙って溜め息をついて椅子に深く座り直す。それから、背もたれに背を預けて天井を仰いだ。

「あんた達の話を聞いて、私も合点がいったことが一つあるわ。この間、ネロが各部屋の盗聴する様な真似をしていたでしょ? あれは、私がネロに頼んで外から『ジルの店』を盗聴や覗きを行っていないか確認をしてもらってたのよ」
「あれか。確か最終的にジルの部屋を覗こうとしていたな」
 ノアが大きく手を叩いて私とザックを見つめ直す。

 見ないでほしい……私は恥ずかしくなって隣のザックのシャツを握りしめる。ザックが軽く笑いながら私の頭をポンポンと叩いてあやしてくれた。

 ネロさんってば、外部から盗聴されていないかを確認するだけなのに。
 ザックと私が倉庫裏で、その、いたしていた事を全部盗み見しなくても……
 とにかく、ネロさんに全部筒抜けだったのはそういう事なのか。

「私の店の魔法陣は、裏町にいるウツに頼んで張ってもらったものなの。ウツも変態だけど腕だけは確かだから、心配はしてはないのだけど。ネロの報告では、路地の壁伝いから中の様子を覗こうとした痕跡があるって。結局、失敗して盗聴や覗きは出来なかったみたいだけど」
 ジルさんが片手を上げて軽く笑った。

「路地の壁伝いって、ゴミ捨て場の事ですか?」
 私はジルさんの言葉を聞いて尋ねた。
「そうよ。ナツミが会ったという、黒いフードの女。オーガがいた場所が盗聴の痕跡が残る場所よ」
「カイ大隊長達が宴会をしていた日に、『ジルの店』中の様子を覗こうとしていたのかな。どんな動きをしているのか知りたかったのかもしれないって事ですよね」
「そうなるわね。やり手の大隊長が二人揃ってやって来ているから、問題を起こして逃げ続けている自分達と関係していると思ったんでしょう。そこへ、路地に一人でノコノコ現れたナツミでしょ? それは飛びつくわよね」
「ノコノコ……」
 私は真面目に仕事をしていただけなのに。ノコノコとと言われてしまい軽くショックを受ける。

「噂の人物であるナツミが現れたら、オーガとしては手札の一つにしたいと思って、暗示をかけようとしたんでしょう。『ジルの店』内部から切り崩す方が早いものね。フン、卑怯なオーガが考えそうな事だわ」
 ジルさんが足を組んでオーガさんの事を鼻で笑っていた。
「オーガなぁ。事あるごとにジルと張り合おうとしていたよなぁ。店主としての姿から、店の売り上げから、それに軍人達の情報網羅とか」
 ザックが溜め息をついて腕を組んだ。
「そうなんだ。姿って言うと、ジルさんみたいにボン、キュ、ボン?」
 黒いフードとケープコートの下にどんな容姿が潜んでいたかは分からないので、私は思わず身振り手振りで隣のザックに尋ねる。
「ははは、何だそりゃっ」
 私の身振り手振りの姿にザックが軽く笑った。
 隣で見ていたマリンもノアも私の身振り手振りがおかしかったのか吹き出していた。
 それからザックは私の肩を抱き寄せてポンポンと叩いて説明してくれた。
「ナツミはオーガの顔や姿を知らないもんな。雇われ店長になったのは数年前なんでな、当時は酒場や宿屋に似合わず地味な女主人って感じだったな。森の奥に住んでいそうな、いかにも魔女っていう感じだったさ。それがジルと出会った途端に、ジルの真似をしはじめてな。化粧に洋服に髪型にって、なぁ?」
 ザックが笑いながらジルに同意を求める。ジルさんは両手を天に向けて広げると肩をすくめた。
「ボン、キュ、ボンと言うよりも、まぁ胸はでかかったかな。女性らしい体つきだが、背の低い女といった印象だな。魔法が使える分、貧弱というか筋力があまりなさそうだな。それに比べてジルは女だが筋肉質だし」
 ノアが調子に乗ってザックの言葉に付け足す。
 元々ノアは口が悪いので遠慮がなくなった今言いたい放題だ。胸はでかかった、なんて最低な表現。

