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078 マリンが羨ましい
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私は酒場の一番奥にある背の高い仕切りがあるテーブル席に、ノアによって押し込まれた。時間泊の部屋と比べて密閉性はないが、ひそひそ話す分だと相当近くで聞き耳を立てないと聞こえない。
よく踊り子が夜食事をしたり、一休みをする時に使っている場所だ。
「ナツミは、そのまま待ってろ。食事を持ってくる様に厨房へ伝えるから。シンにでも運ばせるさ」
ノアが私を席の一番奥に追いやる。それからマリンと一緒に軍人達が騒いでいるフロアに戻ろうとする。
「そんなの悪いよ。自分の食事ぐらい厨房に取りに行くよ」
「止めておけ。厨房に行く為にフロアに出てたりしたら、ナツミを見ようと待ち構えている野郎共の餌食になるぞ」
「餌食って、そんな大げさな」
「大げさなもんか。あいつら浮かれているザックを見て叩き潰す勢いなんだ。普段のやっかみもあるあろうが。ザックがどれだけ女にだらしないかナツミに話をして、ザックがこてんぱんにやられるところを見るつもり満々なんだぞ」
「もう。散々ザックの女性関係の話は聞いたけど。それにノアが言ったじゃない」
「え。ノアが何て言ったの?」
マリンが「ノア」という名前に反応して声を上げる。だから私は押し込まれた座席に座り、路地で聞いたノアの話をしようと口を開いた。
「あ~! 何でもないんだ、マリン。な・ん・で・も・ない」
ノアが話を聞こうとしたマリンの前に立ちはだかり両手をバタバタさせる。かなり焦っている姿を見ると、マリンにも話した事がないのかもしれない。
ザックとノアの二人で、女性と複数プレイしていました~なんて、自分で言う事でもないな。となると、いつも一緒にいるシンも怪しいなぁ。
「ノアの話なら私も聞きたいのに。ナツミ教え、キャッ」
マリンにしては珍しく食い下がってくる。マリンは私の前に立ち塞がるノアを越えて、話を聞こうとする。
しかし、ノアがマリンの後頭部と背中に手を回してギュッと抱きしめ動きを封じた。マリンの目の前は、ノアがつけているエプロンの胸当てしか見えていないだろう。
「く、苦しいわ。ノア。狡いわよ。プッ」
「とにかくナツミはそこにいるんだ! 直ぐにシンにでも食事を持って来させるから。とにかく、ナツミだってあれもこれも聞かされたら嫌になってくるだろう? それに、あわよくばザックからナツミを奪おうとするお調子者も大勢いるんだ。ザックが必死でお前の事をかくまっていたんだから少しは分かれよ」
ノアは私の返事も聞かずにマリンを軽く抱き上げたままズンズンとフロアに戻っていってしまった。
「ああ、もう。どうなってるの。移動している? ノア、歩けるってばぁ」
マリンが珍しく喚いていたが全くびくともしないノアに最後は諦め共にフロアに戻っていった。
何だか可愛いマリンの姿に私はふと笑みがこぼれた。
高い仕切りがある為ちょっとした小部屋状態のこの場所は、焦げ茶色の長テーブルが設置されている。木の板で作られているテーブルは年季が入っているが表面は何度も磨かれてつるつるになっている。長テーブルの真ん中には仄かな光を放つランプと、紫色の薔薇に似た花が一輪飾られていた。
「ジルさんと同じ瞳の色か」
椅子は背もたれがない長椅子で、詰めて座ればザックぐらいの大きな男性が三人程座れる。向かい合って六人座れば、ちょっとした会議も出来そうだ。
そんな事を考えてテーブルの上を片手でさすると、フロアの方が再び騒がしくなった。
「おっ、マリン! 何処に行ってたんだよ~踊った後突然消えるからビックリしたぞ、って、何だノアと一緒かよ~」
「お前ら二人何処へ行っていたんだよ。何か怪しいなぁ」
「そもそも何でそんな抱き上げたまま登場するんだよ。マリンもしかして腰でも抜けたか」
「あっはっはっ! やっぱりノアだってザックと同じだぜ。本当にお前らときたら」
冷やかす口笛が聞こえた。フロアで盛りあがる軍人達がノアとマリンが二人きりで現れた事、更にしけ込んでいたかの様に話を進めてからかっている。ファルの町の男性らしい話だ。
