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090 たくさん泣いた日 その3
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私に抱きついたままマリンは泣き続けた。マリンの体内から水分がなくなるのじゃないかと思うぐらい泣いていた。
少し落ち着いたところでノアが私に抱きついたままのマリンを横からそっと抱き上げて、側のベッドに座らせる。それから、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を自分のハンカチで拭いていた。
「うっ、ノ、ノア。うう……ごめ、ごめん、なさい。ヒック……」
マリンは隣に座るノアの顔を見上げながら言葉を紡ぐがやはり涙が溢れるみたいだ。
「分かったから、ほらぁ泣くな鼻水も拭け。干からびるんじゃないかと心配するだろ」
ノアがポンポンとマリンの背中をあやす様に叩く。
15歳で踊り子集団を抜け出し『ジルの店』に入って10年。
ずっと秘密にし続けたのだからマリンの涙も止まらないの無理もない。
私はベッドに座るノアとマリンを見つめて床から立ち上がる。
ゆっくりと窓際のザックに振り返る。
ザックは真っ直ぐ私を見つめていた。少し垂れた二重の瞳が眩しそうに私を見つめている。ザックは口を開いてから一度閉じる。それから口元に手を当て深い溜め息をついた。
「済まなかった。ナツミには嘘は言わないと約束していたから。いつか話さなくてはならないと思っていた。だが……」
ザックはゆっくりと低い声で話す。最後は言葉を切って、やはり口を閉じてしまった。
それから首を左右に振って「違うな」とひと言呟いた。
「止めておこう。色々話したところで言い訳にしかならない」
そう言うとザックは瞳を閉じて諦めた様に溜め息をついた。
ザックは嘘は言っていない。
きっと私が尋ねれば本当の事をいつでも話してくれたはずだ。
「言い訳」
私は呟いた。
他の女性達との出来事はあんなに早口で言い訳するのにね。
それだけマリンとの関係が過去の事だとしても、今の私とノアにどれだけの衝撃を与えたのかザックなりに理解しているのだろう。
「言い訳なんて思ってないよ。嘘を言ったんじゃないっていうのも分かっている。マリンとの関係を黙っていたのは、ザックの優しさだね」
私は立ち上がってザックの目の前まで足を運び、彼の視線に耐えられなくなり俯いてしまう。
「……今となっては隠す事が優しさだったのか俺には分からなくなった」
ザックは私の頭の上で自嘲気味に呟いていた。
ザックはマリンとの関係を、マリンのノアへの思いを理解していたからずっと黙っていたのだろう。それこそ、死ぬまで秘密を守り通そうとした。
それ程大切にしたマリンへの心遣い。もちろんノアへの心遣いかもしれないけれども。
どちらだとしても、それだけの優しさを持ったザックに私は改めて惹かれる。
マリンが不遇な目にあって、しかもその過去が女性にとって危険だった状況にあったと言うのに。お姉ちゃんである春見の顔がマリンと重なってしまう。
ああ、それなのに私は──
「私はさ。元の世界にいた時は普通の家庭で育ってね。お父さんとお母さんとそしてお姉ちゃんがいたの」
私が話しはじめると、ノア、マリンそしてザックの視線が集中する事が分かる。
突然、自分の家族についての話。
今までと話の流れは違うのに三人とも私の話に耳を傾けている。
「姉?」
ザックが呟く。
俯いたままの私は、ザックのサンダルから覗く足の指が動くのを見た。
「うん。春見って言う名前でね」
「ハルミ。ナツミにハルミ……そうか姉か」
ザックがオウム返しにお姉ちゃん名前を呟いた。
「特に争い事もなく平和な毎日で、仕事をして友達と遊んで……そんな毎日の繰り返しでね。そんな生活の中、私も半年前から付き合っていた彼氏がいてね」
「「「彼氏!」」」
そこでザックとノアとマリンが三人合わせて声を上げる。
マリンに至ってはまだ泣き続けているので、一人声がひっくり返っていた。
「そうか彼氏か! やっぱりそうだよな。ナツミだって他の男と付き合うよな」
ザックがブツブツ呟いていた。
「うん、そう彼氏。でも元がつくんだけどね」
「元? って別れたのか。いや、別れて貰わないと困るのだが」
ザックがいちいち私の言葉に反応して、しどろもどろになっている。頭上の上でどんな顔をしているのか見てみたいが私は顔が上げられなかった。
「ザック」
私の後ろでベッドに腰掛けていたノアが静かにする様に促していた。
「あ。す、済まん。ナツミ続けてくれ」
ザックがノアの声に反応して私の上で謝っていた。謝る事ないのに。
「この『ファルの町』に来る一週間前にね、実はこの元彼氏、名前が秋って言うんだけど、お姉ちゃんと浮気をしていた事が分かって」
