【R18】ライフセーバー異世界へ

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076 黒いフードの女

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 すっかり時間泊の部屋が自分の部屋の様になってしまっている。
 自分の部屋のドアを開ける様に鍵を差し込みドアを開けると、そこにはザックが窓を開けて立っていた。
「ザック、お帰りなさい」
 私が声をかけた事に気がつくとザックは振り向き、濃いグリーンの瞳を細めて微笑んだ。
「ナツミ、ただいま」
 ザックは優しく返事をくれた。
 そして、普段は閉じられたままの窓の外を一通り眺め窓を閉める。ザックは考え事をしていた様だ。
 ザックは顎をしゃくる様にして私に部屋のドアの鍵を閉める様に促す。私はしっかりと鍵を閉めた。

 まだ夕方前だが、抜群の密閉率を誇る時間泊の部屋だ。部屋は真っ暗になった。
 ザックが先ずベッドサイドのランプをつける。私もその灯りを頼りに、壁伝いのランプを灯す。ランプは魔法石が輝くもので結構明るい。三段階の明るさ調節も出来て便利だ。

「ジルから話は聞いたか?」
 ザックはベッドに腰をかけながら私に問いかける。長い足を大きく開いて、私に側に来る様に手招いた。
「うん。聞いたよ。凄く大変な任務だね。私達を囮にするにしても、ザック達の責任は重大だよね」
 私は手招かれたザックの両手を握りしめベッドに座る彼の目の前に立った。
 ザックは私の言葉に驚いて顔を覗き込んできた。それからつり上がり気味の眉の中央に皺を寄せて険しい表情になった。
「囮って……ジルがそう言ったのか」
 ザックは低い声で唸り私に尋ねた。それから私が掴んだ手を逆に握り返される。強い力だった。
 私は首を左右に振って否定した。
「違うよ。ジルさんの話を聞いてそうなのかなって、私が勝手に考えただけ。ミラとマリンには伝わってないと思う……囮なんて」
「勝手に思っただけ、って」

 元々頭が良いと思っていたが、ここまでとは。
 ザックは目を丸くしてナツミの聡明さに改めて驚いた。

「ジルさんはオベントウを売りに行ったついでに、踊り子を適当に裏町に泳がせて奴隷商人をザック達が捕まえるっていう口ぶりだったけど。残党の奴隷商人が女性を狙う理由ってあるのかな?」
 ジルさんがハイキングに行くついでの様に軽く言った事は印象的だったが、考えると本当に囮として踊り子達が狙われるのか疑問になる。
 その部分がどうしても理解できなかったのでザックに尋ねてみた。
 ザックは私の疑問に口を一度開いて溜め息をついた。それから私を自分の横に座る様に促す。
「元々、ノアの兄貴……アルが狙っているのはノアの命だ。領主候補のノアを亡き者にしたいと思っているという事実は変わらないと思う。ただ、いくつかの奴隷商人と手を組んだ商売をアルがしていたのは、自分の資金力を増やす為だ。ひとまずこれを分けて考えてくれ」
「うん」
「アルが逃亡中なのはナツミも知っている通りだ。そして軍の陸上部隊の諜報員が入手した新しい話では、アルは潜伏している凶暴な奴隷商人だけとは折り合いがつかず仲違いをしたそうだ」
「え?」
「金の配分で揉めたみたいだ。その奴隷商人に対してアルは金を渡さなかったんだと」
 アルさんと、どんな揉め方をしたのかは分からないが奴隷商人は金が手に入らなかったという事なのか。
「じゃぁ、金儲けをするっていう事?」
「そうだ。この奴隷商人が金になる事をファルの町でやる事は必須さ。色んな町で好き勝手をしたら別の町に移る様だが、これといった正体が掴めていない」
「じゃぁ、何人いるとか、どんな風貌なのかとか?」
「ああ。よそ者は直ぐに分かるとはいえ、裏町にも無数の宿屋が存在しているからな。通常の商人の振りをしているかもしれない」
「そうなんだ……」
 目に見えない相手はとても怖い。それに凶暴とついているのだから……
 私は両手で自分自身を抱きしめる様にした。
 その様子を見たザックが私を横に抱きかかえて自分の膝の上に乗せた。
「わっ」
 私は驚いて身を固くした。横に座っていたはずなのに軽々と持ち上げられた。
 されるがままに私はザックの膝の上に乗り、彼を見上げる。
 ザックは困った顔で私を見つめる。それから数秒して、意を決した様に低い声で呟いた。
「ファルの町の踊り子は最高の女だ。高く売れるのは分かっている事だ。だからといって囮に使うなんて」
 そう言ってザックは私の左肩に自分の顔を埋めて抱きしめた。ザックの苦しそうな声が聞こえた。
「こんな事をしなくたって捕まえる方法は、他にあると思うのに。済まない」
「ザック」
 ザックの肩が少し震えているのが分かった。私は何度もザックの名前を呟いてザックの広い背中を撫でた。少しずつザックの肩の震えが治まってくる。
 それからきつく抱きしめていた腕を緩めて、今度は私の顔のおでこにキスを一つ落とした。
「ナツミ達を必ず守る。そして、奴隷商人を捕まえる」
 ザックは低い声で私のおでこに自分のおでこをくっつけて誓う。
「ザック。ありがとう守ってくれて。それに、これからザック達はお昼も『ジルの店』でお仕事になるんでしょ? いつも側にいるから私は怖くないよ。って言うか、私は踊り子じゃないのだけれども……」
 私は笑ってザックの頬を両手で包んだ。
「ナツミ」
 ザックは私の名前を呼ぶと、顔を傾けて唇だけが軽く触れるキスをした。ザックの唇は冷たかった。
「ナツミこそ危ないんだ。黒い髪、黒い瞳の女なんて珍しいからな。だが必ず守るから」
「私もザックを助けられないかなぁ」
「俺を?」
 私の不意に呟いた言葉にザックが目を丸くした。
「うん。私もザックが奴隷商人と揉めて怪我をするような事になるのは嫌だよ。だから、少しでもお手伝いが出来たらなぁって」
 だって『凶暴な』とつくぐらいだから戦闘になる事だって考えられる。ザックがいつも帯刀している剣を抜く日が来てしまったら無傷でいられない可能性もある。
「ナツミは本当に……」
 するとザックが顔を赤くして視線を逸らした。