私は高い仕切りからコッソリ顔を半分出して、遠くに見えるフロアの様子を覗いてみる。こちら暗いからフロアからは見えないだろうしこのぐらいなら大丈夫だろう。
ノアから降ろされたマリンの手を、近くの軍人が呼び寄せ手の甲にキスをしていた。
「いやぁしかしマリンの踊りはいつ見ても美しい」
「本当だな。見るだけで癒やされると言うか、引き込まれると言うか……別世界に行けるよなぁ」
「いいなぁノアは。こんなマリンを独占できるんだから」
「本当だよ。なぁマリン、ノアみたいなひょろひょろ止めて俺にしておけよ。な?」
そう言って、軍人がマリンを抱きしめようと引き寄せるが、マリンも手慣れているのかひらりとかわすと、誘う軍人二人の間にストンと座り白い足を組んだ。
「ふふふ……ありがとう。とても嬉しいわ。でも、今の私はノアだけよ」
ブルーのラメの入ったアイラインが魅力的だった。微笑んだ頬は染み一つない。
「えぇ~ノアみたいな細身の男より、俺の方がきっと凄いぜ?」
マリンは布地の範囲が少ない踊り子衣装の、露わになっている肌に触ろうとする軍人達の腕を手に取りながら上手くかわしていく。
よけ方も軍人達を不快にさせない様にしていて上手い。『ジルの店』で働くのだから、こんな事は日常茶飯事なのだろう。
「もちろん、あなたも魅力的だけどね」
そう言ってマリンはウインクして見せる。それだけで男達は溜め息をついて満足そうにした。
最後に意味深に答えたのはリップサービスなのだろうけれど、美人って何をやっても得だなぁ。私が同じ様にやったって通じないだろう。
それに、マリンだって女性としてベタベタ男性から触られる事を良としているわけでもないだろうし、今まで勤めてきての経験なのだろう。
透き通った白い肌を晒していてもスッと背筋を伸ばして座るマリンの姿は、女性の私から見ても美しかった。
「だとよノア。褒められたけどさぁ俺はお前が羨ましいぜ! 畜生」
マリンに絡んだ軍人は何だかんだでノアがマリンの恋人という事を分かっていて、最後は悔しそうにしてビールをグビグビ飲んだ。
「ホントだよ。ガキの頃から裏町で女共を手玉に取り、更に町一番の美人を手に入れてさぁ。畜生! それで極めつけにザックまでもが女に夢中ってさぁ」
「本当だぜ、どんな女なのか姿を見たぁい! ナツミ~何処にいるんだ出て来いよ」
「そうだそうだ!」
出て来いよーと、完全に酔っ払った軍人達が樽形のジョッキを上に掲げて一致団結し、再びビールをあおる。
「呑みすぎよ」
「本当だな、程々にしろよ」
マリンとノアが制するがちっとも耳を貸そうとしない。
「いいや。今晩はナツミに会うまでここで飲み明かす!」
「そうだなぁ。じゃぁ、俺は。あっベルじゃないか。こちらへ来てくれよ。俺はマリンにフラれて寂しいんだ」
「俺はイヴがいいなぁ」
酔っ払った軍人達の話がそれ急に別の踊り子を呼び寄せてベタベタしはじめた。
やだぁ~等と言いながら踊り子達が軍人達と話をして盛りあがる。今晩は時間泊の部屋が満室になるかもしれない。
私は覗くのを止めるとゆっくりと椅子に座り直し、机の上にうつ伏せになった。
ザックやノアの言う通り出て行かなくて良かった。
私はうつ伏せになったままで呟く。
「……私じゃ何の自慢にもならないもんね」
ザックがどんな女に夢中なのか皆興味津々だ。きっと他店のザックと関係のあった踊り子やソルのお陰で私の噂が立っている様子だが。
噂は背びれ尾びれなんかもついてきっと話が全く別になって伝わっているだろう。
確かにあの祭りの時はまだ化粧をしてミラのお手製ワンピースで、少しはましになっていたと思うが、結局ソル達にも小さな女の子と間違われるし。
祭りの時、ザックはキスまでして大きく私を宣伝してしまったが、今の姿はとてもとても。ウエイターとしか認識されないだろう。
こんな姿でのこのこ出て行ったりしたら、ノアの恋人であるマリンと比べられる事間違いなしだ。益々惨めになってしまう。
祭りの時に出会ったソル達の反応が良い例だ。ザックだってきっと馬鹿にされてしまう。
せめて、もう少しましな姿だったら良かったのに。
「マリンが羨ましい……」
ザックが過去にマリンと関係していたとして。
マリンの美しさに惹かれるのは当然か。だってマリンだよ? あんなに女性好きなザックだし。そんな過去があるなら、マリンはどうして今はノアと恋人なの?
