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063 なりたくて、ヤバイあいつ

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 黒タイトワンピースの女は涙を静かに流してから落ち着きを取り戻すと、私の手を離してもう来ないと言った。

「あなたは何て言う店で働いてるの?」
 去って行こうとする彼女の後ろ姿に声をかけた。背中が大きく開いていて手入れされた美しい背中が見える。
「そんな事知ってどうするのよ」
「あなたの踊りを見てみたいと思って」
「えぇぇ、本気? 男から言われる事はあるけれども、女からそんな事を言われるのは初めてよ。それにあんたの店は名うての踊り子、マリンがいるでしょ」
「そうだけれども。あなたも10年ずっと踊っているんでしょ。きっと素敵だろうな」
 私は『ジルの店』での踊りしか見た事がないが、皆個性があって様々だ。
 多くが男性を誘う様な踊りだが、よく観察すると面白い事が分かった。
 彼女が言う様にマリンの踊りは別格で芸術作品の様だ。だからこそ、どんな踊りを見せてくれるのか興味がある。

「もう、あんたっておかしい事言うわね。大体、宿屋通りの店に女一人で来るのは物騒よ。誰かに連れてきてもらいなさいよ」
 肩をすくめて彼女は笑った。
「そうかぁ。女一人は物騒なのなら、変装すれば少年風で通せないかな」
 私はポンと手を打って彼女に提案をしてみるが、呆れた様に笑われた。
「変装って、あんた本気? 一人で来ようとするなんて。これじゃぁ敵わなくて当然ね」
「え、何か言った?」
「何でもないわよ。私はトニって言うの。『ゴッツの店』にいるわ。『ジルの店』より小さいけど結構いい店よ。機会があったらいらっしゃい。あんた──ナツミになら一杯おごってあげるわよ」
 最後に私の名前をちゃんと呼んでくれた黒タイトワンピースの女トニは、背を向けて表通りの道へ去って行った。
「うん。トニありがとう」
 私はそう言ってトニの姿が消えるまで小さく手を振り続けた。

「一杯おごるって。何なんだよ、普通はそんな仲にはならないだろう」
 ボソッと私の後ろで呟いたのはソルだった。
 そういえば、ソルは途中トニの酷い言い方に苛立ち横から助け船を出そうとしてくれたのだっけ。
 私はソルにもお礼を言おうと思い振り向いたが、それと同時に裏口のドアが勢いよく開いて次々と見知った人が雪崩の様に路地に飛び出た。
「痛ッ。マリン、あたしを潰さないで!」
「ごめんなさいミラ。でも私もジルさんに潰されていて」
「ええ、潰してないわよぉ」
 ミラ、マリン、ジルさんとよく見知った面々が倒れている。可哀相な事に、一番背の小さいミラが下敷きになっている。
「大丈夫ですか」
 ニコが驚いて、3人それぞれを立ちあがらせる。皆パンパンと服を叩いて、腰が痛いだの、腕が痛いだの文句を言う。
 しかし、最後はバツが悪そうな顔をしていた。
 これはトニとのやり取りを覗いていたのだろう。
「ジルさんまで覗くなんて趣味が悪いですよ」
 私は口を尖らせた。
「だって、売られた喧嘩をどう買うのか気になって。流石、ナツミ最高よ。『ジルの店』としても鼻高々だわ~」
 そう言ってジルさんは私の事をギュッと抱きしめた。赤いブラに詰まった胸に顔が押し付けられ、息が出来なくて藻掻いた。
「くっ、苦しい。ソルなんて途中で助けようとしてくれたのに」
「ソルって。ああ、ザックの知り合いの──何処にもいないけれども?」
「あれ?」
 ジルさんに抱きしめられたまま辺りをキョロキョロ見回すがソルの姿は何処にもなかった。
「きっとナツミの格好良さに驚いて、裏町の皆に報告しに行ったんだよ~」
 ニコが暢気に笑っていた。
「え? そんな訳ないでしょ……」
 ジルさんに抱きしめられたまま、私は大げさだと呟く。
「そんな事ないわ。ニコの言う通りよ。だって『そんなザックなら、私はいらない』よ。もう、痺れるぅ~」
 ミラが私の口調を真似ながら話す。
「止めてよ恥ずかしい」
 何だか急激に恥ずかしくなってきた。
「まぁ、こんなところで話し込むのもね。店の中に入りましょうか」
 ジルさんがタイトスカートの裾を翻し扉の中に消えて行った。
「はーい」
「そうだった。ダンさんの手伝いをしないと」
 ミラとニコもそれに続いて店の中に消えて行った。