 どこまで俺を捕らえて離さないんだ──と呟いたのが聞こえた気がしたが。

 その瞬間、丁度私のお尻の辺りでザックの怒張が触れるのが分かった。
 それが何なのか形がはっきりと分かってしまい私は慌ててザックの腕から飛び退いて、隣に座り直す。
「も、もう。まだ夕方でこれから店も忙しくなるのに何を考えているんだよ。そんなに大きくして」
「……何を考えているって言われても。ナツミこそ、何が大きくなったのか言ってみろよ」
 ザックがさりげなく自分の足を組んで、上手い具合に股間の辺りを隠した。
 そして横に座る私の方に体を捻って顔を覗き込んできた。悪戯っぽく白い歯を見せて笑った。
「な、何って……」
 私は思わずザックの股間を凝視してしまう。ザックは上手く足を組んで誤魔化した様だが、大きな彼の一部はズボンの上からでもくっきりと形取られていた。
 ザックは片手でその大きくなった怒張をズボンの上から掴んで見せた。
の事か? いやらしいなぁナツミは。そんなに見るなら、触るか?」
 先程落ち込んでいた様子から打って変わって、ふざけて私に触る様に腰を突き出してきた。
「ば、馬鹿っ!」
 私は真っ赤になってグイグイと迫ってくるザックの肩を押した。
 そもそもどうしてこんなに大きくなっているのっ。軽くキスしただけなのに。
「馬鹿は酷いなぁ。こんなになるのは、ナツミが凄くときめくような事を言うからだろ」
「言ってない」
「言ったさ。お陰で俺はこの通り。なぁ、夕方の開店前までまだ時間があるし、ちょっとだけやっちゃう?」
 ザックが私の耳元に息を吹きかけながら誘ってきた。
「やっちゃうって。駄目だってそんなの無理。だってザックは早いけど終わらないから」
「聞き捨てならんな。早いけど終わらないって何だよ」
 そう言いながらザックは私の背中の後ろに片手を回して撫で回しはじめた。
「そ、そうじゃなくて──あっ」
 だ、駄目だ。
 このままではザックのいい様にされてしまう。
 ザックに触れられると、どこもかしこも気持ちよくなって──じゃぁない。
 これでは私が使い物にならなくなってしまう。
 つまり、ウエイターではないや、ウエイトレスとしての仕事が出来なくなってしまう。

「なぁ。先っぽだけでいいから」
 ニコニコ笑ってからかうザックが視界の端に見えた。
 半分以上は冗談だが、隙あらばといった様子だ。
「先っぽで終わるわけがないでしょ」
 私はザックを勢いよく突き飛ばした。