ああ、分からない。
美人だったら、もっと自分に自信があったらこんなに悩まなかったのかな。
その時、ふと──お姉ちゃんの、春見の顔がよぎった。
私も日本人として姉ちゃんぐらい美人だったらマリンと並んでも堂々としていられたかもしれない。何処の世界でも美人は羨ましい。
お姉ちゃんと散々昔から比べられて、容姿にコンプレックスを持った私の気持ちは暗くなるばかりだ。
ぐぅ~
このタイミングで鳴る?
落ち込む私を更に追い詰める容赦のないお腹の虫。
この落ち込み具合はお腹がきっと減っているせいだろう。
「ナツミ。ハハッ凄ぇ腹のなり様だなぁ」
シンが両手にそれぞれお皿を持って登場した。
見ると香味野菜を刻み挽き肉を炒めて赤いソースと絡めたチーズたっぷりパスタと、優しい香りのする野菜スープだった。
シンがクスクス笑って私の目の前にお皿を置いた。そしてカトラリーを用意して、冷えたレモン水を注いでくれる。
「ほら! 食えよ。今日のは最高に美味いぜ」
シンがバチンとウインクした。
私のお腹の虫を笑いながらも優しく声をかけてくれるシンが今の唯一の救いだ。
そんなシンを見つめて私は頷いた。
先ずはこの落ち込んだ気持ちを振り切る為にお腹を満たそうと決めた。
ザックは厨房で両手を洗い流すと腰にひっかけていた手拭きで濡れた手を綺麗に拭いた。
「ザックお疲れ。いい加減休憩に入っていいぞ。お前を呼ぶ野郎共の声が煩くてなぁ」
ダンが黒光りする頭を撫でながらフロアの方を親指で指した。
「あいつらナツミ、ナツミって何度も呼びやがって。誰が目の前に晒すかよ」
ザックは眉間に皺を寄せ嫌そうに呟く。
「はは、昨日もニコと一緒にウエイターじゃないや、ウエイトレスとして店先に出ていたのにな。しかも会計とかしてたのに。忘れてんのかね、あいつら」
ダンとよく似た坊主頭の料理人も笑いながらコップにビールを注ぎ、一休みしていた。
「あいつら黒髪が珍しいのに男って勘違いしているからさ、酔っ払って全然覚えてないんだぜ。そんな奴等の前に『ナツミは実は女でーす』って、出そうものなら明日からどんなちょっかいを出してくるのか想像するだけで──」
ザックはそこまで言うと身震いをして、握りしめた手拭きを両手で引っ張りビリビリと破いてしまった。
「そんな事になるなら、今までいたウエイターのナツミは男性だと認識しておいて貰った方がまだましだ。俺の恋人のナツミと同一人物だと気がつかないだろうし」
「そんな無茶苦茶な」
ザックの勝手な解釈に呆れかえる坊主頭の料理人だった。ビールを飲みながら丸椅子に腰掛けた。
どんなに誤魔化そうとも、ナツミが女性だとバレるのは分かりきっているはずなのに。無駄な抵抗をするザックだった。
「そんなザックもナツミの事を最初は男だと勘違いしていたんだろう? しかも子どもとか。そんなナツミに手を真っ先に出したのはザック、お前だぞ」
ダンが呆れてザックの破いた手拭きを取り上げる。自分の事は棚に上げ何を言っているのだと呟いた。
「う。それはそうだけど」
ザックはバツが悪そうに呟いた。
ザックはこう思う。海で泳ぐ美しい姿のナツミを見たら今フロアにいる軍人達はナツミの事が気になるに決まっている。ファルの町の女達と違う魅力、神秘的な姿に目を奪われる。一目惚れする厄介な奴が出てこられたりしたら──
自分もそうだがファルの町の男達は強引だ。男がいようがいまいが自分の気に入った女にアピールし時には奪う。
「まぁ、確かにナツミもこの数日で少し色っぽくなった様な気はするな」
ダンが頭をさすりながら椅子に座って一休みをしはじめた。
「ダンまでもがそんな事言い出すのか?!」
ザックが慌ててダンの顔を睨みつける。
「誤解するなよ。ナツミはお前と充実しているから、いい雰囲気が出ていると言いたいだけだ」
ザックの顔を大きな手で掴むとグイッと押しやるダンだった。
「それならいいが……だけどそれも問題なんだよなぁ。魅力的になればなるほど」