 私は思わずノアを横目で睨んでしまった。横並びに並んでいる端っこのマリンもノアの腕をつねっていた。

「ウォッホン!」
 ジルさんが大きく咳払いをしたのとマリンにつねられた事でノアは黙り込んだ。

「最初はねぇ、私にも好意的で憧れているだけだと思ったんだけど。少しずつ攻撃的になってね。「好き」を通り越して「憎らしい」って事かしら? 今ではすっかり敵対心を燃やされている様でね。それに、オーガはアルと一緒になったもんだから尚更ね」
「なるほど」
 ジルさんとオーガさんにも何やら縁がある様だ。
 みんながそれぞれ繋がっていく様を知ると『ファルの町』も小さな町の様な気がしていくる。
 長く住んでいるとこういう事もあるのだな。私は一人感心してしまった。

 私の納得する様子にジルさんがジロリと睨みつける。

「何が「なるほど」よ! のどかな雰囲気出して。大体、何なのナツミとマリンの顔。泣きはらして瞼の上がパンパンだし、鼻も頬も赤くて本当に散々な顔ね。泣くのはいいけど、どうやったらそこまで泣けるのよ。化粧で隠せる状態じゃないわよ、それ!」

「一度涙が出ると止まらなくなってしまって……」
 私は自分の両手で頬を擦ってみる。涙を流した目尻は擦れて痛いし、鼻水が出すぎて小鼻の横も痛い。目がはっきり開かない様な気がするのは、瞼が腫れているのからだろう。

 そこでジルさんが片手を執務室のテーブルに叩きつけて立ち上がる。
「涙が出ると止まらなくなってしまって──じゃないわよ。今晩の酒場の踊りやウエイター……ウエイトレスは、その顔じゃ無理ね。私が虐待している様に思われてしまうし。全くザックとノアのせいだって言うのに」
 ジルさんは不機嫌に言い放つ。立ち上がると両腕を組んで、私達四人を斜め下から睨みつける。長い睫毛が影をつくり、怖さが増していた。
 ウエイトレスと言い直される辺りがおかしいが、とても笑える雰囲気ではない。

「ごめんなさい」
「すみません」

 私とマリンは顔を見合わせて、ジルさんに頭を下げて謝る。仕事に穴を開けるしかなくなってしまったのだから。

 マリンの顔は、確かに瞼が腫れているけれども、白い肌に目元や鼻先が赤くなっていて不覚にも可愛いと思ってしまった。
 ウサギメイクをちょと濃くしたぐらいに見える。
 別に化粧で隠せそうだけれど……って事は隠せないほどひどいのは私の顔?!

 マリンの顔を見てから地味にショックを受けてうな垂れる。その様子をザックが隣で軽く笑い、私の肩を軽く叩いた。

「大丈夫だナツミも可愛い」
 それから、痛みがある私の目尻にキスを落とした。

 何? 今、私の心を読んだ?!

 私は驚いてザックを見上げる。
 ザックは口の端を少し上げて笑い、困った様に眉をハの字にしていた。
 あれだけ泣いたのは久しぶりだし、その上ジルさんに怒られたのだからザックなりに心配してくれているのだろう。
 
「ザァック! イチャイチャするのはあとよ。この二人の原因をつくった男のくせに、あんたも懲りないわねぇ」

 ジルさんは腰に差していた扇子を取り出すとテーブル越しにザックの頭を叩いた。

「痛ぇ! 悪かったよ」
 ザックが肩を上げてジルさんに舌を出して謝っていた。
 
「全くどうしようもない男ね。さて、雨が上がったとは言え、客足もそんなに多くないでしょうし。今日はナツミとマリンは店に出なくていいわ。そうね、従業員用の大浴場でもナツミとマリンで掃除しておきなさい。ザックとノアはダンの手伝いをしてよね、まだオベントウだの、何故か分からないけど甘いものについて考えこんでいるみたいだから」
 ジルさんが左手を腰に添えて扇子で一人一人を指しながら命令を出す。