「「「え」」」
三人が驚いた声を上げている。そんな驚かなくっても。
ザックやノアにとってはよくある話なのではないだろうか。
笑ってしまうよね、私なんて。
「そんな驚かなくても……『ファルの町』の男性からしたら大した事ないかもしれないけれどね。私ったら浮気されている事に全く気がつかなくて。お姉ちゃんと秋が抱き合っている現場に丁度踏み込んじゃって。それで──」
私は精一杯笑顔をつくり顔を上げた、そこでザックの顔をようやく見る事が出来た。
ザックは困惑していたのに、顔を上げた私の笑顔を見て直ぐに表情を変えた。
とても悲しそうだった。口を真一文字に結んでしまい私の顔を見つめる。
私は笑っている。何で笑っているのだろう。
「馬鹿みたいでしょ。半年間ずっと信じて付き合ってたのに。二人が言うには、私と秋が付き合いはじめて一ヶ月経った頃から、お姉ちゃんと関係してたんだって。それじゃぁ、私は一ヶ月目からずっと浮気されてたんだなって。笑っちゃうよね」
何て惨めなのだろう。
「お姉ちゃんはさ、私と真逆でね。白い肌で綺麗な長い髪の毛で。とても女性らしい体つきで、美人だし可愛くて優しくて皆に人気者で。私と比べてずっとずっと──」
喉が熱くなってきた。
ザックはずっとそんな私の顔を見つめていた。
何か言ってよ、ザック。
「秋は会う度に私の体を求めてきたのに、やっぱり最後はお姉ちゃんが良いんだって。それで私は秋と別れる事になって、周りの皆も「ああ、やっぱりそうか」みたいな。そりゃそうだよね、相手は町の中でも人気の美人なんだもん」
唯一、友達でライフセーバーの仕事仲間の遙ちゃんだけは、真相を知っていて怒ってくれたっけ。私が怒れない分代わりに怒ってくれた。嬉しかった。
「だから、ザックがマリンと関係しているって話を聞かされた時、私は「またか」って思っちゃって」
「……」
ザックが息を呑んだ。
「分かってる、分かってるの! そうじゃないって。なのに、今も、平和しか知らない町で育っておきながら、マリンの過去の話を聞いて凄く驚くばかりで、きっと辛かったって分かっているのに。それなのにやっぱりザックもマリンを好きだったかなぁとか、私じゃやっぱり駄目なのかなぁ、とか。そんな事ばっかり考える私って」
自分の事ばかり考えて、何て酷い人間なのだろう。
私はそれでも笑っている。
自分の事ばかり考えて笑っている私なんて、秋もザックも好きでいるわけがない。
「ナツミ」
ザックが地面が響く様な低い声で私の名を呼んだ。
つり上がり気味の眉の根本に皺が寄っていた。濃いグリーンの瞳が細くなって眼球に私の情けない顔が写っている。笑いながら眉を垂らす私の顔。
「笑うな」
「!」
私は顔が強張った。ああ、ザックにも愛想を尽かされる。笑う様な私は──
「泣いていいんだぜ。泣けよ」
「だって」
泣くって、何?
「悪いのは、そのシュウって男と姉のハルミだ。そして、それだけ不安にさせた俺だ」
「違う!」
相手はお姉ちゃんなのよ、マリンなのよ。
「違わない。お前はちっとも悪くないのに自分を責めるな」
「皆が羨むお姉ちゃんが悪いはずない!」
二人に敵うはずがないのに!
「羨む美人な女だって、ナツミを傷つけたら悪くて当然だ!」
「!」
私はザックの言葉に驚いて目を開いた。
友達の遙ちゃんも同じ様に怒ってくれたけれど、その時には周りの誰もが私と姉を比べて「ああ、仕方ないよな惹かれる理由も分かる」と言っていたから諦めていた。
だけれども──
「笑うなナツミ。辛かったら泣けよ」
「ザック」
駄目だよザック。私は喉が熱くて瞼が熱くて声が掠れた。
ザックはそんな私を笑いながら自分の両手を私に見せて大きく腕を広げた。
「なぁ、ナツミを不安にばかりさせてしまった俺だけど。ナツミを抱きしめて良いか?」
「え」
「俺にはナツミをこんなに傷つけておいて、そんな資格がないかも知れな。だが、俺は傷ついたナツミを抱きしめたいんだ。なぁ、抱きしめても良いか?」
そうやって困った様に笑った。
「ザック! うわぁぁん!」
私はザックの首に抱きついた。そして、子どもの時の様に大声を上げて泣いた。
ザックは私の背中をきつく抱きしめてくれた。
私の好きなお姉ちゃんは私から大切な人を奪ったのに、皆が好きなお姉ちゃんを責めるなんてしないし出来ない。お姉ちゃんを悪いなんて誰も言ってくれなかった。私の好きな秋も結局お姉ちゃんが良かった。だから私には価値がないってずっとそう思っていた。
だけど私は──本当はずっとこうして唯々泣きたかった。
悲しい、辛い、悔しいって泣きたかった。
そして──
「ヒック。ザックが、ザックが浮気とかしてなくて良かった!」
「ああ」
「また裏切られたらどうしたら良いか分からなくて。うっ、うう」
「約束しただろ? 裏切らないって」