ザックがダンの手を振り払うと、一人溜め息をついて口を尖らせた。
「まぁ、踊り子と同じ様に、店に来る男達がちょっかいを出すだろうなぁ」
ビールを飲んでいた坊主頭の料理人が軽く笑い、ザックの悩みを言い当てた。
ザックはその言葉に両手で顔を隠して溜め息を深くついた。
そうなのだ。目の届かないところで男にグイグイ迫られるナツミを心配している。ザックの様な男は他にもわんさかいるのだ。
「いっそ閉じ込めておくってのは……」
ザックが両手をはずして、真面目な顔をして怖い事を言い出す。
ビールを飲んでいた坊主頭の料理人は目を丸くした。
「おいおいザック。真面目な顔で物騒な事を冗談でも言うなよ。お前そんな性格だったか?」
ザックは唸る。そんな性格だったかと言われると困る。
何故ならばナツミへの気持ちも何もかもが初めてなのだ。
ザック自身こんなに独占欲が強いとは考えてもなかった。
「俺自身、自分がこんな性格だったって事実にビックリしているところ」
ザックが中央にある作業台に両手をついて溜め息をついた。
「ハハハ。今まで女達を泣かせてきたツケだな。色男め、目一杯悩めばいいさ」
坊主頭の料理人は「いい気味だ」と付け足すと笑いながらビールをあおった。
「くっ……」
ザックは怨めしそうに歯ぎしりをした。
「ナツミは、マリンやミラの様な踊り子衣装で必要以上に男達を刺激しているわけではないから大丈夫だろう。それに、ちゃんと見ているか? ナツミは酔っ払いのあしらい方も上手いぞ。さぁ、ナツミの食事はシンに運ばせたし、お前はナツミが同じ酒場にいる事がバレない様に軍人共の相手をして来いよ」
ダンはそう言ってザックの背中を叩くと、厨房からフロアに押し出した。
よく踊り子が夜食事をしたり、一休みをする時に使っている場所だ。
「ナツミは、そのまま待ってろ。食事を持ってくる様に厨房へ伝えるから。シンにでも運ばせるさ」
ノアが私を席の一番奥に追いやる。それからマリンと一緒に軍人達が騒いでいるフロアに戻ろうとする。
「そんなの悪いよ。自分の食事ぐらい厨房に取りに行くよ」
「止めておけ。厨房に行く為にフロアに出てたりしたら、ナツミを見ようと待ち構えている野郎共の餌食になるぞ」
「餌食って、そんな大げさな」
「大げさなもんか。あいつら浮かれているザックを見て叩き潰す勢いなんだ。普段のやっかみもあるあろうが。ザックがどれだけ女にだらしないかナツミに話をして、ザックがこてんぱんにやられるところを見るつもり満々なんだぞ」
「もう。散々ザックの女性関係の話は聞いたけど。それにノアが言ったじゃない」
「え。ノアが何て言ったの?」
マリンが「ノア」という名前に反応して声を上げる。だから私は押し込まれた座席に座り、路地で聞いたノアの話をしようと口を開いた。
「あ~! 何でもないんだ、マリン。な・ん・で・も・ない」
ノアが話を聞こうとしたマリンの前に立ちはだかり両手をバタバタさせる。かなり焦っている姿を見ると、マリンにも話した事がないのかもしれない。
ザックとノアの二人で、女性と複数プレイしていました~なんて、自分で言う事でもないな。となると、いつも一緒にいるシンも怪しいなぁ。
「ノアの話なら私も聞きたいのに。ナツミ教え、キャッ」
マリンにしては珍しく食い下がってくる。マリンは私の前に立ち塞がるノアを越えて、話を聞こうとする。
しかし、ノアがマリンの後頭部と背中に手を回してギュッと抱きしめ動きを封じた。マリンの目の前は、ノアがつけているエプロンの胸当てしか見えていないだろう。
「く、苦しいわ。ノア。狡いわよ。プッ」
「とにかくナツミはそこにいるんだ! 直ぐにシンにでも食事を持って来させるから。とにかく、ナツミだってあれもこれも聞かされたら嫌になってくるだろう? それに、あわよくばザックからナツミを奪おうとするお調子者も大勢いるんだ。ザックが必死でお前の事をかくまっていたんだから少しは分かれよ」