 もちろんふざけていたザックはベッドから転げ落ちてたんこぶを作ってしまった。



 二人きりの部屋でバカップル振りを誰に知られる事もなく発揮した後、『ジルの店』の従業員皆が開店前の酒場に呼ばれた。
 踊り子、ウエイター、料理人、裏方で掃除などをする皆がだ。
 結構な人数が集まり皆が「何事か?」と、ひしめき合っていると、店の入り口付近でパンパンと二回手を叩いたジルさんが、それぞれ窓を閉め切る様に命令した。

 窓を閉め切り、外からの音などが一切遮断される。

 すると厨房の裏口が開く音が聞こえた。
 少しして、ダンさんと男性二人が現れた。
 その二人の登場に『ジルの店』のメンバーは驚いたような声を上げ、ざわめいた。

 一人はよく顔を見る「もみ上げ長めの二重巨人」の軍人さんだ。
 もう一人は、初めて見る顔だった。
 ノアと同じプラチナブロンド、白い肌。すらりとしたスマートな印象があるがやはり軍人。鍛えている為か胸板は厚い。後ろ髪は軍人らしく短く刈り上げられているが、緩くウエーブがかかった前髪は長めで左目が隠れている。隠れていない右目は海の底のような色をして鋭かった。

 一瞬、私と視線が合ったような気がした。
 鋭い瞳で睨まれたが、私の姿を捉えたら柔らかく弧を描いた様に感じた。
 笑ったのか、笑われたのか。

 私は思わず自分の身なりがおかしくないか慌てて見返してみる。シャツのボタン当たりを確認するが、特におかしい様子はない。
 もう一度顔を戻すとあったと思った視線は特に合う事はなかった。

 気のせいかな。

「レオ大隊長とカイ大隊長だ……凄ぇ、海上部隊と陸上部隊の一番頭じゃないか」
「二人揃って珍しいな。事件かなぁ」
 いつもは裏方で仕事をしている男性の二人が私の斜め前で呟いていた。

 一番頭、か。
 二人共偉い人って事で、ザック達の上官に当たる人達だよね。
 もみ上げ長めの二重巨人とか変な呼び名で呼んでしまったけれど──次回からきちんと「レオ大隊長」って呼ばないと。

 私の横に立っていたザックに視線を移すとニコニコ笑いながら耳打ちをしてきた。
「どうした? やっぱりさっき続きをしておけばよかったって?」
「そんなわけない。ぜんぜん違うからっ」
 そんな事を心配しているのではなくて、変なあだ名をつけて呼んでしまった事が心配だっただけなのに。

 私は小声で呟きザックの脇腹をつついた。ザックはおどけてから私の肩を抱きよせ、前の方で話をはじめたレオ大隊長とカイ大隊長の方に視線を戻した。


 二人の大隊長からは改めて、ジルさんやザックが話してくれた事を『ジルの店』の全従業員に伝えてくれた。
 凶暴な奴隷商人がいるから捕まえる為に協力をして欲しい事。
 囮の話もしてくれて、皆がざわついた。無事に捕まえる事が出来たら賞金を与える事も考えているそうだ。その上でこの話は外部に漏らさない様にとの事。

「もし、これらの事を外部に漏らす人物がいた場合、厳しい罰は免れない。覚悟する様に」
 カイ大隊長が両腕を後ろに組んで、肩幅と同じ分だけ足を広げて前に立ち皆に告げる。
 プラチナブロンドを揺らして見えている右目を光らせる。
 よく通る低い声は丁寧に言われても震え上がるほどの恐ろしさを含んでいた。『ジルの店』の皆が声を揃えて「はいっ、言いません!」と思わず返事をしたのは言うまでもない。

「すっかり陸上部隊風だな。まぁ、協力必須で有無を言わせないのは軍人ってところか」
 隣で呆れた様に呟いたのはザックだった。
「はは。カイ大隊長の恐怖支配はお手の物だ」
 気が付くとザックの向こう側にはマリンの肩に手を置いたノアが立っていた。
 マリンは不安そうにノアに肩を抱かれていた。怖いよね囮なんて……
 
 それにしてもカイ大隊長は怖い人なのだな……変なあだ名をつけて、間違って呼ばない様にしないと。私はひっそり決心していた。

「さぁ! 偉くて怖い二人からの話は終わりよ。『ジルの店』で働く私が選んだ勇気ある者達、十分に気をつけて今後過ごすように。もちろんザック、ノア、シン達もついているから何かあったら直ぐに報告する事。さて、今夜はこの二人の大隊長様が部下を連れて来てくれるそうよ。満席になるから、気合いを入れて接待を頼むわね」
 ジルさんが手を叩いて『解散』と声を上げると、皆がわっと声を上げて散っていった。
 酒場のフロアで皆自分の持ち場に戻る為に行き交う。ガッチリと私の肩を抱きしめたザックが皆に声をかけられていた。