「うん、うん。でも、でも。私の事好きじゃないのに秋は体だけ求めてきて、だからザックもそうなのかなって」
「そんな事はしない。俺はナツミだから一緒にいたくて心が欲しくて。そしてその気持ちが溢れるから抱くんだ」
「うん。うん。うっううう」
うわぁぁんと大号泣でザックの耳元で叫ぶがザックはずっと私を抱きしめていた。
そのんな私の姿を見たマリンが再び涙ぐんでいた。
「うっ、グス。ナツミ、ごめんなさい。ごめんなさい」
「え? お、おい」
マリンが再びグズグズ言いだしたのを隣のノアが焦っていた。
「私こそ嫌いにならないでえぇ~」
そう言って再びマリンも泣きはじめてノアは困惑した。
「マリン、それ以上泣くと本当に干からびるから」
そう言いながらもマリンを抱きしめる衣擦れの音が聞こえる。ノアもしっかりマリンを抱き留める。
ザックは私をきつく抱きしめたまま耳元で何度も呟いた。
「俺にはナツミだけだ」
その言葉が嬉しくて、裏切られた過去を溶かしていく。
裏切られた事は忘れる事はないだろう。きっと思い出す度に心が凍りつきそうになる。だけれども、ザックが側にいてくれるならこれからも乗り越えていける様な気がする。
私とマリンは二人一緒に嘔吐くまで数分間泣き続けた。
「うっ。目がパンパン。鼻水が止まらない……」
私はザックに窓際付近で立ったまま抱きしめられていた。腕の中で私は鼻の下を手で押さえた。
「私も。泣きすぎると吐きたくなるって言うか、頭が痛くなるのね」
マリンもベッドでノアに横抱きにされながら呟いていた。
私とマリンは大声で声が嗄れるまで泣き続けた。
顔のあらゆる部位──と言っても、目と鼻から大量の涙と鼻水が出した後、最終的には嘔吐いて咽せた。マリンと私は二人で仲良く顔を洗い流しお水をたくさん飲みようやく落ち着きを取り戻した。
が、油断をすると涙と鼻水が簡単に決壊してしまう。
「あれだけ泣けばなぁ」
手がつけられないほど泣く女二人を目の前にしても、ノアとザックは意外と冷静だった。
「何か冷静だね……」
女性経験豊かな男性二人だ。こんな修羅場は一つや二つ、掻い潜って来たから当然なのだろうか。
散々ザックに甘えておきながら、それが今度は怨めしく思い抱きしめてくれているザックを見上げる。好きという気持ちは実に厄介だ。直ぐに次から次へと気持ちが複雑にゆれ動く。
するとザックはつり上がり気味の眉を少し垂らして首を左右に振った。
「いや、全く冷静じゃない」
「そんな風に見えないけど」
「ナツミの過去に男が見え隠れしていたのは分かっていたけど。はっきりと分かったら、実は気が気じゃない」
「あ……」
そうだった。そうだったどさくさ紛れに自分の失恋話を大暴露したんだった。
「最近、朝方夢にうなされていただろ? 大抵ハルミ、シュウって名前を寝言で呟いてから飛び起きていたんだぜ。だから誰だろうとずっと気になっていて」
「え!?」
知らなかった。私は思わずザックの抱きしめられている腕の中で自分の口を両手で押さえた。
「それでザックはここ最近上の空だったのか」
ノアがベッドの端に座りマリンを抱きしめながら声を上げた。
そういえばノアもザックがボンヤリしていると言っていた。まさか私の夢が原因だったとは。
「ご、ごめん」
「謝るなよ。別にナツミは悪くないのに。直ぐ謝るのは悪い癖だぞ」
ザックが小さくなる私の顎を掴んで自分の視線と合う様に上に上げた。
「うん、ごめん。あ」
再び「ごめん」と呟いてしまい私は目を丸くしてしまった。ザックが優しく笑って顎を掴んだ手を離し頬を撫でてくれる。
「いつか話してくれるかもしれないと思ってずっと待っていたら、今度は俺とマリンとノアの名前を寝言で呼ぶ様になって。何だかおかしいとは思っていたんだ」
「そうだったんだね」
そこでザックはかくんと首をうな垂れて溜め息をついた。
「そうか……『ファルの町』に来る一週間前にフラれたって事は失恋したばかりって事か。しかも未練がある時に俺はナツミに一目惚れでそれから関係をはじめたって事になるんだよな……」
「そ、そうなるね」
厳密に言うと『ファルの町』に来た時が失恋一週間目で。更にそこから一週間後ザックに付き合おうと言われたって事だからまぁ、実質二週間だね。
……あまり変わらないな。
「それでナツミから「嘘はつかない」とか「二股かけないっ」て言う約束事があったんだな。俺、全然気がつかなかったわ。と言うか、相手の女の背景を考えた事がなかったからなぁ。はぁ~」
何故かザックは盛大に溜め息をついている。うな垂れて私の左肩におでこをつけていた。表情が見えない。
「ザック?」
私はザックの耳元で名を呼んだ。
そのザックの姿を見ながらベッドに座るノアが声を上げる。
「プッ。初めて見るぜ。女の事で落ち込むザックなんて」
「くっ」
ザックがくぐもった声を上げる。
「え、落ち込んでいるの?」