ノアは私の返事も聞かずにマリンを軽く抱き上げたままズンズンとフロアに戻っていってしまった。
「ああ、もう。どうなってるの。移動している? ノア、歩けるってばぁ」
マリンが珍しく喚いていたが全くびくともしないノアに最後は諦め共にフロアに戻っていった。
何だか可愛いマリンの姿に私はふと笑みがこぼれた。
高い仕切りがある為ちょっとした小部屋状態のこの場所は、焦げ茶色の長テーブルが設置されている。木の板で作られているテーブルは年季が入っているが表面は何度も磨かれてつるつるになっている。長テーブルの真ん中には仄かな光を放つランプと、紫色の薔薇に似た花が一輪飾られていた。
「ジルさんと同じ瞳の色か」
椅子は背もたれがない長椅子で、詰めて座ればザックぐらいの大きな男性が三人程座れる。向かい合って六人座れば、ちょっとした会議も出来そうだ。
そんな事を考えてテーブルの上を片手でさすると、フロアの方が再び騒がしくなった。
「おっ、マリン! 何処に行ってたんだよ~踊った後突然消えるからビックリしたぞ、って、何だノアと一緒かよ~」
「お前ら二人何処へ行っていたんだよ。何か怪しいなぁ」
「そもそも何でそんな抱き上げたまま登場するんだよ。マリンもしかして腰でも抜けたか」
「あっはっはっ! やっぱりノアだってザックと同じだぜ。本当にお前らときたら」
冷やかす口笛が聞こえた。フロアで盛りあがる軍人達がノアとマリンが二人きりで現れた事、更にしけ込んでいたかの様に話を進めてからかっている。ファルの町の男性らしい話だ。
私は高い仕切りからコッソリ顔を半分出して、遠くに見えるフロアの様子を覗いてみる。こちら暗いからフロアからは見えないだろうしこのぐらいなら大丈夫だろう。
ノアから降ろされたマリンの手を、近くの軍人が呼び寄せ手の甲にキスをしていた。
「いやぁしかしマリンの踊りはいつ見ても美しい」
「本当だな。見るだけで癒やされると言うか、引き込まれると言うか……別世界に行けるよなぁ」
「いいなぁノアは。こんなマリンを独占できるんだから」
「本当だよ。なぁマリン、ノアみたいなひょろひょろ止めて俺にしておけよ。な?」
そう言って、軍人がマリンを抱きしめようと引き寄せるが、マリンも手慣れているのかひらりとかわすと、誘う軍人二人の間にストンと座り白い足を組んだ。
「ふふふ……ありがとう。とても嬉しいわ。でも、今の私はノアだけよ」
ブルーのラメの入ったアイラインが魅力的だった。微笑んだ頬は染み一つない。
「えぇ~ノアみたいな細身の男より、俺の方がきっと凄いぜ?」
マリンは布地の範囲が少ない踊り子衣装の、露わになっている肌に触ろうとする軍人達の腕を手に取りながら上手くかわしていく。
よけ方も軍人達を不快にさせない様にしていて上手い。『ジルの店』で働くのだから、こんな事は日常茶飯事なのだろう。
「もちろん、あなたも魅力的だけどね」
そう言ってマリンはウインクして見せる。それだけで男達は溜め息をついて満足そうにした。
最後に意味深に答えたのはリップサービスなのだろうけれど、美人って何をやっても得だなぁ。私が同じ様にやったって通じないだろう。
それに、マリンだって女性としてベタベタ男性から触られる事を良としているわけでもないだろうし、今まで勤めてきての経験なのだろう。
透き通った白い肌を晒していてもスッと背筋を伸ばして座るマリンの姿は、女性の私から見ても美しかった。
「だとよノア。褒められたけどさぁ俺はお前が羨ましいぜ! 畜生」
マリンに絡んだ軍人は何だかんだでノアがマリンの恋人という事を分かっていて、最後は悔しそうにしてビールをグビグビ飲んだ。
「ホントだよ。ガキの頃から裏町で女共を手玉に取り、更に町一番の美人を手に入れてさぁ。畜生! それで極めつけにザックまでもが女に夢中ってさぁ」
「本当だぜ、どんな女なのか姿を見たぁい! ナツミ~何処にいるんだ出て来いよ」