「大変だなぁ」
「気をつけろよ」
「ねぇ、私達の事も危ない時は助けてよね」
「当面『ジルの店』にいるのね。じゃぁ同僚ね」
 軽口を叩いて皆が通り過ぎていく。それぞれ何か思うところはあるだろうが、ジルさんに認められて働いている人達ばかりだ。当然、胆が座っている。

 ザックはハイタッチ等しながら皆の声に応えていた。
 もちろん近くにいたノアも同じだ。

 その様子に私も頑張らねばと気合いを入れた時、ジルさんとダンさんの声が聞こえた。

「マリンとミラは大隊長二人の案内をお願い」
「はい。分かりました」
 ノアの側にいた不安そうなマリンが意を決して返事をした。
 それからノアの頬にキスを一つすると、離れてジルさんの側に立っている大隊長二人のところにかけていった。その姿を周りにいた皆が口笛などを吹いて冷やかしていた。

 既にマリンは踊り子衣装に身を包んでいて薄い青色のオーガンジーの布を重ね合わせた衣装で、ヒラヒラと熱帯魚の様にフロアを泳ぐ様に進んで行った。


 二人のキスを見てしまった私は今更ながら一人頬を染めた。
 素敵だったのもあるけれど、マリンからキスって珍しいかも。

 思わずチラリとザックを見上げると、反応した私の顔を覗き込んでニヤリと笑う。
 何だか意地悪な笑い顔だ。後ずさろうとする私の肩を掴んで離すまいとする。

「次はナツミが呼ばれるかもな。呼ばれたら~ほら、なっ?」
 と、ザックは嬉しそうにウインクをしてきた。

 自分にもキスを──
 何を考えているのか丸わかりなザックに溜め息をついた。
 もう、こんな場合はいつもザックが勝手にキスして行くのに。
 ノアのように冷やかされたいのだろうか。

 しかし世の中、思う通りに行かないものだ。
 
「ザック、ノア、シン! 早速で悪いが厨房の方へ来てくれ。軍人共が押し寄せてきたら料理がたりん」
 呼ばれたのは私ではなく、ザックだった。

「くっ、俺かっ。俺が去るのかっ……仕方ない。じゃぁナツミ。今日は忙しいぞ」
 ザックはガックリ肩を落とした。それから一人立ち直る。
 一人芝居を見ているようで結構面白い。

 マリンがノアの頬にキスをした様に、自分も同じ様にしてもらうつもりだったのだろう。
 その一人芝居がおかしかったので、私は笑ってから背を伸ばしてザックの頬にキスをした。
 
「ふふ。行ってらっしゃい。ザック」
 ザックは突然の事に目を丸めると、キスをした頬に手を当ててポカンとしていた。
「ナツミありがとう。でも、丁度キスする時、横に振り向いてディープキスしようとしたのに!」
 ザックが泣き真似をしながら、とんでもない事を言い出す。
「何を馬鹿な事言っているんだお前は、じゃぁな、ナツミ。また後で」
 ザックはノアに頭を思いっきり叩かれると、首根っこを掴まれ引きずられ厨房に消えて行った。
「こら、ノア。苦しいだろうがっ、ああ。ナツミにお返しのキスが出来てない」
「後にしろよ。毎回お前らのキスを見せ付けられる俺の身にもなれ」
「うるせぇ、たまたま側にいるのが悪いんだろうがっ。そうは言うけど、ノアはマリンと結構キスしているぞ」
「ナツミとザックのは本気すぎてこっちが居心地悪くなるんだ」
「なんだと。自分達の今までは棚に上げて 『バシッ』 ぎゃー! 痛ぇ! 顔の真ん中をグーで殴るか普通?!」
 途中でノアに殴られながら去って行くザックだった。

 その様子をまわりの皆が大笑いして見ていた。



「そして私はゴミ捨て、っと」
 私は昼間はソルとトニに挟まれていた店の隣に面する細い路地で、胸の高さまであるゴミ箱を出していた。
 大隊長の二人が引き連れてきた軍人達は大盛り上がりを見せていた。
 もりもり食べ、笑って、それはそれは大騒ぎだ。唯一静かになるのは、ミラの歌を聴く時かマリンの踊りを見る時かぐらいだ。もちろん、その間でその他の踊り子、歌姫達と盛り上がっていた。

 ザック、ノア、シンは厨房で作った料理を自らの手で運び、事情を知っている軍人達に秘かに激励を言われていた。
 事情を知らない軍人もいるだろうから、今後はどうやって動いて行くつもりなのだろうとは思うけれど。