私はノアを振り返りながら目を丸くしたが、ザックが私の体を回転させて後ろから抱きしめる。
「きゃぁ。ザック急に回転させないでよ」
「うるさいなぁ。顔を見られたくないんだっ」
そう言って後ろから私を抱きしめたまま俯いて今度は私の右肩におでこをつける。
「顔を見せてよ」
「嫌だ」
「どうして」
「……」
とうとうザックが黙り込んでしまった。
「はは、死ぬほど悔しいんだろ。そのシュウって男の事がさ」
ノアが茶化す。
「えぇ~何でシュウなんかが」
元カレが「なんかが」呼ばわりになってしまった。散々泣いた後だともう未練もこれっぽっちも残っていない。
私は初めて泣く事で、悲しんだり悔しがる事が重要な事を知った。
水泳競技で負けても笑って誤魔化してばかりだったのが弱かった原因なのかもしれない。悔しい時は悔しいと、歯を食いしばって自分を受け入れ、悲しい時は悲しいとたっぷり悲しむ事が大切だったのだろう。
「だってそうだろ。そのシュウって男が原因でナツミはこれ程までに頑なになってたんだから。「嘘をつかない」という条件とやらも起因はその男なんだろ?」
「まぁ、そうだけど……」
起因と言うか何と言うか。
ノアがマリンの肩を抱きながら片手を上げて解説してくれているがピンと来ない。
「分かれよナツミ。ザックは女絡みで嫉妬なんてした事、今までに一度もないんだぜ。こいつ自信がありすぎなんだ。だから今その姿の見えないシュウとやらに嫉妬で渦巻いていて。更にこんなにナツミを泣かせるほど悲しませた事実に気がついて、心がポッキリ折れたんだぜ」
「くっ……!!」
ザックがノアの言葉に震えていた。私を抱きしめる両腕がカタカタと震える。
「えっ」
私はザックの震える腕を触りながら右肩におでこをつけたザックの方を見る。形の良い耳が赤くなっている。
「はは、図星か。俺は今のザックの気持ちが手に取る様に分かるぜ。マリンとザックの関係を知らされて、今も関係があるんじゃないかと疑った時は、いつも隣にいるザックにどす黒い感情が渦巻いた事が何度もあるからな」
振り切れたノアがペラペラと話しはじめた。
同じ色男で浮き名を流し続けたザックと肩を並べるノアも、嫉妬に振り回された時の気持ちは得も言われぬものだった様だ。
すっかり嫉妬経験者としての先輩風を吹かせている。
「どす黒い感情……ふぇ……」
その言葉を聞いてマリンが再び泣きはじめる。
「待て待て、泣くなマリン!」
しまった……という顔をしてノアが慌てる。こういうところがノアも間抜けだ。
「だって、それって、私が原因って事じゃない。ごめんなさい~」
再びグズグズ泣きはじめるマリンだった。泣きたいわけではないが涙が出てくるのだろう。
「ほら泣くなマリン。言い方が悪かった、今は気にしてないからさ。って言うか俺も女絡みの話はザック同様で昔はだらしなかったから」
再びノアはマリンの肩を叩く。
そのノアの言葉を聞いてザックがくぐもった声を上げた。
「そうなんだよな……散々自分が女相手にやってた事をさ、まさか自分に返ってくると思わなかったから。シュウっていう野郎が羨ましいやら、悔しいやら。ナツミを傷つけておいて許さないと思う反面、俺の事もナツミは嫉妬してくれるのかな? とかさ」
ボソボソ呟いていた。
そういえばこの間も私にノアの匂いがついていた事も気に入らないと言っていたし。
今までは女性には誰にでも平等で特に突出した恋愛感情も抱かずに、抱くという行為で皆に平均して愛を分け与えていたのだろう。
だけれどその愛情が一点に私にだけ向かっているのならとても嬉しい。
そこでようやくザックは観念した様に顔を上げた。私は下から後ろに体を捻ってザックの顔を見つめる。
頬はほんのり赤くなっていて、困った様に苦しそうに眉を寄せている。濃いグリーンの瞳が少し濡れている様に光っている。
こんな時も色っぽいと思ってしまうのは、ザックに心を奪われているせいだろう。
ザックは溜め息をつきながら私のおでこの上に顎を置いた。
「分かっているけど何だかモヤモヤするんだよ。割り切れないというかさ。男って勝手だよな。自分の事は散々棚に上げておいてな」
「男って一括りにするな。そんなのはザック、お前だけだから」
ノアが間髪入れず突っ込む。
「何だよ、さっきノアも俺と同様だって言っただろう!」
ザックがノアに対して文句を言いはじめた。
二人とも「何だと」と言うと、睨み合う。何処までも仲の良い二人だ。私はそんな二人のやり取りを見つめながら思わず笑った。
「ふふふ。はぁ。何だか安心したら眠くなって来ちゃった……」
そして一つあくびをした。
「はぁ……急にのどかな雰囲気出しやがって……」
ザックが呆れた様に私の頭の上で溜め息をついていたが最後は笑ってくれた。
その笑い声を皮切りに、私とザック、ノアとマリン四人で笑い合った。
ひとしきり笑い合った後ザックがそう言えばと口を開いた。