「そうだそうだ!」
出て来いよーと、完全に酔っ払った軍人達が樽形のジョッキを上に掲げて一致団結し、再びビールをあおる。
「呑みすぎよ」
「本当だな、程々にしろよ」
マリンとノアが制するがちっとも耳を貸そうとしない。
「いいや。今晩はナツミに会うまでここで飲み明かす!」
「そうだなぁ。じゃぁ、俺は。あっベルじゃないか。こちらへ来てくれよ。俺はマリンにフラれて寂しいんだ」
「俺はイヴがいいなぁ」
酔っ払った軍人達の話がそれ急に別の踊り子を呼び寄せてベタベタしはじめた。
やだぁ~等と言いながら踊り子達が軍人達と話をして盛りあがる。今晩は時間泊の部屋が満室になるかもしれない。
私は覗くのを止めるとゆっくりと椅子に座り直し、机の上にうつ伏せになった。
ザックやノアの言う通り出て行かなくて良かった。
私はうつ伏せになったままで呟く。
「……私じゃ何の自慢にもならないもんね」
ザックがどんな女に夢中なのか皆興味津々だ。きっと他店のザックと関係のあった踊り子やソルのお陰で私の噂が立っている様子だが。
噂は背びれ尾びれなんかもついてきっと話が全く別になって伝わっているだろう。
確かにあの祭りの時はまだ化粧をしてミラのお手製ワンピースで、少しはましになっていたと思うが、結局ソル達にも小さな女の子と間違われるし。
祭りの時、ザックはキスまでして大きく私を宣伝してしまったが、今の姿はとてもとても。ウエイターとしか認識されないだろう。
こんな姿でのこのこ出て行ったりしたら、ノアの恋人であるマリンと比べられる事間違いなしだ。益々惨めになってしまう。
祭りの時に出会ったソル達の反応が良い例だ。ザックだってきっと馬鹿にされてしまう。
せめて、もう少しましな姿だったら良かったのに。
「マリンが羨ましい……」
ザックが過去にマリンと関係していたとして。
マリンの美しさに惹かれるのは当然か。だってマリンだよ? あんなに女性好きなザックだし。そんな過去があるなら、マリンはどうして今はノアと恋人なの?
ああ、分からない。
美人だったら、もっと自分に自信があったらこんなに悩まなかったのかな。
その時、ふと──お姉ちゃんの、春見の顔がよぎった。
私も日本人として姉ちゃんぐらい美人だったらマリンと並んでも堂々としていられたかもしれない。何処の世界でも美人は羨ましい。
お姉ちゃんと散々昔から比べられて、容姿にコンプレックスを持った私の気持ちは暗くなるばかりだ。
ぐぅ~
このタイミングで鳴る?
落ち込む私を更に追い詰める容赦のないお腹の虫。
この落ち込み具合はお腹がきっと減っているせいだろう。
「ナツミ。ハハッ凄ぇ腹のなり様だなぁ」
シンが両手にそれぞれお皿を持って登場した。
見ると香味野菜を刻み挽き肉を炒めて赤いソースと絡めたチーズたっぷりパスタと、優しい香りのする野菜スープだった。
シンがクスクス笑って私の目の前にお皿を置いた。そしてカトラリーを用意して、冷えたレモン水を注いでくれる。
「ほら! 食えよ。今日のは最高に美味いぜ」
シンがバチンとウインクした。
私のお腹の虫を笑いながらも優しく声をかけてくれるシンが今の唯一の救いだ。
そんなシンを見つめて私は頷いた。
先ずはこの落ち込んだ気持ちを振り切る為にお腹を満たそうと決めた。
ザックは厨房で両手を洗い流すと腰にひっかけていた手拭きで濡れた手を綺麗に拭いた。
「ザックお疲れ。いい加減休憩に入っていいぞ。お前を呼ぶ野郎共の声が煩くてなぁ」
ダンが黒光りする頭を撫でながらフロアの方を親指で指した。
「あいつらナツミ、ナツミって何度も呼びやがって。誰が目の前に晒すかよ」
ザックは眉間に皺を寄せ嫌そうに呟く。
「はは、昨日もニコと一緒にウエイターじゃないや、ウエイトレスとして店先に出ていたのにな。しかも会計とかしてたのに。忘れてんのかね、あいつら」
ダンとよく似た坊主頭の料理人も笑いながらコップにビールを注ぎ、一休みしていた。