 ただ一人、マリンだけが細い路地で影になった石畳を無表情で見つめていた。

「マリン?」
 余りにもぼんやりとしているその姿に私は声をかけた。もしかしてジルさんに潰されたのがよくなかったのかな。
「!」
 マリンは弾けた様に顔を上げると私の顔を見るなり眩しそうにした。
「大丈夫? もしかして潰された時何か怪我をした?」
「う、ううん。大丈夫」
 マリンは左右に首を振ると唇の端を少しだけ上げて笑っていた。
「じゃぁ、入ろうか」
「ええ」
 そう言って私とマリンは遅れながら店に入った。


 マリンはナツミの言葉に、驚きを通り越して雷に打たれた様になった。
 自分も今のナツミと同じ目にあった事があるからだ。
 ノアもノアで付き合う前はザック程ではないが浮き名を流していた。
 なので、ノアと付き合いはじめると踊り子や裏町の女性達の妬みは酷いものだった。
 その時は何度も隠れて泣いた。

 ノアにも言えず。
 店の仲間にも言えず。
 ひたすら耐える事だけが全てだった。

 ノアが余りの嫌味の言われ方に「心配だ」と声をかけてくれたけれど、私は微笑んで首を振る事がようやくだった。

 今でこそ私の踊りを皆が称賛してくれるが、根本的に私も彼女らと同じだ。
 踊って男を誘うぐらいしか出来ない女なのだ。

 私の価値なんて踊る事と男に抱かれる事以外に何があるのだろう。
 そういう事しか能がないって思われていたし、思っていたのだから。
 ノアだってきっと思っているはず。

 ナツミの様に強い意志を持って意見を言った事も、意見を持った事も一度もない。

 逃げるばかりで助けて欲しいと言えず、解決しようとしないで、嵐が通り過ぎる事だけを望んでいた。
 そうだ、先日の別荘でも同じだ。
 ノアが彼が家の事で悩んでいるのに、意見を求められても答えられなかった。

 私の考えなんてなかったから──
 
 なのに、ナツミは違う。
 私の想像を飛び越えて行く。
 それは曇り空も晴れに変える事が出来る魔法使いだ。

 黒タイトワンピースの女にも「あなたも対等だ」と言っていた。
 ノアの事も「それはおかしい」とはっきり伝えた。

 私もナツミの様に言えたらよかったのに。
 あなたはとても眩しくて私には太陽の様で雷の様で。

「どうしたら……」
 ナツミの様になれるの?
 ナツミの後ろ姿を追いかけながらマリンは呟いた。



 ソルはズンズンと無言で歩いていた。

 踊り子の様にしなだれかかる様な立ち方はしない。
 真っ黒で短く切った髪の毛の後ろは一部だけ寝癖がついていた。
 まるで少年の様だ。ニコと話をする姿だけならまるで友達同士の様にも見える。

 しかし、ナツミはあんなに嫌味を言われて詰め寄られて、最後には奴隷がお似合いだなんて差別される様な事を言われたって、少しも激昂しなかった。
 むしろ俺の方がカチンときて声を上げてしまったぐらいだ。

 白い壁に囲まれている『ファルの宿屋通り』の門を早足でくぐる。
 4人の門番が俺の顔を見るなり笑っていた。

「ソル。どうした。何かあったのか? 相談に乗るぜ」
 門番の一人が俺に声をかけてきた。多分若い俺が赤い顔をしながら早足で歩くものだから、何処かの店でからかわれたと勘違いしたのだろう。
 しかし俺は無視して歩いた。
「どうしたんだあいつ? 何かあったのかなぁ」
 後ろで呆れた様な声が聞こえた。
 
 違う。
 そうではないのだ。
 今見てきた事に俺は驚いて動揺しているから顔が赤いのだ。
 だが、どう説明したらいいのだろう。
 信じてくれるだろうか。


 そんなザックなら、私はいらない


 スッキリ背中を伸ばして真っすぐに立っていた後ろ姿が自分よりずっと小さい身長なのに一瞬大きく見えた。チラリと見えた彼女の横顔は急に大人びていた。
 黒い瞳は意志をしっかりと持っていて美しく輝いた。

 あなたも対等だよ

 対等って、いいなぁ。
 気持ちをやり取りするなら対等だよな。気に入ったぜ。


 ヤバイあいつ。


「スゲぇ人がザックさんの恋人になった」
 この感動を早く裏町の仲間に伝えたくて、俺は我慢出来ずに大きく走りはじめた。
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