「ところでノア、ナツミ。聞きにくいけど……俺とマリンの話は誰に聞いたんだ?」
ザックの言葉に私とノアは顔を見合わせて、それぞれの話をしはじめた。
少し落ち着いたところでノアが私に抱きついたままのマリンを横からそっと抱き上げて、側のベッドに座らせる。それから、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を自分のハンカチで拭いていた。
「うっ、ノ、ノア。うう……ごめ、ごめん、なさい。ヒック……」
マリンは隣に座るノアの顔を見上げながら言葉を紡ぐがやはり涙が溢れるみたいだ。
「分かったから、ほらぁ泣くな鼻水も拭け。干からびるんじゃないかと心配するだろ」
ノアがポンポンとマリンの背中をあやす様に叩く。
15歳で踊り子集団を抜け出し『ジルの店』に入って10年。
ずっと秘密にし続けたのだからマリンの涙も止まらないの無理もない。
私はベッドに座るノアとマリンを見つめて床から立ち上がる。
ゆっくりと窓際のザックに振り返る。
ザックは真っ直ぐ私を見つめていた。少し垂れた二重の瞳が眩しそうに私を見つめている。ザックは口を開いてから一度閉じる。それから口元に手を当て深い溜め息をついた。
「済まなかった。ナツミには嘘は言わないと約束していたから。いつか話さなくてはならないと思っていた。だが……」
ザックはゆっくりと低い声で話す。最後は言葉を切って、やはり口を閉じてしまった。
それから首を左右に振って「違うな」とひと言呟いた。
「止めておこう。色々話したところで言い訳にしかならない」
そう言うとザックは瞳を閉じて諦めた様に溜め息をついた。
ザックは嘘は言っていない。
きっと私が尋ねれば本当の事をいつでも話してくれたはずだ。
「言い訳」
私は呟いた。
他の女性達との出来事はあんなに早口で言い訳するのにね。
それだけマリンとの関係が過去の事だとしても、今の私とノアにどれだけの衝撃を与えたのかザックなりに理解しているのだろう。
「言い訳なんて思ってないよ。嘘を言ったんじゃないっていうのも分かっている。マリンとの関係を黙っていたのは、ザックの優しさだね」
私は立ち上がってザックの目の前まで足を運び、彼の視線に耐えられなくなり俯いてしまう。
「……今となっては隠す事が優しさだったのか俺には分からなくなった」
ザックは私の頭の上で自嘲気味に呟いていた。
ザックはマリンとの関係を、マリンのノアへの思いを理解していたからずっと黙っていたのだろう。それこそ、死ぬまで秘密を守り通そうとした。
それ程大切にしたマリンへの心遣い。もちろんノアへの心遣いかもしれないけれども。
どちらだとしても、それだけの優しさを持ったザックに私は改めて惹かれる。
マリンが不遇な目にあって、しかもその過去が女性にとって危険だった状況にあったと言うのに。お姉ちゃんである春見の顔がマリンと重なってしまう。
ああ、それなのに私は──
「私はさ。元の世界にいた時は普通の家庭で育ってね。お父さんとお母さんとそしてお姉ちゃんがいたの」
私が話しはじめると、ノア、マリンそしてザックの視線が集中する事が分かる。
突然、自分の家族についての話。
今までと話の流れは違うのに三人とも私の話に耳を傾けている。
「姉?」
ザックが呟く。
俯いたままの私は、ザックのサンダルから覗く足の指が動くのを見た。
「うん。春見って言う名前でね」
「ハルミ。ナツミにハルミ……そうか姉か」
ザックがオウム返しにお姉ちゃん名前を呟いた。
「特に争い事もなく平和な毎日で、仕事をして友達と遊んで……そんな毎日の繰り返しでね。そんな生活の中、私も半年前から付き合っていた彼氏がいてね」
「「「彼氏!」」」
そこでザックとノアとマリンが三人合わせて声を上げる。
マリンに至ってはまだ泣き続けているので、一人声がひっくり返っていた。
「そうか彼氏か! やっぱりそうだよな。ナツミだって他の男と付き合うよな」
ザックがブツブツ呟いていた。
「うん、そう彼氏。でも元がつくんだけどね」
「元? って別れたのか。いや、別れて貰わないと困るのだが」
ザックがいちいち私の言葉に反応して、しどろもどろになっている。頭上の上でどんな顔をしているのか見てみたいが私は顔が上げられなかった。
「ザック」
私の後ろでベッドに腰掛けていたノアが静かにする様に促していた。
「あ。す、済まん。ナツミ続けてくれ」
ザックがノアの声に反応して私の上で謝っていた。謝る事ないのに。
「この『ファルの町』に来る一週間前にね、実はこの元彼氏、名前が秋って言うんだけど、お姉ちゃんと浮気をしていた事が分かって」
「「「え」」」
三人が驚いた声を上げている。そんな驚かなくっても。
ザックやノアにとってはよくある話なのではないだろうか。
笑ってしまうよね、私なんて。