 コホン。特に踊ったり歌ったりする事が出来ない私は地味に裏方に徹していた。
 ウエイター……ウエイトレスは私がすると言っているのに、ザックが頑なに遮る。

「今日は絶対出るなっ。分かったな」

 先程のキスを強請った様子とは打って変わって、酷い剣幕で私に詰め寄る。
 フロアでは私の名前が呼ばれているのに、私は厨房で野菜の皮むきや、ビールサーバーの前でひたすらビールを注いでいる。

 フロアで私を呼び出す軍人が「ザック隠すなよ、黒髪の女を俺にも紹介しろっ! 凄く強いって聞いたぞ」と喚いていたので、例の「ザックと拳で語り合える女」の噂を真に受けている様だ。

 そんな騒がしさを後にして私はゴミ箱を二つ並べて一息ついた。
 今日は早く眠れると思ったけれど……こうも忙しいとそうもいかない。


「あら噂の、黒髪さんね。本当に真っ黒なのね髪の毛も瞳も」


 突然、路地の奥から女性の声が響いた。柔らかな声の持ち主だった。
 ゆっくりと女性が私に近づいて来た。
「誰?」
 私は瞳を細めて女性を凝視するが、この路地はとても細くて暗い。表通りから漏れる光が唯一頼りだが、それすらも役に立たない。

「私? そうねぇ、私はこの『ファルの宿屋通り』で生きている女の一人よ」
 一メートル程の距離に近づいてきた女性は私と同じぐらいの身長である事が分かる。
 黒いフードのついたケープコートを羽織っている。
「……暑い夜なのにそんなコートで、汗はかかないの?」
 私は思わず尋ねてしまう。だが、良く考えたら日除けなのかノアも黒い外套を着ているから暑さ対策の一つなのかもしれない。

 ──『ファルの宿屋通り』で生きている女の一人、か。
 また、ザックと関係のあった女性かな。何処かの店にいる踊り子なのかもしれない。
 
 目が慣れてきて少しずつ女性の輪郭が見えてきた。黒のフードは目深に被っていて、どんな顔をしているのか見えない。
 口元だけが見えていた。浅黒い肌にぽってりとしたセクシーな唇。赤くグロスを塗った唇だった。向かって唇の右端にほくろがあった。

 私は女性の唇を見つめて首を傾げた。何故なら私の問いかけにも反応がないからだ。
「もしかして『ジルの店』に用事だった? 今日、酒場は軍人さんの貸し切りで関係者以外お断りなんだけど。泊まる部屋を探しているなら──」
「ザックの恋人のナツミって、あなたでしょう?」
 女性は艶やかな赤い唇の端を上げて私の言葉を遮った。

 ああ──やはり、ザック絡みか。また対峙せねばならないのか。

「そうだけど、え?」
 突然女は私の腕を掴んで距離を詰めてくる。
 驚いて顔を上げると、暗いフードの奥にある紫色の瞳が妖しく光ったのが見えた。

「私の目を見て」
「は?」
「だから、私の目を見て」
「はぁ」
 女は「目を見て」と繰り返して何故か力一杯私を睨む。
 その度に紫色の瞳が妖しく光っているが、特にそれ以上の何かは感じない。
 女性からは深い緑の匂いがした。

「私の暗示が効かない? そんな……医療魔法で跳ね返す力も備わっていると言うの?」
 よく聞こえないが女は溜め息をつきながら呟いて私の前から距離を取った。

「何なの。一体」
 私はわけが分からず距離を取った、黒いフードの女性に向かって首を傾げた。
「まぁ、それならそれでいいわ。ねぇ、ナツミ。ザックが沢山の女と浮き名を流していた事は知っているわよね? 『ジルの店』では三人の女と同時に寝たりとか」

「はぁ、まぁ。それは、はい」

 何を藪から棒に。私は更に首を傾げてしまった。
 ザック絡みであなたも何か私に文句を言いに来たのではないの? そう私は言葉を続けようとした時だった。

「でも、本当は『ジルの店』の中でもう一人。ザックと体の関係がある女がいる事は知ってる?」
「え」

 何を言っているの? この女性は。

 私は思わず一歩後ずさりする。何だか気持ち悪い女性だ。
 黒のフードがついたケープコートを翻し、女は私の横を通り過ぎて行く。

 そして、私の真横を通り抜ける時こう呟いた。

「ザックはマリンと寝た事があるのよ」

 女は振り返る事なくそのまま表通りに姿を消して行った。



 ザックハ マリント ネタコトガ アルノヨ



 私は女性の呟いた言葉が理解できなくて、真っ暗な路地で動く事が出来なかった。
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