「あいつら黒髪が珍しいのに男って勘違いしているからさ、酔っ払って全然覚えてないんだぜ。そんな奴等の前に『ナツミは実は女でーす』って、出そうものなら明日からどんなちょっかいを出してくるのか想像するだけで──」
ザックはそこまで言うと身震いをして、握りしめた手拭きを両手で引っ張りビリビリと破いてしまった。
「そんな事になるなら、今までいたウエイターのナツミは男性だと認識しておいて貰った方がまだましだ。俺の恋人のナツミと同一人物だと気がつかないだろうし」
「そんな無茶苦茶な」
ザックの勝手な解釈に呆れかえる坊主頭の料理人だった。ビールを飲みながら丸椅子に腰掛けた。
どんなに誤魔化そうとも、ナツミが女性だとバレるのは分かりきっているはずなのに。無駄な抵抗をするザックだった。
「そんなザックもナツミの事を最初は男だと勘違いしていたんだろう? しかも子どもとか。そんなナツミに手を真っ先に出したのはザック、お前だぞ」
ダンが呆れてザックの破いた手拭きを取り上げる。自分の事は棚に上げ何を言っているのだと呟いた。
「う。それはそうだけど」
ザックはバツが悪そうに呟いた。
ザックはこう思う。海で泳ぐ美しい姿のナツミを見たら今フロアにいる軍人達はナツミの事が気になるに決まっている。ファルの町の女達と違う魅力、神秘的な姿に目を奪われる。一目惚れする厄介な奴が出てこられたりしたら──
自分もそうだがファルの町の男達は強引だ。男がいようがいまいが自分の気に入った女にアピールし時には奪う。
「まぁ、確かにナツミもこの数日で少し色っぽくなった様な気はするな」
ダンが頭をさすりながら椅子に座って一休みをしはじめた。
「ダンまでもがそんな事言い出すのか?!」
ザックが慌ててダンの顔を睨みつける。
「誤解するなよ。ナツミはお前と充実しているから、いい雰囲気が出ていると言いたいだけだ」
ザックの顔を大きな手で掴むとグイッと押しやるダンだった。
「それならいいが……だけどそれも問題なんだよなぁ。魅力的になればなるほど」
ザックがダンの手を振り払うと、一人溜め息をついて口を尖らせた。
「まぁ、踊り子と同じ様に、店に来る男達がちょっかいを出すだろうなぁ」
ビールを飲んでいた坊主頭の料理人が軽く笑い、ザックの悩みを言い当てた。
ザックはその言葉に両手で顔を隠して溜め息を深くついた。
そうなのだ。目の届かないところで男にグイグイ迫られるナツミを心配している。ザックの様な男は他にもわんさかいるのだ。
「いっそ閉じ込めておくってのは……」
ザックが両手をはずして、真面目な顔をして怖い事を言い出す。
ビールを飲んでいた坊主頭の料理人は目を丸くした。
「おいおいザック。真面目な顔で物騒な事を冗談でも言うなよ。お前そんな性格だったか?」
ザックは唸る。そんな性格だったかと言われると困る。
何故ならばナツミへの気持ちも何もかもが初めてなのだ。
ザック自身こんなに独占欲が強いとは考えてもなかった。
「俺自身、自分がこんな性格だったって事実にビックリしているところ」
ザックが中央にある作業台に両手をついて溜め息をついた。
「ハハハ。今まで女達を泣かせてきたツケだな。色男め、目一杯悩めばいいさ」
坊主頭の料理人は「いい気味だ」と付け足すと笑いながらビールをあおった。
「くっ……」
ザックは怨めしそうに歯ぎしりをした。
「ナツミは、マリンやミラの様な踊り子衣装で必要以上に男達を刺激しているわけではないから大丈夫だろう。それに、ちゃんと見ているか? ナツミは酔っ払いのあしらい方も上手いぞ。さぁ、ナツミの食事はシンに運ばせたし、お前はナツミが同じ酒場にいる事がバレない様に軍人共の相手をして来いよ」
ダンはそう言ってザックの背中を叩くと、厨房からフロアに押し出した。
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