「そんな驚かなくても……『ファルの町』の男性からしたら大した事ないかもしれないけれどね。私ったら浮気されている事に全く気がつかなくて。お姉ちゃんと秋が抱き合っている現場に丁度踏み込んじゃって。それで──」
私は精一杯笑顔をつくり顔を上げた、そこでザックの顔をようやく見る事が出来た。
ザックは困惑していたのに、顔を上げた私の笑顔を見て直ぐに表情を変えた。
とても悲しそうだった。口を真一文字に結んでしまい私の顔を見つめる。
私は笑っている。何で笑っているのだろう。
「馬鹿みたいでしょ。半年間ずっと信じて付き合ってたのに。二人が言うには、私と秋が付き合いはじめて一ヶ月経った頃から、お姉ちゃんと関係してたんだって。それじゃぁ、私は一ヶ月目からずっと浮気されてたんだなって。笑っちゃうよね」
何て惨めなのだろう。
「お姉ちゃんはさ、私と真逆でね。白い肌で綺麗な長い髪の毛で。とても女性らしい体つきで、美人だし可愛くて優しくて皆に人気者で。私と比べてずっとずっと──」
喉が熱くなってきた。
ザックはずっとそんな私の顔を見つめていた。
何か言ってよ、ザック。
「秋は会う度に私の体を求めてきたのに、やっぱり最後はお姉ちゃんが良いんだって。それで私は秋と別れる事になって、周りの皆も「ああ、やっぱりそうか」みたいな。そりゃそうだよね、相手は町の中でも人気の美人なんだもん」
唯一、友達でライフセーバーの仕事仲間の遙ちゃんだけは、真相を知っていて怒ってくれたっけ。私が怒れない分代わりに怒ってくれた。嬉しかった。
「だから、ザックがマリンと関係しているって話を聞かされた時、私は「またか」って思っちゃって」
「……」
ザックが息を呑んだ。
「分かってる、分かってるの! そうじゃないって。なのに、今も、平和しか知らない町で育っておきながら、マリンの過去の話を聞いて凄く驚くばかりで、きっと辛かったって分かっているのに。それなのにやっぱりザックもマリンを好きだったかなぁとか、私じゃやっぱり駄目なのかなぁ、とか。そんな事ばっかり考える私って」
自分の事ばかり考えて、何て酷い人間なのだろう。
私はそれでも笑っている。
自分の事ばかり考えて笑っている私なんて、秋もザックも好きでいるわけがない。
「ナツミ」
ザックが地面が響く様な低い声で私の名を呼んだ。
つり上がり気味の眉の根本に皺が寄っていた。濃いグリーンの瞳が細くなって眼球に私の情けない顔が写っている。笑いながら眉を垂らす私の顔。
「笑うな」
「!」
私は顔が強張った。ああ、ザックにも愛想を尽かされる。笑う様な私は──
「泣いていいんだぜ。泣けよ」
「だって」
泣くって、何?
「悪いのは、そのシュウって男と姉のハルミだ。そして、それだけ不安にさせた俺だ」
「違う!」
相手はお姉ちゃんなのよ、マリンなのよ。
「違わない。お前はちっとも悪くないのに自分を責めるな」
「皆が羨むお姉ちゃんが悪いはずない!」
二人に敵うはずがないのに!
「羨む美人な女だって、ナツミを傷つけたら悪くて当然だ!」
「!」
私はザックの言葉に驚いて目を開いた。
友達の遙ちゃんも同じ様に怒ってくれたけれど、その時には周りの誰もが私と姉を比べて「ああ、仕方ないよな惹かれる理由も分かる」と言っていたから諦めていた。
だけれども──
「笑うなナツミ。辛かったら泣けよ」
「ザック」
駄目だよザック。私は喉が熱くて瞼が熱くて声が掠れた。
ザックはそんな私を笑いながら自分の両手を私に見せて大きく腕を広げた。
「なぁ、ナツミを不安にばかりさせてしまった俺だけど。ナツミを抱きしめて良いか?」
「え」
「俺にはナツミをこんなに傷つけておいて、そんな資格がないかも知れな。だが、俺は傷ついたナツミを抱きしめたいんだ。なぁ、抱きしめても良いか?」
そうやって困った様に笑った。
「ザック! うわぁぁん!」
私はザックの首に抱きついた。そして、子どもの時の様に大声を上げて泣いた。
ザックは私の背中をきつく抱きしめてくれた。
私の好きなお姉ちゃんは私から大切な人を奪ったのに、皆が好きなお姉ちゃんを責めるなんてしないし出来ない。お姉ちゃんを悪いなんて誰も言ってくれなかった。私の好きな秋も結局お姉ちゃんが良かった。だから私には価値がないってずっとそう思っていた。
だけど私は──本当はずっとこうして唯々泣きたかった。
悲しい、辛い、悔しいって泣きたかった。
そして──
「ヒック。ザックが、ザックが浮気とかしてなくて良かった!」
「ああ」
「また裏切られたらどうしたら良いか分からなくて。うっ、うう」
「約束しただろ? 裏切らないって」
「うん、うん。でも、でも。私の事好きじゃないのに秋は体だけ求めてきて、だからザックもそうなのかなって」
「そんな事はしない。俺はナツミだから一緒にいたくて心が欲しくて。そしてその気持ちが溢れるから抱くんだ」
「うん。うん。うっううう」
うわぁぁんと大号泣でザックの耳元で叫ぶがザックはずっと私を抱きしめていた。