 私とマリンはもちろん無言で頷き、ザックとノアも「ああ」「分かった」と返事をしていた。

 素直に命令を聞き入れた私達を見届けると、ジルさんは睨みつけるのを止めて、改めて椅子に座り直して足を高く組んだ。
 艶々の足のすねが見える。同性の私でも思わず生唾を飲み込んでしまうほど綺麗な足だった。しかし、ザックとノアはそんなジルさんを気にする様子はなく、ようやくお許しが出た事に溜め息をついていた。

「それにしても、マリンとザックの長年の秘密も話がついた様で、このひねくれ坊ちゃんも受入れて一歩前進した様ね」
 先程の怒りも一転、ジルさんはしみじみとしながらノアを下から見上げる。
「坊ちゃんって……まぁ、そうだな」
 ノアは坊ちゃんと言われた事に口を尖らせるが、すっかり憑きものが落ちた様で笑い頷いていた。その様子にランプの光を調節しながらジルさんが目を丸めた。より明るくしようと試みている様だ。
「ノアのくせに素直で気持ち悪いわね。まぁ、いいわ。それよりも今後だけど、マリンは必ずノアと一緒に行動する様に。一人で路地に出るとか、町に降りるのも絶対駄目よ。オベントウ売りに町に出たとしても一人ウロウロしない様に。あとは、例の奴隷商人が元踊り子集団の男なら、何処かで必ずマリンに接触してくるだろうから気を抜かない様に」
「は、はい!」
 マリンがビクつきながら返事をする。その隣でノアがマリンの肩を抱いた。
「分かっている。必ず守る。マリン、俺から離れるなよ」
「うん。ありがとうノア……」
 マリンとノアが見つめ合う。

 よかった……今の二人なら何でも話をする事が出来るだろう。
 私がホッと溜め息をついて二人を見つめていると、ジルさんの扇子が今度は私に飛んだ。
 ペチンと私のおでこを叩いた。
「痛っ」
 私は叩かれたおでこを両手で押さえる。結構痛い。

「何『マリン……よかったわね』的な雰囲気を出しているのよ。ナツミも同じよ。ゴミ捨ても一人で出たら駄目よ」
 ジルさんにギロリと睨みつけられてしまった。
「はい……でも残念」
 ションボリと返事をしながら、がっかりしてしまった。
 それも当然か。オーガさんと会ったのも一人でゴミ捨てに出た時だったし。

 そのゴミ捨て場でトニやソルと仲良くなったのに。今後一人で出る事が出来なくなるとあの二人の漫才の様なやり取りも聞けなくなるのかな。

 私が何気に呟いた「残念」という言葉に皆が首を傾げた。
 
「ナツミはそんなに一人でゴミ捨てしたかったの?」
 変な子ねぇ、とジルさんに訝しげに見られる。

 ランプの光量を最大にしてもジルさんの彫りの深い顔には大きな影が所々出来ていた。

「そういえば、ゴミ捨てに行くと帰って来るの遅いよな。まぁ、それで様子を見に行ってぶっ倒れるのを防げたわけだけど」
 ノアも思い出した様に私に視線をよこした。
「俺はてっきりニコと一緒に捨てに行っているものだと思っていたが違うのか?」
 ザックが私が一人で捨てに行っている事に驚いていた。
「そういえば、ニコが「重たいだろうからついていく」って言っているのに、一人で捨てに行っているわね。あ、ナツミもしかして路地で一人泣いていたりした? 確かに人が通らないから一人になる事が出来る場所だけれども」
 マリンまでもが心配して声をかけてくれた。
「そうだなぁ、確かマリンもゴミ捨て場の影で一人泣いてたなぁ」
「ふふふ、そうね。ノアがそこに通りかかって、なぐさめてくれる様になって……」
 ノアとマリンが思い出話に花を咲かせそうになったので、私は慌てて声を上げる。
 何だか急にラブラブな二人になってしまった。

「違うよ! 泣いてなんかないよ。ニコがいなくても一人でゴミを捨てられると思ったからであって。残念だなって思ったのは、ゴミ捨てに行くと必ずトニとソルがいて十五分程度の漫才……じゃなくて、雑談をしてくれるんだよ。トニは自分のお店の話とか、ソルは裏町の状況とか説明してくれて。それが結構楽しみだったんだけど。一人で出られなくなると二人共、来なくなっちゃうかなって」