そのんな私の姿を見たマリンが再び涙ぐんでいた。
「うっ、グス。ナツミ、ごめんなさい。ごめんなさい」
「え? お、おい」
マリンが再びグズグズ言いだしたのを隣のノアが焦っていた。
「私こそ嫌いにならないでえぇ~」
そう言って再びマリンも泣きはじめてノアは困惑した。
「マリン、それ以上泣くと本当に干からびるから」
そう言いながらもマリンを抱きしめる衣擦れの音が聞こえる。ノアもしっかりマリンを抱き留める。
ザックは私をきつく抱きしめたまま耳元で何度も呟いた。
「俺にはナツミだけだ」
その言葉が嬉しくて、裏切られた過去を溶かしていく。
裏切られた事は忘れる事はないだろう。きっと思い出す度に心が凍りつきそうになる。だけれども、ザックが側にいてくれるならこれからも乗り越えていける様な気がする。
私とマリンは二人一緒に嘔吐くまで数分間泣き続けた。
「うっ。目がパンパン。鼻水が止まらない……」
私はザックに窓際付近で立ったまま抱きしめられていた。腕の中で私は鼻の下を手で押さえた。
「私も。泣きすぎると吐きたくなるって言うか、頭が痛くなるのね」
マリンもベッドでノアに横抱きにされながら呟いていた。
私とマリンは大声で声が嗄れるまで泣き続けた。
顔のあらゆる部位──と言っても、目と鼻から大量の涙と鼻水が出した後、最終的には嘔吐いて咽せた。マリンと私は二人で仲良く顔を洗い流しお水をたくさん飲みようやく落ち着きを取り戻した。
が、油断をすると涙と鼻水が簡単に決壊してしまう。
「あれだけ泣けばなぁ」
手がつけられないほど泣く女二人を目の前にしても、ノアとザックは意外と冷静だった。
「何か冷静だね……」
女性経験豊かな男性二人だ。こんな修羅場は一つや二つ、掻い潜って来たから当然なのだろうか。
散々ザックに甘えておきながら、それが今度は怨めしく思い抱きしめてくれているザックを見上げる。好きという気持ちは実に厄介だ。直ぐに次から次へと気持ちが複雑にゆれ動く。
するとザックはつり上がり気味の眉を少し垂らして首を左右に振った。
「いや、全く冷静じゃない」
「そんな風に見えないけど」
「ナツミの過去に男が見え隠れしていたのは分かっていたけど。はっきりと分かったら、実は気が気じゃない」
「あ……」
そうだった。そうだったどさくさ紛れに自分の失恋話を大暴露したんだった。
「最近、朝方夢にうなされていただろ? 大抵ハルミ、シュウって名前を寝言で呟いてから飛び起きていたんだぜ。だから誰だろうとずっと気になっていて」
「え!?」
知らなかった。私は思わずザックの抱きしめられている腕の中で自分の口を両手で押さえた。
「それでザックはここ最近上の空だったのか」
ノアがベッドの端に座りマリンを抱きしめながら声を上げた。
そういえばノアもザックがボンヤリしていると言っていた。まさか私の夢が原因だったとは。
「ご、ごめん」
「謝るなよ。別にナツミは悪くないのに。直ぐ謝るのは悪い癖だぞ」
ザックが小さくなる私の顎を掴んで自分の視線と合う様に上に上げた。
「うん、ごめん。あ」
再び「ごめん」と呟いてしまい私は目を丸くしてしまった。ザックが優しく笑って顎を掴んだ手を離し頬を撫でてくれる。
「いつか話してくれるかもしれないと思ってずっと待っていたら、今度は俺とマリンとノアの名前を寝言で呼ぶ様になって。何だかおかしいとは思っていたんだ」
「そうだったんだね」
そこでザックはかくんと首をうな垂れて溜め息をついた。
「そうか……『ファルの町』に来る一週間前にフラれたって事は失恋したばかりって事か。しかも未練がある時に俺はナツミに一目惚れでそれから関係をはじめたって事になるんだよな……」
「そ、そうなるね」
厳密に言うと『ファルの町』に来た時が失恋一週間目で。更にそこから一週間後ザックに付き合おうと言われたって事だからまぁ、実質二週間だね。
……あまり変わらないな。
「それでナツミから「嘘はつかない」とか「二股かけないっ」て言う約束事があったんだな。俺、全然気がつかなかったわ。と言うか、相手の女の背景を考えた事がなかったからなぁ。はぁ~」
何故かザックは盛大に溜め息をついている。うな垂れて私の左肩におでこをつけていた。表情が見えない。
「ザック?」
私はザックの耳元で名を呼んだ。
そのザックの姿を見ながらベッドに座るノアが声を上げる。
「プッ。初めて見るぜ。女の事で落ち込むザックなんて」
「くっ」
ザックがくぐもった声を上げる。
「え、落ち込んでいるの?」
私はノアを振り返りながら目を丸くしたが、ザックが私の体を回転させて後ろから抱きしめる。
「きゃぁ。ザック急に回転させないでよ」
「うるさいなぁ。顔を見られたくないんだっ」
そう言って後ろから私を抱きしめたまま俯いて今度は私の右肩におでこをつける。
「顔を見せてよ」
「嫌だ」
「どうして」
「……」
とうとうザックが黙り込んでしまった。
「はは、死ぬほど悔しいんだろ。そのシュウって男の事がさ」
ノアが茶化す。
「えぇ~何でシュウなんかが」
元カレが「なんかが」呼ばわりになってしまった。散々泣いた後だともう未練もこれっぽっちも残っていない。
私は初めて泣く事で、悲しんだり悔しがる事が重要な事を知った。
水泳競技で負けても笑って誤魔化してばかりだったのが弱かった原因なのかもしれない。悔しい時は悔しいと、歯を食いしばって自分を受け入れ、悲しい時は悲しいとたっぷり悲しむ事が大切だったのだろう。
「だってそうだろ。そのシュウって男が原因でナツミはこれ程までに頑なになってたんだから。「嘘をつかない」という条件とやらも起因はその男なんだろ?」
「まぁ、そうだけど……」
起因と言うか何と言うか。
ノアがマリンの肩を抱きながら片手を上げて解説してくれているがピンと来ない。
「分かれよナツミ。ザックは女絡みで嫉妬なんてした事、今までに一度もないんだぜ。こいつ自信がありすぎなんだ。だから今その姿の見えないシュウとやらに嫉妬で渦巻いていて。更にこんなにナツミを泣かせるほど悲しませた事実に気がついて、心がポッキリ折れたんだぜ」
「くっ……!!」
ザックがノアの言葉に震えていた。私を抱きしめる両腕がカタカタと震える。
「えっ」
私はザックの震える腕を触りながら右肩におでこをつけたザックの方を見る。形の良い耳が赤くなっている。
「はは、図星か。俺は今のザックの気持ちが手に取る様に分かるぜ。マリンとザックの関係を知らされて、今も関係があるんじゃないかと疑った時は、いつも隣にいるザックにどす黒い感情が渦巻いた事が何度もあるからな」
振り切れたノアがペラペラと話しはじめた。
同じ色男で浮き名を流し続けたザックと肩を並べるノアも、嫉妬に振り回された時の気持ちは得も言われぬものだった様だ。
すっかり嫉妬経験者としての先輩風を吹かせている。
「どす黒い感情……ふぇ……」
その言葉を聞いてマリンが再び泣きはじめる。
「待て待て、泣くなマリン!」
しまった……という顔をしてノアが慌てる。こういうところがノアも間抜けだ。
「だって、それって、私が原因って事じゃない。ごめんなさい~」
再びグズグズ泣きはじめるマリンだった。泣きたいわけではないが涙が出てくるのだろう。
「ほら泣くなマリン。言い方が悪かった、今は気にしてないからさ。って言うか俺も女絡みの話はザック同様で昔はだらしなかったから」
再びノアはマリンの肩を叩く。
そのノアの言葉を聞いてザックがくぐもった声を上げた。
「そうなんだよな……散々自分が女相手にやってた事をさ、まさか自分に返ってくると思わなかったから。シュウっていう野郎が羨ましいやら、悔しいやら。ナツミを傷つけておいて許さないと思う反面、俺の事もナツミは嫉妬してくれるのかな? とかさ」
ボソボソ呟いていた。
そういえばこの間も私にノアの匂いがついていた事も気に入らないと言っていたし。
今までは女性には誰にでも平等で特に突出した恋愛感情も抱かずに、抱くという行為で皆に平均して愛を分け与えていたのだろう。
だけれどその愛情が一点に私にだけ向かっているのならとても嬉しい。
そこでようやくザックは観念した様に顔を上げた。私は下から後ろに体を捻ってザックの顔を見つめる。
頬はほんのり赤くなっていて、困った様に苦しそうに眉を寄せている。濃いグリーンの瞳が少し濡れている様に光っている。
こんな時も色っぽいと思ってしまうのは、ザックに心を奪われているせいだろう。
ザックは溜め息をつきながら私のおでこの上に顎を置いた。
「分かっているけど何だかモヤモヤするんだよ。割り切れないというかさ。男って勝手だよな。自分の事は散々棚に上げておいてな」
「男って一括りにするな。そんなのはザック、お前だけだから」
ノアが間髪入れず突っ込む。
「何だよ、さっきノアも俺と同様だって言っただろう!」
ザックがノアに対して文句を言いはじめた。
二人とも「何だと」と言うと、睨み合う。何処までも仲の良い二人だ。私はそんな二人のやり取りを見つめながら思わず笑った。
「ふふふ。はぁ。何だか安心したら眠くなって来ちゃった……」
そして一つあくびをした。
「はぁ……急にのどかな雰囲気出しやがって……」
ザックが呆れた様に私の頭の上で溜め息をついていたが最後は笑ってくれた。
その笑い声を皮切りに、私とザック、ノアとマリン四人で笑い合った。
ひとしきり笑い合った後ザックがそう言えばと口を開いた。
「ところでノア、ナツミ。聞きにくいけど……俺とマリンの話は誰に聞いたんだ?」
ザックの言葉に私とノアは顔を見合わせて、それぞれの話をしはじめた。
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