 私が説明をすると、みんなの顔が徐々に強張っていく。
 ん? 何でだろう。
 
 それから思い出した様にマリンが声を上げた。
「そういえば、この間もトニとソルと話をしていたわよね。なんだか入り込めない雰囲気だったから、私は驚いてドアを閉めちゃったけど」
「そういえばそういう事もあったね。雨の日も二人共傘をさして通りかかってね」
 そこまで言うとジルさんが驚いて声を上げ、テーブルに両手をついて身を乗り出して来た。
「思い出したわ! 確かトニって、ザックと関係のあった、嫌味を言いに乗り込んで来た踊り子よね。もしかして、ナツミがケチョンケチョンに退治した時からずっとナツミに会いに来ているって事?」
 私の目の前まで顔を近づけて尋ねる。私は思わず背中を反らしてしまった。
「ケチョンケチョンに退治って……そんな事はしていませんけど。まぁ、二人共あの時以来、毎日欠かさず来てくれていますね。私が遅くなった時も何故か待っていてくれて」
 そうか、ジルさんはマリンとミラと一緒にトニさんを退治……ではなく、対峙した時にこっそり盗み見していたのだっけ。

「じゃぁ、トニが路地でナツミに絡んで以来、毎日あいつら二人してナツミに会いに来ているっていうのか。しかも昼間の雑談十五分の為に?」
「ソルのヤツめ。あんなにナツミに手を出すなって言って聞かせたってのに!!」
 私の話を聞いて隣でノアとザックがコソコソ話をする。ザックに限っては何故かソルに対して怒りの矛先を向けていた。
 そうだった、トニと対峙した時この二人もこっそり覗き見していたんだった。

 マリン、ジルさん、ノア、ザックそれぞれ私の井戸端会議の話を聞いて驚いていたが、落ち着きを取り戻したのはジルさんが最初だった。

「はぁ。喧嘩を売ってきた他店の踊り子を懐柔するナツミって、凄いわね」
 改めて椅子に座り直すジルさん。
 今日ジルさんは立ったり座ったり忙しい。
 笑いながら頬杖をついて溜め息を深くついた。

「怪獣? トニは最初怖かったですけれども、今はいろんな話をしてくれるので怪獣なんて事ないですよ」
 アハハとジルさんに向かって私は笑った。

「懐柔を理解していないぞ」
「そういうところが可愛いんだろ」
「うんうん。分かるわザックの言う事」
 ノア、ザック、マリンがコソコソ話していた。
 何だろう。何だか少し馬鹿にされている様な気もするけれど……ザックとマリンが可愛いと言ってくれたので良としよう。

 私は改めてジルさんに向き直る。
「とにかく、そんな話が聞けていたんですけど。一人でゴミを捨てに行かなくなったら話も聞けなくなるのかなって思ったんです。仕方がないですよね。確かに一人で捨てに行くのは危ないし」
 私がそこまで言うと、ジルさんが手を上げて私の言葉を遮る。
「ナツミ。言いたい事は分かったし状況も理解したわ。折角繋がったトニとソルの関係を断ち切るのはもったいないわ。他店の踊り子と同性で仲良くなるなんてそうないし。そこから情報を得る事もあるだろうし、こちらから情報を広げる事も出来るし……」
 ジルさんが独り言を言いながら、マリン、ノア、ザックを順番に見る。
 最後にザックに焦点を合わせると手に持っていた扇子でまっすぐ指した。

「ザック。あんた明日からナツミと一緒にゴミ捨てに行く様に。そして、今の関係を継続させる様にして」
「分かった。情報網は生かさないとな」
 ザックがすぐに強く頷いてみせた。
「理解が早くて助かるわ」
 ジルさんがそう言った矢先、ザックがジルさんの顔に自分の顔を近づけて真剣な眼差しで問いかける。
「なぁ、ソルは必要か? あいつナツミの前をちょろちょろして鬱陶しいって言うか」
「ソルも必要なのは当たり前でしょ! 裏町の情報を握るのは最優先でしょうが」
 何故かソルを除外しようとするザックにジルさんの扇子が再び振りおろされ、ザックの悲鳴が響いた。
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